始まらない散歩
「終わった……」
「お疲れ様」
「おつー」
三十分間、無言で宿題に取り組んでいた水萌が机に力無く突っ伏す。
その水萌の頭を俺が撫で、さっさと飽きて俺のベッドに戻ったレンがミナモとレンカをいじりながら適当に言う。
「疲れた?」
「うん。でも宿題にじゃなくて、お話できないことに疲れた」
なんとなく見ればわかる。
水萌は別に宿題は難なく終わらせている。
だけどずっとソワソワしていたせいで時間がかかった。
水萌は黙らせないと宿題をやらないけど、集中させる為には黙らせたら逆効果のようだ。
「今日の分は終わったし、水萌の言ってた散歩でもする?」
「オレはめんどいからパス」
「じゃあ私と舞翔くんだけでデートしてくる」
「……やっぱ行く」
水萌が笑顔で言った一言に、レンが反応して体を起こした。
「勘違いするなよな? オレは別にサキと水萌が二人っきりで一緒に出かけるのが嫌とかじゃなくて、人の家で留守番するのはどうかと思っただけだから」
「俺は別にいいよ? レンのことだから俺のベッドにずっとマーキングしてくれるんでしょ?」
「しないわアホ。ただちょっと眠くなってベッドを借りるかもしれないけど」
レンのこれがわざとじゃないのがわかるから駄目だ。
どうしてこんな狙ってないツンデレができるのだろうか。
普通に可愛くて放置したくなる。
「いいよ、恋火ちゃんも行こ」
「なんで水萌に呆れられてんだよ」
「だってめんどくさいんだもん。素直に舞翔くんとデートがしたいって言えばいいのに」
「うるさい。そもそも付き合ってもないのにデートとか……」
レンがまた可愛いことを言い出した。
俺の枕に顔を押し付けて喋るのをやめて欲しい。
水萌もだけど、どれだけ俺をベッドで寝かせたくないのか。
「じゃあ行こうか。部屋着だけど別にいっか」
「お着替え待つよ?」
「ちなみにどこで?」
「隣で」
「下に着てるから別にいいけどさ、楽しいの?」
「嬉しい」
「そうですか」
別に見られて減るものでもないからいいけど、何が水萌をそこまでさせるのだろうか。
「オレの意見は無視か?」
「だって行くだろ?」
「行くけどさ」
「歩きたくないとかならおんぶするから」
「そこで渋ってねぇ!」
レンに後頭部を殴られた。
ちょっと痛い。
「とにかく行くんだろ?」
「なんか嫌になってきた」
「ほんとめん……じゃなくて、俺はレンと一緒に行きたいんだけど?」
「今本心出たろ」
「だって俺みたいなこと言うから」
とりあえず否定から入るなんて俺のようだ。
内心ではやりたいことでも、とりあえず否定して相手が頼んできたら渋々頷く。
ほんとにめんどくさい。
「舞翔くんは私達にはしないでしょ?」
「無意識だから知らない。文月さんにはやってるみたい」
「ふーん」
「水萌、可愛い顔が更に可愛くなってるよ」
「そんなこと言ったって喜ばないんだからね」
水萌はそう言いつつ笑顔だ。
この子もこの子でチョロ……素直すぎる。
「いいや、とりあえず着替えるから水萌の目でも封じといて」
「オレ?」
「なんで恋火ちゃんは見ていいの!」
「だってレンなら照れて見ないだろ?」
別に見られてもいいけど、見せたいわけではない。
だからレンに頼んだのはただの保険なので、特に意味はない。
「まあ水萌も見たら見たで照れるんだろうけど」
「恋火ちゃんほどじゃないよ」
「まあ水萌って結構オープンだからな。レンはむっつりだけど」
「サキに言われたくないっての!」
レンが拗ねながら水萌の目を手で塞ぐ。
水萌は頬を膨らませているが、抵抗はないようだ。
「やっぱ恥ずかしかったんだろ」
「だって刺激が強いよ」
「水萌って性欲強そうなのに耐性少ないよな」
「わかる」
「せーよくの意味がわからないけど、馬鹿にされてる?」
「「してないしてない」」
俺とレンのセリフが完全にはもった。
実際馬鹿にはしてない。
ただ水萌はまだ『清楚』を名乗れるのではないかもしれないってだけだ。
「まあ水萌は何も考えてない、いつもの状態が一番可愛いから」
「それは褒めてる? 馬鹿にしてる?」
「褒めてる褒めてる」
捉え方次第では褒めてないかもしれないけど、半分は褒めたつもりで言ってるので褒めてる。
「後終わったからいいよ」
「早いな」
「いや、パーカー替えただけだから」
レンが水萌の顔から手を離して俺の服装を上から眺める。
着替えと言っても、部屋着用のパーカーから外出用のパーカーに着替えただけだ、
しかも見た目はほとんど変わらない、俺の気分で『部屋着』と『外出用』で分けてるだけのものだ。
「着替える必要あったか?」
「無いよ? だから着替えないで行こうとしてたんじゃん」
「じゃあなんで着替えた?」
