怪物4
アンディ王子が帰国してから1ヶ月。
アリサは馴染み深い医務室のベッドの上にいた。
毒はもう抜けたので命の心配をする必要は無いが、
“闇の獣”に噛みつかれて出来た傷が炎症を起こし、
全身が腫れ上がり、つい先日まで高熱にうなされていた。
ようやく固形物を口にできそうだ。
アリサはゆっくりと体を起こした。
「……んで、これからどうすりゃいいと思う?」
現在、投薬治療中のアリサにできることはない。
コノハはリンゴの皮を剥きつつ返答した。
「どうもこうも……
今は黙っておくしかないでしょ
私たちは王国の希望として送り出されたけど、
それがたったの1日で海賊に襲われて引き返したなんて情報が広まったら
きっとみんなガッカリするだろうし、今後のモチベーションに影響するよ」
リンゴの皮に三角形の切り込みが入り、奇妙な形に整えられる。
どうやらウサギを表しているそうだが、アリサには羽虫に見えた。
あの食欲旺盛なアリサが見舞いの果物に手をつけていない。
まだ固形物は早かったのだろうか。
シバタは横からヒョイとリンゴを1切れ掴み、シャクシャクと頬張った。
「例の海賊船なんだがな……
ありゃどうも、ハルドモルド帝国から盗み出された船みたいだ
帝国海軍最強の戦艦……通称“黒い死神”ってやつらしい
よその大陸とドンパチやってた時代に造られた歴史的遺物さ
戦争が終結して以降は使われなくなったそうだが、
あの戦闘力はまだ全然、現役バリバリって感じだったなあ」
「“黒い死神”──」
コノハの琴線に触れる響き。
彼女の左手が疼く。
「ん、盗まれた船って言やあ、
もしかしてあれに乗ってた連中って……」
帝国最強の戦艦がやすやすと盗まれるなんてことは普通ならあり得ない。
だが普通ではない状況であれば、それは可能になる。
例えば、帝国民が全員石像にされた場合などだ。
「ああ、お察しの通り旧公国の元貴族たちだよ
あの時、俺が確認できたのはヴィゼル卿にバート卿、
そしてグランベルム大公……どれも旧公国の大物ばかりだ」
アル・ジュカ反乱の際、ミルドール王国から財宝を奪い、
ハルドモルド帝国から船を奪って大陸外へと逃げた連中。
更に言えば、逃げた先で王国の悪い噂を流し、
大陸間の交易が行われなくなった原因を作った連中でもある。
おそらく彼らは贅沢な生活が染みついているせいで質素な暮らしができず、
逃げ出した先で金を使い果たし、海賊に落ちぶれるしかなかったのだろう。
「どいつも知らねえ……
つうか、あの暗い中でよく確認できたな
実はおっさんもユッカと同じくらい目が良いのか?」
夜の海、真っ黒な船。
誰かが号令をかける声は聞こえたが、
それだけで判断できるような状況ではなかったはずだ。
「ああ〜、べつに俺の視力は普通だぜ?
ちょっくら“幽体離脱”の能力で相手の船内を調査しただけさ
……と言っても、全部の部屋を確かめられたわけじゃないけどな
幽霊なのに壁をすり抜けたりできないのが難点なんだよなぁ」
「ちょっ……ええぇっ!?
シバタさん!
そんな簡単に自分の能力バラしちゃっていいんですか!?」
幽体離脱。
アリサにはピンと来ない言葉だが、コノハは理解しているようだ。
ただ彼女が驚いたのは能力の内容ではなく、
それをシバタが自ら、あっさりと発表したことだ。
秘密主義の彼女には考えられない行動だったのだろう。
「まあ、同郷のよしみってやつさ
できれば俺も秘密にしておきたかったけど、
今後はこの力が何かの役に立つかもしれないし、
知識を共有しておいて損は無いだろう?」
「……だってよ
おめえも見習ったらどうだ?」
コノハは難しい顔をした。
シバタの説明によると“幽体離脱”とは肉体と精神を切り離し、
その精神体でほぼ自由に動き回れる能力らしい。
精神体は物質への干渉が一切できない代わりに
地面から少し浮いた状態になり、水上での移動も可能だそうだ。
魂が抜けている間は本体が無防備になるが、
そこはもう一つの能力……というか不思議な時計の機能、
“時止め”のおかげで弱点を克服できるらしい。
時間が止まっている間は肉体を動かせないが、
精神体ならばその制約を無視できるそうだ。
これほど情報収集に特化した能力の持ち主が味方にいるのは心強い。
「とまあ、そんな感じだ
他にも日常生活で使える能力は色々あるんだが、
海賊との戦いでは役に立たないだろうし、今は省かせてもらうぜ?」
魔法とは違う奇妙な特殊能力を、彼はまだ持っている。
コノハも同じような感じで複数の便利な能力がある。
彼らの出身地の連中は、みんなそうなのだろうか。
「ところでコノハちゃん……うな重、食べたくない?」
またアリサの知らない言葉が出てきた。
ウナジューとは一体、どんな食べ物だろう。
「そりゃ食べられるなら食べたいですけど……
どうして急にそんなことを訊くんですかね?」
シバタはメモ帳を取り出し、サラサラと絵を描き始めた。
そしてすぐに描き終えるとそれをアリサに見せ、尋ねた。
「君を襲った怪物ってのは、こんな奴だったんだろう?」
黒いニョロニョロ、円状の口、無数の牙、いくつもの目……。
あまり丁寧には描かれていないが、特徴は捉えてある。
“闇の獣”で間違いない。
「そいつはおそらく『ヤツメウナギ』をベースに、
『デンキウナギ』の能力を持ったモンスターだろうな
まあ、実はどっちもウナギの仲間じゃないんだが……
とりあえず血に毒があるってことはウナギで合ってると思う」
「えっ、シバタさん……
ウナギって毒あったんですか!?」
生態が謎に包まれている生物だというのに、
どうもこの2人には心当たりがあるようだ。
こいつらの国の奴らは、みんなこうなのか……?




