第四十六話 終わりの始まり、始まりの終わり
「真面目な話をしますと『運び屋』が一人いるだけで金が動くのですよ。金が動けば富が生まれる。つまり当ギルドに『運び屋』がいればいるだけ金が動いて富が生まれ、巡り巡って私の懐に入ってくる。素晴らしい循環と思いませんか?」
金についてうっとりと語るギルド長はなるほど、エフエスさんから銭ゲバと呼ばれるだけのことはあるらしい。目がマジだった。
「金、金、金と! そんなに金が好きか、業突く張りが!」
「ええ、大好きです。当然でしょう? むしろあなたは嫌いなのですか? 王城では贅沢三昧に暮らしていたのに?」
普通なら答えに迷いそうな非難も臆面なく肯定したギルド長にむしろ天道の方が言葉に詰まった。
「金とは富、金とは豊かさです。そして金は動かさなければ容易く死んでしまう儚く哀れで可愛い幼子のようなもの。特にウェストランドは魔獣被害で物流が最悪ですからね。『運び屋』一人の有無が冗談ではなく村や街の存亡を左右するのですよ」
かつて《魔獣領域》と呼ばれたかつての魔獣の楽園に築かれたこの国は近年になっても魔獣被害が突出して多いと聞く。
この国にとって魔獣の存在は良くも悪くも大きいのだ。
そしてその魔獣を駆逐する象徴である《勇者》は『運び屋』以上に重要な存在なのだが……天道は例外だ。
「ですから私は『運び屋』を評価しますし贔屓します。私の可愛いお金を生みだしてくれるのですから当然でしょう? 少なくとも名声に胡坐をかいてお使い一つもできない勇者よりは、よほど」
「ヒッ……!」
穏やかな声音の裏にゾクリとくるほど濃厚な怒りと軽蔑を込めた一言。天道の安っぽい脅しよりよほどスマートでドスの利いた威嚇に天道の腰が引けた。
あるいは……建国神話に刻まれた《勇者》の名を汚す偽勇者への怒りは生粋のウェストランド国民にしか分からないほど深いのかもしれない。
「……ハァ。これ以上無様を曝け出すのはお止めなされ、テンドウ殿」
「お、お前」
そのみっともない姿に失望のため息を一つ。呆れを込めた声音で天道を諭したのはお目付け役の騎士だった。
自制を求める言葉にも力がない。むしろ天道には心底から失望したと示しているようだ。
「《勇者》の威を悪戯に振り回し、幼気な女子を浚う女衒が如き所業。挙句の果てにマインの城壁まで悪戯に破壊するなど、最早王城より《勇者》の目付けを賜った身として看過できぬ。即刻剣を収め、迷惑をかけた者達へ真摯に謝罪すべきであろう。遺憾ながら某も同道致す。神妙になされるがよい」
懇々と諭すその言葉も天道には届かなかった。顔を真っ赤にして騎士を怒鳴りつける。
「お前まで裏切るのか! この恥晒しが!」
「よりにもよって貴様に恥晒しなど言われる由縁はないわ! この《勇者》の風上にも置けぬ人間の屑が!」
雷が落ちた。そうとしか言えないくらいのとんでもない怒鳴り声。物理的にビリビリと身体が震え、耳のいいダイナとエフエスさんが耳を抑える。
その大音声を間近で受けた天道に至っては魂が抜けたような顔で、腰を抜かしかけていた。
「もう我慢ならん! 王城に連れ帰ってその性根をぎゅうぎゅうになるまで搾り上げてくれるわ! 多少のオイタなら目溢ししてやったが、よりにもよってマインと冒険者ギルドまで敵に回すなど宰相補佐殿でも庇いきれるものか! 分からんのか、貴様はもう終わりなのだ!!」
よほど鬱憤が溜まっていたのか、火にかけたヤカンのような勢いで飛び出る説教の嵐。
多分天道の我儘勝手に一番振り回されていたのはお付きのこの人だろう。それをなんとか宥めすかしてマインまで連れてきたと思ったら予想のはるか斜め上へかっ飛んだ城壁破壊。しかも天道の巻き添えで彼が責任を負うのもほぼ確定。
堪忍袋の緒がブチ切れるのも無理はない。僕ですら同情した。
