託されし者3
石の迷宮にて、アリサは前進した。
壁に左手をつけ、前へと進み続けた。
べつに壁から手を離してもいいのだが、
体の左側に壁があればそれでいいのだが、
彼女はただ一つの方法を愚直に貫いた。
左手法。
知り合って間もない兵士が信じてくれたのだ。
自分が助からないことを察して教えてくれたのだ。
彼は示してくれたのだ。希望という名の道筋を。
ならば応えるしかない。
義務感からではない。
そうしたいのだ。
石の雨はもう気にならない。
これがこの場所の日常なのだ。
城で調達した新しい盾を幾重にも重ね、
もはや鉄の箱と化したそれを纏い、深層を目指した。
その防御力は凄まじく、石の兵隊からの攻撃さえも完封できた。
アリサは学習した。厚さは正義なのだと。
第2キャンプで仮眠を取り、燻製肉を齧り、地図を取り出した。
読むためではない。ストーンビーストの順路を描き込むためだ。
コノハは言っていた。
あの魔物は固定ルートをぐるぐる回っていると。
今のアリサにとって必要な情報はそれだけだ。
べつに倒す必要は無い。むしろ倒してはいけない。
コノハのように追跡能力があれば楽だが、
それは彼女に与えられた特別な才能であり、
他の者がやろうと思ってできることではない。
なので、アリサは自分にできる方法を考えた。
乗ればいい。
背に跨り、リアルタイムで記入すればいい。
石の獣は同じ道を休まずに走り続けるのだ。
これほど都合の良い性質を利用しない手はない。
前回ここまで来た時、ほとんど何もせずに引き返したことが
思いがけず良い結果をもたらしてくれた。
託された地図には直線通路までの進路しか描かれておらず、
情報が少ないおかげで現在位置を把握できたのだ。
深層入り口。ここがスタート地点。
目印として予備のランタンに火を灯し、地面に置いた。
既に1匹、アリサの横を通り過ぎていったがまだ乗らない。
乗った後に地図と筆を用意する時間が欲しい。
スタート地点からきっちりと描き始めたい。
道順を思い出しながら描くなんて器用な真似はできない。
そのための助走区間が必要なのだ。
そして直線通路の突き当たりまで歩き、
そこまでの情報を更新して獲物が来るのを待った。
──そして、その時が来た。
曲がり角、獲物のスピードが緩やかになり、
アリサは慣れた動きで巨獣の右前脚へとしがみついた。
すかさず床を蹴り、よじ登ろうとするが足が届かない。
しがみつくのは右手だけで充分だ。
自由になった左手の指を獣の首側面に突き刺し、
今度は空いた右手の指をそれより上に突き刺す。
それを交互に繰り返して頂点を目指す、
これぞアリサ式ロッククライミングだ。
指の力だけで背まで到着したアリサだが、
これで終わりではない。
まだスタートすらしていない。
地図よし。筆よし。明かりよし。
そして忘れてはいけないのが鉄兜。
両手が塞がる以上、盾は持てない。
この階層のストーンスライムが
どれだけ降ってくるのかは未知数だが、
とりあえず今できる防御策はこれしかない。
通路の先に小さな明かりが見える。
入り口に置いた目印のランタンだ。
忘れ物は無い。
あとはやるだけだ。
目印を横目で確認し、順路図作成ミッションがスタートした──。
最初のコーナー。
(今オレは右を向いてるから、
ここを左に曲がったら、ええと……上か!)
次のコーナー。
(今は上を向いてて、右だから、右……でいいんだよな?)
次のコーナー。
(今は上……じゃねえ、右……ああ、やべえ!間に合わねえ!)
次のコーナー。
次のコーナー。
次のコーナー。
「……くっそ〜、やっちまったぜ」
アリサは獣の背から飛び降り、仕切り直すことにした。
初めから上手く行くとは思ってなかったので、
それほどショックは受けていない。
むしろ少し充実感すらある。
進みながら地図に線を引いた。引けたのだ。
全く読めなかった昨日よりはマシになっている。
方向を意識すること自体は間違いではない。
ただ、まだそれに慣れていないだけだ。
また何度も失敗するだろうが、
成功するまで挑戦すればいいだけだ。
そうやって文字を覚えたのだ。
地図だって描けるようになるはずだ。
アリサはスタート地点へ向かった。
──半日後。
失敗する度にわざわざ助走区間まで戻っていたが、
それが無駄な行為だと気づき、中間地点から再挑戦することを学習した。
ただし何度も線をなぞるうちに細かいミスを発見したり、
方向感覚が強化されていったので完全に無駄というわけでもなかった。
一度覚えた知識も反復することで理解が深まる。
アリサは自然と復習をこなしていたのだ。
そして問題の場所までやってきた。
ここから先は天井注意、ストーンスライムが降ってくる。
最初の階層のように石の雨状態だと、兜だけでは防御が間に合わない。
とにかく一度、様子を見る必要がある。
石の獣に乗る手順はすっかりコツを掴み、
もう前脚にしがみつかずとも、いきなり首から登れるまでになっていた。
正面、地図、天井。
見るべき場所が増え、ミッションの難易度が上がる。
それでもアリサはなんとか対応できていた。
最初のうちは。
「うっ……くっ…………おおおおおぉぉぉっ!!!」
残念ながら断念せざるを得なかった。
石の雨……いや、石の滝に遭遇し、さすがにそれ以上は進めなかった。




