木曽攻め
1554年 5月下旬 信濃国 深志城 武田三郎
木曾攻めのために諸将が兵を率いて深志城に集まっていたがそこに父上の姿はなかった。父上は今駿河善徳寺にて婚姻同盟を結んだ今川・北条両家の当主と会談をしており今回の戦役の総大将は典厩叔父上であった。諸将が兵を率い参陣してきたので軍議を開くことになった。今回は南伊那攻めと違い北信の将も参陣していた。典厩叔父上を始めとして ・攻め弾正真田幸綱 ・鬼美濃 馬場信房 ・武田の猛牛 秋山虎繁 といった面々でありその他にも武田の勇将が揃っていた。
皆が集まり軍議が開まった。列席しているのは、馬場民部を始めとして足軽大将以上の者すべて集められた。木曽攻めの案として鳥居峠からの侵入と迂回した部隊による木曾軍の背後からの奇襲が主流だった。が、私は違った。
「 叔父上、ここは一気に夜襲を仕掛けてはいかがですか? 」
主流だった意見とは違う申し出にその場にいた全員俺に視線を向けた。
「まず主な城として挙げられるは、妻籠城・三留野東山城・三留野愛宕山城・須原城そして本拠である上之段城になりまする。此の後遠山攻めも控えておりますか損害を抑えるため五カ所同時の夜襲を提言いたします。しかし地の利がない地の闇夜の登山となれば危険も伴いますが木曽谷には我が家臣平三郎を始めとした横目衆によると敵は油断しておるとのことです。」信之は、平三郎に武田は木曾と戦をする気がなく北信濃で起きた豪族の鎮圧で深志に在陣しておると民を安心させ木曾の油断をさそう噂を流させると同時にもう一つ命令をくだしていた。
「 しかしそれは難しく上手くいくとは思いませぬ。まず上之段城に行くには妻籠か鳥居坂峠を通らねばなりませんぞ。 」
「 いや、その心配はない。平三郎が木曾の有力者たちに商人が大勢来ると伝えてありある程度の兵や武具を木曾の内部まで持ち込めるので心配ご無用でございます。」 」
それだったら良いと叔父上始めとした皆も認めてその策を煮詰めていった。
各城への攻撃部隊。
須原城 大将馬場信房 攻略後三郎と合流予定
東山城 大将 真田幸綱 兵1200 愛宕山城 大将 真田信綱 兵750
妻籠城 大将 原虎胤 兵750 そして上の段城 大将 武田信之 兵1500
武田信繁は3500を率いて深志でカモフラージュの役割であった。
俺には此の戦での最大の目的があった。それは、木曾義康と義昌親子を討ち取ることであった。父上は、義昌に我が妹を嫁がせ属国かするつもりなのだろうが中山道を抑え美濃へ通じるこの木曾は直接抑えなければならないと考えていた。最悪交渉の場で毒殺するつもりであった。そんな事を考えていると夜襲当日の夜になった。日暮れと共に配下の者達を武装させ藤吉郎と昌秀に兵を任せゆっくりと闇夜に紛れて進軍させ私自身は、武具を入れた献上品と装った荷駄を曳き直親・平三郎を始めとした精鋭十数人で此度の通行に関して感謝を申し上げたいとの名目で上之段城に侵入した。準備のため通された部屋で鎖帷子を着込ませ会談の場を迎えた。流石に俺では若すぎるからこそ平三郎を立て脇役に徹した。
「 木曾様におかれましては此度の事感謝いたしております。そこでお礼に新製品である花の香りがついた清酒を献上いたしまする。皆様方のも用意しております。 」そう言って清酒を持って来させた。
「 噂に聞く清酒を献上してくれるか、皆の者今日は宴ぞ。 」そっからは一度その場に居合わせた者共に花の香り付きの清酒を振る舞った。飲んでから10秒も経たずに美味さに盛り上がっていたが半刻後にはなりを潜めてしまったのであった。ふと清酒の入っていた樽を見ると一輪の白百合が浮かんでいた。
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※以前の話にて間違いがあったので訂正しました。
平三郎の栽培している植物についてですが白百合ではなくスズランでした。大変申し訳ありませんでした。