「使える奴だと思って大目に見ていれば! 僕の《極光》に逆らえるとでも――」
「おうやってみよ! 某が何の手立てもなく貴様の目付け役を任されたのか試してみるがいい。遠慮呵責なく叩きのめしてくれるわ!」
そう言って望むところだと懐へと手をやる騎士。いかにも秘策ありげな雰囲気に天道が怯む。
とことん自分より弱い相手にしか強く出られない男だった。
「そら、何とか言ってみろ! お前は《勇者》なのだろうが!?」
「痛ッ、やめ……止めろ! 痛い、止めて! 止めてください!」
騎士がズンズンと無造作に近寄り、天道の腕を捩じり上げる。鍛えられた腕力による暴力に、その細腕では抵抗することもできない。
痛みに泣き喚き、必死に許しを請うと騎士は僅かに力を緩め、天道は大人しくなった。
「フンッ、情けない。こんな根性のない若造が勇者とは……ハァ、某が言うことではないか」
侮蔑と自嘲の混じったため息を吐く騎士に締め上げられ、天道は息も絶え絶えだ。
(これで、終わりか……)
一体どうなることかと思ったが、蓋を開けてみれば天道の自業自得による自爆というオチで終わるとは。
僕らも流石に無関係ではいられないだろうが、何より槍玉に挙げられる対象は天道の横暴だし、ギルド長の後ろ盾もあるし、そう悪いことにはならないだろう。
僕を見て笑うダイナの頭を撫で、ホッと安堵の息を吐いたその瞬間――、
『GuRuOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOoOooo――ッ!!』
――耳にした者の肝を根こそぎ引っこ抜くような咆哮が轟いた。
『っ!?』
その場の全員が天地がひっくり返ったような衝撃を受ける。
特に僕とダイナは嫌になるほど聞き覚えがあるその咆哮に冷や汗が流れる。
これはお前を食ってやるという飢えに狂った竜の咆哮だ。
何度も死にかけたあの闇夜の中、幾度となく聞いた僕らが間違えるはずがない。いや、あの夜よりもさらに切羽詰まった……狂ったような気配が色濃い。
「恐爪王ッ!? なんで、よりにもよってこんな時に――!?」
ありえない、タイミングが悪すぎる。そう言いたいが、耳に届く咆哮がその否定をさらに否定する。
そして咆哮の主は恐爪王だけではなかった。
「Giiii……!」
「|GiShaAaAaAaaaa――!」
「GuRuRuuuu……!」
大咆哮に応じるように無数の咆哮が幾つも幾つも鳴り響く。
ドドド、と地鳴りのような音と振動も。
「敵襲! 敵襲ぅ――ッ! 恐爪竜の大群、先頭にはリーダー、恐爪王だ。デカいぞ――!?」
鉱山都市マインを守る城壁の一画は天道の暴走によって両断され、無防備な傷跡を晒している。手下のディノニクスはもちろん、親玉であるディノレックスの巨体も十分出入りできる大きさの侵入口だ。
本来城壁を守る衛兵たちも想定外が過ぎ、準備不足が過ぎて流石に対応しきれていない。城壁が崩れた一画に集まった兵たちが隊列を組んで迎え撃とうとしているだけ立派だろう。
「マズイですね。一つ手を間違えればこの街が奴らの餌場になりますよ」
さっきまで飄々と笑っていたギルド長の声にも余裕がない。つまり、一切洒落のない事実ということだ。
少し考えれば分かる。
魔獣の襲来など考えもしていない都市民が山ほど居住し、それなりに入り組んだ構造であるマインに飢えた百の恐爪竜が潜り込めば果たしてどれだけの犠牲者が出るか。
「ダイナっ!」
「うンッ!」
血の気が引いたまま相棒に呼びかける。
ダイナも分かっていると頷いた。
「奴らを止める! マインを奴らの餌場にはさせない!」
「分かってル、ダイナがみんなを守る!」
僕らは運び屋である前に冒険者で、そしてこのマインは僕らに一番なじみ深い塒なのだ。
守れるのなら力の限りを尽くしたい。それは僕らの偽りのない本音だった。




