大人のじゃれ合い
「……」
「……」
さて、俺が水萌とレンの父親の部屋に入ってから何分経っただろうか。
俺の体感ではおよそ一時間は経っているのだけど、多分実際は五分ぐらい。
見えるところに時計はないからわからないけど、その間ずっと無言のお見合いが続いている。
部屋に入ってテーブルを挟んで座布団に座るまでは良かった。
もちろん座る時は手で促されてから座ったから失礼はないと思う。
だけどそこからが問題だった。
どっちから話し始めればいいのかわからない。
あちらも俺が話し出すのを待っているのか、両腕を組んで俺を睨んでいて、たまにテーブルの下に視線を送っている。
(どう切り出すのが正解なんだ?)
そもそも俺はなんの話をすればいいのか聞いていない。
水萌に押し付けられそうな跡取り問題を解決する為に来てるのはわかるけど、それだってどうなっているのかをレンから聞いていない。
そんなことを考えていたらなんの説明もないレンに腹が立ってきた。
(帰ったら水萌の刑にしてやる)
あれは俺にもダメージがあるからやりたくないけど、レンが一番困ることだし仕方ない。
とりあえずレンへの罰は決めたので、今をどうするか考える。
まあやることは一つしかないんだけど。
「「あの」」
最悪だった。
俺が意を決して話しかけたらあちらも同じタイミングで俺に話しかけてきた。
しかも想像以上に優しい声で。
「すいません、どうぞ」
「い、いや、こちらこそ。気にせずにいいよ」
「じゃあ──」
俺が譲ったのを更に返されたので話そうと思ったら扉を叩く音が聞こえてきた。
なんだかすごいタイミングが悪い。
「ごめん、入って」
「なんか、本当にごめんなさい」
部屋に入ってきたのは、すごい若々しい女の人だ。
多分水萌とレンの母親だろうけど、母さん以外で初めて見る幼さだ。
綺麗な黒髪を後ろで纏め、お茶とお茶請けを載せたおぼんを持って申し訳なさそうにしている。
「いえ、いきなりおじゃましてるのはこっちなので」
「そういうことでもないんだけど、とりあえずごめんなさいね。この人って人と話すのが苦手で」
「だ、だって、娘の友達なんて空想上のものだと思ってたから」
なんだか聞いてたイメージと全然違くて頭がおかしくなりそうだ。
やっぱり俺はレンに騙されているのではと思ってしまう。
まあ大人は裏と表の使い分けが子供よりも上手いから鵜呑みにはできないけど。
「多分名前も言ってないよね。私は如月 唯って言います。この人は旦那で……」
水萌とレンの母親? の唯さんが二人の父親? である眼帯さんに綺麗な笑顔を向ける。
ちょっと怖い。
「あ、俺が言うのか。俺は如月 悠仁です。水萌と恋火の父親です」
どうやらこの二人が水萌とレンの親で確定のようだ。
だけどそうなるとやっぱり違和感しかない。
「まあいいか。自分は──」
「桐崎 舞翔君だろ?」
悠仁さんが俺の名前を当てて普通に驚く。
俺はもちろん名乗ってないし、レンが事前に言っていたとも思えない。
なのになぜ俺の名前を知っているのか。
「まあ覚えてないよね」
「もしも覚えててもあなた今眼帯しててわからないでしょ」
「あ、そっか。ちょっとものもらいで眼帯してるんだよね」
どうやらどこかで会ったことがあるようだけど、多分俺は眼帯が無くてもわからない。
だけど二人の優しい声はどこかで聞いたことがあるような気もする。
「とりあえずそれは置いておいて、お茶をどうぞ」
唯さんがそう言ってお茶とお茶請けを俺と自分の前に置いた。
「あれ、俺の分は?」
「大人のあなたから話を始められなかったから無し」
「で、でも、タイミングは一緒だったし……」
「それで?」
「……なんでもないです」
