兆し1
魚人のミモザには特殊な感覚器官が備わっていた。
水中で超音波を放ち、その跳ね返りを測定して周囲の状況を把握するという、
いわゆる反響定位という技能を扱えるのだ。
それを用いて“闇の獣”の位置を割り出そうという作戦だ。
非戦闘員のミモザを抜擢したのは、これが主な理由だった。
ただの運び役ではない。彼女は探知器として連れてこられたのだ。
なぜ“闇の獣”を捕獲する必要があるのかという疑問だが、
それはアンディ王子が強い関心を示しており、
自分で獲りに行くと言って聞かないからだ。
先手を打たなければ、学術的好奇心のせいで王子が死んでしまう。
それと、上手く行けば大陸の特産品として
海外に輸出できるかもしれないという狙いもある。
外貨の獲得。
王国が救われるためには必須の課題だ。
「やっ……待って待って待って!
そんなの聞いてない!
アンタを運ぶだけでいいって言ってたじゃん!」
「ああ、騙した すまん
とにかくこれはお前にしかできないことなんだ
王国を救いたいという気持ちがあるのなら、
とりあえずここは我慢して、私に力を貸してくれないか?」
パメラはミモザを嵌めたことをあっさりと認めた。
その上で協力を求めてきたのだ。
ずるい。
約100人の観衆の手前、ミモザは断ることができなかった。
ここで拒否すれば彼らからは薄情者と見做されるかもしれない。
彼らはこちらを優秀な副団長だと思ってくれている。
その印象を壊したくない。外面を保ちたい。
ミモザは屈した。
──シバタの話によれば“闇の獣”は、日中は泥や岩陰などに身を潜め、
夕方から夜間のうちに食事などの活動を行うらしい。
夜の海中に黒い身体。どうりで幻の怪物と呼ばれるわけだ。
ランタンを持って入水するわけにもいかないし、
近づけば殺されるので観察のしようが無い。
船長がパイプを吹かしながら補足する。
「私は長年船の上で暮らしてきたが、
雲一つ無い晩に2、3度しか見かけたことがない
あれは船乗りにとっては不吉の前兆として恐れられていてな……
初めて見かけた時は、恐怖のあまり3日は眠れなかったよ」
意味の無い情報だった。
「ところでシバタ殿はどこでそんな知識を得たのだ?
大昔から世界中の学者たちの頭を悩ませてきた
謎多き存在だというのに、やけに詳しいではないか」
「え? ん〜〜〜
いやあ、ははは……」
シバタは困り笑いしながら顎ひげを撫でた。
何か言いたくない事情でもあるのだろうか。
そしてなぜかコノハも同じようにそわそわしていた。
「俺たちの故郷は世界地図にも載ってない小さな島国でしてね、
他国との交流が一切無かったので独自の文化が発展してました
そこでは“闇の獣”をウナギと呼んでいて、
蒲焼きにして米の上に乗っけて食べるのが定番なんですよ
こいつがまた絶品でしてね……
この海域のウナギが同じ味かどうかはわかりませんが、
もし俺の予想が当たっていれば確実に高い人気を得られると考えてます」
「カバヤキ……? コメ……?」
「ああ、そこからか……」
──日は沈み、食事を求めてウナギが動き出す頃合いだ。
甲板ではミモザが暗黒の海を見つめ、体を震わせていた。
いくら泳ぎが得意とはいえ、やはり怖いものは怖い。
もし入水した途端に襲われたらと思うと、飛び込むのをためらってしまう。
電気攻撃の射程はせいぜい2、3歩程度の距離だろうと言われたが、
ここのウナギがシバタたちの国のものと同じ種類なのかわからない以上、
絶対に安全だという保証は無い。
ミモザはしばらく立ちすくんでいたが、
やがて覚悟を決めて大きく深呼吸した後、
絶縁体の命綱を体に巻きつけた状態で海に飛び込んだ。
王子を死なせないため、王国の財政難を解決するため、
そして何よりも、自分の騎士団を結成して
夢のぐうたら生活を実現するために。
そこはやはり夜の海。何も見えない。
今夜は曇っており、月は出ていない。
反響定位で周囲の状況を把握できるとはいえ、
普段は陸で暮らしている彼女には不気味すぎる光景だった。
こんなことはさっさと終わらせてしまおう。
ミモザは超音波を発し、仕事に取り掛かった。
周辺に細長い生物はいない。ひとまず安心だ。
ここは海賊の襲撃を受けた場所よりも南に位置した海域であり、
ウナギがいるとすればアリサが襲われたという北の方角、
ハルドモルド近海の方だろうと予測される。
ミモザは海面に浮上し、自身の無事と獲物の不在を知らせた。
彼女は引き上げられ、ある程度進んだ地点でまた海に潜り、
反応が無かったらまた次の地点へ、ということを繰り返した。
そして小島を発ってから4日目の夜、
とうとうミモザはそれらしき反応を捉えたのだ。
一行は指定された座標へと急ぐ。
相変わらず夜の海は何も見えないが、
ここでシバタはある特殊能力を発動させた。
コノハのように洒落た名前はつけていないが、
とりあえずそれは周辺の生命反応を探知する能力だった。
大当たりだ。ここで間違いない。
そのへんに細長い生物がうじゃうじゃといる。
シバタが選んだ捕獲方法は『ぶっこみ釣り』で、
針に餌を括りつけて糸を垂らすという、実にシンプルな戦略だった。
長らく“闇の獣”はヘビの仲間だと考えられていたので、
その正体が魚だと聞いた船長や船員たちは目を丸くして驚いていた。
更に驚いたのは、シバタが不思議なカバンから取り出した釣り竿だ。
見たこともない上等な素材で出来ており、リールが複雑な形をしている。
初めて見るであろうに、海の男たちはそれが国宝級の一品だと直感した。
釣り餌を投げ込んでから数秒後、早速手応えがあった。
海の男たちは、シバタが糸を巻き上げる様子を夢中になって眺めた。
音だけでわかる。やはりあの釣り竿は良い物だと。
そして、釣り上げられたものを見て海の男たちは悲鳴を上げた。
黒くて細長い体、円状の口内に無数の牙、複数の目(実はエラ)、
船乗りにとっては不吉の前兆とされる未知の怪物、ウナギだ。