大人 依と紫音
「普通に居るっていうね」
「その言い方だと僕が居たら邪魔みたいに聞こえるよ?」
蓮奈の元を後にして、依と紫音の愛の巣へとやってきたが、そこにはちょうど休みらしい紫音が普通に居た。
おそらくだけど蓮奈が紫音に連絡をしてくれたんだと思う。
「最近会えなかったんじゃないの?」
「会えないって言っても泊まり込みで仕事してるわけじゃないからね。寂しくなったら電話してるし」
「着信履歴見る? もうね、毎日見返してほっこりしてるの」
依がそう言って自分のスマホを俺に見せてくる。
そこにはいくらスクロールしても終わらない『紫音』という名前が並んでいる。
「登録名『紫音』なんだ」
「何か問題があるのかな?」
「いや別に。本当は『紫音(俺の嫁)』みたいな感じにしてたけど俺に見せるからって変えたのかなって」
「俺の嫁とかは書かないし!」
「じゃあなんて?」
「普通に(好きな人)って……お兄様のばか!」
依も蓮奈と同じで高校時代と変わらない。
二人とも見た目が大人びて綺麗にはなっているけど、中身がこれだと安心する。
それと『好きな人』だと付き合う前の片思いみたいだから違う気がしたけど、言った方のがいいのだろうか。
「わかってるもん」
「さいで。そんなことよりも一応わいろ持ってきたからお納めください」
「そんなことっ……こ、これは!」
俺からのわいろを見た依の目の色がわざとらしく変わる。
「蓮奈お姉様の愛情がたくさん詰まった『無難に美味しいパン』じゃないか!」
「ネーミングセンス光るよな」
『無難に美味しいパン』とは、蓮奈が初めて作って商品になったパンだ。
名付け親はもちろん蓮奈で、無難に美味しいからそのまま付けたらしい。
今では名前の効果などがあって一番人気とのこと。
「蓮奈の百点じゃなくて八十点を狙う感じがいいんだよな」
「それ。第二弾の『普通に美味しいパン』も人気だし」
「俺は第四弾の『奇をてらったパン』がお気に入りだけど」
「わかるわかる。第三弾の『きっと美味しいパン』は最初コケたけど結局人気になって、うちはあれ好き」
第五弾は鋭意制作中らしいが、俺を含めた常連さん達からも期待を向けられている。
「やっぱり可愛い女の子が手作りしてるってところがポイント高いよね」
「何それ。つまり蓮奈は何の努力もせずに見た目の良さだけで店を繁盛させてるって言いたいの?」
「違います。お姉様の努力はうちも見てました」
「まーくん怒らせないでよ。せっかく蓮奈お姉ちゃんにも大切な人ができたのに浮気しちゃうじゃん」
紫音が言ってる意味はわからないけど、毎回なんで俺が本気で怒ってるみたいに思うのか。
先に冗談を言ってるのは依なんだから本気で落ち込まれると俺も困る。
「まーくんの冗談は冗談に聞こえないんだよ」
「ちゃんと冗談二割ぐらいあるのに」
「八割が本気だと四捨五入したら本気なんだよ?」
「さすが紫音、頭いい」
「もっと褒めてもいいよー」
差し出された紫音の頭を撫でる。
依にもこれぐらいの対応力を期待したいものだ。
「舞翔くん、怒ってない?」
「紫音目線であれって本気とわざとどっち?」
「多分本気。泣いちゃいそうだもん」
「そか。別に怒ってないよ。依が蓮奈の頑張りを知らないわけないし、それを茶化すような言い方するわけないもんな」
「うわぁ、まーくんが鬼だぁ」
紫音にかるく引かれ、その紫音が依を慰めに向かう。
ちょっとした悪ノリのつもりだったけど、思いのほか言い方がウザくなってしまった。
「これってまだごめんなさいで済む話?」
「ごめんで済んだら?」
「だよな。俺にできる範囲なら何が一番可能性ある?」
「うーん、無抵抗でいじられる?」
それはつまり、俺が依にされたい放題されて、俺はそれに対してなんの反抗もしないと。
そんなの……
「依って変わらずチョロい?」
「チョロいよ。多分まーくんになでなでされただけで許しちゃうから」
「じゃあそれでいいじゃん」
「今回はまーくんも悪いから駄目なの。ということで依ちゃん、今ならまーくんに何しても許されるよ」
「何でも……」
依が涙目で俺を見てくる。
正直依からなら特に変なことをされる心配はないから別に構わないけど、なんだろうか、依の雰囲気がいつもと違く感じる。
「そういえば俺って最近依と会ってなかった?」
「あぁ、僕に気を使って会いに来なかったんじゃない?」
「紫音が依と会えてないのは知らなかったっから普通に会ってなかっただけだけど、もしかして依って──」
「や!」
どうやら嫌な予感が当たってしまったらしい。
幼児化した依に抱きつかれた俺はどうすればいいと?
「紫音、いくら倦怠期だからって依をほっときすぎだよ」
「僕達に倦怠期なんてないもん! 僕だって依ちゃんと毎日毎時間ずっと一緒に居たいもん!」
「結果的に依の満足度数が足りてないからこうなってるんだろ」
「じゃあ仕事サボればいいの?」
「違うだろ、時間が取れないなら密度を増せ」
仕事が忙しくて時間が少ししか取れないから依との時間を蔑ろにしてもいいなんて紫音が思ってないのはわかってる。
だったらその少しで依を満足させるしかない。
そうじゃないと俺が困る。
「紫音、これはお前が原因なわだからな?」
「……」
「ちゃんと証人しろよ?」
「あ、そっち? わかってるよ、まーくんは僕の大切な人に抱きつかれて嬉しそうにしてたんだよね」
「依、お前も苦労してるんだな」
腹黒王子のことを愛してしまった清廉潔白が服を着て歩いているようなお姫様の頭を優しく撫でながら言う。
「紫音くんいないの、寂しい……」
「言われてるぞ王子様」
「せっかくの二人の時間に来たのは誰さ」
「確かに。おじゃま虫はさっさと撤退しますわ」
仕事優先の紫音のせっかくの休みに俺がいては二人が存分にイチャつくことができない。
ということで依を紫音に渡して二人の愛の巣を出て行くことにする。
「……紫音、頑張れよ」
「まーくん!」
紫音に怒られる前に扉を閉めて愛の巣を後にする。
しばらくしたら依が寂しくならないように依の大好きな水萌を連れて行くことにしよう。
もしかしたらそんな必要もなくなるかもだけど。
そんなことを考えながら次の水萌宅へと向かうのだった。




