誰が為に1
アンディ王子は王都から一番近い別荘に身を置き、
この1ヶ月間、自室に引きこもったきりで何もしなかった。
昨晩に用意したスープは一口程度しか減っておらず、
これでは何をしようにも活力を絞り出せない。
ネリはアンディの胸倉を掴み、叱咤の言葉を投げかける。
「──いつまでそうしてる気なんですか、このダメ王子!!
ご両親が投獄された今、これからはあなたが実質的な国王として
国民たちを引っ張っていかなければならないというのに……!!」
ネリは思わず昂り、アンディの頬に張り手をかました。
しかし、以前ならば気持ち悪い笑みを浮かべて悦んだであろう彼が、
虚な目をして俯いたままだ。彼は今、本気で落ち込んでいるのだ。
「ネリ……
僕みたいなクズに、王国の未来をどうこうする権利なんて無いよ
学校で勉強を頑張ったけど、なんの意味も無かったんだ……
僕みたいな出来損ないにできることなんて何も無いよ……」
ネリは反対の頬にも張り手をかますが、やはりこれも効かない。
「自己憐憫をやめなさい、このクズ王子!!
頑張った意味なら、これから自分で作っていけばいいでしょう!!
このままこんな所で何もせずにいたら、
本当に今までの努力が無意味になっちゃいますよ!!」
ネリは上半身を左右に振り、アンディの反応を窺う。
時折フェイントを混ぜるも、彼は一切の反応を示さない。
ならばと、ガラ空きの右ボディーへと左フックを差し込む。
王子は一瞬だけ苦悶の表情になるが、耐え切った。
そこですかさず二の太刀が刺さる。左ボディーへの右フックだ。
両側から内蔵を抉られ、これにはさすがのアンディも膝が折れる。
「いい加減にしなさい、この出来損ないがっ!!」
左のショートアッパーで顎を持ち上げてからの
右フックがこめかみを直撃し、脳を揺さぶる。
アンディ、たまらずダウン。
傍らで見守っていた青年が割って入り、ネリを下がらせる。
そしてアンディの顔を覗き込み、目の焦点が合っているかなどを確認した。
大丈夫、まだ意識はあるようだ。
「──再開!!」
その声を聞き、アンディはハッと我に返った。
「グ、グレン……!?
どうして君がここに……!?」
名前を呼ばれた彼はフッと笑い、ベッドに深く腰掛けた。
仮にも王族であるアンディに対してこの無遠慮な態度。
彼はエクストリア魔道学院にて、10年の歳月を共に過ごした学友だった。
額に生える2本の短い角が、彼の種族が鬼人だと物語る。
目つきの悪い青年だが、怒っているわけではない。そういう顔なのだ。
「まったくオメーって奴はよ……
ネリちゃん困らせてんじゃねーよ
せめて飯くらい食えっつーんだよ」
言いながら、冷めた肉料理を骨ごと噛み砕く。
友として心配して忠告してくれているのだろうけども、
さすがにその食べ方は真似できない。彼の顎は強靭すぎる。
「オメーの親友としてぶん殴ってやる必要があると思ったけど、
そりゃもうとっくにネリちゃんが済ましたみてーだな……
ったく、なんのためにここまで来たんだか……」
鬼人グレンは呆れつつも、皿の食事をペロリと平らげてから
アンディに向かい、屈託の無い笑顔を送った。
想定外の友との再会に、アンディの心は甦った。
「……んで、国内の問題は一旦置いといて、
そのアリサとかいう女の船を襲った海賊が厄介だよなあ
とりあえず俺は東からの航路で来たが、遭遇しなかったぜ」
西の海から来たアンディも海賊には遭遇しなかった。
かつての魔女騒動の影響で南の大陸では海上警備が強化され、
ここ数年、南の海域の平和は保たれている。
それに正体不明の危険生物、“闇の獣”が出没する時期であるし、
海賊行為をするにはリスクとリターンが見合わない。
しかし、妹の話によればアリサは救国の英雄であり、
決して嘘をつくような人物ではないと断言していた。
アンディ自身もアリサを疑いはしなかった。
妹から聞かされるまで名前すら知らなかった彼女を、
どういうわけか無条件に信用していたのだ。
被害に遭った人たちの仇を取ってやりたいという気持ちはある。
それに、これはアリサだけの問題ではない。
ただでさえ魔女のせいで評判の悪い大陸だというのに、
近海に海賊まで出没するという話が広まれば
ますます人が寄りつかなくなり、孤立する一方だ。
今倒すべき敵は海賊。それははっきりしている。
「いつまでもこんな所でじっとしてるわけにはいかないな……
僕は国民にとって、実質的にこの国の王なんだ……!
彼らを導く義務と責任があるんだ……!
ここで何もしなかったら、今までの努力が無駄になってしまうんだ!」
さっき自分が言ったことを反復され、ネリは少しムカついた。
アンディの尻にアザが残るほどのトゥーキックを浴びせ、
だが当のアンディは悦び、ネリも鬱憤を晴らせたようだ。
グレンはそんな2人のプレイを、やれやれと言わんばかりに見守る。
学生時代に幾度となく見てきた光景。彼らの青春における日常風景だ。
つい最近卒業したばかりだというのに、既に懐かしさがこみ上げる。
「そんじゃまあ、もうちょい詳しい情報を集めに行こうぜ
そのアリサって女にも早く会ってみたいしな
ネリちゃんから聞いた話じゃ、かなり変わった竜人らしいじゃねえか」
「ああ、僕たちが学院で出会った子たちとはまるで別物さ
おそらく特例個体なんだろうね きっと君も気に入ると思うよ」
学識の高い彼らにとって、アリサは興味深い観察対象のようだ。