第五十二話 僕の切り札
「ハッ…、ハッ…、ハッ…――」
規則正しい呼吸音、竜変化したダイナが疾走しながら切れ切れに零す音。
その背に乗り、そこかしこに瓦礫が崩れ、血の跡が目立つマインの大通りを駆けていく。ディノレックス、そしてディノニクスによる
僕らコンビが目指すは飢え狂う復讐の女王、ディノレックス。
この騒動最大の脅威を目指しながら、僕は少し前にエフエスさんと交わした会話を思い出していた。
◇◆◇◆◇◆◇
『天道のせいで状況は最悪に近いわ』
と、石畳に腰を下ろしたままエフエスさんが言った。その顔色は悪い。怪我と、心労が原因だろう。
そもそも本当ならすぐ治癒ギフトをかけてベッドに直行すべき重症なのだ。
『色々あるけど一番は援軍のアテが不確定になったこと。都市規定で冒険者は都市内じゃ大っぴらに武器を使えない』
ネックなのはそこだ。
冒険者は都市内の武装までは許されているけど、治安上大っぴらに武器を振るえない。もちろん緊急時だから気にしない者も多いだろうが、タダ働きや法律違反のリスクを嫌って二の足を踏む者もかなりの数に上るはず。
『だからこそのクエスト発行。でもそれを伝える騎士はこいつにやられた可能性が極めて高い』
『……本当に、つくづく足を引っ張ってくれるなこいつ』
ある意味誰かの邪魔をする才能ならピカイチだろうと思わず感心した。
もう殺すつもりはないが、是非僕と無関係な場所で死んでほしいと心の底から思う。
『都市の憲兵さん達はどうです? かなり動けるし、アテに出来そうですけど』
『十中八九大急ぎで動員中だろうけど、多分こっちには来ないわ』
『来ないって……なんでですか、こんな時に!?』
『こんな時だからよ。忘れた? マインは三層構造の城塞都市。下層民ばかりの第一層は最悪捨て駒。多分第二城壁のあたりに兵数を集中させているはず』
『そんな……』
絶句する。これは、確かにエフエスさんが言う通り最悪に近い状況だ。広大な第一層の住人が無防備なまま奴らの胃袋に収まりかねない。
そして空腹に眼が血走った群竜達は喜んで食べ放題のバイキングを楽しみにかかるだろう。
『だからこの状況で私たちが取れる手立ては一つだけよ』
それでもまだ打てる手はあるとエフエスさんは続け――僕とダイナを見た。
『あんたとダイナがディノレックスを倒しなさい』
そこで会話は終わった。
そしていま、僕らはディノレックスを目指してマインを駆けている。
◇◆◇◆◇◆◇
耳にした者の肝を引っこ抜くような咆哮がマイン全土に轟く。
『GuRuOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOooo――ッ!!』
その咆哮は主がまだまだ健在であることを教え、そして僕らが目指すべき道しるべとなった。
「見つけタ」
「取り巻きはいない。食事に行ったかな?」
「ン。私達にはラッキー」
「……そうだね。そっちの方で考えよう」
奴がいるのは大通りを進んだ先、第一層の中ほどにある広場だ。定期市や興行で使われるだだっ広いスペースも、奴の巨体の前では流石に狭く見える。
全身が血に濡れ、赤黒い模様を浮き上がらせた巨躯はそのままに、強靭な顎でゴリゴリと”何か”を噛み砕いている。
ゴクンと飲み込んだのはそこらに散らばる槍と血痕の主か、はたまた都市内で放し飼いされている豚の死骸か。僕はそれ以上考えないことにした。
(チラチラ視線を感じる……。そりゃそうだよね、こんなド派手に吼える大型魔獣が目に付かない訳ない)
離れた通りの影から、小さな家屋の窓から。ヒッソリと息を潜めながらディノレックスの暴虐を見つめる幾つもの瞳がある。不安に怯える目、混乱を上げる声、小さな人影。竜災に巻き込まれたマインの住人達だ。
できれば巻き込まれない内に逃げて欲しいが、ことここに至ってはやむを得ない。
僕らはそのまま一直線に広場へと突入した。
『――――――――』
会敵。
それを示すように僕らと奴の目が合った。
瞳孔が細まり、奴の意識がこちらに向く。奴もあの闇夜の戦いを覚えていたらしい。
『Grrrrrrrr……』
敵意と警戒を示す唸り声が響く。僕らを正面に捉え、奴が戦闘態勢を取った。
まだ距離はあるが、僕らが動けばすぐにでも応戦するだろう。
「ダイナ」
「うン」
呼びかけるは一言、答えるも一言。
いつもと変わらない、淀みのないやり取りに僕の覚悟は決まった。素早くダイナから降り、鞍などの余計な荷物を全て《アイテムボックス》にしまう。
「『解除コード、承認申請』
そしてダイナが全力を出すための準備を始める。
