嵐に吹く8
アリサは荷車を引いていた。
荷台には補強されたテント、その中身は言わずもがな石の薔薇。
仲間を救うための、ついでにいくらかの王国民を救うための素材。
それが、一瞬で消え去った。
もう見たくもない紫の霧。
石の魔女の呪い。
帝国まであと半日という距離で、それが発生したのだ。
よりにもよって王国ではなく、この大平原で。
「あっ……あぁぁ…………あああああっっっ!!!」
逃げる時間なんて与えられず、ただただ見ていることしかできなかった。
仲間を救える素材が、託された希望が、努力の結晶が紫の煙と化していく様を。
アリサは怒った。
かつてない怒りの炎が燃え上がるのを、彼女は感じ取った。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
アリサは吼えた。
そして、駆け出した。
真っ赤な髪を、太い尻尾をはためかせて少女は駆けた。
目標は紫の霧の中心点。
その場所を目指せばいい。
魔女を倒す理由なら今できた。
ムカつく。
他には何も無い。
アリサには今、獣の意志が宿っていた。
炎の弾丸と化したアリサはただ前だけを見つめ、
他の何ものにも関心を示さず、己の道を突き進んでいた。
大平原には鎧を着た石像が大勢立っていたが、
そんなものは今のアリサの目には映っていなかった。
アリサは直感を信じた。
石になっていない奴が魔女だ。
そして、それはすぐに見つかった。
下半身が蛇。
フレデリカと雰囲気が似ている中年女性。
しかしそんなことはどうでもいい。
その女は石にはなっていない。
手からは紫の煙が立ち昇っている。
あれが魔女だ。
アリサは駆けた。
アリサは一切速度を落とすことなく、そのままの勢いで魔女に体当たりした。
「ぎょへええええぇぇぇぇっ!?!?」
吹き飛ばされた蛇女は大地を削りながら転がり、
枯れ木に頭を打ちつけ、そのまま気を失った。
軽い。
あまりにも軽い。
手応えが感じられない。
本当にこんなのが大陸を恐怖に陥れた魔女なのだろうか。
だが、そんなことはどうでもいい。
アリサは背中から両刃斧を取り出し、
この戦いに終止符を打つべく、蛇女の首に狙いを定めた。
初めて人を殺すことになるが、罪悪感は無い。
今の気分は、サロメに刃を向けた時となんら変わりはない。
そしてアリサは斧を振り上げ、
しかし、泣いていた。
一体、なんの涙なのだろう。
アリサにはその感情の正体がわからなかった。
──アリサは斧を仕舞い、考え直した。
たとえ極悪人といえど、この手で命まで奪う必要があるのだろうかと。
魔女にはムカついてはいるが、それほど恨んではいない。
知る限り、この女は誰も殺してはいない。
石になった者たちは治すことができるのだ。
自分で言った通り、魔女に関しては王国の連中がどうにかする問題だ。
フレデリカたちに引き渡して裁判なり受けさせりゃいい。
それよりも今は他にやるべきことがある。
薬の材料を集め直さなければいけない。
もう限界が近い。
そんな状況だというのに、面倒事は向こうからやってくる。
「あら〜……?
これはこれは、やっちゃいましたねえ
王族に対して暴力を振るうなんて、やっぱり野蛮人ですねえ
さすがは蛮族、しぶとさと礼儀の無さだけは一流ですねえ
この件も他の大陸の冒険者ギルドに報告しておきますね」
サロメ。
魔女ではないが、倒す理由は同じだ。
ムカつく。
アリサは駆けた。
サロメはアリサが襲い掛かってくることなどお見通しで、
余裕綽々といった態度で、自身の最も得意な魔法を放った。
『疾風よ、舞え……!』
サロメはこの一撃で終わらせるつもりで、
後先考えずに最大火力をぶち込んだ。
突如、強風が吹き荒れ、積もった雪と共にアリサへと襲い掛かる。
それは吹雪。物理現象を伴う魔法攻撃。冬ならではの複合技だった。
サロメは怒っていたのだ。
計画を台無しにした原因の1人が今、目の前にいる。
前回の戦いで殺し損ねた竜人の少女が。
あのクソ竜人は妙にしぶとい。
手加減をして仕留められる相手ではない。
ここで確実に殺す。
今回は魔力を充分残してあるし、負ける要因は存在しない。
サロメは、アリサを侮っていた。
アリサは右拳を地面に突き立て、大地に楔を打ち込んだ。
肘よりも深くめり込んだ右腕が抜けることは無く、
敵の巻き起こす猛吹雪に耐え、バキバキと骨の割れる音がした。
アリサにとっては今更だった。
前回の戦いで上空から落下した際、折れた肋骨が内蔵を突き破り、
その苦しみにずっと耐えてきたのだ。
今更、腕一本を失う痛みなど誤差の範疇でしかなかった。
サロメには理解ができなかった。
今の攻撃で終わらせるつもりだったのに、
最大火力をぶち込んだのに、あの竜人は耐え切った。
並の戦士ならとっくに肉片と化していてもおかしくない威力をだ。
サロメはミスを犯した。
『大地よ、穿て……!』
動揺したサロメは攻撃の手を緩めてはいけないと思い、
つい無意味なルーティン行動を取ってしまった。
大地から無数の針が飛び出すが、土の針の殺傷力は低い。
前回の戦いでそれを見ていたはずなのに、忘れていたのだ。
右腕を引き抜いたアリサはそのまま四足歩行の体勢で突進し、
土の針を蹂躙しながらグングンと距離を詰めてくる。
その光景はさながら迫り来る石の獣のようで、
ここは迷宮の中ではないのに、逃げ場は無かった。
恐怖で足がすくんでしまったのだ。
『火炎よ、爆ぜろ……!』
そしてサロメはまた同じ過ちを犯し、
無意味なルーティン行動に頼ってしまった。
10を超える火球が全弾直撃、破裂するも、
アリサの進軍は止まらなかった。
止まるわけがなかった。
アリサは学習し、
サロメは学習しなかった。
それが全て当たろうと、死にはしないことを。
そして、二人の距離は消えた。
アリサの頭突きがサロメのみぞおちを捉え、
首を大きく振り上げ、上空へと突き飛ばした。
「ごぼぼぶええあっはああっっっ!!!!!」
サロメは胃の中の物を撒き散らしながら天高く打ち上がり、
急上昇と急旋回による影響で脳への血流が止まり、空中で気を失った。
意識の途切れたサロメは受け身を取れず、
力無く積雪の中に墜落し、戦いは終わった。
「っしゃあああああああぁぁぁぁっ!!!!!」
大平原に、勝利者の雄叫びが遠く響き渡った。