はじまり3
数刻前にストーンビーストを取り逃がした場所まで来ると、
抉られたはずの石の床は元通りの平地に戻っていた。
このように自己修復を行う迷宮は珍しくない。
そこは迷宮の名の通り複雑な迷路となっており、
獲物を追いかけた他の冒険者たちが
自分の居場所を見失い、途方に暮れていた。
そんな彼らを横目に、少女たちは迷わず正解ルートを突き進む。
こちらにはコノハの追跡能力によって作成された順路図がある。
自分たちは今、圧倒的優位な立場にいる。
この先に同業者はまだいない。
そう思っていたが……
「くっ、悔しい……!
この私がスライムなんかにやられるなんて……!」
「……あっ、おじさん大丈夫!?
今手当てしてあげるからね!
コノハ! 救急箱出して!」
途中、頭から血を流す年配冒険者と再会した。
聞けば彼も道に迷い、地図を見返している時に
天井から降ってきたストーンスライムにやられたらしい。
単身で活動できるほどの腕前を持つベテランでも油断は禁物だ。
それと、兜は装備しておいた方がいい。
さすがに放置するわけにもいかないので応急処置を済ませ、
キャンプまでの退路を示した地図を売り、彼とはそこで別れた。
「……しっかし、あの石っころやべえな
浅い階層にしかいないと思って存在を忘れてたぜ」
「ここからは頭上にも注意しないとね
ユッカ、周囲の警戒をよろしくね」
「うん、任せといて!」
3人は気を引き締め、進軍を再開した。
目標地点へ到着するまでに何度も獲物とすれ違ったが、
近くに他の冒険者がいる気配がしたので見送った。
稼ぎを独占したいという気持ちは当然あるが、
コノハには別の狙いもあった。
マークした個体は未だに走り続けている。
現在この階層では10組以上のパーティーが活動中だが、
獲物の足止めができる人材はどうやらアリサだけのようだ。
同業者たちが、通過する獲物を静観するとは考えにくい。
すれ違いざまに一撃与えるくらいのことはしているはずだが、
まだ倒されていないということは耐久力が高いのだろう。
生命力・防御力、そして石の床と同じく回復力に優れている。
あくまで推測だが、その可能性は充分にある。
そして、その時は訪れた。
「ハッハーー!!
逃がしゃあしねえよ!!」
目標地点で待ち伏せし、カーブで減速したところを捕獲した。
同業者たちは追いついていない。近くに他の魔物もいない。
全てが狙い通り。絶好のチャンス。あとは狩るだけだ。
「うらあああぁぁっ!!」
アリサは抱えた前脚を全力で締め上げ、
耐久限界を超えたそれにはピシッと亀裂が入り、
やがてガラガラと大きな音を立てて崩れ去った。
片脚を失った獲物は悲痛な鳴き声を上げ、横転した。
これが生物ならば罪悪感も湧いてくるというものだが、
相手は動植物を模しただけの魔力構造体に過ぎない。
いくら殺そうが、時間が経てばまた元の姿で復活する。
「おっしゃあ!!
これでトドメだあっ!!」
両手の空いたアリサはすかさず愛斧を握り、
無防備な首目掛けて勢いよく振り下ろした。
終わってみれば一瞬だった。
狩りに限った話ではないが、準備は非常に重要だ。
アリサとユッカだけで組んでいた頃は行き当たりばったりで、
獲物を同業者に横取りされては責任の押し付け合いをしたり、
いつも失敗ばかりでギルドからの評価は最低だった。
コノハという頭脳担当と出会い、流れは変わった。
まだ彼女について知らないことはたくさんあるが、
信頼できるリーダーであることは間違いない。
「あっ、あれ?
