内弁慶レッドマン
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、こーらくん、窓は閉め終わったかい?
いやあ、高いところの窓は私にはちょっち厳しくてね。ついお願いしてしまった。
人間の身体は敏感だからねえ。臭い、ウイルス、二酸化炭素にシックハウス……空気を入れ換えずにいると、さらされる危険がどんどん増していく。
健康な人ならさして問題は表面化しないかもだが、身体へのダメージは蓄積するもの。自覚症状が出る前に手を打っておくのは、大事なことだな。
とはいえ、元気あふれる当人からしてみると、これらの注意はうっとおしさの方が勝る。
自分にとって影響がないのに、なぜわざわざ動き、協力しなくてはいけないのか。時間を削られることに、言いようのない不快感を覚えることもしばしば。
実際に私も、閉め切っていたほうがいいんじゃないか……などと考えてしまう、不思議な体験をしたことがあるんだ。
そのときのこと、聞いてみないかい?
幼いころの私と弟のマイブームといえば、戦いごっこだった。
ちょうど特撮ヒーローがおおいに盛り上がっていた時期だからな。ヒーローの技を真似たり怪獣プロフィールを覚えたりするのは、読み書きそろばんに次ぐ、子供の義務教育であったんだ。
私と弟は身体を動かすのが好きだったからね。家の外のみならず、中においても時間とスペースが許すなら徒手空拳でもって、戦いごっこをしていたわけだ。
本気で相手を傷つける気はない。ほんのじゃれあいのつもり。
けれども、その騒がしさを客観視するのは難しく、親からは何度も怒られたなあ。
よって室内の戦いごっこは、親のいないときのみ。しかも家財へ被害を出すのを禁ずる、と兄弟で決めるセルフルール。
自重を覚えた戦いごっこなど、もはや「ごっこ」のウエイトに押される茶番劇になり下がる。外でやるときのような躍動感は、なかなか得られなくなってしまった。
しかし戦いごっこそのものの熱は、まだ引かず。
家を空けてはいられない留守番を仰せつかったときは、どうにか室内の戦いごっこを盛り上げようと、子供ながらに頭をしぼったものだ。
幸い、高度のあるロケットキックが、特撮番組の必殺技として最近放映された。
これならばシンプル動作で再現も用意。仕掛けられたら、絶対よけんなよというプロレスなんだか前フリなんだか分からない取り決めをして、私たちはさっそく真似っこに取り掛かる。
家財への被害以外にも、うるさいとさんざん注意されたからね。
家全体の戸締りは再度確認。音どころかアリの子一匹這い出せないほどの空間を整えたのち、あらためて私たちはスタンバイする。
ソファの上に立つ私がキックする側。下にいる弟がそれを受け止める側だ。
弟は押し入れの中から引っ張り出してきた、予備の赤いカーペットを頭からかぶっている。最近出てきた怪人の変身形態が、この被り物に近いスタイルだったからね。
まあ、あちらはふちのあたりに藻らしきものが垂れていて、いかにも海藻の化け物チックではあったけれど。
準備が整うと、私は「いくぞ!」と声をかけたうえで、ソファのスプリングを利用し、その反動で飛び蹴りを仕掛ける。
衝撃を吸収するマットさえ敷いていないこの空間で、ロケットキックを素人が正面から受け止めるなど、危険極まりないことだろう。
しかし、それらの危うさなど私たちの頭にない。
ただあの技を再現し、あわよくば望んだとおりのやられぷりも見事なもので飾り、悦に浸りたいという一心だったんだよ。
が、そうはいかない。
手抜きをしたはずのないロケットキックを、カーペットをかぶった弟はいとも簡単にはじき返したんだ。
蹴り倒すつもりが、全く正反対の事態に私は対応できない。飛ばされるまま、ソファの基部へしたたかに背中を打ち付けた。
「? ねえ、いま蹴ってきたの?」
うめき声を漏らす私に対し、微動だにしなかった弟はいぶかしげに尋ねてくる。
一瞬、いらっと来たね。自分の技を受けながら、やられることを拒んで跳ね返してきた空気の読めなさに。
けれども、少し思い返してみれば、今回は異常だ。
これまで私の仕掛ける技のいずれにも、弟は大きくひるみ、痛がる仕草を見せてきた。私が兄ながら容赦ない力加減で臨んだのもあるが。
――その弟が、今回に限って鉄壁の防御力を発揮する? あり得ない!
