希望の海1
船の甲板で少女が斧を振るっている。
「997! 998! 999! ……1000!」
何かと戦っているのではなく、素振りだ。
彼女は今、体を鍛えているのだ。
「アリサ、最近毎日それやってるよね〜
そんな重そうなの振り回して疲れないの?」
猫精の少女ユッカが心配そうに質問する。
それもそのはず、アリサが手にしている物は通常の斧ではなく、
黒騎士団団長ジークから受け継いだ重刃斧に重りを追加した、
素振り専用の特別仕様の斧なのだ。
並の男では両手でも持ち上げられないであろうそれを、
彼女は片手で軽々と扱っていた。
「まあ、日々の鍛錬ってやつだ
でも疲れなきゃ意味ねえよなぁ……
もうちょい重りを追加してみっか」
しかもまだ足りないようだ。
冒険者アリサはミルドール王国復興のために外の大陸へと赴き、
もう魔女の脅威は去ったという事実を各地に伝え回る旅に出た。
そのついでに自らの種族、竜人の情報を得られればいい。
どうも魔力や知力に優れた種族らしいが自分には当てはまらない。
このふざけた怪力も種族の特徴ではないようだ。
今まで気にしてこなかったが、王国で過ごすうちに
もっと自分について理解したくなったのだ。
「アリサ、思ったんだけどさ……
密猟の被害者を探しに行くよりも、
自分の親に聞いてみるってのはどうかな?」
リーダーのコノハが提案する。
彼女は純血種の人間で頭が良く、珍しい黒髪の持ち主で足が短い。
どれくらい短いのかというと、ユッカよりも頭一つ分背が高いにも関わらず
横に並ぶとユッカと腰の高さが同じか、下手したらそれよりも低い。
「オレの親ねえ……
実は竜人の里がどこにあんのか知らねえんだよな
薬で眠らされてる間に追い出されたからなぁ」
「それは、なんか……ごめん」
コノハは深刻そうに謝るが、当のアリサはケロッとしている。
彼女にとって、親なんて所詮は血の繋がった他人に過ぎない。
もうどうでもいい存在なのだ。
まだ少し肌寒いが、季節はもう春だった。
太陽は白く輝き、青い海に反射して美しい光景が広がる。
潮の香り、海鳥の声、自然と気分が高揚する。
その美しい海にゲロを吐き捨てる不届き者がいた。
「ヴォエエェ!!
ゥゴッ……カハアアァァ!!」
邪悪なエルフのローズ。
船酔いは仕方ないこととはいえ、どこか別の場所でやってほしい。
しかし邪悪な意志の持ち主であるがゆえ、目を離すわけにはいかない。
あんな邪悪な女でも今はパーティーの一員となってしまったのだ。
何か問題を起こされてはたまったもんじゃない。
この船にはアル・ジュカ共和国のリーダー、
革命の英雄シバタも乗り合わせていた。
彼はアリサたちが最初に向かう交易都市で顔が利くらしく、
行商人たちとの情報交換役を買って出てくれた。
ミルドール王国の安全性を広めるにはうってつけの人物だ。
「っつうことはよぉ……
シバタのおっさんだけで目的達成できるじゃねえか
オレたちが旅する意味無くね?」
「ははは、まあ細かいことは気にするな!
君には別の目的もあるんだろう?
なら、優先順位が入れ替わるだけだと思えばいいさ」
そうなるとつまり竜人の秘密を探るのが第一で、
そのついでに王国の情報を広める旅という形になる。
やること自体は何も変わらないが、
なんだか自分本位な感じがして申し訳ない気分になる。
「だから気にするなって!
君は他人のために充分戦ってきたんだし、
これからは自分のために生きるべきだろう!」
「自分のために、か……」
今まで好き勝手に生きてきたように思うが、
振り返れば確かに他人を優先していたかもしれない。
それは決して悪いことではないのだろうが、
問題は自分のやりたいことが見つからず、
意思決定を他の誰かに任せていたことだ。
コノハに任せておけば大丈夫。
パメラなら上手くやってくれる。
フィンなら、フレデリカなら……。
アリサはただ流れに身を任せ、ぼんやりと生きてきた。
それが今、ようやくやりたいことが見つかったのだ。
自分を知りたい。
他人にとって、これほどどうでもいいことは無いだろう。
しかし彼女にとっては非常に重要だった。
ユッカやコノハ、他のみんなも後押ししてくれた。
アリサのやりたいことをやるべきだと。
これは言わば自分探しの旅。
アリサが初めて自分の意思を優先し、
自身に秘められた謎を解き明かそうという冒険なのだ。
若干こそばゆいが、アリサはかつてなくワクワクしていた。
──日が落ち、夜が訪れる。
月明かりに照らされた真っ黒な海を見ていると、
そこに吸い込まれてしまうような恐怖が沸き起こる。
「アリサ、ユッカ
寒くなってきたし、そろそろ部屋に戻ろう」
コノハの呼び掛けで、アリサは夜になっていたことに気がつく。
食事も取らず斧を振り続け、その集中力にはアリサ自身も驚いていた。
「んだよ……
もうちょい早く声かけてくれよなー
腹ペコでしょうがねえよ」
ユッカから渡されたタオルで汗を拭きつつ、
少女たちは船室へと歩き出した。
「んっ……あれ?
あそこに何かあるよ!」
ユッカが気づき、暗黒の海を指差すが何も見えない。
「ほら、あそこだよ!
黒くて大きい船があるよ!」
アリサとコノハは目を凝らし、船を探した。
船……言われてみれば、たしかにそうかもしれない。
夜目の利くユッカにははっきりと見えているのだろうが、
真っ黒な海に真っ黒な船の組み合わせは非常に見づらい。
しかしすぐに轟音と共に明るくなり、そこに船があることを確認できた。
その船はこちらに向かって砲撃を開始したのだ。
海賊の襲撃だ。




