左手と右手
「まず、ありすはほとんど一人暮らし状態です」
「いきなりぶっ込んでくるんじゃないよ」
晩ご飯の片付けが終わって椅子に座って開口一番に愛莉珠がぶっ込んできた。
確かに食べ終わってら話すとは言っていたけど、せめて一呼吸置くものだと思っていたので反応に困る。
「こういうのは時間置いたら話しづらくなると思って」
「それはそうだけどな。それで『ほとんど』ってのは?」
「ありすって実は中学生じゃん? だから当たり前だけど一人暮らしはできないの」
「実はの意味がわからないけど、そうだな」
愛莉珠がなぜか頬を膨らませて不服そうにしているが、一応一人暮らしができるのはよっぽどの理由がない限りは高校生からだ。
だから愛莉珠も誰かとあそこの部屋で暮らしていることになるはずだけど。
「その前に聞いていい?」
「俺とレンと水萌?」
「以心伝心すぎて運命感じちゃう」
愛莉珠が嬉しそうに俺の肩を小突いてくる。
それは無視して、確かに傍から見たら一人暮らしの俺の部屋に姉妹二人で暮らしているレンと水萌が遊びに来てるように見えなくもない。
愛莉珠は俺が母さんと暮らしてることは知ってるのでそこまでは思ってないだろうけど。
「多分俺はありすと同じ感じで、レンと水萌は今は解決してるけど、色々あって二人暮らししてる感じ」
「そういえば水萌って中学生の時から一人暮らししてないか?」
「少しだけね。一応管理人さんが逐一様子を見に来てくれてたけど」
そういえばあのマンションは悠仁さんの知り合いが管理人をやっていると言っていた。
一度会ってお礼を言いたいものだ。
「そういう感じなんだ。ありすは先輩がさっき言った通り、親代わりの人はいるんだけど、ほとんど、というか一回も帰って来たことがないから一人暮らしになってるの」
「今度説教しとく」
なんとなく察した。
多分親代わりと言うのはうちの店長で、店長は基本的に家には帰らないでずっと店で寝泊まりしてるらしいので、そういうことだ。
「ありすのことが嫌いなのは仕方ないから別に平気だよ?」
「それでもだろ。中学生で、しかも女の子のありすを一人で放置するとか」
いつもの態度も気に入らないし、今度本当に個人面談が必要だ。
「ありすも気まずいから本当に大丈夫だって。まあ、先輩が今日晩ご飯に招いてくれたのは嬉しかったし、楽しかったけど」
いくら愛莉珠が中学生離れして大人びているとしても、子供なことに変わりはない。
俺だってずっと大丈夫だと思っていたけど、独りが寂しいと最近気づいて、独りでいることが駄目になった。
だから愛莉珠だって、今日を『楽しかった』と思ってしまった以上はもう駄目だ。
「人と居ることを『楽しい』って思うと、今までの独りに戻れないんだよ」
「サキが言うと説得力が違う」
「恋火ちゃんが言う? 帰ると寂しそうにしてるのに」
「お前もだろ」
「私は寂しいよ? だからお泊まりするの」
「オレが悪かった」
珍しく姉妹喧嘩が始まらずに水萌が勝利した。
明日は大雨でも降るのだろうか。
「雨はやだなぁ……」
愛莉珠がポツリとこぼす。
「嫌いなの?」
「髪がってのは前にも言ったでしょ? 実際それもあるんだけど、雨の日って嫌な思い出があるんだよね……」
愛莉珠は雨の日は絶対にバイト先に来ない。
誰だって雨の日にわざわざ外に出たいなんて思わないだろうからそこまで気にしてなかったけど、愛莉珠の暗い表情から何かしらの理由があるようだ。
「んと、話を戻すね。さっき言った『親代わり』ってやつだけど、ありすの親って離婚してるの」
「そういうのって話していいやつなの?」
「どうなんだろうね。多分駄目なのかもしれないけど、少なくともありすは先輩達ならいいかなって思ったから。あ、もちろんこの先を聞きたくないなら話さないよ?」
ここまできて聞かないのも無責任な感じがするし、最後まで聞くつもりだが、話してる愛莉珠が大丈夫なのか気になる。