おかしいな……」
そんな彼女が想定外の事態に青ざめる。
「……石の薔薇が無くなってるんだけど」
ストーンビーストの死体を念入りに解析してみたが、
お腹の中にあったはずのブツが無くなっていると言うのだ。
それが目当てで作戦を遂行したというのに、それでは困る。
何か見落としているのかもと思い、コノハは追跡能力を発動した。
すると、獲物の進路上にそれらしき反応があるではないか。
とにかく現場へ行って確認するしかない。
獲物の死体は細かく砕き、歩きながら通路にばら撒いた。
いずれ気付かれるが、同業者にはまだ生きていると思わせたい。
そして、それはあった。
「おい、これって……」
石の獣の体内から排出された粘土状の物質は何度も踏み潰され、
刻まれた蹄の跡が重なり、まるで薔薇のような模様を描き出した。
「……うんこだー!」
その正体は魔物の排泄物だった。
通常、魔物は魔力を栄養源としているので食事の必要は無く、
内蔵が存在しないのが普通だが、時には例外もある。
「どうしたんだコノハ、さっさと拾えよ
たしか本体が死んだら、その一部だった物も
床とかに吸収されて消えちゃうんだろ?」
「待って」
「コノハの不思議なカバンなら完全な状態で保存できるんだよね!
本当にすごいカバンだよね! あたしもそれ欲しい!」
「ちょっと待って」
匂いはしないし、彫刻のような質感なので普通のモノではないのだろうが、
それに触れるのも、大事なカバンに直接入れるのにも抵抗があった。
貴重な素材を取り逃がすわけにはいかない。
でも直接触りたくはない。
「──出でよゴム手袋! それとレジ袋!」
コノハはその不思議なカバンから2つの道具を取り出した。
正確には“取り寄せた”のだが、まあ今はいいだろう。
それらの道具を使い、少女たちは目的の素材を回収することに成功した。
そして、まだ獲物を探し回っている同業者たちには情報を与えず、
何食わぬ顔で集団キャンプに居座り、時が来るのを待った。
──それから3日後、石の獣が誰かに討伐されたという事実は広まり、
現場の冒険者たちは続々と引き上げていった。
種類にもよるが、魔物が復活するまで通常10日以上は掛かるもので、
そこに留まるよりも物資の補給や心身のリフレッシュを兼ねて
町で過ごした方がいいという判断である。
少女たちも彼らに合わせて帰還し、次の狩りに向けて備えた。
回収した石の薔薇はまだ換金していない。もっと数が集まってからだ。
まだ目立ってはいけない。同業者が敵へと変わってしまうからだ。
アリサの怪力、ユッカの直感、コノハの頭脳。
この狩場はそれぞれの得意分野を存分に活かせる場所であり、
尚且つ高額な素材をほぼ確定で入手する方法も判明した。
上級冒険者パーティーに狩場を独占される前に乱獲しておきたい。
気は早いが、少女たちは人生の勝利の前祝いとして
少し高めの肉料理を注文し、3人で分け合った。
バターの染みたパンもある。豪勢な夕食だった。
その平和はしばらく続くものだと思っていた。
「……あれ? なんか外の様子が変だよ!」
ユッカが窓から身を乗り出し、辺りを見回す。
しかし階下で特に事件は起きておらず、
道行く人々が喧嘩したり、密売人が捕らえられたり、
そんないつもと変わらない風景があるだけだった。
それでもユッカの直感が何かを告げているのだ。
コノハは気になり、とりあえず解析能力を発動させてみた。
「これは……まずい!
なんか巨大な魔力が町全体に──」
そこまで言いかけたが、その先を伝えることはできなかった。
突如として発生した紫色の波動が嵐のように吹き荒れ、
それは町だけに留まらずミルドール王国の全土へと広がった。
その暴風に飛ばされそうな感覚に陥るが、
中身の無い酒樽や干された洗濯物などは無事であった。
それは物質には干渉しない純粋な魔力の波動、
呪いだった。
コノハは解析能力発動中のかっこいいポーズのまま、
ユッカは窓から身を乗り出したままの姿で石になった。
彼女たちだけではない。
王国の住民も商人も、衛兵も浮浪者も、冒険者も、
その身分に関わらず、全ての人々が石へと変えられた。
「どうなってんだよおおおぉぉっ!?!?」
ただ一人を除いて。