引き取り
1553年 6月 甲斐国 躑躅ヶ崎館 武田信之
清酒を売り込み一度その場を辞した後、また個人的に父上の自室に呼ばれていた。
部屋に入ると他に誰もいなかったが資料が傍に積み上げられていた。
「 三郎、お主に相談なのだが、お主の配下である工藤祐長に内藤家を継がせたいのだが、城持ちでないと示しがつかない。そこでだ。お主の配下から儂の直臣に戻したいんだが、いいか? 」
信之自身、祐長が内藤昌秀であることは分かっていたからこそ軍備を一任していた。
「 それでしたら、私に岡谷を与えてください。そして岡谷を私から祐長に与えます。 」
「 しかし、岡谷には小山田がいるではないか、どうするのだ? 」
「 桜城か龍ヶ崎城ではいかがですか。岡谷からも近く直ぐに動きやすいものですから。」
父上も納得した模様でその日は、花岡に帰った。
そうして前回の終了時に戻る。
岡谷での政策を命じていた。
1、武家の者たちに男子孤児8人付て1組としそれぞれ教育および教練と稲作をさせる。
2、女子については、馬の世話や内政に携わせること。
3、新たな移民も受け入れるのと5公5民の税収及び新たに来た者は、2年間は、税免除。
これは、花岡でも実践しようと思っていることだ。孤児たちが満足に生活できるということは、国力が上がると同じことだからこそ人を育てる必要がある。
新たに我が領地に来た者たちに会いに行った。
みんな小さい子供が希望を持たず下を向いていて生きることに絶望していた。そんな姿をさせたくなかった。何としてでも生きて欲しいし生きる希望を持って欲しい。
「 直親、あれを持って来てくれ。 」持って来させた大量の飯を一人一人に配った。これには、諏訪大社の巫女さんにも協力してもらい未だに苦しんでる者たちに伝えてもらおうという話だ。
みんな、おいしそうに頬張っているのを見てうれしくなったのと同時に未来を想像しながら自分も飯を頬張った。
飯を上げて家も作ってあげたそうしたら自分を物凄く慕ってくれる。しかし、自分の心の何処かに罪悪感も背負っていた。
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