攻撃をまったく受け付けない相手が現れるのは、特撮番組ならよくある手のひとつ。
しかし、それを封じるのは2度目以降。初回から通じないなど、負け前提の大敵とかじゃなければ、まず見ない。
これまでやられるばかりの弟が、異なる点といえば……。
すぐ私は検証に入った。
弟と役を入れ替える。キック役を託し、私は受ける役として赤いカーペットを、全身を覆い隠すほどしっかり被った。
違うのはこれだ。あのときの私のキックは、弟の身体に触れた気配がみじんもしなかった。
このカーペットをわずかにへこませることもできず、跳ね飛ばされたように思えたんだ。
そして予想した通り。
弟のロケットキックの衝撃は、私の身へ伝わらないまま。ほんのわずかにカーペットが揺れた気配の直後、「わ?」と驚きの声があがる。直後に、ソファがきしむ音が続いた。
私の二の舞を、弟は踊ったわけだ。鉄壁のカーペットに防がれ、それに弾かれるままソファへぶつかり、尻もちをついていた。
しばしの痛みに苦しむも、私たちは顔を見合わせてにんまり笑ったよ。
新しいおもちゃを見つけた心地だった。
それからしばらく、カーペットの鉄壁ぶりを堪能したわけだ。
技をかける側の快さは知っていたが、そいつを真正面から跳ね返す気持ちよさは、これまでついぞ縁がなかった。
私たちは技を仕掛けたいとき、技を跳ね返したいとき。互いの気分で役を入れ換わり、その時間を楽しんだ。
赤いカーペットは、それ単体では従来の柔らかさしか持たない。それが全身を覆うように被ると、鋼をも上回るんじゃないかという硬さを帯びる。それも金属のそれとは異なり、弾力にも富んでいた。
その不可解な心地に酔いしれていた私。しかし、穴は存在していたんだ。
「ただいま〜」
階下よりの、親の声がしたとき。
ちょうど私はカーペットをかぶっての受け役。弟がキック役になっていたんだ。
もう弟の体躯はすぐそこまで迫っていたし、私もカーペットが跳ね返すことを信じて、避けようとするそぶりを見せなかったんだ。
が、これまでことごとく技を返してくれたカーペットが、仕事をしてくれることはなかった。
弟の重み、勢い、キックの深み。
いずれも簡単に受け入れたカーペットはたやすくへこむや、弟の足が私のみぞおちへもろに入ったんだ。
私自身、すっかり気を抜いていたから、踏ん張りも聞かず。カーペットもろとも、後ろへ吹っ飛ばされる。
それはカーペットの効果を見るまで、脳裏に浮かんでいた見事なやられっぷり、そのものだったさ。
カーペットを取り出した背後の押し入れの戸を、開けっ放しにしておいたのは幸いだったよ。そこに折りたたまれて重なった布団たちが詰まっていたから。
そいつらがクッションになってくれなかったら。あるいは戸を閉めたままにしていたら。
押し入れの床や閉じきったふすまへしたたかに身体をぶつけるだけでなく、大きな音をたてたことで親に気取られ、今度こそ室内遊びを禁じられていただろうね。
それから機会を得るたび、検証をして判明した鉄壁化の条件。
赤いカーペットを全身にまとうのに加えて、もうひとつ。屋内が密室状態であるということだ。
気体が抜け出せないほどの、気密室ほどでなくていいらしい。家全体が戸や窓のひとつとして外部へ向けて開いておらず、閉じきった状態であること。
あのときの押し入れの戸みたく、内部同士をつなぐものなら問題ないらしい。ゆえに外から帰ってきた親の玄関の開きにより、解除されてしまったんだ。
ネタが割れたからには、今日から自分たちが鉄壁超人になれるとうぬぼれる私たち。
家の中のみで最強。これが本当の内弁慶、と。
しかし、最強はたどり着いた瞬間にもう降下を始めるものだ。
何度目かの機会に、私たちはまた技役と鉄壁役に別れて暴れていた。
今度は私が鉄壁役。もう何度技を受けてもらったか分からない、赤いカーペットをかぶって弟を待ち受ける。
弟も回数を経て心得たのか、自分にさしてダメージのいかない程度の弾かれ具合を学んでいて、一時期ほど戸惑いはしなくなっている。
これはもはや、私たちにとってのルーティンのようなものだと、どこか楽観視していたんだ。
その弟の蹴りを、カーペットはまたもはじき返してくれた。
かすかな揺れのみが私に伝わるのみで、衝撃は何もない。衝撃は、だけど。
ぐらりと、めまいを覚えるや頭が内側から、がんがんと痛み始める。
「やられた〜」と演技する、弟の声も瞬く間に何十歩先へ離れてしまったかのような遠いもの。そう悟るや、ぐっと胸が詰まった。
息を吸おうにも、鼻からも口からも満足に取り入れられていない。それを無理に吸おうとして、こひゅこひゅと風邪気味のような音を出してしまう。
急速な体のしびれも覚え、どうにかカーペットを取り除けたのが、最後の力。
こちらを驚いた顔で見てくる弟の顔と、床へ倒れた感触をいっときの知覚として。
私は意識を手放していたんだ。
気づいたときは、病院にいたよ。話をうかがったところ、私にはひどい二酸化炭素中毒の症状が出ていたらしかった。
しかし、ドライアイスも二酸化炭素を用いた消火設備などの条件もなく、自宅でこのような状態になるなど、非常に珍しいこと首をかしがれたよ。
私たちのカーペットを通じた鉄壁は、密室の中にいるだけじゃない。二酸化炭素を過剰に身体へ取り入れることによっても成り立っていたのではないか。
この推測は私と弟の間で共有され、以来、換気をしっかり行うようになり、カーペットを被ることもやめてしまったのさ。




