酷いこと
「お兄様ってやっぱり女泣かせだよね」
「入ってきて早々に言うことがそれ? さっきも聞いたんだけど」
蓮奈のお姉さんムーブにやられた俺に、入れ替わりで入って来た依が座るのと同時に嬉しそうに言う。
一緒に入って来て隣で楽しそうな紫音に文句でも言えばいいのか?
「うちも泣かされちゃうのかなー」
「紫音に怒られない程度に追い詰めてやろうか?」
「ガチ泣きは求めてませーん。それと紫音くんはうちの悪口なんて聞いたらいくらお兄様相手でも……いや、お兄様のことだから紫音くんを味方につけるか」
依に呆れ顔を向けられても笑顔をやめない紫音。
紫音は基本的に依全肯定人間だけど、依の可愛いところを見る為なら依が困ることを平然とやる。
つまり紫音が怒るラインを間違えなければ紫音を味方につけつつ依を泣かせることが可能だ。
「上手くやるよ」
「そこは頑張らなくていいの!」
「依の可愛いところが見たくて」
「れんれんに『お兄様に口説かれた』って服を乱して悲しそうに笑いながら言うぞ」
「今のレンってそれ信じるかな? 依の演技力次第?」
レンのすぐに浮気を疑う心配性な性格も最近は少しだけ緩和されてきている。
だから依の戯言ぐらいならスルーしてくれる可能性があるかもしれない。
「恋火ちゃんは依ちゃんの言うことあんまり信じてないもんね」
「逆に信頼してるんだよ」
「なんの逆だよ。レンに八つ当たりされたくなかったらやめとけ」
「やめます。うちのこの可愛いお口にチャックしないとね」
依がそう言って自分の口にチャックをするようにつまんだ親指と人差し指をスライドさせる。
さて、これはどっちがいいか。
「……」
「あ、無視してうちを辱める作戦ですか」
「そうなんだけど、依の『可愛いお口』に乗っかった方のが良かった?」
「あれかな、うちの口に親指で触れながら『俺が黙らせてやろうか?』ってイケボで言うやつね。やって欲しかったなー」
「そう?」
俺としてはどちらでも良かったけど、紫音の手前さすがに依をあからさまに口説くようなことは避けた方のがいいのかと思ったけど、依がそう言うなら仕方ない。
「あれ? マジでやる系? うちには紫音くんという心に決めた人が──」
「依の口は指だけじゃ止まらないよな。別の止め方して、紫音のことを考えられなくしてやろうか?」
やばい。
依が言うからやってはみたけど、聞いてて気分が悪くなってきた。
何がイケボだ。
自意識過剰も大概にしておけよ。
「……」
「依に無反応で仕返しされた」
「まーくん」
「なに?」
「僕から依ちゃん取っちゃやだ」
紫音が俺の服の袖をつまみながら上目遣いで意味のわからないことを言い出す。
とりあえずなんだこの可愛い生物は。
「じゃあ紫音を貰っていいと?」
「うん」
「いや即答してないでうちを助けて!」
さっきの仕返しに俺をガン無視していた依が紫音に抱きつく。
そういうのは俺のいないところでやって欲しいのだけど。
「お兄様がエロいよ!」
「ものすごい風評被害だな」
「お兄様って顔はいいのに常に脱力してるせいで忘れちゃうんだよ。だからたまにそうやって顔を近づけられるとやばい」
「そんな面と向かって顔面批判やめてくれる? 俺じゃなかったら泣くよ?」
俺は自分の顔に自信なんて微塵もないから大丈夫だけど、依のような顔面偏差値が高い美少女に顔面批判されたら泣く男子が出てくる。
女子の何気ない言葉で男子は軽く死ぬのだから気をつけて欲しい。
「また始まったよ」
「ねー、まーくん前に自虐怒られてたのに」
「そうか、つまり依と紫音は自分達の顔がいいことを自覚してるんだな?」
「そうだよね、見た目は結局他人からのものさしであって自分でどうこう言うものじゃないよね」
「うんうん、まーくんがかっこいいってことは僕達がちゃんと知ってるからそれでいいよね」
この二人は手首の関節が抜けてるのだろうか。
手のひらが返るどころか何周もしている気がする。
「別にいいけど。それで君達は何か相談とかあるの?」
「そういえばこれってお兄様に日頃の悩みをぶちまけていいやつだっけ」
「なに、紫音にそんな鬱憤溜まってんの?」
「依ちゃん、ごめんなさい……」
紫音がしゅんと丸くなる。
それを見た依は慌てふためくのかと思ったけど、予想外にいつも通りだ。
「鬱憤って程じゃないけど、紫音くんのことで相談したいことはあるんだよね」
「紫音がなんだかんだで最後は依のことを心配して最後まで襲ってくれないこと?」
「当たらずも遠からずとだけ言っておこう」
要する依は紫音ともっと恋人らしくイチャつきたいけど、紫音の方は依に負担を掛けたくないから触れ合う程度で済ませるのが少し不満ということ。
そういうセンシティブな相談は俺ではなく紫音か蓮奈あたりにして欲しいのだけど。
「じゃあ依の方から襲えばいいじゃん」
「それは、そうなんだけど……」
「恥ずかしいの?」
「それも多分あるんだろうけどさ、それ以上に女の子からそういうことするのってはしたなく思わない?」
