陽だまり6
キリエは最初、気がつくことができなかった。
いや、彼女だけではない。
キリエと同等の聴力を持つネリでさえ、その存在を察知できなかった。
というより気にしていなかった。
300名の屈強な男たちと行動を共にしていたので、
彼女の足音は掻き消されたのだ。
キリエが彼女の存在に気づけたのは、その300の雑音が消えたおかげである。
「そこにいるのは誰ですか!?
姿を現しなさい!! この卑怯者!!」
フレデリカは鏡の裏にいる人物に怒鳴るが、
キリエとリュータロー側から見ても姿を確認できない。
だが確かに何者かがそこに存在している。
その証拠に、その場所から聞き覚えのある声が発せられたのだ。
「──この数日、隠れて観察し続けたおかげで確信したことがある
私はずっとお前のそばにいたが、どの攻撃にも巻き込まれなかったんだ
つまり、お前の魔法は“見えていない者には効果が無い”……そうだろう?
……だから姿を見せるわけにはいかない
これでようやく積年の恨みを晴らせるんだ
この千載一遇の機会をみすみす台無しにしてたまるか」
そう、彼女は最初からそこにいたのだ。
カメレオンマン種族が持つ特殊能力“擬態”を使って背景に溶け込み、
フレデリカが確実に“石化の瞳”を使うタイミングを見計らっていたのである。
「これは情けない話なんだが……
私はいつでもお前を刺せたというのに、
どうしても手が震えて実行できなかったんだ
まったく自分の小心者っぷりには呆れたよ
……だが、皮肉にも臆病だったおかげでこの手を汚さずに済みそうだ
フレデリカ──
これからお前は、お前自身の魔法で自滅するんだ
後悔しながら石になるがいい」
彼女の名はセシル。
かつて天涯孤独の身となった彼女は国王の温情により、
フレデリカが思いつきで結成した親衛騎士団の一員に加えられた。
国王は2人が本物の姉妹のような関係になればいいと考えていたが、
セシルを待ち受けていたのは、フレデリカによる陰湿ないじめであった。
そのセシルが今、魔女への鉄槌を下そうとしていた。
「セシル……!!
復讐なんて愚かな真似はやめるべきです!!
そんなことをしても、きっと虚しいだけですよ!!
もうわたくしの負けでいいので、早くその鏡をどけてください!!」
フレデリカは図星を突かれた。
彼女の使う“石化の瞳”は相手と視線が合わなければ効果を発揮しない。
“支配の瞳”も元々は同じ弱点を抱えていたが、何度か練習を重ねるうちに
『こっちを見ろ』などの簡単な命令であれば目を合わせずとも支配可能になり、
強制視線合わせからの石化という恐ろしい流れを編み出すことに成功した。
彼女は今、その自ら編み出した凶悪コンボによって滅びようとしていた。
更に彼女は、リュータローがゆっくり石化してゆく様子から着想を得て、
キリエにも同じ苦痛を与えてやろうと“石化の瞳”をアレンジしたのだ。
足元から頭に向かってじわじわと石化させる、タチの悪い呪いへと。
身動きの取れない状況の中、フレデリカは必死に頭を働かせた。
もし仮に支配から逃れたところで石化の進行を止めることはできない。
そしてタイムリミットはあまり残されていない。
もう既に腰の辺りまで感覚が無くなっている。
この呪いに対する治療薬はまだ存在しない。
アリサたちが無事に“千年竜の角”を持ち帰ってくれれば希望はあるが、
それが成功する保証なんてどこにも無い。
それに、取り返しのつかない暴挙をやらかしてしまったのだ。
誰からも赦されず、永遠に石化したままという未来もあり得る。
最悪の結末を防ぐには、今この場で謝るのが最善策だろう。
誠心誠意の謝罪があれば、いつかきっと赦される日が来るはずだ。
フレデリカは賢く、それを理解していた。
「みんな死ねえええええぇぇぇぇっっっ!!!!!」
だが頭では理解していても、それを実行するには至らなかった。
彼女のプライドが、格下相手に頭を下げることを拒否したのである。
突如として空が暗黒に包まれる。
悪天候に見舞われたのではない。
フレデリカはこの絶体絶命の局面で、新たな禁術を編み出したのだ。
呆然と空を見上げるキリエ。
同じくリュータローもしばらく見上げているだけだったが、
その暗闇の正体に気づいて思わず叫ばずにはいられなかった。
「ダメですキリエさん!!
あれを見てはいけません!!
あれは……目です!!
1つの巨大な目玉が空に出現したんです!!」
少年の言う通り、とてつもなく巨大な目玉が陽だまりの庭園を、
否、大陸全体を見下ろしている。
突然の異変に人々はざわめき、黒い影の正体を探ろうと空を見上げる。
農民も、商人も、兵士も、それが何であるか理解できない。
ただ彼らにわかるのは、それが大きな球体であるということだけだ。
王女の成人が近い。これは催しを盛り上げるための演出なのだろうか?
彼らは皆、その球体に恐怖を感じつつも目を離すことができなかった。
それこそがフレデリカの狙いだった。
彼女は最悪の選択肢を取ったのだ。
『もう助かる方法が無いのなら、全てを道連れにして滅んでやる』と。




