誘惑よりも素の方が……
「ただいまー、とおかえりー」
「それ好きな」
ぬいぐるみを取ってすぐにゲームセンターを後にして、そのままの足でお弁当箱を買いに行った。
様々なお弁当箱の中から、水萌は犬の絵が描かれたお弁当箱を選んだ。
そうして左にルンルン気分の水萌が歩き、俺の右、正確に言うと、右腕にはレンが抱きついている。
「そろそろ落ち着いた?」
「……」
レンは俺と水萌が一回でぬいぐるみを取れたことに怒っているのかと思ったら、悔しくて泣いてしまった。
涙が流れるほどではないけど、目元には涙が溜まっている。
「ずっと可愛いのはいいんだけど、そろそろ離れない?」
「……」
レンが無言で首を振る。
そしておまけに上目遣いで目をうるうるさせる。
普通に可愛くて困る。
「恋火ちゃん、大丈夫?」
「俺が駄目。からかう気にもなれない」
「確かに。じゃあ私は手洗いうがいしてくる」
水萌はそう言って洗面所に入って行った。
(薄情な!)
レンに対してもだけど、この状態のレンと二人きりにするなんて、俺をどうしたいのか。
「まあいっか。それでいつまで続けるの?」
「もういいかな。サキが本気で困ってるし」
俺が声を掛けると、レンが目元の涙を俺の制服で拭って、ケロッとしたような顔になる。
多分ゲームセンター内で悔しくなったのは本気だろうけど、その後のは全て演技だ。
理由はなんとなくわかるけど、結果的にレンの想像とは違う結果になった気がする。
「水萌に嫉妬でもさせたかった?」
「それもある。サキのことだから、水萌に本気で好きになられたら好きになるだろ?」
「その時にならないとわからないけど、今以上に意識はするだろうな」
「まあ水萌は何も変わらなかったけど」
水萌は確かに嫉妬深いタイプだけど、水萌の秘密を話した後からは俺がレンと一緒に居ることも、俺がレンのことを考えることも許している。
それまでの反応が異常ではあったけど、最近はあまりメンヘラになっていない。
「水萌の中で、レンは俺の友達って認識になったのかもな」
「それは元からだろ。水萌って最初から俺のこと知ってたんじゃないのか?」
「でも、確証はなかったんじゃないか? 俺とレンの出会いは見てたみたいだけど、その後に友達になったのか、それとも何もなかったのかってところは」
少し離れた場所から見てただろうし、制服でないレンをレンだと確実に認識できていたのかはわからない。
俺が『レン』という名前を出したからなんとなくは一致してたのかもしれないけど、確証とまではいかなかった。
「本人に聞かなきゃわからないけど、レンをレンだと認識いてるから、嫉妬とかしないんじゃないか?」
「そうなるのか。ちなみにサキはそういうの自分で言ってて恥ずかしくないの?」
「うるさい」
恥ずかしいに決まってる。
要は「水萌は俺が他の女の子のことを考えると拗ねる」と言っているのだから、水萌は俺のことを意識していると言っているのだから。
いや、おそらく意識はしている。
大切な友達を他の誰かに取られたくないのだろうから。
「それより他の理由は?」
「普通にサキがオレのことを好きになって、『好き』っていうのがどんな感情なのか理解しないかなーって」
「自分を削り過ぎだろ」
正直に言うならさっきまでのレンはとても可愛くて、とりあえず抱きしめたくなった。
思うだけでさすがにしないけど、それぐらいの破壊力があったのは事実だ。
「ほんとに好きになって何かされたらどうするつもりなんだよ」
「サキはそこまで馬鹿じゃない。それに何かされそうになったらやり返す」
「レンってさ、実は強い?」
レンには何回か殴られたけど、その全ては痛くない、撫でるような拳だった。
だけど殴る以外の『つねり』や『ヘッドバット』などは泣くほど痛い。
「女の子に強いとかデリカシーないな」
「じゃあこれからはずっと可愛いと言い続けてやろう」
「ほんとああ言えばこう言うだよな。まあ強いか弱いかで言ったら強いのかもな。あくまで女子の中では」
明らかに男子の俺よりも強いと思うけど、それこそデリカシーがないので言わない。
「さっきのゲーセンってパンチングマシンってなかったよな?」
「何を測ろうとしてんだよ。別に筋力があるわけじゃないから。ただちょっと人の痛がることを知ってるだけ」
「タチが悪い」
おそらく自衛なんかの意味合いで覚えたのだろうけど、それを俺にやるのは筋違いだ。
確かに望んだのは俺だけど、少なくともヘッドバットはいらなかったはずだ。
「サキはドMだから嬉しかったろ?」
「レンの顔が近いとか思う余裕すらなかったけど?」
「やりすぎだとは思ってる。でも謝らない」
