陽だまり3
その場所は“陽だまりの庭”と呼ばれていた。
そこは心優しきフレデリカ王女のお気に入りの場所で、
よく従者たちとお茶会を開いて穏やかな時間を過ごしていた。
本来その場所は公共の場であり、誰が利用してもいいはずだが、
フレデリカはそこを自分専用のスペースとして占有していたのである。
それはつい最近の出来事ではない。
彼女は幼き頃から既に暴君の資質を持ち合わせていたのだ。
「と、止まれ!
ここより先は王女殿下の私有地だぞ!
許可無き者を立ち入らせるわけにはいかない!」
庭園の衛兵たちは300名の近衛兵団を前に威圧感を覚えながらも、
自らの職務を全うしようと声を振り絞った。
彼らはよくやっている。
が、何を守らされているのかを知らない。
陽だまりの庭には、かつての聖女はもういない。
彼らが守ろうとしているのは聖女でも魔女でもなく、
史上最悪の魔王となり得る人物であった。
「君たちが自分の仕事をしているだけということは理解している
だけど、今は緊急事態なんだ
本当はあまり自分の立場とかを利用したくはないけれど、
ここはどうか一つ、僕の顔に免じて融通を利かせてもらえないだろうか?
僕はただ、妹と話をしたいだけなんだ」
「しかし、我々は王女殿下から『誰も通すな』との御命令を受けております!
たとえ王子殿下と言えども、ここをお通しすることはできません!」
衛兵たちの決意は固い。
己の職務に忠実な彼らは賞賛に値する。
だがしかし、今は一刻を争う事態なのだ。
たとえ強引であろうと、手段を選んではいられない。
鉄の意志を持つ彼らに、ネリはある物を手渡した。
紙切れ一枚。
だがそれは黄金の紙切れであった。
「こっ、これは……!!」
一瞬にして衛兵たちの目の色が変わる。
「どうぞお通りください」
一瞬にして全てが解決した。
「いや、ちょっと待ってくれ……!
……ネリ、君は彼らに何を渡したというんだ!?
王子である僕の言葉よりも影響力が強い物に見えたんだが!?
この差は一体なんなんだ!?」
「高級ソープの無料チケットです」
「なるほど」
──陽だまりの庭。
その最たる地点、茶会の円卓に彼女はいた。
魔女フレデリカ。
彼女は300名以上の反逆者を前に、大きく口を開けて固まった。
全てが自分の思い通りになると思っていたのだろう。
だが考えが甘すぎた。
フレデリカは自らの行いが他者にどんな影響を及ぼすかを考慮していなかった。
自分が悪いことをすれば相手から悪い感情を持たれる。
そんな単純な社会構造を、彼女は知らなかったのだ。
そして今、この状況は彼女にとって最悪なタイミングであった。
先日のミモザたちとの戦闘で全ての魔力を使い切っていたのだ。
絶体絶命。
だが切り札は用意してある。
フレデリカはミモザたちとの戦闘後、体のだるさを取り除こうと思い立ち、
厨房からとある栄養満点のドリンクを拝借していたのである。
“夜の獣”。
かつて国王が痛み止めの代用品として愛用した滋養強壮剤。
その在庫がまだいくつか残っていたのだ。
酷い味だと聞いているので飲まずにいたが、今は躊躇っている場合ではない。
「まっず!!!!」
あまりの甘さに思わずむせかえる。
しかし、貴重なMP回復アイテムを吐き出すわけにはいかない。
最近市場に出回っている改良版はだいぶ飲みやすくなっているそうだが、
どのみちこの場には存在しないので諦めるしかない。
フレデリカは吐き気に耐えながらも、それを3本も飲み切った。
まだ回復し切っていないので全力ではないが、
半分程度の魔力さえ確保できれば充分だ。
フレデリカは即座に“千の瞳”を発動し、大量の目玉で近衛兵団を取り囲んだ。
「う、うわああああ!?」
「なんだこれ……気持ち悪っ!!」
「まさか王女殿下がこんな魔法を使うなんて……」
その異様な光景に大半の兵士は恐怖で心を満たされ、
事前に伝えられていた『目を合わせるな』という指示を忘れてしまった。
「ウオアアアアアッ!!」
王女の叫びに呼応し、目玉たちが怪しい輝きを放つ。
「なんか光ってるぞ!?」
「やばいやばいやばい!!」
「おい、これってまさか石化の──」
気づいた時には既に手遅れで、この一瞬で半数以上の兵が石像と化した。
残った者たちはそのあまりに一方的な展開に言葉が見つからず、
誰も顔を上げることができなかった。
『逃げたい』。
鍛え抜かれた兵士たちでさえ、その思いに駆られた。
彼らに戦う覚悟はあったはずなのに、たった一度の攻撃でこのザマだ。
石になった仲間よりも自分の心配ばかりして、何が騎士道だ。
彼らは今、恐怖や罪悪感、恥ずかしさなどの感情に押し潰さそうだった。
「……みんな、怯むな!!
先手を取られてしまったが、まだ勝機はある!!
どうか作戦通りに動いてくれ!!」
アンディの一声で兵士たちは我に返る。
作戦。
そうだ、事前に打ち合わせた通りに動けばいい。
だいぶ戦力を削がれてしまったが、まだ全滅したわけではない。
あやうく忘れるところだった。自分たちは戦いに来たのだと。
このまま何もせずにいたらミルドール王国に未来は無い。
戦意を取り戻した兵士たちは一斉に兜を被り、
隣り合った者と両腕をがっちりと組んだ。
屈強な男たちが横一列に立ち並ぶ。いや、3列だ。
これで隊列は整った。あとは実行するのみ。
すかさずアンディが号令を掛ける。
「進めえええぇぇっ!!!」
筋肉の壁が動く。
アンディの立てた作戦は至ってシンプルで、いわゆる数の暴力である。
そして用意した兜はただのバケツであり、視界を確保する穴は空いていない。
通常、戦闘において前が見えないというのは不利な状況であるが、
今この局面では最善の策であった。
フレデリカの最大の強みは“視線の合った者を無力化する”ことであり、
そもそも視界が塞がれている彼らには通用しない魔術なのだ。
筋肉の壁が迫る中、フレデリカは追加の“夜の獣”を飲み干した。
今度は“石化の瞳”だけでは対処できない。
となれば他の魔術との合わせ技が必要になる。
「ウオアアアアアァァァァッッッ!!!」
叫びと共に男たちの体が宙に浮き上がる。
フレデリカは重力の方向を変え、100名余りの兵士を上空へと落としたのだ。
落ちたのは彼らだけではない。
彼らの生命線であるバケツ兜も一斉に取り払われてしまった。
こうなればもう勝敗は決したも同然だ。
兵士たちは空中の目玉と視線を合わせないように抵抗したが、
目を瞑ろうとしても、顔を背けようとしても、防ぐことができない。
『こっちを見ろ』という命令に意識を支配され、逆らえないのだ。
そして全ての目玉が一斉に怪しい輝きを放ち、
石像となった彼らは無慈悲に地面へと激突した。
落下の衝撃や石像同士の接触により彼らの体は砕け散り、
もはやどれが誰のパーツなのか判別するのは難しい。
近衛兵団は全滅した。