したくなかった邂逅
「早く帰るよ」
「や、その……」
いきなりやって来た女の人が依の腕を掴んで引っ張っている。
依も少し抵抗しているが、抗いきれていない。
「勝手に抜け出してどこに行ってるかと思えばやっぱり学校に来てたのね。いつも言ってるけど、こんなとこ来たってなんの意味も無いのよ? 今日来て余計にそう思うわよ、こんなチャラチャラしちゃって」
女の人が周りを見ながらため息をつく。
さすがにこの人が依の母親か何かなのは見てればわかるけど、依の親類には思えないほど腹が立つ。
「きょ、今日は文化祭で、いつもこうなわけじゃ……」
「文化祭? そういえばそんなくだらない行事もあったわね。私はそんなのには出てないから知らないけど、ほんとにくだらない」
依が口を開いて閉じる。
どうやらあの人相手には強くものを言えないらしい。
そしてそれと同様に気になることがある。
「レン、水萌の表情とレンの怒りはどこから?」
あの人が来てから依と同じかそれ以上に水萌の表情が悪い。
息も乱れていて、心配した蓮奈が背中をさすっている。
そしてレンは今にも殴りかかりそうなぐらいに怒っているのが表情からうかがえる。
「今ここであいつを殴ったらオレが悪いことになるよな」
「なるな。やるなよ?」
「正直捕まってもいいからあいつを殴りたい。だけどみんなにも迷惑がかかるだろうから我慢する。だから今は自分を抑えることに集中させて欲しい」
「おけ」
とりあえず水萌とレンがあの人と関係があることはわかった。
なんとなく予想はつくけど。
「とにかくこんなところに居てもあなたの為にならないんだから早く帰るわよ」
「そ、それは……」
「なに? 口答え? 私はあなたの為に言ってるのだけど?」
レンには「やるなよ?」なんて言ったけど、俺が抑えられなくなりそうだ。
俺達は無力だ。
依が嫌がっているのを見てることしかできない。
依は俺達をめんどうに巻き込むことなんて絶対にしないから助けなんて求めない。
求められなければ俺達のすることは自己満足で、今依の腕を掴んでいるあの人のやってることと変わらない。
アニメとかなら助けを求めることはできないけど涙目でこちらを見てくるのが無言の『助けを求める』ことになるけど、依はそれすらしない。
ほんとにめんどくさい。
「さっさと歩きなさい。こんなところに居たらあなたまでおかしく──」
「依、俺はお前が何かを求めない限り何もしない。お前が決めろ。巻き込むのか、巻き込まないのか」
抵抗してる以上、依は帰りたくはないのはわかる。
だけどそんな小さな抵抗で諦めるほど優しい人には見えない。
多分それは依もわかっているから、何かきっかけが必要だ。
依を見てる限り、それを依ができるとも思えないから、それは第三者がやるしかなくて、そんなのを遠巻きで見てる傍観者に頼むことなんてできない。
だから俺達がやるしかないんだけど、依は絶対に俺達を巻き込もうとは思わない。
それでも抵抗してるのが、察した俺が助けを求めると思っているからなのか、それとも最後のあがきなのか俺にはわからない。
わからない以上は俺にできることはない。
だけどもし、依が助けを求めるのなら、俺は俺のできることを俺の全てを使って依を助ける。
まあ既に『保険』は済ましているけど。
「なんなのあなたは、うちのやり方に文句でもあるの?」
「別によその家のやり方に文句なんて無いですよ」
「それなら黙ってて!」
依が口を開く前に口を挟まれてしまった。
今のやり取りでわかったのは、この人は話ができないタイプだということ。
「あなたを見てると忌々しい顔が……あなたもしかして……」
「おに、舞翔くん、私は大丈夫。だから気にしないで」
依が慌てた様子で俺に笑顔を向けてくる。
取り繕ったような笑顔を。