「ありすは大丈夫。だけど、後で先輩になでなでして欲しいな」
愛莉珠が笑顔で俺に聞いてくる。
こんな無理やりな笑顔で言われたら俺に断ることなんてできない。
一応レンに視線で問いかける。
「オレだって鬼じゃないっての。それに、もうサキの判断で決めていいって言ったろ?」
「ありがと」
「感謝される意味がわからん」
「恋火ちゃんが嫉妬深いから」
「そうか、ちょっとあっちでお話しような」
「え、いや、今のはそういうのじゃぁぁぁ」
水萌がレンに連れて行かれた。
多分俺の部屋に。
「さすがに重すぎましたかね?」
「レンと水萌なりに気を使ったんじゃないのかな。なんか素だった気もするけど」
あの二人の姉妹喧嘩は今に始まったことではないし、気遣い屋なところも今に始まったことではない。
とりあえず後者だと思っておくことにする。
「そういうことならもういいよ」
「何が?」
「無理しないでいいよってこと。ここには俺しかいないから」
俺はできるだけ優しい声で愛莉珠に言う。
愛莉珠が人前で気を張るなんてわかっている。
別に俺の前だと気を使わないとか思えるほど自惚れてはいないけど、それでも愛莉珠は俺にだけは敬語を使わない。
だからレン達に比べたら気を使わない相手に思ってもらえてると思いたい。
「……意外」
「俺が自分勝手なこと言うことが?」
「自分勝手って言うのかわかんないけど、先輩がありすから絶対の信頼を持たれてるって自覚してること」
「そこまでじゃないから。ただ、そうだったらいいなって」
「それでもだよ。だって先輩はニブチンで、自分が好かれてる自覚もないのに……」
愛莉珠が戸惑った様子で言う。
確かにそう思われても仕方ないけど、少しだけ違う。
「俺だって水萌達の『好き』に異性の感情が入ってるのはわかるよ? だけどさ、それを水萌達が俺に向けるのは構わないけど、俺がそれを受け止めるのは違うでしょ?」
俺はレンの付き合っている。
だけどだからって水萌達が俺に『好き』を伝えてはいけない理由にはならないから水萌達のことを責めるのはレンの仕事で、俺は水萌達の気持ちにわからないフリをするのが仕事だ。
水萌達には悪いけど。
「まあ実際にわからない時はあるけどね。水萌とか無邪気だし」
「確かに水萌さんの『好き』は異性と家族の両方があると思う」
「だろ? だから俺は全部を家族とか友達としての好きって思うことにしてる」
「そんなに一途なら確かに惚れちゃうよ」
愛莉珠が弱々しく言うと、俺の服をキュッと掴んだ。
「甘えていいの?」
「いいよ。レンからの許可も得てるし、頭を撫でるぐらいならいくらでもするから」
「それは最後だけでいいや。だけど……」
愛莉珠が俺の服を握っている手をチラチラと見ている。
俺はその手に掴まれていない左手を添える。
「これでいい?」
「浮気者」
「今にも泣き出しそうな女の子が落ち着いてくれるなら俺はレンが止めてもやるよ。それをレンが浮気だなんて本気で責めてくるならレンの価値観を疑う」
レンなら絶対にそんなことは言わないし、言ったとしても場を和ませようと冗談で言うだけだ。
愛莉珠は落ち着いたのか、少しだけ笑顔を見せてくれた。
「恋人繋ぎしたらさすがに怒られる?」
「そこに邪な感情がなければレンは怒らない」
「じゃあ普通に握ってもらってもいい?」
愛莉珠が少し残念そうに俺の服から手を離して俺の手を握る。
俺もその手を優しく握る。
「逆か」
「だね。ありすの左手と先輩の右手」
愛莉珠が右手の袖を掴んでいたから左手で愛莉珠の左手を握ったけど、左隣の愛莉珠の手を握るなら右手の方が良かった。
手を握り直した俺達は笑い合ってから誰もいない正面を向く。
「じゃあ話すね。ありすの親ね、ありすが離婚させちゃったんだ」
そうして愛莉珠の話は始まった。
俺の右手に熱が集まっていくのを感じながら。




