谷への第一歩
「夏休みももう終わるな」
「そだねぇ」
「随分と余裕だな」
夏休みの終盤は毎日蓮奈の部屋に通っている。
それは始業式まで後数日という今日も変わらずだ。
ちなみに水萌とレンはこの後蓮奈女子会をするのだけど、なぜか俺がこうして毎回蓮奈と二人っきりで話すことになっている。
「蓮奈は学校行けるぐらいに回復したのか?」
「ふっ、甘いぞ。そんな簡単に回復してたら不登校になんてなってないのさ!」
「そうだよな。留年はいいけど退学はやめてくれよ」
「そうやって甘やかすから私はずっと引きこもるんだよ? 多分私はお父さんとお母さんに何言われても学校行かないだろうし、そもそも二人とも私が不登校になった理由知ってるから言わないよ? つまり友達の桐崎君が頑張らないと私はほんとに退学になっちゃう」
それがわかってるのなら行ってくれればいいんだけど、そんな簡単な話じゃないのもわかっている。
これで蓮奈が学校に行っても、最初は蓮奈から離れているクラスの人もいずれは同じことをして蓮奈を苦しめる。
だからこのまま蓮奈を学校に行かせてもなんの解決にもならない。
「やっぱり留年しない?」
「でもぉ、それだとバツイチみたいになるじゃんよ」
「ちょっと言ってる意味がわからないけど、内申的には悪くはなるだろうね」
「つまりぃ、桐崎君がその責任取ってくれるんだよね?」
蓮奈が満面の笑みで言ってくる。
前にも言われたけど、一度任された以上は蓮奈を学校には行かせてみせる。
だけど俺の力足らずのせいで蓮奈の人生を狂わせることになるならその時は……
「冗談だからそんなに本気にしないでね? 私は別に仲良しカップルを引き裂きたいわけじゃないので」
「うん……」
「ほんといい子だな。実は私をその気にさせて弄ぶのが目的か?」
蓮奈が意味のわからないことを言いながら俺の頭を撫でる。
「ほんと、桐崎君が同じクラスだったら学校行けたかもね」
「未だに名字呼びの友達が居たらいいの?」
「それさ、しおくんも言ってたけど、痛いところをつくのが好きなの?」
優しく撫でていたのがわしゃわしゃと乱雑になった。
別に好きとかではなく、普通に気になっただけだ。
「なんか知らない間に水萌とレンのことは名前で呼んでるし」
ここ最近、毎日水萌とレンは蓮奈と女子会をやっていて、いつの間にかお互い名前呼びになっていた。
「それは毎日説明しているように、私に身の危険が迫ったので仕方なくなんです」
「つまりほんとは呼びたくないと?」
「そういうことばっかり言う桐崎君は一生桐崎君だから」
蓮奈が頬を膨らませてそっぽを向く。
「仕方ないとか言うからじゃん」
「照れ隠しじゃん」
「いちいち可愛いことしなくていいんだよ。それよりも身の危険って結局なんなの?」
毎回呼び方の話になると出てくるワードだ。
水萌とレンに聞いても教えてくれないし、蓮奈も──
「えっち」
蓮奈は毎回胸を押さえながら頬を少し赤くしてそう言ってくる。
「毎回それ言われるけど、理不尽すぎない?」
「理不尽じゃないですー。桐崎君が狼なのが悪いんですー」
「狼。つまり一匹狼ってことで、遠回しに俺はぼっちのクソ根暗って言ってる?」
「拡大解釈しすぎだから。でも一匹狼ってかっこいい」
蓮奈の中二病が発動した。
レンもたまになるけど、目をキラキラさせてる時はいつもよりも可愛く見える。
「好きを追いかけてるからなのかな?」
「ん?」
「なんでも。そういえば一応確認するけど、学校には行けそうにないんだよな?」
「……正直に言っていい?」
「いいよ」
蓮奈の表情が暗くなったので答えはわかる。
だけどたとえ駄目でも、それは蓮奈の口から直接聞きたい。
「ぶっちゃけると多分行ける」
「まさかの返答で俺びっくり」
「顔が驚いてないんよ」
蓮奈はそう言うが内心ではすごい驚いている。
蓮奈からしたら学校に行くメリットがない。
将来の為とかはあるかもだけど、行ったところで同じ結果になるのも蓮奈はわかっているはずだ。
それで同じ結果になるなら今無理して行く必要なんてない。
「桐崎君って私のこと好きすぎて同級生になりたいから急いで行かせる気ないでしょ?」
「否定はしない」
「普通に嬉しい。それはそうとしてね、私が言ってるのは『学校に行く』ってことはできるって話」
不登校になった人が学校に行くだけでも相当の勇気がいるものだけど、蓮奈の場合は『その先』は考えてないということらしい。
「つまりね、学校に行くのはきっと桐崎君達が一緒に来てくれるだろうから行けるの。だけどその後のメンタル崩壊はわからないんだ」
