陽だまり4
石像と化したアンディの顔面にはネリの拳がめり込んでいる。
咄嗟の行動だったのだろう。彼女は主人の目を瞑らせようとしたのだ。
だがその思いも虚しく、功を奏さなかった。
フレデリカの“支配の瞳”の魔力が強かったのか、
それともアンディ自身の意思で目を見開いていたのか、それはわからない。
地面には大量の手足が散乱しており、その中にはグレンの首も転がっていた。
兵士の装いではないので彼の胴体を探すのは容易い。
両手に呪符を持って構えているのがそうだろう。
彼は何かを仕掛けようとはしていたが、残念ながら不発に終わってしまった。
フレデリカはミスを犯した。
彼女は近衛兵団による一斉突撃から身を守るのに必死で、
石化させる相手を選んでいる余裕が無かった。
裏を返せば、石化させたくない相手までをも排除したのである。
アンディ王子を失ったのは痛手だ。
血の繋がった家族に対する情念からではない。
無論、禁断の書を解読できる数少ない人物だからだ。
古代エルフ語に詳しい学者を探し出すのは骨の折れる作業になるだろう。
グレンもまた然り。
いや、これは実兄よりもまずい事態になった。
彼が石化してしまった事実は隠蔽しなければいけない。
彼の出身国、鬼人の国はかつてのミルドール王国に比肩する軍事国家なのだ。
この件が漏れれば最悪、戦争の引き金にもなり得る。
もしそうなれば事は面倒だ。
フレデリカがいかに強力な魔術を扱えるとしても
同時に倒せるのは精々1000人程度が限度であり、
推定数百万の軍隊を相手にするには分が悪い。
乗り切るには母の“石化の霧”に頼るのが最適解であるが、
あの女に借りを作るのは癪に障る。
用済みになったら消せばいいとはいえ、プライドが許さないのだ。
しかも、鬼人の国に勝利すればそれで解決というわけにはいかない。
フレデリカには野望があった。
両親が思い描いていた計画とは違えど、
彼女もまた『世界一優しい侵略』を視野に入れていた。
それを実現するには“完全無欠の女王”を演じなけれはならないのに、
他国と揉め事を起こせば国際社会から白い目で見られるのは必至であろう。
ああ、これだから統治者は面倒臭い。
自分の意思は押し殺し、常に国民の幸せを最優先に考え、
より良き未来のために立ち回らなければいけない。
両親のことは今でも嫌いだが、彼らの気持ちは理解できる。
飲まなきゃやってられない。
それは精神的な意味合いで使われることの多い言葉だが、
現在のフレデリカにとっては肉体的にも当てはまった。
使い果たした魔力を今すぐに回復させる必要があったのだ。
近衛兵団は全滅し、王子たちも石になってしまったが、
その場にはまだ生身の状態で難を逃れた者の姿があった。
偶然ではない。
リュータローは“千の瞳”の発動時にその先の展開を予想し、
対抗策として自分自身に敵の魔力が流れ込むように誘導したのだ。
それは冒険者──特にパーティーの前衛を務める戦士などが持っていると
重宝されるという補助魔法、“挑発”であった。
彼は前日に宣言した通り、弾除けの役目を果たしたのだ。
だが大半の魔力を請け負うことには成功したものの、
結果的に救えたのはただ1人、一番近くにいたキリエだけだった。
彼女はリュータローが展開した魔力障壁によって保護されていた。
「おい、リュータロー君……
きみは……まさか、そんな……」
キリエは声を震わせて背中の少年に問いかける。
彼女は今、嫌な感触を味わっていた。
リュータローの体重が徐々に増加し、同時に硬くなり、
そして下から上に向かって冷たくなってゆくのだ。
「ええ、はい
どうやらダメみたいですね
いくら魔法に強い竜人族と言えど、さすがに限度はあるようです
これはとても興味深い実例なので、
後世の魔法研究に役立てていただければ幸いです」
「君は、私を守ってくれたこの魔法を
自分にも使うべきだったんじゃないのか!?」
「いやあ、そうすると障壁が邪魔で“挑発”が通らなくなっちゃうんですよ
それにこの様子だと障壁だけじゃキリエさんを守れませんでした
王女の攻撃力は僕の予想を遥かに上回っています
どうやらあの人は魔法の天才のようで、
禁断の書に記されている内容をアレンジして使ってますね
……キリエさん 逃げるなら今ですよ
僕が完全に石化するまでにはまだ時間がかかります
意識のある限り魔力誘導は可能ですが、その後はフォローできませんからね」
体が石になり始めているというのに彼の態度はとても落ち着いており、
それどころかこの珍しい体験を楽しんでいるかのように思える。
普通の子供ではないのは知っているが、やはり理解できない感性だ。
いや、こちらを心配させまいと気丈に振る舞っているのかもしれないが、
いずれにせよ彼の心の内を読み取っている場合ではない。
姿が見えない時点で察していたが、
先行したミモザたちもやられてしまったのだろう。
筋肉しか知らない近衛兵団とは違い、あちらのパーティーには
普段から魔法に慣れ親しんでいる冒険者が3人もいたにも関わらずだ。
リュータローの言う通り、逃げるなら今しかない。
だが、キリエはそうしなかった。
「リュータロー君、
すまないがもう少しだけ力を貸してほしい!
再び呪いを受ければ石化が早まることになるだろうが、
君はその危険も承知の上でこの場に来たはずだ……!
これはなんの確証も無い私の直感だが──きっと今しかないんだ!
最悪の結末を防ぐには、今この場で踏ん張る誰かが必要なんだ!!」
キリエという女性は表情豊かとは言えず、
親衛騎士団の中で最も目立たない存在であった。
そんな彼女が今、声を張り上げて少年を説得している。
彼女はまだ希望に縋りたいのだろう。
まったく諦めが悪い。
だが、それも悪くない。
どうせもう石化の進行を止めることはできない。
それならばいっそ足掻くのをやめて、
自分たちがどんな最期を遂げるのかを見届けたい。
──そして、運命はフレデリカに味方をした。
茶会の円卓、王女の特等席には彼女が今最も欲する物が置いてあった。
“夜の獣”の原液。
カビの生えたミミズのような味がするものの、
たった一口で失った魔力を全快させるほどの即効性がある。
この場にそれを持ち込んだ覚えは無いが、
今はそんなことを気にしている場合ではない。
フレデリカはそれを飲み干すと同時に“千の瞳”を発動させた。