依がモジモジと女の子らしい仕草で女の子らしい可愛いことを言い出す。
確かにそう思う女子が多くいるのは聞くけど、少なくとも俺はレンから求められたら嬉しい。
男というのは単純な生き物だから好きな相手からどんなことでも求められたら嬉しいものだと思う。
「紫音はどう思うの?」
「依ちゃんの方からそういうことされたら、多分僕恥ずかしくて何も出来なくなっちゃう」
「そういうのは聞いてない。嬉しいか嬉しくないか」
「そんなの、もちろん嬉しいよ」
紫音が顔を上げて俺と視線を合わせる。
いい感じなのだけど、紫音が俺の右腕にガッチリ抱きついてるのが少し残念に感じる。
「だそうだよ。紫音がヘタレて何もしてくれない時は依の方から襲ってやれ」
「お兄様のえっち」
「今のでそう言うのって依の頭が桃色なせいだろ。『襲う』ってのは紫音を辱めて遊べって意味だからな?」
「いや、それはそれででしょ。まあ言質は取ったからうちもこれからは攻めてくけど」
俺の右腕にかかる力が少し強まった気がする。
これ以上は二人のことなので俺は関与しないけど、紫音は強く生きろよ。
「紫音は相談いい?」
「うん、僕は依ちゃんに辱められたことを相談する」
「そうか、多分何もいいアドバイスはあげられないだろうけど話ぐらいは聞くよ」
「ありがと」
俺の右腕にかかる力が少し弱くなり、優しくなる。
こうして見てると紫音が幼い弟に見えてくる。
そして依はその弟をいじめる紫音の幼なじみ。
「幼なじみが勝つ、だと……」
「何言ってるの?」
「俺の独り言。ちなみに二人は俺に何かくれるの?」
「プレゼント? 紫音くんからのはそれでいいよね。うちもそれでいい?」
「別にいいよ」
腕に抱きつかれるぐらいなら全然構わない。
正直、愛莉珠と蓮奈のように頬やおでこにキスなんてされたら反応に困るから嬉しいけどやめて欲しい。
「じゃあ失礼しまして」
依はそう言って俺の左腕……には抱きつかず、真正面から俺に抱きつく。
「紫音の前で何をしてる」
「こっちの方が伝わるかなって」
「何が?」
「うちの気持ち」
紫音の前でよくもそんな浮気宣言のようなことが言える。
まあ俺も紫音もこれがそういう意味合いで行ってないのをわかってるから茶化すこともしないけど。
「前にも言ったかもだけど、うちさ、お兄様と水萌氏とれんれんには謝っても許されないようなことしたじゃん。だけどお兄様達は気にした様子がなくて、むしろ『くだらない』みたいな感じで流してくれてさ」
こういう言い方はよくないかもしれないけど、そんなどうでもいい話を今頃持ち出す必要はあるのか。
依が気にするのはなんとなくわかるけど、俺達は誰一人として依が悪いなんて思ってない。
むしろ依が一番の被害者であって、俺達はそれに巻き込まれただけ。
誰もドッジボールでダブルアウトしても最初に当たった人を責めるのなんて……いるかもしれないけど、普通はしない。
「お兄様……舞翔くん達は何も気にしないでくれるけど、やっぱり私はどうしても……」
依の声がだんだん鼻声になっていく。
ほんとになんであんな母親からこんないい子が生まれるのか。
「じゃあ俺が依に同じぐらいの酷いことをすれば解決?」
「舞翔くんは優しいから酷いことって言って私には得になることしか言わないもん」
「そんなことはない。これはほんとに酷いことだから」
もしかしたら前にも言ったかもしれないけど、正直この話は俺にとってはもう済んだことだからいちいち覚えてない。
だけどもしかしたらこれで依は納得してくれるかもしれないし、言うだけ言ってみる。
「依はこれからずっと俺と友達でいて」
「ほら、私に得しかない」
「え? ずっとだからな? たとえ喧嘩しても、依が俺のことを嫌いになったとしても絶対に俺と友達でいなきゃいけないんだよ?」
「私がその提案したら?」
「俺に得しかないけど?」
「ほんとにずるいよ」
依の抱きしめる力が強くなる。
俺の友達でいることと俺が友達でいることは似てるようで全然違うと思うけど。
それで納得してくれないともう一つをやってもらわないといけなくなる。
「ちなみに足りない?」
「……ここでやめといた方が絶対にいいんたろうけど、足りない」
「おけ。じゃあ今日帰ったら紫音と思う存分イチャつけ」
「任された!」
俺は依に言ったはずなのに紫音が満面の笑みで返事をする。
一応俺は『酷いこと』と言って提案してるんだけど、知らぬが仏という言葉もあるしいいことにする。
「ほんとに舞翔くんって……」
「なんだよ」
依が気になるところで止めるからジト目を向けようとすると、依の体が少しだけ離れた。
そして──
「ばーか……」
依が紫音の手を引いて逃げるように部屋を出て行った。
「ふざけんなし、マジで……」
耳が赤かった依と、何が起こったのかわからず不思議そうにしてた紫音が出て行った扉を睨みつける。
依に噛まれた耳を押さえながら。