蓮奈が何かを求めるような視線を向けてくる。
「……これってもしかして試されてる?」
蓮奈にとって学校に行くのは勇気を振り絞った一歩だ。
蓮奈はその一歩を頑張って踏み出したのだから、その先のメンタルケアは俺達に全投げすると言っているように聞こえなくもない。
「じゃあこうしよう。もしも私が一ヶ月学校に通えたら桐崎君を名前で呼──」
「やったろうじゃないか」
「そんな食い気味に言われたら勘違いするだろ」
正直蓮奈に名字で呼ばれることに不満があるわけではないけど、せっかくなら名前で呼ばれたい。
なんか疎外感あるし。
「あ、それなら先に約束して」
「なに? も、もしかして、私が無事に卒業したら私を好き勝手に弄ぶ権利が欲しいとか、ってなんでここにくい込んで来ないんだよ!」
そんなの蓮奈が自分で言ってて恥ずかしくなって可愛い顔になるからだ。
言ったら余計に可愛くなるんだろうけど、今日のところは一歩を踏み出すと言ってくれたことに免じて許してあげよう。
「ちなみにその権利はくれるの?」
「あげたら浮気になるけどいい?」
「レンと相談する」
「やめよ。私が恋火ちゃんに怒られるから……」
さっきまで恥ずかしそうにしていたのに、一気に怯えたような顔になった。
ほんとにあの子達は蓮奈に何をしたのか。
「まあいいや。それよりも約束だけど、学校であったことは全部話して」
「そ、それはお花を摘むのにどれだけ時間が掛かったのかも?」
「茶化してるなら怒るけど、多分それって一番教えて欲しいことだよね?」
別に蓮奈のお手洗い事情が知りたいわけではなく、トイレに引きこもる状況になっているのなら知りたい。
教室に居たくない気持ちはよくわかるけど、俺のと理由が違うだろうし。
「そっか、桐崎君がそんなに私のおトイレについて来たいって言うならいいよ」
「それはそれでアリなんだよな」
「桐崎君に変な考えがないのはわかってるけど、話だけ聞いてると変態みたいだから気をつけないとだよ?」
「蓮奈のメンタルと周囲からの目を天秤に掛けて蓮奈が負けるとでも?」
俺がたとえ周囲から『変態』だと思われようと興味はない。
それで蓮奈が救われるのなら『変態』でもなんでもなる。
「桐崎君、そういうとこだぞ」
「何が?」
「知らなーい。まあ学校では頑張ってみるよ。だけど放課後は愚痴に付き合ってね」
「もちろん。だけどバイトのある時はバイトに行くまでの少しの時間とバイト終わりにメッセージでになっちゃうけど、いい……?」
さすがに一ヶ月バイトを休むわけにもいかないのでそこだけは許して欲しい。
「可愛いかよ。別に私はそこまで独占欲強く……ないこともないけど、しおくんも居るし大丈夫。だけど一つだけ言っていい?」
「なに?」
「私と仕事、どっちが大事なの!」
「蓮奈」
「そ、即答したって騙されないんだからね! 実際仕事に行ってるじゃん!」
「茶番と本気、どっちがいい?」
「んー、茶番」
「おけ。俺は蓮奈の方が大切だよ。その大切な蓮奈とずっと一緒に居る為に仕事をするんだよ」
「桐崎君……」
「蓮奈……」
「がばっ! って普通は抱きつくんだろうけど、そこまでやると生々しいからやめとこう」
蓮奈が嬉しそうに言う。
満足いったのなら良かった。
「ちなみに本気はなんだったの?」
「んー、あんまり言いたくないんだけど、蓮奈が一ヶ月学校に行けたらプレゼントでもあげようかなって」
「サプライズをぶち壊してすいませんでした!そしてとても嬉しいです、ありがとうございます!」
蓮奈が綺麗な土下座をする。
別に誤魔化すことができなかった俺が悪いんだから謝る必要なんてないんだけど。
俺としても喜んでくれることがわかって良かったし。
「桐崎君はそういうことを当たり前にするから『たらし』って呼ばれるんだよ」
「蓮奈に?」
「他にも言われてるのを無視しない」
そんなわかりやすく言ってくるのは蓮奈と依だけだ。
だから俺はみんなからは言われてない。
「現実逃避してるー」
「蓮奈もすぐにするでしょ?」
「桐崎君は大好きな私を見捨てないでしょ?」
「獅子は我が子を谷に突き落とすって言うでしょ?」
俺は冷や汗をかいている蓮奈の頭を撫でる。
「そろそろ時間だからね」
「や、やだ……。捨てないで、私を捨てないでぇぇぇぇぇ」
そんな言い方をされると残りたくなるけど、既に扉の前には谷が迫って来ている。
蓮奈に「頑張れ」という意味を込めて手を振って、俺は谷と入れ替わりに部屋を出た。




