盤上のミノタウロス4
ミノタウロスは料理長に宣言した通り、仲間たちを死なせなかった。
大公、ヴィゼル卿、バート卿が“黒い死神”を奪って大陸を離れる際、
彼らが船を動かせずに四苦八苦している横で操舵マニュアルを読み込み、
偶然できちゃいました感を装って船を発進させ、
以降の舵取りは全て奴隷たちに任されるようになった。
奴隷たちには酷く硬いビスケットが食事として与えられたが、
そのままでは食べづらいので紅茶に浸し、ふやかしながら食べた。
もしまたこの船に乗る機会があれば、再びこれを食べることになるだろう。
そう考えた彼は紅茶や蜂蜜、チーズなどを確保して床下に隠した。
ギャリーランドに到着して以降、日中は3バカの荷物持ちとして働き、
夜には酒場を訪れ、得意のボードゲームで小遣いを稼いだ。
その際、彼は勝てる勝負でもわざと負けることがあった。
あまりにも強すぎると、誰も勝負に応じてくれなくなると踏んだのだ。
ちなみに、それは公国で覚えたルールとはだいぶ異なっていた。
最弱の駒の名は奴隷ではなく『民兵』であり、上位の駒にも攻撃ができる。
又、領主を生かすために犠牲になるという性能は存在しない。
それは公国内だけで出回っている独自のローカルルールであり、
世間では意味不明なクソルールとして嘲笑の対象だった。
少年少女たちは路上で寝かされていたが、あまり困ることはなかった。
北の大陸と違ってここは年中暖かく、冬でも凍死する可能性は低い。
道行く人々が同情し、目が覚めたらお金や毛布が増えていることが度々あった。
気がつけば人数分の毛布が揃い、もうボロ布を使い回す必要は無くなったのだ。
奴隷の人数は計7人。奇数だった。
3バカにはそれぞれ2人の奴隷を当てがい、身の回りの世話をしてやった。
余った1人は毎日交代で冒険者ギルドに向かわせ、草むしりや便所掃除などの
子供でもこなせる簡単な仕事を請け負わせ、“金の稼ぎ方”を学ばせた。
奴隷の数が1人足りない事実に、3バカが気づいたことはない。
なぜなら、彼らはバカだからだ。
名も無き奴隷の顔などいちいち覚えてはいない。
だが、ミノタウロスだけは特別に顔を覚えられていたので、
彼らのそばを離れることができなかった。
ギャリーランドを発つ前日、余った金は地元の孤児院に寄付した。
院長からは「そのお金はあなたたちで使いなさい」と断られたが、
「ご主人様に見つかれば大変なことになる」と返し、
次来る時まで預かってほしいという形で強引に受け取らせた。
しかし、ミノタウロスにはここへ戻る気など無い。
そして、一生奴隷のままでいる気も無い。
アル・ジュカで隠し財産を回収した後、闇市で仕入れた毒を食事に盛り、
3バカも海賊たちもまとめて一網打尽にしてしまおうと計画していたのだ。
だが、その必要は無くなった。
ここはハルドモルド近海の無人島。
アル・ジュカ公国を離れて1年以上が経ち、
色々とあって、気がつけば海賊と手を組んでいた。
海賊たちは漁村を襲撃する計画を立てており、
それを止める手立ては何かないかと模索したが、
いくら少年の頭が良かろうと大人の力には敵わない。
諦めかけていたその時、突然空が紫色に染まったかと思いきや、
次の瞬間には暴風が吹き荒れるような感覚に陥り、
周りの全員が石像へと化したのだ。
「石になったみんなは死んでしまったんですか……?」
「いや、全員生きているよ
復活させる手段も存在する
……だが、それには順番があるんだ
君の友達を復活させるには時間がかかる
巻き込んでしまって本当にすまない
まさか、子供がいるとは思ってなかったんだ……」
仲間たちが生きていると聞き、ミノタウロスは胸を撫で下ろした。
更に、パメラは興味深い情報を与えてくれた。
「君の種族は竜人といって、魔法に強い種族なんだ
だから君だけが呪いの影響を受けずに済んだ……
私の友人もそうやって石の呪いから免れたんだ
彼女を紹介したいから、私たちと一緒に来てくれないか?」
ミノタウロス自身、ミノタウロスと呼ばれ続けて誤解していたが、
どうやらその正体は全く別の種族だったようだ。
彼は突然の新事実に驚きながらも、パメラからの誘いに応じた。
帰りの船の中で、彼は色々なことを知った。
アル・ジュカ公国はアル・ジュカ共和国に生まれ変わり、
忌まわしき奴隷制度が完全に撤廃されたという朗報。
そして、その立役者がどうも普通のおっさんにしか見えないこと。
ミルドール王国とハルドモルド帝国は魔女の被害を受け、
新型の治療薬が開発されたものの、経済的に厳しい状況にある。
パメラたちはそれを解消すべく海賊討伐に来たということ。
亜人種族を毛嫌いしているのはごく一部の人間だけであり、
全世界の人口の大多数は、その亜人種族が占めているということ。
それはギャリーランドだけが特別なのだと思っていたが、
逆にアル・ジュカ公国の常識が狂っていただけだった。
ミノタウロスは様々な情報を精査し、答えを導き出した。
計画とは違ったが、思いがけない幸運に恵まれたおかげで
何よりも望んでいたものを手に入れることができたのだ。
彼はもう、盤上で操られる奴隷ではない。
何者でもなく、そして何者にでもなれる、ただの少年であった。




