漲る3
──夜の歓楽街、路地裏にて。
冒険者ヒューゴは膝から崩れ落ち、涙を流した。
彼の悲しみに呼応するかのように、眠らない街に冷たい雨が降り注ぐ。
時折、行き交う人々が立ち止まって心配そうに見つめるが、
そんなことはお構いなしに、男は子供のように泣きじゃくった。
「そんな……!
どうして……っ!
なんで……こんなことが許されていいのか……!?」
咽び泣くヒューゴ。
目を逸らす衆人たち。
雨は降り続ける。
商人は揉み手しながら事情を説明した。
「いや〜、いつもお買い上げいただいてる旦那には申し訳ないんですがね、
最近になって大量購入してくれる太客が現れたもんでしてね……
でもまあ正規の取引ですし、こちらとしても断る理由が無いというか……」
お目当ての精力剤が売り切れていたのだ。
“夜の獣”。
あれが無いと始まらない。
元気を出そうと思っても気持ちだけではどうにもできない。
そういう年齢に、彼は今いるのだ。
「本当はまだ在庫があるんじゃないのか!?
もし隠し持っていたら承知しないぞ!!」
「いや、勘弁してくださいよ
本当に売り切れなんですってば……」
執拗に商人へ詰め寄るヒューゴの肩に手が置かれる。
振り向くと、そこには彼と同年代らしき男が立っていた。
いや、彼だけではない。
彼と同じ悲しみを抱えた常連客たちが、そこに立っていた。
「やめとけ、その人を責めたって仕方ねえ……
本当はアンタもわかってんだろ? ……なあ、兄弟」
ヒューゴは再び泣いた。
泣かずにはいられなかった。
彼も本心ではわかっていた。
ただ、このやりきれない思いをどうすればいいのだろう。
行き場の無い悲しみを、怒りを、虚しさを誰にぶつければいいのだろう。
この苦しみを、雨が洗い流してくれればいいのに。
この商人はただ、正当な商売活動をしただけだ。
悪人ではない。むしろ今まで商品を提供してくれた善人だ。
自分は間違っていた。
真の巨悪が誰かは、少し考えればわかることだった。
「金の力で薬を買い占めやがって……!
絶対に許せない……許してはならない……!」
ヒューゴの憤り……否、正義の怒りに、男たちの心は共鳴した。
そして路地裏に集まった彼らは決起し、眠らない街を後にした──。
男たちの背中を見送った商人は、ぼそりと呟いた。
「正規の取引ですってば……」
──興奮状態の男たちは王家の屋敷に辿り着いて早々、
玄関を蹴り、窓を割り、石を投げ込み、落書きし、
庭園に放尿し、屋敷内に放尿したりを繰り返した。
だが、ある程度暴れたところで違和感を覚え、
彼らは手を止めて少しずつ冷静さを取り戻していった。
「おかしいな……誰もいないのか……?」
「くそっ!
俺たちが来ると読んで、逃げやがったな!」
「こうなったら何もかも壊してしまえ!
燃やせ燃やせ! 全部燃やせ!」
やはり冷静ではなかった。
彼らは陶器や宝石類などの金目の物を持ち出し、
運び出せそうにないベッドや棚などの家具は破壊し、
全員で放尿した後、火を放った。
雨が降っているにも関わらず炎は一気に燃え広がり、
屋敷はバキバキと音を立てながら崩れ去った。
「悪は滅びた……」
男たちは屋敷に背を向け、夜の街へと消えた──。
──所変わりミルデオン城。
正門に架かる大橋には黒騎士の姿が2名見える。
その先からは大勢の人々が楽しく騒ぐ声やアップテンポの音楽、
そして酒や食べ物の匂いがここまで届いてきた。
間違いない。
フィンの情報通り、今ここで晩餐会が行われている。
主催者は国王……ニックとブレイズ、そしてサロメを酷い目に遭わせた暴君。
倒すべき敵がここにいる。
「……おい、止まれ!
一体この城になんの用だ!」
かつては“大陸最強の黒騎士団”と呼ばれた彼らが今、
門番などという下っ端の兵士がやる仕事をこなしている。
よほど人手不足なのだろう、
去年その場所にいたフィンは複雑な心境だった。
「自分は特別一般兵のフィンと申します
陛下のご命令により、本日中にこの城内へ
残りの黒騎士団の石像を運ぶよう仰せつかりました」
彼はキリエと一緒に運んできた荷車を指差した。
すると突然、黒騎士の2人は笑い出したではないか。
それは確かに、誰かを馬鹿にする類の笑い声だった。
フィンは不愉快な感情を抑え、その意図を尋ねた。
「何かおかしなことでも?」
「ククク……いや、お前にもわかるだろう?
走るだけしか能の無い馬人という種族が、
人間如きの手を借りなければ
ロクに荷物も運べないのだと思うとな……
親衛騎士団とやらも、よほどの人手不足と見える」
やはり彼らはキリエを笑ったのだ。
まるで、それが面白いことであるかのように。
キリエは俯いて黙り込んだが、フィンは違った。
こんな奴らに畏まる必要は無い。
「あんたらは門を見張るしか能が無いんだろ?
女性には優しくしろと教わらなかったのか?
そんな連中がよく騎士を名乗っていられるな
生きていて恥ずかしくないのか?」
「……ぁ?」
人間の兵士如きに口撃され、黒騎士の2人は一瞬耳を疑った。
キリエも、荷車に隠れていたアリサたちも、
想定外の事態に驚きを隠せなかった。
石像を運ぶふりをして穏便に通過する計画だったのが、
よりにもよって発案者の彼が門番を挑発したのだ。
普段の冷静な彼ならば、こんな失態は犯さない。
フィンは今、漲っていた。