論功行賞
1553年 4月 信濃国 葛尾城 武田信之
村上一族の処断の際に龍虎同盟についての仔細が決められた。
1、更科郡以北の所有権は長尾家 埴科郡が武田家所有とすること。
2、これ以上の北進を行わないこと。
3、長尾の跡継ぎが決まった時には、武田大善太夫の娘を嫁がせること。
これがずっと続く龍虎同盟の始まりであった。
葛尾城に将兵を残し甲府に引き上げたのだった。
帰陣して間もないころ私は父上に呼ばれた。
「失礼いたします、三郎お呼びにより罷り越しました。」
「うむ、入れ。」
襖を開け入っていくと父上の他に典厩叔父上と駒井高白斎殿がいた。
おどおどしながら座ると典厩叔父上が説明しはじめた。
「長尾との戦の心配がなくなったゆえ美濃侵攻の準備を始めようと思う。そこでだお主に城をやるということだ。」
「叔父上お言葉ですが私はすでに城をもっています。故新たな城は、どなたかに任せた方がいいのではないでしょうか。」
「それは、心配するでない。信親を要害城(信之所領)にあてがう故に新たな領地じゃ。」
なるほど転封だったら納得がいく。
「畏まりました、して次の領地は何処にございましょうや。」
「まぁまぁ焦るな主な家臣配置を教える。まだ他の家臣には内密にな。」
海津城代春日弾正虎綱 砥石城主真田弾正忠幸綱 小諸城代武田典厩信繁 深志城代馬場民部少輔信房 葛尾城代秋山伯耆守虎繁 上原城代板垣駿河守信憲 高嶋城代 武田刑部少輔信廉
「ここらが主な配置だ。そこで三郎には、花岡城を治めてもらう。それに小山田虎満には、岡谷城に入りお主の付家老といたす。それに金丸平三郎を付けるから励めよ。」
その後正式な論功行賞の後移動が始まった。
躑躅ヶ崎には当分戻ってこれないであろうから家族に挨拶をしておいた方が良いと勧められたので平三郎を先に花岡に向かわせて俺は、身支度を整え母の元へ来ていた。
「母上、お久ぶりにございます。三郎元気になりました。」
こちらを一目見てまた鏡を向いてしまった。そんなにも私に興味がないのか母は、俺の事が嫌いなのではないか。
「母上もお元気そうで良かったです。然らばこれで失礼致しまする。」
俺はここで背を向けてしまった。母の心も知らずに。
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