雪解け1
ミルデオン城に帰還したアリサの様相に、
フレデリカたちは思わず絶句した。
右腕はあらぬ方向に曲がり、
折れた肋骨が脇腹の皮膚を突き破り、
全身の所々が焼け爛れ、鼓膜も片方破れているようだ。
そして出血と寒さのせいで肌が青白くなっている。
そんな状態だというのに彼女は左手一本で荷車を引き、
2人の魔女を運んできたのだった。
1人は知らないエルフだが、
もう1人の蛇人を見間違えるはずがない。
「お母様……」
フレデリカは親子の再会は後回しと割り切り、
それよりもまずはアリサの手当てを優先した。
かと言って本格的な治療の知識も道具も無く、
できるのは傷薬を塗り、包帯を巻くことくらいだった。
アリサは強がって素材回収をやり直そうとするも、
もはや階段を上る力すら残されておらず、
とうとう意識を失い、その場に倒れ込んだ。
アリサは昔の夢を見た。
いまいち頼りない相棒とパーティーを組んでから1年、2年と過ぎ、
そろそろ身の振り方を考えないといけない時期に差し掛かった頃、
路地裏で黒髪の少女がユッカに話しかけているのを目撃した。
「こら! 人の物盗んじゃダメでしょ!
もう逃がさないんだからね!」
あのすばしっこいユッカでも逃げ切れない時があるんだな、と感心した。
でも、あの黒髪はどこか鈍臭い印象があり、足も短い。
ユッカより速く走れるとは、とても思えなかった。
しばらく黒髪は説教し、ユッカはシュンと落ち込んでいた。
そして説教が終わるとなにやら話題が変わったようで、
黒髪はどこかへ向かい、ユッカは尻尾をくねらせながら後に続いた。
あいつはユッカに何を吹き込んだのだろう。
この後の展開が気になったので、
とりあえず距離を置いて尾行することにした。
「あなた、お金に困ってるのよね?」
「うん!
お仕事が上手く行ってないからね!」
「そう……
だったら副業を始めるのはどう?」
「ふくぎょー?
違うお仕事ってことー?」
「その通り!
例えばあの店なんてどうかな?
お風呂屋さんだから毎日お風呂に入れるし、
お金だって一杯もらえて一石二鳥でしょ?
私にも紹介料が入って、みんながハッピーになれるんだよ!」
「ソープランドだー!」
「こらあああああぁぁぁっ!!
オレの相棒をソープに売り飛ばそうとしてんじゃねええぇ!!」
さすがに見過ごせなかった。
まったく、なんて女だ。
オレと同じことしやがって。
「え、あ、ごめんなさいね……
この子なら案外向いてるんじゃないかと思って、つい……」
「あぁん!?
おめえもそう思うか!?
やっぱそうだよなあ!!」
その女、コノハとはすぐに打ち解けた。
純血種の人間が冒険者をやっているなんて珍しく、
本人は目立つのを嫌い、地味な仕事ばかり引き受けていた。
驚いたのはその成果で、ほとんどの依頼で最高評価をもらっていた。
戦うことしかできないアリサとは正反対に、
コノハは代筆や経理などの事務仕事が得意であり、
不思議なカバンのおかげで配達などもこなせる便利屋だった。
「なあ、よかったらオレたちと組まねえか?」
「断る!」
「速えーよ!」
べつにコノハはこちらを嫌っているわけではなく、
彼女の能力を考えれば当たり前だった。
わざわざ魔物と戦わずとも、他の仕事で食えている。
パーティーを組んで行動する理由が無いのだ。
更に、他の冒険者が苦手な頭を使う仕事を消化してくれるので、
ギルドとしても危険な目に遭わせたくないらしい。
だが、それでも、
「しばらくお試しで一緒に行動するってのはいいかもね
アリサたちが上手く行ってない原因を分析したいし、
もしかしたら、私にも秘められた能力とかあるかもしれないし」
「秘められた能力……?」
「あ、気にしないで!
それはこっちの話!」
コノハはお試しで加入してくれた。
彼女が正式に仲間となり、リーダーになるまではまだ先の話だが、
アリサの肉体はそろそろ目覚めようとしていた。
「──放せええええぇぇぇぇ!!!
わたしは無実だあああぁぁぁ!!
魔女はその女だあああぁぁぁ!!」
「ええい、お黙りなさいこの魔女め!!
わたくしは一番の被害者なのですよ!?
フレデリカ、母の言葉が信じられないのですか!?」
「お二人とも静かにしてください!
アリサ様がまだ寝て……あ、起きてしまいました……」
両隣でギャーギャー言い争われていたら、
落ち着いて眠れるわけがない。
できれば一喝し、ぶん殴ってやりたかったが、
今の彼女には自力で体を起こすだけの体力も無く、
そのどちらも果たせなかった。
全身を毛布で包まれ、床はガタガタと揺れている。
自分は今、荷車で運ばれているのだ。
2人の魔女に挟まれながら。
サロメも蛇女も全身を魔封じの縄で縛られており、
これならお得意の魔法は使えず、ひと安心だ。
荷車を引いているのはフレデリカとセシルの2人で、
カチュアの姿が見当たらない。
尋ねてみると、医者に連絡するため先へ行かせたようだ。
今は一刻も早い治療のため、東の小国へ向かっているらしい。
南の帝国は、おそらく呪いの霧で全滅したという話だ。
そこへ向かっても無駄足になる可能性が高い。
帝国に次いで文化水準の高い公国は北の山を越えねばならず、
とても重症者を抱えた素人が徒歩で向かえる場所ではない。
荷車を引く2人は(こんな時こそ馬人キリエの出番なのに)と思ったが、
ここにいない者の文句を言っても始まらない。
きっと任務の途中で石化の被害に遭ってしまったのだろう。
一行は東へと急いだ。