恋慕3
貴族街の一角に佇む小洒落た居酒屋。
そこは庶民が馬鹿騒ぎするような大衆向けの店ではなく、
落ち着いた雰囲気の中で酒と向き合う、紳士淑女の社交場だった。
薄暗い店内には自由騎士フィンが、
私服姿でカウンターに腰掛けている。
そんな彼を店外の物陰からじっと見つめていたキリエ。
恋する乙女の横顔そのものであった。
ミモザは満面の笑みを浮かべ、
心の栄養分を補給しようとキリエに詰め寄った。
「いえ、本当に違うんです
ミモザお姉様が期待しているようなことじゃないんです」
とキリエは否定するが、自称恋愛玄人のミモザの目は誤魔化せない。
幾つもの恋愛小説で飽きるほど読んできたパターンだ。
キリエはフィンに淡い想いを寄せているが、
フィンにはパメラという想い人が既におり、
そのパメラはキリエにとっては姉も同然の存在で、
口では否定しているが、本心ではフィンを異性として意識している。
心優しいキリエはそんな2人の幸せを願い、一歩身を引いているのだ。
三角関係。王道ながら面白い。
面白いからこそ王道なのだ。
「そんなの、奪っちゃいなさいよ」
「え、ええぇっ!?
突然、何を仰るんですか!?」
動揺するキリエとは対照的にミモザはあくまで冷静であり、
それは、これ以上無いまでに的確なアドバイスだった。
「だってあの2人、いくら突っついたところで全然進展しないじゃない
絶対に両想いだろうに、お互いに否定すんのよね
……だったらもう遠慮する必要なんて無いでしょ?
本人たちが『恋人じゃない』って言ってるんだもの
こういうのは早い者勝ちよ 競争はアンタの得意分野でしょ」
ミモザは随分とはっきり言ってくれる。
ぐうの音も出ない正論を。
引っ込み思案なキリエだって、少しは考えたことがあるのだ。
姉同然のパメラを差し置いて、幸せな未来を手に入れた自分の姿を。
子供は2人以上が望ましい。人間でも馬人でも、どちらの種族でもいい。
性別も問わない。いずれにせよ彼は素敵な父親になるに違いない。
子供たちには音楽を習わせたい。特に弦楽器の音色が好きだ。
両親共に王女と近しい立場にあるのだ。勉学の面で苦労はしないだろう。
欲を言えば王子が通った名門校に入れてやりたいが、
それは本人のやる気次第だろうし、今は保留にしておこう。
豪邸住まいでなくともよい。むしろ清貧な生活が性に合う。
ただ、少し広めの庭があるといい。
友人たちを招き、皆で紅茶とスコーンを嗜むためだ。
そうして平和な日々を過ごしてゆくうちに年を重ね、優しい陽だまりの中、
成長した子供や孫たちに看取られて生涯の幕を閉じるのだ。
それがキリエの望む未来、理想像だった。
「……奪っちゃいなさいよ」
悪魔が二度、微笑む。
パメラはフィンを立派な男だと認めてはいるものの、
自分にはもったいない存在だと消極的な態度でいる。
フィンもパメラを素敵な女性だと評価しているが、
恋仲をからかわれる度にパメラが完全否定してきた影響で、
自分は異性として認識されていないのだと思い込んでいる。
今が落とし時なのだ。
傷付いた男ほど癒しを求めている。
ただ、それを表には出さないだけだ。
押せば落とせる状況なのだと踏んでいる。
全部ミモザの推測だが、たぶん間違ってないと思う。
「し、しかしですね……」
反論は許さない。
ミモザはキリエの口を封じ、もう一度鉄則を教え込んだ。
「早い者勝ちよ」
店から出てきたフィンに、キリエが声を掛ける。
「あ、フィン殿……奇遇ですね!
こんな所で鉢合わせるなんて偶然ですね!
見ればだいぶお飲みになられたご様子……
もし宜しければ、私の背に乗っていきませんか!?」
彼女は混乱していた。無理もない。
台本など用意せず、完全にアドリブで放り出されたのだから。
「え、キリエさん……?
女性の背中に乗るとか、そんな失礼なことはできませんよ
心配はご無用です 帰り道を歩けるだけの酒量に抑えましたので」
紳士。
彼は今時珍しい、紛れもない紳士の心得を持ち合わせていた。
その自制心が彼の長所であり、同時に短所でもあった。
「いえいえ、失礼だなんてとんでもない!
私も馬人族の端くれ、誰かを背に乗せることなど苦ではありません!
姫様や親衛騎士団の皆を同時に乗せて走ったこともあるんですよ!
むしろ乗っていただきたい! 遠慮せずに、さあ……!」
控えめな性格のキリエが、今日はやけに積極的だ。
なんだか必死というか、無理をしているようにも感じる。
ただ、本人が背中に乗せたがっているのだから、
この場合は断る方が失礼なのかもしれない。
「……それじゃあ、お願いしてもいいですか?」
キリエの顔が明るくなる。
なんだろう、馬人族の本能なのだろうか。
そういえば以前、全力疾走して気持ち良くなったことがあるそうだ。
親衛騎士団も色々と忙しい立場にある。
これはきっと、彼女なりのストレス解消法なのだろう。
「──キリエさん、本当にありがとうございます
正直、困っていた所に偶然通りかかってくれて助かりました
このお礼は、いずれ必ずさせていただきます」
「あ、いえ、そんな
お気になさらず……」
キリエの背には、酔い潰れたアンディ王子とグレンが積まれていた。
禁断の書の解読作業が難航していた彼らは息抜き目的で酒場に訪れ、
その護衛として連れてこられたフィンもつき合わされていたのだ。
キリエは意中の相手を乗せることができずに落胆したが、
その様子を物陰から窺っていたミモザは確かな手応えを感じていた。
これはいい兆候なのだと。




