第47話 『夢』のシチュエーション
「ここは、どこだ……? オレ、確かユグドラシルのアジトの通路を歩いてたはずじゃあ……」
霧に包まれた森の中をクロードは一人、彷徨っていた。
しかし霧が晴れない、どれだけ歩いても周囲の景色が変わることはなかった。
「確か、リューヤさんが変なパネル踏んじまって、それで……」
クロードはなんとか記憶をたどり、状況を確認する。
「そうだ、確かオレら全員変な光に飲み込まれて……それで」
そこまで考えた時クロードの脳裏にふと“転移”の二文字がよぎる。
田舎育ち、そしてこれまでほぼ都会とは縁がなかったために知識でした知らなかったが、世の中には空間転移装置なる実に便利なものがあるという。
つまり自分たちはその機械によってどこか遠くへ飛ばされたのではないか? クロードはそう考えたのだった。
「参ったな……てことは分断されちまったってことか……。そうなるとシルヴィが心配だぞ」
くしゃっと頭を搔くクロード。
リューヤはA級ハンターである、彼ならどんな危険な状況に放り込まれようが一人でもなんとか切り抜けられるだろうとの安心感がある。
だがシルヴィは違う、彼女はまだハンターになって日が浅いし戦闘経験も少ないのだ、ましてや敵はあのユグドラシルである。ブリュンヒルデの強さを身に染みて知っているからこそ、クロードはその身を心配するのであった。
「……ん、あれ? そういえば……」
と、ここでクロードはもう一人(?)の仲間の存在を思い出す。
「ピリアはどうしたんだ? あいつ、転移の瞬間オレの肩の上に乗ってたはずなんだが……」
大抵の場合転移は密着していれば一緒に移動できるもののはずだ。それが、転移した時にはクロード一人だったということはピリアは別の場所へと飛ばされてしまったのだろうか?
疑問に思うクロードだったが、いないということはそういうことなのだろうとあっさりと結論付ける。
「まあ、あいつはあんななりはしていてもオレたちより強いし、心配はいらないか……」
クロードは一人呟くと、再び歩き出した。
「しっかし、なんだな。オレこの場所どーっかで見たことあんだよな……」
クロードは周囲を見回しながら歩く。木々が生い茂る森の中、しかしなぜかクロードにはこの場所に見覚えがある気がしていた。
「どこだったっけかなぁ~、ここ……」
言いながら歩いていると、唐突に視界が開ける。
「うおっ、こ、ここは……」
目の前に広がる光景にクロードはゴクリと息を飲んだ。
ちょっとした湖ほどの広さを誇る湯気に覆われた水面。
そこは、アルミシティに来る前に通った森の中の天然温泉であった。
見覚えがあったのも当然だ、ここはあの森の中だったのである。
「な、なんでこんなところに……」
呆然と立ち尽くすクロードの脳裏に浮かぶのはここで出会ったあの銀髪の美少女のことだ。
図らずも入浴を覗いてしまった、そしてその後アルミシティで対面し、共にブリュンヒルデと戦闘を繰り広げたあの少女。
クロードはあの時見てしまった少女の裸体を、その美しさを思い出し、顔を真っ赤に染めた。
「や、やば……」
ご自慢のエクスカリバーが反応してしまいそうになり思わず前かがみになる。
その時、湯煙に包まれた水面からピチャンと水が跳ねる音が聞こえた。
(まさか……!?)
慌てて動こうとするも時既に遅し、湯煙の中から姿を現したのは、一糸まとわぬ姿の銀髪の少女だった。
デジャヴュ――あの時の再現映像を見せられているような錯覚を覚える。
しかし、今回はあの時とは違った。クロードが硬直から脱する前に少女があっさりと瞳を見開いたのだ。
「あ、あ、あ……」
クロードは言葉を発することができなかった。
彼女の赤い瞳には狼狽した自分の姿が映っている。
終わった――クロードはそう思った。
とりあえず、悲鳴、ビンタの二、三発は覚悟しなければならない。
しかし、ここで少女は信じられない行動に出る、ニコッと微笑むと、
「えへ、また会えたね」
そう、驚愕と緊張で身体を硬直させているクロードに対し声をかけたのだ。
(は? え? なんだこれ? どういう状況だ?)