「なんとなく? 意味はないから何も聞くな」
俺にだって着替える基準がわからないんだから説明なんてできない。
ちゃんとした外出の時はもちろん着替えるけど、少し外に出るぐらいなら気まぐれで着替える。
ほんとに適当だから突っ込まれても困る。
それよりも……
「そこのお嬢さんはなんで俺が脱いだパーカーを凝視してんの?」
「水萌が変態だから」
俺が脱いで床に置いたパーカーを水萌がじっと眺めている。
すごい真剣なようで、レンの罵倒にも気づいていない。
「もしかして、前に水萌が制服を脱ぎ散らかしてたのを注意したのに、俺も同じことしてるのに文句言いたいやつ?」
「なに、水萌ってサキの前で全裸になったの?」
「なわけないでしょ? 水萌が着替えるのにここを貸しただけ」
「知ってる」
「だったら聞くな」
レンがニマニマしながら俺を見てくるので、それを無視して脱いだパーカーを拾う。
すると水萌の視線もそれを追ってくる。
「マジでなんなの?」
「だから水萌が変態なだけだって」
「意味わかんないし。とりあえず行こ」
レンが何も教えてくれそうにないので、とりあえず部屋を出る。
そしてそのまま玄関に向かう途中で洗面所の扉を開き、洗濯かごに脱いだパーカーを放り投げる。
入ったのを確認して洗面所を出ようとしたところで、俺とすれ違いになろうとしていた水萌のお腹に手を回して一緒に出る。
「ちゃんと見とけし」
外で呆然としていたレンに軽くデコピンをしながら言う。
「いや、なんかすごい当たり前みたいに入って行ったもので」
「ほんとどうした? 何したら直るの?」
「叩けば直んじゃね?」
「昭和の家電じゃないんだよ」
そもそも水萌に暴力を振るいたくない。
「じゃあ抱きしめとけ。水萌は単純だからそれで直る」
「そんな簡単にいくの?」
「やってみ」
レンが自信満々に言うので、言われるがままに抱きしめてみた。
すると。
「ふぁ、舞翔くんの匂いだぁ」
「なにこの蕩けボイス。耳が壊れる」
「脳まではいかなかったか」
「脳は溶けた」
「ご愁傷さま」
水萌の寝起きのような、すごい甘い声で色々とやられた。
どうしたものか、離したくない。
「バカ二号、さっさと離して散歩行くぞ」
「うるさいぞバカ三号」
「喧嘩売ったな?」
「売られた喧嘩を買っただけだが?」
「喧嘩はめっ!」
水萌がほっぺたを膨らましながら俺を強く抱きしめる。
駄目だ、久しぶりの『純100%』の水萌に勝てない。
「男はチョロいな。行くぞ一号と二号」
「恋火ちゃん、おてて繋ご」
「……」
先に出ようとしていたレンの手を水萌が頑張って伸ばした手で握る。
レンが無言で水萌を見て、玄関に視線を戻してからため息をつく。
「女もチョロいな」
「うっさい。なんでさっきまで雑念しかなかったくせに、こんな純粋になれんだよ」
「雑念が全部抜けたんじゃないか?」
「サキの匂いってやばいんじゃないの?」
レンにそう言われて気になったので、自分の匂いを嗅いでみるけど、特に変な感じはしない。
そもそも今までだって水萌が俺の匂いを嗅いだことは結構あるのだから、俺の匂いは関係ないはずだ。
「じゃあそういうことだな」
「どういうこと?」
「水萌が変態って言われたから、演技してるってこと」
「……」
それはさすがに有り得ないと思ったけど、水萌があからさまに黙った。
どうやらそういうことらしい。
「別に水萌にどんな性癖があろうと俺は気にしないよ?」
「せーへきなんてわかんないもん。それより、舞翔くんは私が舞翔くんのパーカーをギュってしたいって言ったら嫌?」
「なんで? さすがに洗濯物を漁られるのは嫌だけど、別にさっきみたいな脱いで置いてあるやつなら別に?」
それをして何が嬉しいのかはわからないけど、水萌がそれをやってても拒否感はない。
「良かった」
「そんなにほっとすることなの?」
「うん」
「ふーん。それよりさ、パーカーで思い出したんだけど、俺が前に貸したパーカーってどうしたの?」
水萌が風邪を引く原因となった雨。
全ての元凶は俺だけど、その雨の日に俺は水萌にパーカーを二枚貸した。
完全に忘れていたけど、俺の数少ない服だからそろそろ返して欲しい。
「……」
「無くした?」
「そういうわけじゃないんだけど……うん、わかった。明日持ってくるね」
水萌がすごい悲しそうに言う。
無くしたり破いたりでもしたのだろうか。
それならそれで別にいいけど。
「まあいいや。何かあっても別に責めないからね」
「うん、大丈夫だよ。明日持ってくるから」
水萌が笑顔で言うが、顔が少し引き攣っている。
ほんとに何があるのか。
レンはレンで水萌に呆れたような顔を向けているし。
よくわからないけど、それは明日にして玄関の扉を開けた。