遠江国にて
1553年 4月下旬 遠江国 頭陀寺城 藤吉郎
殿にお仕えしてから3年が経とうとしていた。元々織田家の足軽木下弥右衛門の子供として生まれ家族仲良く暮らしていたがある日父が戦で傷を負い帰って来た。そっから家庭が壊れるのは火を見るよりも明らかだった。次の週には父が死んだ。しかし、母の下には再婚の話が入ってきていた。継父となった竹阿弥とは、上手くやっていけなかった。だから、家を飛び出した。母には昔みたいに笑って過ごせる家庭を過ごして欲しい。その壁になる俺は、消えるべきだから。
「 藤吉郎、殿が呼んでおるぞ。 何やらお主に客人だそうじゃ。 」
思い当たる節がないが、呼ばれた通り殿の部屋に伺った。
「 藤吉郎にございます。お呼びにより参上いたしました。 」
襖を開け入ると俺と同じくらいの青年が殿と座っていた。
「 こちらにいるのは、武田三郎殿の家臣である金丸平三郎殿がお主に興味があるそうだ。 」
なかなかの大物だ。武田三郎といえば甲斐の虎武田大膳太夫の三男にそんな名前のものがいたような気がする。殿に視線を向けると続きを話し始めた。
「 三郎殿がお主の事を召し抱えたいとの事だ。書状によると小さいながら所領も頂けるそうだ。」
悩むな、殿への恩もあるが、領地と武田の子息の直臣となれるのであれば魅力的だ。しかし決めた。
「 殿、今までお世話になりました。お暇を頂きたく存じます。 」
殿も何処か思うところがあったのか、快く送り出してくれた。正直涙が止まらなかった。
1553年 4月下旬 遠江国 井伊谷 金丸平三郎正直
藤吉郎とともに頭陀寺城を後にして井伊谷に向かった。殿井伊谷を治める井伊家の当主から書状を貰って欲しいとの事だった。しっかし前までは、なぜ今川家の陪臣の家臣を迎え入れようとしていたか疑問だったが数日一緒に過ごしてみて殿が欲しがる理由が分かった。此奴は、使い方を弁えれば忠臣となり間違えれば最大の敵となる。殿の力量が物凄く試される人物だと思った。
「 藤吉郎、お主井伊谷に来た事あるのか? 」
「 はい、昔少しだけ井伊家に仕えていたのですが直ぐに問題を起こしてしまい追い出されてしまいました。顔馴染みの者も居りまするゆえなんとかお会いできないか聞いてまいります。 」
少し時間が経った時、馴染みの者を連れ藤吉郎が帰って来た。
「 私が井伊谷にいる時にお世話になった中野越後守殿です。 」
「 お初にお目に掛かります。武田家臣金丸平三郎にございます。 」
「 改めて井伊家家臣中野越後守直由です。今日は、もう日が暮れます。殿に会われるのは明日にした方がいいかと。私が会談を取り付けて参ります。 」
誠実すぎて怖いくらいだったが使えるものは有難く使わせて頂こう・
「 何から何までありがとうございます。有難く使わせていただきます。 」
中野殿の屋敷では、宴まで開いていた。飲みすぎないようにして部屋に戻った。
藤吉郎と明日の会談について話していると襖が開いて中野殿と一人の娘が入ってきた。
「 これはこれは中野殿いかがされましたか? 」
「 明日の会談が可能になったのでそのご報告に参りました。 」
これは、いい動きだしだ。後は、明日の交渉しだいだ。そろそろ横目衆を井伊谷に入れて10日程経つがいい具合に噂が広がっているようだ。
亀之丞様は、太守様を恐れ井伊谷に帰らず信濃に住み着くらしい。領主様の頑張りを無駄にする気じゃと。
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