クロードの頭の中は混乱していた。
確かに自分とこの目の前の銀髪少女はあのブリュンヒルデとの戦いを通じてそれなりに縁はできた。
彼女の前で勇者の力を発揮、守ることに成功したことで多少なりとも好意を持ってもらえたと自惚れていいならばそういう感触もあった。
しかし、全裸の状態で男と対面したときの反応としての彼女のそれはクロードには全く理解の及ばないものであったのだ。
「クロード、驚いてる? ボクが悲鳴を上げないことに」
問いかけられ、クロードは思わずコクコクと頷く。すると少女はいたずらっぽい笑みを浮かべて更に続けた、
「だって、君になら、見られてもいいから……」
まるで鈍器で頭を殴られたような衝撃がクロードを襲った。
「な、ななな……」
顔を真っ赤に染めるクロードに少女も少し照れたようにはにかんでみせる。
「この間、ボクを守ってくれたよね……。それでボク、君の事、好きになっちゃったみたい」
そう言って少女はクロードにゆっくりと近づいてくる。
「ボクを君のものにして……」
そして少女はその小さな両手を広げてクロードのことを優しく包み込んだ。
「ねえ、キスして……?」
その言葉に今度こそ脳の処理が限界を迎えるクロードであったが、そうは問屋が卸さなかった。背後から殺気のようなものが漂ってきていることに気づいたのだ。
その殺気の濃厚さに思わず肩越しに振り向くクロード、そこには……鬼が立っていた。否、鬼神だ、それを見た時クロードの脳裏にはその二文字がよぎった、それくらいにその少女は恐ろしい表情をしていた。
「クロードオォォォォォ!! あんた、こんなとこで何してんの!! ぶっ殺す、マジでぶッ殺ぉす!!」
そんな女性にしてはやや乱暴とも思える口調で叫ぶ少女。その少女はクロードのよく知る人物だった。
「しっシルヴィ、違う、違うんだ、これは……!」
そう、それは彼とは違う場所に転移させられたはずのシルヴィ・フレイオンだったのだ。
「ああん、なにが違うってのよこの変態! あたしというものが居ながらほかの女に手を出すなんて……絶対許さない!」
「は、はい?」
凄まじい剣幕で怒鳴りつけるシルヴィだったが、クロードは思わず間抜けな声を上げてしまう。
それはそうだろう。クロードにとってシルヴィは気になる仲間の女の子であるが、シルヴィの方は今までそういう素振りを見せたことなどなかったのだから。
皆無とは言わないが、あくまで仲間に対するもの以上のものではなかったはずなのだ、しかし、この態度これは明らかに……。
シルヴィのその反応に、クロードは一つの可能性に行き当たる、そして恐る恐るそれを口にしたのだった。
「し、シルヴィってもしかしてオレのことが好きなのか?」
そんなクロードの全くデリカシーのない問いかけにシルヴィは、「当たり前でしょ!」と、怒鳴りつけると勢いよくクロードに向かって歩み寄ってくる。
その勢いに思わず後ずさるクロードだったが、シルヴィは次の瞬間とんでもない行動に出たのだ。
なんと服を脱ぎ捨てながら抱き着いてきたのである!
「ちょっ……」
「抱くならそんな子じゃなくて、あたしを抱けばいいのよ!!」
シルヴィはクロードの身体をしっかりと抱くとそんなことを言った。
「おおおお、おい! ちょっといきなり何を言い出して……」
慌てふためくクロードであったが、そんな彼の腕がグイイっと引っ張られる。
見れば、シルヴィの登場にあっけにとられたのか硬直していた銀髪少女が、その小さな手でクロードのもう片方の腕を引き寄せていた。
「ちょっと、クロードはボクといいことをするんだ! 邪魔しないでよ!!」
そう言ってシルヴィを睨みつける彼女の赤い瞳はシルヴィにも負けないくらいに強い意志が込められていた。
「何よ、突然現れて! あたしはねぇ、クロードとは死線を潜り抜けてきた仲なんだからね! あんたみたいなポッと出に負けるはずがないじゃないの!」
シルヴィは負けじと言い返す。しかし銀髪少女は負けじとクロードを引っ張る手に力を籠める。
「ふっふ~ん、ボクだってクロードと一緒に戦って死線潜り抜けたもんね~! おまけに、クロードはねぇ、ボクに言ったんだよ、お前のことはオレが必ず守るって。これはもう実質的なプロポーズだよね!」
銀髪少女が勝ち誇ったように言うとシルヴィはうっと言葉を詰まらせる。
「そんなわけで君はお邪魔虫なの、わかる? さあ行こ、クロード」
シルヴィが怯んだすきにすかさずクロードの腕を抱き寄せる銀髪少女、するとシルヴィも負けじともう片方の腕を引っ張る。
「そ、そんなのはその場の勢いで出た言葉でしょうが! 彼がどんな状況でそれを言ったのか教えてみなさい!」
「そ、それは……」
「ほーらみなさい! そんな言葉を根拠に自分がクロードからプロポーズを受けただなんて勘違いするのは馬鹿のすることよ!」
シルヴィの言葉に銀髪少女が「う、ぐぅ……」と悔しそうな顔をする。どうやら彼女にとってその言葉がクロードから自分へのプロポーズであるというのは譲れないポイントらしい。
彼女の悔しそうな顔を見てシルヴィが勝ち誇ったような笑みを浮かべると、「勝った!」とでも言いたげな様子で隣にいるクロードに振り返る。
(そんな顔向けられても困るんだよ、オレは!)
