人を幸せにする力
「おはよ」
「ごめんなさい……」
バイトが終わり、水萌の住むマンションにやって来た俺はエントランスで十分ほど待ちぼうけをくらった。
理由は単純で、お疲れの水萌が起きるまでに十分かかったからだ。
「よく寝れたってことはレンから連絡あった?」
「うん、お手紙が置いてあったよ」
レンが居たら待ちぼうけをくらうわけはないから、ここにレンが居ないのはわかっている。
だけど水萌が慌ててなく、しかもぐっすりと眠れていたのなら心配はないということになる。
「これ」
「隣のは水萌が書いたやつ?」
「うん」
リビングの机の上には二枚の手紙が置いてある。
可愛らしい丸文字と、綺麗な文字で書かれたものが。
水萌の方が『まいとくんのおうちにおとまりしてくるね』と書かれていて、レンの方が『変なことはしてないな? 俺はちょっと実家に居るから帰れないけどサキを困らせるなよ? お盆の前には帰る。それとどうせ見るだろうけどサキにスマホは使えないって言っといてくれ』と書かれている。
「変なことはしてないよね?」
「レンが思ってるようなことはしてないな。危なかったけど」
結果的に何も無かったから多分大丈夫だ。
「とりあえずは安心かな。スマホが使えない理由は気になるけど」
「なんでだろう、すごいどうでもいい理由な気がするんだよね」
「水萌も? 俺もなんだよね。レンの反応見たいからお楽しみにしようか」
「うん」
レンとしばらく話せないのは寂しいけど、その分再会したらいい反応をしてくれるだろうし我慢する。
「言っても二日か三日だもんな」
「そだね。早く恋火ちゃんに会いたい」
「俺も会いたいけど、レンが帰って来るってことは俺が水萌とレンの親と話すってことだよな」
レンが実家に居る理由は十中八九水萌の件だ。
本人達も詳しくわかっていない跡取り問題に巻き込まれそうな水萌を助ける為にレンが動いて、最後は俺に全部丸投げするという。
俺は普通に話せばいいと言われているけど、正直普通に話せる気がしない。
「応援いる?」
「普通の応援じゃ俺はやる気になれないぞ」
「普通かはわからないけど、これは?」
水萌が俺に抱きつく。
普通ではないけど、水萌だと思えば予想の範囲内だ。
「私の元気を注入だー」
水萌がそう言って頭をぐりぐりと俺の胸に押し付ける。
「水萌、一人称を『みなも』にして」
「一人称って『私』?」
「そう」
「みなもの元気を注入だー」
かわいい。
とてもかわいいので水萌の頭を撫で回す。
「なんかいつもと違う気がするよ?」
「水萌がかわいいのは変わらない」
「なんだかよくわかんないけど、なでなでは嬉しいからいいや」
水萌のほっぺたがいつも以上にやわらかそうになる。
さすがは水萌の『応援』だ。
なんか色々と吹き飛んだ。
「水萌の為に頑張るね」
「無理はしないでね? もしもの時は恋火ちゃんがなんとかするから」
「じゃあ最初からやって欲しいな」
「さすがに私も恋火ちゃんも住む場所が無くなるのは嫌だから……」
水萌が引き攣ったように笑う。
その顔を見てレンの取る方法が『絶縁』だと察した。
このマンションを借りて家賃を払ってるのは水萌とレンの親だから絶縁をしたら住む場所が無くなるのは当然だ。
というか、親子仲の悪いのにこんないい部屋に住ませてもらえることに少し違和感がある。
水萌とは完全に縁を切りたいみたいなことを聞いたけど、それなら別にわざわざこんないいところに水萌を住ませる理由がわからない。
まあそういうことも含めて今度聞けばいいんだけど。
「あ、それよりも行こ」
「どこに?」
「パン屋さんだよ!」
そういえば水萌の通っているパン屋に行く約束をしていた。
レンのことで頭がいっぱいすぎて普通に忘れてた。
「水萌は今日うち来る?」
「行ったら駄目……?」
「そういう意味じゃなくて、今日は泊まらないだろうからわざわざうちに帰って晩ご飯を食べてからまたこっちに戻って来るのはめんどうかなって」
「お泊まりしたら駄目……?」
「そういう寂しそうな顔をしても駄目。俺にだって心構えっていうものがあるの」
レンの許可を取れば毎日泊まっていいとは言ったけど、本当に毎日水萌が泊まって毎日俺の隣で寝るなんてちょっと無理だ。
最初は大丈夫だと思ってたけど、昨日の一回で確信した。
ハイテンションな水萌はやばい。
「水萌が可愛いのが悪い」
「恋火ちゃんなら泊めるんでしょ!」
「そりゃ水萌を泊めたのにレンは泊めないなんて言えないでしょ。二回目は考えるけど」
レンの場合は自分から「泊まりたい」なんて言わないだろうけど、水萌は泊めたのだからレンも泊まらなければフェアじゃない。
それにレンの猫耳パーカー姿も見てないし。
「昨日も言ったけど、水萌の二回目はレンの許可が出たらね」
「恋火ちゃん、絶対に恥ずかしくなってお泊まりしないよ? だから私のことも許してくれないと思うの」
「俺もレンの猫耳パーカー見たいから説得頑張って」
「どうしよっかなー、舞翔くんが私のお泊まりを許してくれたら頑張れそうだなー」
水萌がチラチラと俺の方を見てくる。
なぜだろうか、白々しいのに可愛いとしか思えない。
「一緒にレンを説得しような」
「うん! 私も頑張る」
俺としては水萌と二人っきりのお泊まりはしたくない。
もしも二回目があるならその時はレンも巻き込むことにする。
第三者が居れば安心だし。
「と言うことで今日はお泊まり無しね」
「むぅ、仕方ない。あ、舞翔くんがうちに泊まるのは?」
「何も変わってないからね? むしろ悪化してるまであるから」
水萌がうちに泊まるのは俺が水萌に気をつけてればいいだけだからなんとかなる。
だけど俺がここに泊まるとなると、水萌と同じお風呂を使い、多分強制的に水萌のベッドを使うことになる。
無理でしょ?
「俺が水萌の住んでるところに泊まるのはせめて高校を卒業したらね」
「舞翔くん、頑張って早く卒業……したら舞翔くんと一緒に学校通えない!」
「当たり前のように飛び級しろなんて言うなし。とにかくそういうことだから。早く行くよ」
これ以上話しても俺が恥ずかしめられるだけだから水萌の手を取って玄関に向かう。
「あ、待って」
「待ちません」
「え、あー、いいのかな?」
水萌が首をコテンコテンと傾げながら何かを考えている。
よくわからないけど最後は頷いて解決したようだ。
「パン屋さん行ったらここに帰って来るんだよね?」
「そうだね、今日はこっちで晩ご飯食べさせて欲しい」
「うん! 舞翔くんがうちに居るの新鮮!」
水萌が小走りで俺の隣にやって来て満面の笑みを俺に向ける。
その笑顔を見て思わず頬が緩む。
水萌と居るだけでなんでこうも嬉しい気持ちになれるのか。
水萌には人を幸せにする力でもあるのではないかと思ってしまう。
そんなことを考えながら俺は水萌と手を繋いだまま外に出て、水萌の通うパン屋さんへと向かうのだった。