ダイナの首に掛けられた円環状の組み紐。これは蜘蛛型の巨蟲種が吐く糸で織られ、大型魔獣の膂力でも千切れない極めて丈夫な特別製だ。
その特別製の組み紐にギフト《制約》を用いてさらに特殊な効果を付与した魔道具。その効果は単純明快。特定の解除コードがなければこの組み紐は決して外せない――最悪の場合都市すら滅ぼしうるダイナの暴走を抑えるある種の首輪だ。
「『躍動的な・竜の・女神』」
解除コードはダイナの名前、その由来をそのままに。
正規手順を踏み、制約が解除された組み紐がダイナの首元から独りでに飛び立ち、僕の首に絡みつく。
《制約》の代償だ、この組み紐は常に僕かダイナの首元に収まらねばならない。誰かに首輪を嵌める者は、同時に首輪を嵌められることを覚悟せねばならない。僕とダイナを繋ぐ、絶対に解けない呪いじみたある種の絆。
『はっ……ァ……』
首輪から解き放たれたダイナが微かな喘ぎ声を上げた一瞬後――メキメキメキッ……! と、その肉体が明らかに異常な蠕動を見せる。
肉体が伸長する。それも尋常な規模ではない。明らかに質量保存の法則を無視した、いっそ膨張と呼ぶべき変態だった。
さらに筋肉が隆起し、関節構造が完全に人のそれから逸脱する。
顔つきは精悍な狼に似たものへ変わり、黒い体毛が生え揃い、長大な尾が伸びる。尾の先端には鋭い尾棘が幾つも突き出していく。
四肢の先端は竜燐で覆われ、刀剣じみた爪は竜種に相応しい鋭さ。
狼と竜を掛け合わせたような魔獣の名はナイトカルド。時に夜の狩人とも呼ばれる大型魔獣がそこにいた。
『グ、ル……グルル、グルウゥウウオォオオオオオォンッッッ!!』
ダイナが変じたナイトカルドが大咆哮を上げた。
ディノレックスに負けない、そして明らかに異なる咆哮がマイン全土に轟く。
『GuRuOoOoOoOoOoOoOoOoOoOooo――ッ!!』
対抗するようにディノレックスもまた吼えた。
流石は群竜を従える女王、同等以上の巨体を持つナイトカルドに怯んだ様子を見せない。
「ここまではあの夜と同じ……」
そして僕らはディノレックスに勝ちきれなかった。だけどここからはひと味違う。
「ダイナッ!」
『うンッ!』
「迷うな、真っすぐ行ってぶん殴れ!」
狂奔状態のディノレックスを相手に正面から殴り合え。
単純明快。誤解の余地がない、だからこそ躊躇ってしまいそうな僕の指示に――、
『任せテッ!』
一瞬も迷わずに、ダイナは応えた。
弾、と力強く大地を踏み切り、跳躍。まるで刀剣のような鋭さを有する鉤爪を振りかざし、ディノレックスに向けて襲い掛かる!
『GuRuOoOoOoOoOooo――ッ!!』
ディノレックスが吼える。舐めるな、と言っているように僕には聞こえた。
隙を伺うこともない正面からの突撃など見切るは容易い。タイミングを計って体を躱し、迎撃するだけ。
奴がそう考えているならきっとそれは正しい――この場に僕がいなければ。
「《アイテムボックス》、発動」
ナイトカルドは巨躯い。
体長10メートルを優に超えるディノレックスよりさらにデカいのだから当然だが、その巨体が突如として消えうせる。
『――――――――ッッッ!??!?!?』
正面に捉えていたはずの大敵が文字通り目の前からいなくなったディノレックスは当然困惑する。
その一瞬後、
『ぶっ飛べ』
前触れなくディノレックスの正面に現れたナイトカルドが僕の言葉通り、迷わずに目の前の敵をぶん殴った。
『――ッ!??!?!???!?!?!』
苦痛、衝撃、困惑。
太い前腕の殴打と爪牙の斬撃の組み合わせを食らい、もんどりうって広場を転がるディノレックス。全身から混乱の気配をまき散らしていた。
(上手くいった。《アイテムボックス》経由の疑似空間転移!)
これこそが僕”ら”の切り札。
使用対象が極めて限定的。今のところダイナ以外使用不可能だが――僕の《アイテムボックス》は生物を対象に出来る。それを利用した疑似空間転移が今見せた手品の種だ。
事実上、僕の視界の範囲内なら自由自在に一瞬で移動させることができるインチキの極み。
(確か、エフエスさんはこう言ってたっけ……)
敵対者からのアイテム強奪のように、僕の《アイテムボックス》の使用条件は僕や相手の認識に左右されることが多い。
故にダイナのように僕へ身も心も全てを任せる程の、それこそ自分自身を穂高陸のものと思いきれるほどの信頼こそがこのルール違反を許したのかもしれないと。
(きっと僕達だからこその切り札だって)
真偽は分からない。検証のしようもない。
僕らの切り札はディノレックスを相手に圧倒している。ただそれだけが明快な事実だった。