確かにシルヴィの言ってることは正しい、あの時の言葉は目の前で傷つき殺されかけていた少女に対する助けてあげたいという純粋な想いから出た言葉であり、プロポーズやら愛の言葉やらといった類のものとは違うのだ。
しかしそれを今ここで言ってしまってもいいのだろうか? シルヴィの勝ち誇ったような笑顔に、クロードはそんな不安を覚えたのだった。
「ほら、どうしたのクロード、言ってあげなさいよ。『オレは君のことなんかなーんとも思ってない、オレが愛してるのはシルヴィただひとりだ!』って」
「あ、あのなぁ……」
引きつった表情を浮かべるクロードだったが、銀髪少女はそれを見逃さなかった。
「口籠ったってことは、やっぱりクロードにはボクに対する気持ちがあるってことだよね!」
それはそうだけど、と心の中で呟くクロード。
彼女に対する特別な感情は確かにある、しかしシルヴィに対しても好意を持っているのもまた事実だ。
クロードは二つの感情がせめぎ合うのを感じ、頭を抱えるしかなかった。
「行こ、クロード! こんなキーキーうるさいだけの女なんかほっといて、ボクと二人でさ」
シルヴィに向かってそう言うと少女はクロードの腕を取り歩きだそうとする。
シルヴィは少女の言葉と行動に怒り心頭と言った様子でクロードを引き寄せながら叫ぶ。
「冗談じゃないわよ! 誰があんたなんかにクロードを渡すもんですか!!」
「なんだとー!」
「なによー!」
シルヴィと銀髪少女は今やクロードの腕を引っ張り合う形になって睨み合っている。
バチバチバチッと火花が飛び散る幻覚が見えそうな勢いだ。
そんな中、ふいに二人がクロードの腕から手を離す、解放され安堵する間もなく、彼女たちは彼に向き直ると……。
「クロード、ボクを選んでくれるよね!」
「クロード、あんたが選ぶのはあたしよね!」
と、二人揃ってクロードに詰め寄る。
「お、お前ら……ちょっと落ち着けよ……」
しかし二人は止まらない、それどころか更にヒートアップしていく始末だ。
クロードは混乱していた、二人の裸の美少女から迫られるという男なら垂涎の光景であろうが、あまりにも唐突すぎる。
(なんかおかしい、変だぞこれは……)
頭の中で違和感が膨れ上がって行くが、目の前の美少女たちは彼の思考が纏まるのを悠長に待ってはくれなかった。
「さあ、ハッキリ答えて! どっちがいいの!? どっちを選ぶの!?」
「もう逃げられないよ、クロード!」
少女たちはもはやクロードに詰め寄るというより、彼を抱きかかえんばかりになっている。
これはどちらかを選ぶ以外に道はない、それはクロードにも理解できたが……。
彼は悩みに悩んでしまいどちらとも答えを出すことができなかった。
シルヴィはハツラツとした健康的な美少女であり、こうして全裸を目の当たりにしたことでわかったことだが結構なスタイルの持ち主だ。
銀髪少女は妖精のような愛らしさと神々しさを兼ね備えた容姿を持っており、『ボク』という一人称やどこか少年的な口調とは裏腹に儚げで触れてしまえば崩れてしまいそうなほどに繊細な印象を受けた。
年齢的にはシルヴィはクロードと同年代であり釣り合いが取れているので、彼女を選びそのまま付き合ったとしても、特に問題はなかっただろう。
一方銀髪少女の方は――実年齢不明なので見た目でしか判断できないが――いささか幼すぎるきらいがあり、現状でクロードと釣り合いが取れているとは言い難い。
とはいえそれはあくまで今だけ、おそらくすぐに成長し、クロードにお似合いの女性となるだろう。
そう考えると、年齢だけを判断基準にするわけにはいかなかった。
おそらく、ここで選ばなかった方とは気まずくて今後普通に接することができなくなるだろう、それはクロードにとって避けたいことである。
(くそっ! どうすりゃいいんだ!? 確かにオレはこんなシチュエーション夢見てたけど、いざとなると……ん?)
