ラスボス1
迎賓館最上階の寝室にて、フレデリカ王女は就寝していた。
王女はさすが王女と言うべきか、美しい寝相であった。
それはまるで人形を思わせたが、微かに寝息が聞こえてくる。
彼女は下品ないびきも、寝っ屁も放かないのだ。
心は邪悪に染まっても、外見だけは美しいままだった。
その部屋には2つの人影が物音を立てないように慎重に動いている。
彼らは暗殺を企てているのではない。
ただ、王女を無力化するために“魔封じの縄”で縛り上げようとしているだけだ。
この仕事を確実に終わらせるため、動いたのはニックとサロメだ。
オークのブレイズは体重が重いので床を軋ませる可能性があり、
魚人族のミモザは下半身が魚なので尾ビレを引きずる音が立ってしまう。
なので、隠密行動に向かない2人は部屋の外で待機していた。
(1、2……)
(……3!)
王女のベッドを中心に、サロメがニックに向かって魔封じの縄を投げる。
それを受け取ったゴブリンのニックは小さな体をベッドの下に潜り込ませ、
素早くサロメのいる側へと移動した。
これで1周。
王女は既に魔封じの縄を1周巻き付けられた状態になった。
だが、これだけではまだ全然足りない。
非力な王女でも、激しく暴れれば解ける程度の拘束具合だ。
ニックは王女の上をピョンと跳び越えて元の位置に移動し、
そしてまたベッドの下を潜ってサロメの方へ……と繰り返した。
サロメは始点をずらさないように、そのまま立ち続けた。
そして10周。
魔封じの縄の長さを全部使い切り、
とうとう王女をベッドごと縛り上げることができたのだ。
「おいおい、嘘だろ……」
その異様な光景に、ニックもサロメも困惑するしかなかった。
王女は何事も無かったかのように眠り続けている。
何度もベッドを軋ませたし、縛られて不快感もあるはずだ。
作業の途中で絶対に起きるだろうと警戒していたのに、
王女は美しい寝相のままで静かな寝息を立てている。
と、次の瞬間。
それまで王女だと思っていたモノが人形へと変化したのだ。
いや、違う。
それは最初から王女ではなかった。
彼らは王女の幻影を見せられていたのだ。
「罠だーーーっ!!!」
ニックとサロメは底知れない恐怖を感じて部屋から飛び出した。
その様子に、外で待機していた2人も異常事態だと判断し、
今は一刻も早く迎賓館を出た方がいいとの直感に従った。
フレデリカは備えていた。
城壁修理の監督に向かわせたカチュアはともかく、
ジークが時間通りに戻ってこないので悪い予感がしていた。
彼は「慢心が油断を生み、油断が敗北を生む」と言っていた。
ミモザのような雑魚を警戒するのはさすがにどうかと思うが、
あの最強の武人がいつまでも戻ってこないのはおかしい。
きっと彼の身に何かが起こったのだ。
そこでフレデリカは自身の安全を確保するために罠を張った。
幻影だけではなく、寝室にはもう1つの魔術を仕掛けておいた。
ニックたちは気づかなかったが、天井の隅には監視用の目玉が浮かんでいた。
その目が見た情報はフレデリカにも伝わり、侵入者の姿を確認できたのである。
あのゴブリンはつい先日、庭園の壁を直した男だ。
処刑するしかない。
迎賓館を出た4人を待ち受けていたのは、まさかのフレデリカ王女だった。
どこかに隠れていればいいものを、わざわざ本人が出向いてくれたのだ。
寝室では捕らえ損ねたが、まだチャンスに見放されていなかったようだ。
これも幻影という可能性もあるが、とにかくやってみるしかない。
「散れ!」
その号令に、ミモザとサロメが王女の左右に素早く回り込む。
そしてブレイズがニックを持ち上げ、おもむろに上空へとぶん投げた。
この一連の動作は、事前に何度も練習した戦術だ。
王女が使う魔術の“石化”と“支配”はどちらも視線を合わせる必要があり、
それならば相手の視界を分散させればいいという考えに至った結果だ。
誰かしら石にされてしまうだろうが、後で治療すればいい。
とにかく今は王女を無力化することが何より最優先だ。
フレデリカは一手遅れてしまった。
侵入者は2人かと思っていたが、全部で4人だった。
しかも、その中にはミモザの姿もある。
ジークの忠告に耳を貸すべきだった。
そんなことを考えてしまったがために、
侵入者たちに先制攻撃を許してしまったのだ。
正面、左右、そして空中に敵がいる。
さて、誰から始末するべきか。
まずはオークだ。
フレデリカは自身の弱点をよくわかっていた。
禁断の書のおかげで強力な魔術を身につけることができたが、
身体能力が変わることはなく、か弱い少女のままなのだ。
重力結界を突破されれば接近戦になり、こちらに不利である。
よって、身体能力の高い敵は真っ先に排除対象となる。
フレデリカの瞳が怪しく輝き、ブレイズは強制的に視線を合わせられた。
彼は今、“支配の瞳”の影響下にあり、自分の意思で目を閉じられない。
聞いていた話と違う。
目を見なければ幻術を防げるのではなかったのか。
だが、彼は視線を合わせられたのだ。
ブレイズはその避けようのない反則攻撃を仲間に伝えようとするが、
声を出すことも、体を動かすこともできない状態であった。
既に石になっていたのだから。