温もり1
翌日、タチアナは庭園に呼び出された。
宿舎まで迎えに来た兵士たちは終始和やかな雰囲気で、
「連れてこなかったら首を刎ねられる」と談笑していた。
彼らとは目的地の手前で別れ、どうやらそれ以上近づいてはいけないらしい。
フレデリカ王女はフィンとの結婚をまだ秘密にしておきたいのだろう。
時期的に、自身の成人の祝祭で国民に発表する気なのかもしれない。
石造りの壁が一部崩れており、血痕はそのまま残されていた。
昨日の出来事が夢ではなかったのだと思い知らされる。
「おい、遅かったではないか!
姫様を待たせるなんて無礼にも程があるぞ!」
出迎えたのは副団長のカチュア。
予想はついていたが、やはり敵陣営か。
とはいえ、彼女は大した脅威にはなり得ない。
素早さと手先の器用さはピカイチだが、弱点がはっきりしている。
鼠人族ゆえに体が小さく非力、そして頭がよろしくない。
そんな彼女とは対照的な、巨体のリザードマンが尋ねる。
「フン、貴様は鳥人族であろう
飛んでくればいいものを、なにゆえ馬車に乗ってきた?」
「それは……
『連れてこい』と命令された兵士さんたちを守るためです
そうしないと首を刎ねられるらしいので、一緒の馬車で来ました」
「……そうか、ならば仕方あるまい
王女殿下もお許しになるだろう」
元黒騎士団団長ジーク。
圧倒的な強さの武人であり、勝ち目の無い敵。
話せばわかりそうな雰囲気は少しありそうなものの、
果たして聞く耳を持ってくれるのか、判断が難しい人物でもある。
フィンと違って何かに操られている様子は無く、
どうも自分の意思で王女に従っているようだ。
前回、国王の言いなりになって痛い目を見たはずなのに、
また同じ道を辿ろうとしていることに気づかないのだろうか。
とはいえ今回は彼を倒せる味方がいない。
もしアリサが戻ってきたとしても、彼女は完敗した過去がある。
敵が王女とカチュアだけならば自分たちでどうにかできただろう。
しかし、彼の存在がそうはさせてくれないのだ。
──タチアナは庭園の中央部へと到着した。
そこはとても陽当たりが良く、王女のお気に入りの場所だ。
昔はよくここでお茶会を開き、みんなで笑い合ったものだ。
それが今はどうだ。貴族のお坊ちゃんたちを呼び出し、
無益な殴り合いをさせる汚らわしい空間となってしまった。
朝っぱらだというのに既にそれは始まっており、
控えの少年たちはガクガクと身を震わせていた。
本日のルールは“股間以外への攻撃は禁止”で、
トーナメント形式で行われているようだ。
少年たちの股間を交互に蹴り合わせ、
最後まで立っていた方の勝ちという内容らしい。
悪趣味にも程がある。
とりあえず、フィンの姿はどこにも見えない。
彼は王女のおもちゃというわけではないようだ。それだけが救いか。
「タチアナ、どうしました?
顔が青ざめていますよ?」
フレデリカ王女。
賢さと優しさ、そして美しさを兼ね備えた、王家の良心のようなお方だった。
民からは“聖女”と慕われ、兄のアンディ王子よりも圧倒的に人気が高い。
そんな彼女がこの1年で随分とはっちゃけるようになり、
今では金的トーナメントなどという下衆い催しを楽しんでいる。
タチアナは失念していた。
フレデリカ王女は、あのクソ国王とクソ王妃の娘なのだ。
彼女がクソ王女になってしまう可能性も充分にあったのだ。
相対的に、変態のアンディ王子だけがまともになってしまった。
この国の王家は終わっている。そう思わざるを得なかった。
「……返事は無しですか
まあいいでしょう、昨日の今日ですものね
わたくしが新たな国王となることに、まだ実感が湧かないのでしょう」
そこじゃない。
と言いたかったが、それを口にすれば粛清されるだろう。
タチアナは感情を押し殺した。
「さて、タチアナ
あなたにはやってもらいたい仕事があります
半月ほど前にセシルをアル・ジュカに送ったのですが、
その後どうなったのか、様子を見てきてほしいのです
あなたやキリエなら1日で着ける距離だというのに、
まったく、どこでサボっているのやら……」
横暴だ。
聞けばセシルは徒歩で険しい山岳地帯へ向かわされただけでなく、
無駄に大量の荷物まで持たされて、時間がかかるのは当然だ。
第一、行く必要の無い場所へ向かわされて士気が上がろうはずもない。
王女はそれをわかった上で発言している。
そして、タチアナが断れないこともわかった上で命令しているのだ。
「はい、姫様
それではすぐに行ってきます」
「タチアナ」
「なんでしょう、姫様?」
「様子を見るだけですよ
決してセシルに話しかけたり、気づかれたりしてはなりません
もしそれを守れなかった場合は、その時は……」
王女がニコリと微笑む。
ああ、なんと冷たい笑顔だろう。
タチアナの目の前にいる人物はもう、彼女の知る王女ではなかった。
まるで氷だ。かつては陽だまりのような存在であったのに、
どうしてこうなってしまったのだろう。
初夏のよく晴れた日だというのに、そこに温もりは感じられなかった。