さらに頭を悩ませるクロードだったがそこでふととある考えに思い至った。
さっきからずーっと感じていた違和感、そのすべてに説明がつくとある一つの考え、それは……
(夢……。そうだ、オレは夢を見てるんだ!)
その瞬間、全ての違和感に納得がいき、クロードの混乱は嘘のように消え失せた。
何故そんなことを考えるようになったかと言えばおそらくは目の前にいる少女たちのせいだろう。
(そうだ、あり得るわけがねーんだ、まずオレなんかが誰か女の子にモテるなんてのがあり得ねー、シルヴィもこの銀髪の子もオレとは接点があるとはいえ、ただの旅仲間とか、ほんの一回一緒に戦ったとかのその程度の関係だ、そつらが全裸で誘惑とか……)
こんな状況が夢以外のなんだと言うのだろうか? 仮にクロードが宇宙一の美少年だったとしてもあり得ないシチュエーションだったに違いない。
あまりにも遅すぎる気付きにクロードは大きくため息を吐いた。
夢とは願望の表れでもあるという、こんなものを見ている自分、そしてここに至るまで都合のいい事象に対して夢であるという発想が欠片も浮かばなかった自分に、そして目の前の美少女とのこれからを無意識に期待してしまっていたという事実に対する呆れが、ため息として吐き出されたのだ。
(死にたくなるくらい恥ずかしいな……)
しかし、しかしである……。これが夢なら逆に……。
「な、何よ、その反応は!?」
「ちょっとクロード、ボクたちは真剣なんだよ!」
先ほどのため息を別の意味と受け取ったのか少女たちが文句を言ってくる、クロードは顔を上げるとそんな彼女たちに向けて微笑んだ。
「いやぁ、ごめんよハニーたち、ちょっと考えごとしてたもんだからさ」
キザったらしいセリフを吐きながら髪をかき上げ歯を光らせてやれば、二人の少女の瞳がハートに変わる。
(やっぱりな、夢だから何もかもがオレの都合のいいようになるんだ。これが現実だったら白い目を向けられて終わりだからな)
現実では絶対にありえないチョロさを見せる少女たちにクロードは改めてこれが夢だと確信を持った。
そして再び髪をかき上げながら、クロードは二人に向かって言った。
「君たちが僕のことを好きなのはよ~くわかった、だけど僕はどっちかを選ぶわけにはいかないんだ、平等に愛してるからね。だから、どっちも僕のものってことでいいかい? シルヴィ、銀髪ちゃん?」
夢なら何も悩むことはない、シルヴィだろうが銀髪少女だろうが他の女でも誰でも、自分がいいと思ったものは片っ端から手にしてしまえば良いのだ。
(一生に一度あるかないかのこんなハッキリとした夢、楽しまなきゃ損ってもんだろ!?)
そんな彼の考えを責めることなど誰が出来よう? 17歳の健全な少年が文字通りの夢の世界に放り込まれ理性を保てるはずもなかったのだ。
「ふわぁい♡」
「うん、それでいいよ♡」
クロードの提案を少女たちは二つ返事で了承した。彼女たちの心すらももはやクロードの思うがままだ、もうクロードを巡って争うこともないのである。
後はこの夢が覚めるまで、少女たちと共にしたいことをすればいいだけの話である。クロードはめくるめく世界に思いを馳せながら二人にそっと手を伸ばす――
その瞬間である、銀髪少女が唐突に顔を上げると、「それはいいけどぉぉぉぉぉ!!」と大音響で叫んだのだ。
(な、なんだ!?)
思う間もなく、銀髪少女とシルヴィは周囲の景色事粉々に砕け散り、その破片はクロードの身体を包み込んだ。
目覚め――クロードがそれを自覚し現実の世界に帰還した時、そこにはとんでもない光景が広がっていたのだった――。
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