唯さんの笑顔で悠仁さんが縮こまる。
さっきまで感じていた圧が今では見る影もない。
そんなうちの両親みたいなバカップルとは違う愛の形を見ながらお茶をすする。
「あ、美味しい」
「まあ嬉しい。ちゃんと聞きました? こうやって素直に『美味しい』って言ってもらえるのが嬉しいんですからね?」
「わ、わかってるよ。だけど仕方ないだろ……」
大人のじゃれ合いを無視して出されたお茶請けのようかんを食べる。
「こっちも美味しい。手作りですか?」
「そうなの! どうしましょう、私この子好きになっちゃう」
唯さんの冗談を真に受けた悠仁さんからすごい嫉妬の視線を受けるけど、俺は思ったことを言ってるだけで何も悪いことはしていないはずだ。
「あの子達が連れて来るだけはあるわね」
「そうだね……」
「もう、拗ねないの。後でいっぱい構うから」
「約束だからね?」
「だからお客様の前ぐらいはちゃんとして」
「お客様……そうだね」
唯さんの言葉で悠仁さんが背筋を伸ばした。
俺としてはさっきの方が話しやすいから良かったのだけど。
「恋火から少しだけ話は聞いてるけど、よくわからなかったから舞翔君から聞きたいんだけどいいかい?」
「自分もレン……恋火さんから詳しく聞いてないんですよ。そもそもが聞いてた話と全然違いますし」
「俺も久しぶりに恋火が話しかけてくれて嬉しかったから内容をほとんど覚えてないんだけど、恋火は舞翔君になんて話してるの?」
「そうですね、例えば──」
俺は悠仁さんにレンから聞いてる家のことを話した。
レンのことを好きとかの話はなんとなくしなかったけど。
「っていう感じです」
「なるほど。俺の知ってる真実が一つしか出てこなかったんだけど」
「私も」
「どれですか?」
「二人を見分けられなかったってやつ」
それは一応話しただけで、今回の話には関係ないと思っていたけど、まさかのそれしか真実が無いとは思わなかった。
だけど水萌とレンが俺に嘘をついていたとも思えない。
「でもようやく俺や唯さんのことを嫌ってるのかわかったよ」
「あなたが口下手だからね」
「唯さんだって接し方を間違えたでしょ」
「酷い、私は頑張ったのに……」
唯さんが嘘泣きのテンプレである『体を斜めにしながら目元に手を添える』をした。
「ご、ごめんなさい。そうだよね、俺が仕事をしてる中、家事と子育てとその他諸々をやってくれてたんだよね。何もできなくてごめん」
悠仁さんが唯さんの手を両手でギュッと握る。
俺は何を見せられてるのか。
「悠仁さん、演技なんですからそうやって本気で返されると恥ずかしいんですけど……」
「だけど本心だから」
「お客様の前です!」
「あ、ごめん」
悠仁さんがまたも背筋を伸ばす。
唯さんは「そういうのは二人っきりの時にしなさいよ」と顔を赤くしながら呟いている。
「ちなみに舞翔君は俺の言葉と娘の言葉ならどっちを無条件で信じる?」
「え、水萌さんと恋火さんですけど?」
そんなの悩む必要もない。
たとえ悠仁さんの言葉が真実だったとしても、俺は水萌とレンの言葉を優先して信じる。
「即答できるのはいいことだね。だけどそうなるとただ言葉で言っても駄目か」
「そうですね、自分が信じれる大人って母ぐらいですし」
大人は嘘しかつかない。
そんな中でも母さんは俺に嘘をつかない。
だから俺が信じれる大人は母さんしかいない。
「じゃあそれでいこう」
「はい?」
「だから、陽香さんに説明してもらおうって話」
全然言ってる意味がわからないけど、悠仁さんはテーブルの下からスマホを手に取る。
そして悠仁さんはスマホを操作して耳に当てる。
どうやら本当に母さんへ連絡を取っているようだ。
俺は訳がわからないまま固まることしかできなかった。