「依ちゃん、それは駄目だよ」
「紫音くん?」
「そんな顔してまーくんが我慢するわけないじゃん」
紫音の言う通りだ。
あんな苦しそうな笑顔を向けられて俺が我慢するとでも思ったのか。
気がつけば俺は依の掴まれてない方の腕を掴んでいた。
「俺達、依をいじめる約束してるんで返してもらいますね」
「あなたバカなの? そんなこと言われて『はいそうですか』なんて言う人はいないのよ!」
「俺はあなたと依の関係を知りませんし、興味もないんですけど、依にあんな顔をさせる相手に依を渡すわけにはいかないんで」
俺はそう言って女の人を睨みつける。
「ほんっとに忌々しい……。あんたはあれ? この子のことが好きなの? まあ私に似て顔はいいか──」
「はっ」
思わず鼻で笑ってしまった。
誰と誰が似てると言うのか。
「失礼。スッポンが月に憧れを持つのは勝手ですけど、依を貶めるのはやめてくれます? まあ一緒にされたスッポンも可哀想ですけど」
俺がそう言うと傍観者達から笑い声が聞こえてくる。
するとみるみるうちに女の人の顔が赤くなる。
だけど赤くなった顔がすぐに元に戻る。
「あんた知らないんだ」
「何がですか?」
「この子の醜さ」
女の人が気持ち悪い笑みを浮かべながら依を見る。
そして見られた依の肩が震えるのが見えた。
「今のあなたの方がよっぽど醜いですよ?」
「ほんとに口が減らないガキが。まあいい。この子の顔が私よりもいいとか言ってたけど、この子の素顔を見たらあんたも幻滅するよ」
「顔の傷の話ですか?」
「なんだ、知って──」
「なんで知ってるの……?」
女の人を遮って依が弱々しい声で聞いてくる。
「そっか、これ秘密だった。今のなし」
依の傷の話は『裏ルート』から聞いた話で、秘密の話だった。
話したことがバレると怒られてしまう。
「まあ今更だからいいや。それで、依の顔に傷があることのどこに醜さがあると? 依があなたよりも可愛いことに違いはないですけど」
「舞翔くん……」
依の頬に涙がつたう。
さっきは偉そうに依を悲しませたことを説教したのに、依を泣かせた俺も似たようなものだ。
とりあえず全てが終わったら依をたくさんいじめてあげよう。
「今から楽し──」
一瞬何が起こったのかわからなかった。
気がつくと俺は廊下に座っていて、頬と背中に痛みを感じる。
「痛い……」
「人を殴るのは久しぶり……でもないか。やっぱり『教育』にはこれが一番ね」
女の人はそう言って自分の手の甲を依の制服で拭う。
俺も殴られたであろう左頬を最近持つようにしたハンカチで拭く。
「まさかこんなとこで使うとは」
「舞翔くん!」
「大丈夫だよ、自分で誘ったことだし。だから暴走すんなよ?」
俺に駆け寄ろうと暴れている依に軽い調子で返してから、拳を握りしめているレンに釘を刺す。
「わかってるよ。だけどわかった上で聞く。その権利オレが貰っても?」
「レンじゃ意味無いのわかるだろ? 鬱憤は後で依に晴らせばいいんだから我慢しなさい」
「我慢の分だけ手の治療費が高くなるから覚悟しとけよな」
レンは顔は笑っているけど、多分相当怒っている。
なんかこう思ってはいけないんだろうけど、とても嬉しい。
だけどそれはそれとして依以外の誰も駆け寄ろうとしてないのが寂しい。
自業自得だけど勝手に拗ねることにした。
「ごちゃごちゃうるさいのよ。とにかく帰るわよ」
さすがに殴ったのはやばいと思ったのか、依を引く力が強くなって逃げ出そうとしている。
俺は絶賛拗ねているのでもう何かをする気はない。
俺のターンは終わったし。
「次から次へと……」
「よ、依ちゃんを返してください!」
もう俺のできることは全てやった。
だから次は水萌の番だ。
俺は「頑張れ」と小さな声で応援してそっと目を閉じる。