別にレンが俺に暴力を振るう時は大抵俺が悪いのだから謝る必要はないのだけど。
ただ何度でも言うけど、ヘッドバットはやりすぎだ。
「てか水萌遅すぎだろ。オレ達はいつまで玄関で話さなきゃいけないんだよ」
「俺は楽しいけど?」
「そういう話でもないだろ。普通に座りたい」
「抱っこしようか?」
「おんぶの方がサキにダメージありそうだからおんぶがいい」
物理的な意味では腕だけで支える抱っこの方がダメージがありそうだけど、精神的には確かにおんぶの方がダメージがある。
レンの慎ましやかな女の子な部分が背中に当たって、俺の心音がレンに届いてしまう。
「今失礼なこと考えたろ」
「そんなことはない。レンは可愛いと思っただけだ」
「ほう、ならオレが着痩せするタイプだって言ってもおんぶはできるな?」
「レンはさ、襲われたいの? 俺も男なんだからそんなこと言ってるといつか何かするかもしれないからな?」
今は理性が勝っているけど、レンにこうして誘惑され続けたらいつか限界がくるかもしれない。
レンとの関係を壊したくないから何もする気はないけど、それも絶対とは言いきれない。
「……誘ってんだよ」
「……」
「何か言えや」
さすがにからかわれてるのはわかったけど、レンのように毎回相手してあげるほど優しくもない。
断じて一瞬揺らいだわけではない。
「ほんとにやめような。次やったら演技なのわかった上でパーカー脱がすから」
「んー、やめといた方がいいよ。オレはパーカー脱ぐとサキが大変なことになるから」
「それは誘惑? それとも助言?」
「助言。サキに変な目で見られたくないし」
「どの口が言うか」
レンが自分の口の端に人差し指を引っ掛けて「このくちー」と、言う。
これは多分素なんだろうけど、やはり素が一番破壊力がある。
自分を抑える為にレンの頭を撫でておいた。
「なんで撫でんだよ」
「俺の為。それよりほんとに遅いな」
「聞き耳立ててんのか?」
それは多分ない。
水萌なら物音を立ててくれるはずだから。
「まさか倒れてるとかないよな?」
「洗面所で? いくらなんでもそれはないだろ」
「でも前に俺の部屋に入って出てこないと思ったら寝てた水萌だぞ?」
まあここにはレンカもベットもないから寝るようなことはないだろうけど、それでも水萌なら……と思ってしまう。
「こうして話してても出てこないから聞き耳も立ててないか。どうする?」
「いや、開ける以外に選択肢ある?」
俺はそう言ってノックをしてから扉を開けた。
もしもほんとに水萌が倒れているのなら、躊躇なんてしてる暇はない。
「水萌、だい……」
「すぅ」
「マジで寝てるのかよ」
水萌が洗面台の縁で腕を枕にして寝息を立てていた。
なんでここで? と言いたいが、言う相手は既に夢の中だ。
「疲れたのかな。ゲーセンもちゃんとした買い物も初めてみたいだったし」
「だとしてもだろ。よくこんなところで寝れるよ」
「最近は少なくなってるだろうけど、学校でのストレスもあるんじゃないか?」
水萌の容姿が作られたものだとしても、それを知らなければ誰もの目を引く。
髪と目が黒だったとしても、水萌はそもそもが可愛いから同じことだ。
最近は告白も減ってきたようだけど、まだ取り巻きは数人いる。
嫌になった時は「おにーちゃーん」と、俺のところに来るようになった。
それでも水萌のストレスが全て無くなることは無かったようだ。
「水萌ってさ、俺達の前では明るいけど、もしかしたら強がりなのかな?」
「否定はできない。水萌って明け透けないように見えるけど、相手が本気で困ることは絶対にしないから」
水萌は俺を困らせることがあるけど、それはあくまで小突かれる程度だ。
兄妹設定をいきない出された時は困ったけど、それも今となっては教室で水萌と話せる大義名分になってむしろ良かったことだ。
「色々と考えてるんだよな。疲れさせてごめん」
俺は寝てる水萌にそう言って、左手を背中に、右手を膝裏に入れて持ち上げる。
「レンはおんぶだから水萌は抱っこでいいよな?」
「オレに聞くな。それとオレは別にして欲しいわけじゃない」
「残念。てか、水萌軽すぎないか? なんで俺より食べてるのにこんなに軽いんだよ」
俺のお弁当や、俺のおかずをほとんど食べてるはずなのに、俺の減った分の体重が水萌に行ってる気がしない。
むしろ普通よりも軽く感じる。
他の女子をお姫様抱っこしたことなんてないから普通とか知らないけど。
「これもストレス?」
「かもな。だから水萌には幸せになって欲しいんだよ……」
レンはそう言って眠る水萌のほっぺたに触れる。
水萌はとりあえず俺のベッドに寝かせたが、さっきのレンの悲しそうな顔が頭から離れなかった。