新たな旅だち
1553年 4月 甲斐国 躑躅ヶ崎館 武田信之
母との会話は、あまり続かなかった。続けたくなかったのもあった。
「はぁ。」ついため息が出てしまう。
「溜息ばっかついていたら周もっと疲れるぞ。」そう優しい声で語りかけてくれたのは、太郎兄上だった。史実では、廃嫡の末自害してしまうが今はまだ只の人当たりの良い好青年だった。
小指を立てながら
「兄上こっちは、どうです?」とニヤニヤしながら聞くと
デレデレになりながら「順調だよ、私には不釣り合いなぐらいだ。」
これはダメだ、惚れすぎて尻に敷かれすぎてる。現代だったら尻に敷かれてる男性の方が多いと思うが戦国の世力を合わせるのであれば存分に構わない、私の理想の夫婦像なのだが。嫁の実家と敵対した場合夫より親の心配をする者の方が多いだろう。実際に織田信長の正室である濃姫は短刀を懐に忍ばせていたという。正直に言って武田義信に信長のようなカリスマ性は、持ち合わせていない。ではどうすべきか、簡単だ。敵国の格好の調略の窓口となるのだから今川としては願ったり叶ったりだっただろう。桶狭間の戦いがなければ。
「俺の部屋で久しぶりにどうだ一献どうだ?」
「本当なら行きたいのですが新しい領地もあるので今日は失礼します。」
兄は、笑って行かせてくれた。でもこの判断が後々響いてくるのであった。
「三郎兄上ご快復おめでとうございます。」
「ありがとね、四郎。前会ったときは小さかったのにこんなに大きくなって皆に迷惑かけてない?」
四郎は、可愛く頷いた。四郎この時7歳。史実では信玄死後武田信勝の陣代となり家康・信長と渡り合ったが最後は家臣らに裏切られ自害するがこの世界ではどうなるか、まだ誰も知らない。
家族に挨拶をしてそのままの足で花岡城に向かった。
「殿、ようこそいらっしゃいました。」平三郎が迎えてくれた。
花岡城の財政状況と農地や武器の数を纏めさせた。私がまだ若いこともあって家臣があまりいないこともあって父上がこう言うことが得意な者を付けてくれた。纏まるまでの間に領地の巡回をした。
なかなか良い領地だった、目の前に諏訪湖が広がり城の側を天竜川が通っている。昨年高遠頼継を抑え高遠城を手に入れているので最前線という訳でもないが対南信濃及び美濃の通過点になる城だ他の武田家臣たちによくみられるので誇れる拠点にしなければならないとひそかに心に誓った。
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