上編「演奏、はじめました」(5)
1月6日の金曜日、年末からの寒波が一息ついてすこし暖かくなった日、ミカは天歌駅から電車で30分ほどの県庁所在地の中心駅、T駅にいきました。待ち合わせは11時半、駅前のファッションビルの中にあるCDショップでした。
約束の15分前に着いて、ダッフルコートを脱いで手に持ち、CDを見て待っていました。11時半を少し回ったころ、ダウンのポケットに手を突っ込んだノエルの姿が見えました。ミカを認めるとニッコリとして「よお」と手を上げます。ミカも笑顔を返します。
「待たせたかな。じゃあ、飯食いに行こっか?」
「うん。お腹減った」
二人は最上階までエレベーターで上がって、レストラン街の中のオムライスの店に入りました。
ドリンク付きのランチセットを頼むと、水を一口飲みます。
「あけましておめでとう」とノエル。
「今年もよろしく」とミカ。
「初詣行った?」
「うん。おじいちゃん、おばあちゃんと元旦に行って、ミクッツで三日に行った」
「そっか。おれは家族と1回だけだ」
「なにを祈ったの?」
「家内安全」
ミカがクスっと笑いました。
「どうしたの?」
「いや、メンバーで同じこと言った子がいて」
しばらくして、注文した品とドリンクがやってきました。
「結構ボリュームあるねえ」とミカ。
「おれはこれくらいでちょうどいい」とノエル。
結局ノエルは完食、ミカは端っこを少し残してしまいました。
話題は中学時代のことになります。
「あの頃、おまえとは本当よく話をしたなあ」としみじみとノエル。
「よく話すネタがあるねってくらい話ししたよね」とこれもしみじみとミカ。
「いや、今日だけど、わざわざT市にしたのは、三中の同級生の間では、いまだにおれたちがつき合っている、ていう話があるらしくて」
「そもそも中学のときからつき合ってない、ていうのに」ときっぱりとミカ。
「でも、周囲はそう思ってなかったみたいでね」
「うん。友達から同じようなこと聞いた」
「よく考えてみると、おれって女子から一度も告られたことないんだよね」と少し遠くを見るようにしてノエル。
「ルックスも性格も悪くないのに」
「自信過剰」とミカ。
「おまえとつき合っていると思われていて、だれも告ってこないんだって」
ミカに視線を戻すとノエルが続けます。
「おまえだってそうだよな。いままで男子から告られたことないだろ?」
「ないよ」
「けっこう美少女なのにな」
「えっ、そう思ってるの?」
「と友達が言っていた」
「なにそれ? でも悪い気はしない」
「まあ、そういう方面についておれたちが『鈍かった』ってことなんだろうな」
二人は店を出て少し歩くことにしました。ノエルがまとめて会計をしたので、ミカが自分の分を払おうとしました。
「母親からお昼代って小遣い渡されてるから」とノエルは言って、受け取りませんでした。
ファッションビルを出て、駅前から伸びる幅の広いアーケード街を歩いていきます。目についた商品を見たりしながら、一番奥まで歩いていきます。
つきあたりに大学のキャンパスがあります。天歌大学経済学部のキャンパスです。
「うちのおじいちゃん、ここの出身」
「そのころは国立T経済大学だったのかな」
キャンパスの中に入ってみました。正面に噴水があって、校舎が3つと図書館のこじんまりとしたキャンパスです。
校舎の間の並木道を歩きながら、ノエルがぽつりと言いました。
「おれ、経済学って、やってみたい気がするんだよね」
「じゃあ、ここ目指したら?」
「...そうだな...」と言ったノエルの表情が曇ったように見えました。
アーケード街に戻って、古風な喫茶店に入りました。奥の窓際のテーブル席に着きます。
「最初に言っとくけど、ここはわたしのおごりだよ」とミカ。
「おっ、それならホットケーキも食べよっかな」
「どうぞ、ご自由に」
「冗談、冗談」
二人はブレンドコーヒーを注文しました。
ノエルが言います。
「部活やらなくなって、食べる量相当減ったんだ」
「だろうね。でも治ったら、また走るんでしょ?」
その言葉に、ノエルの表情が急に暗くなり、しばらく沈黙しました。
テーブルに視線を落としたまま、ノエルは黙っています。
「大丈夫? 疲れた?」と下から少しのぞき込むようにして、ミカが聞きます。
コーヒーは二人ともブラックです。
視線を落としたまま一口すすると、ノエルが口を開きました。
「今日、話したかった本題に入る」と言ってミカのほうに向きます。
「どうしたの?」
「さっきの話だけれど、おれはもう走ることはできない」
「えっ?」
「天大経済学部に行くことも、間違いなくできない」
「...」
「おれ、実は...余命宣告されてるんだ」
ノエルはまた、テーブルに視線を落として言います。
「ごめん。さらっと話ししようと思ってたけれど、やっぱり駄目だった」
内心とんでもなく驚いているのだけれど、どういう表情を作っていいかわからなくて、おそらく軽く微笑んだ顔になっているだろうなと思いつつ、ミカが聞きます。
「...詳しい話、聞いても...いいかな?」
「去年の8月、陸上部の練習についていけなくなって、医者に診てもらったら、すぐに天大附属病院の血液内科へ行くようにいわれた。検査の結果は。血液の病気で余命1年。長くても、高校卒業まではもたないだろう、とのことだった」
「でも、いま元気じゃん。陸上やるのは無理だろうけど」とすがるようにミカが言います。
一口水を飲んでノエルが続けます。
「入院して治療しているおかげさ。でもそれは、残された時間のできる限り長くを、普通に近い生活を送れるようにするための治療。根本的に治すための治療ではないんだ」
「そんな...あんまりだよ。そんなの...」と言うミカの頬を涙が一筋伝いました。
「今の医学では、これが限界らしい。少し前までは、最期のときまで寝たきりだったのが、こうしておまえと外出して、飯食って、ぶらぶら歩いてってことができるようになった」
「...」
しばらく二人はテーブルに視線を落として黙っていました。
「ごめんな」とノエルが再び切り出します。
「家族以外には誰にも話さないつもりだった。けど、ひさしぶりにおまえに会ったら、どうしても聞いてほしくなった」
「...ひどいよ、そんなつらい話。わたしだけ?...」
そう言うと、ミカは声を上げて泣き始めました。
隣のテーブルの人が、ミカとノエルのほうを見ました。
お構いなしにミカは泣きじゃくりました。
10分ほど経ったでしょうか。しゃくり上げていたミカはようやくおさまり、涙をぬぐいながら言いました。
「ご家族以外には、本当にわたしだけ?」
「そう。今のところ」
「なんでわたしなの?」
「よくわからん。ただ、病院で再会して、中学時代なんでも話をしていた頃のことを思い出して、おまえしかいない、と思ったんだ」
「『わたしを選んだ』ってこと?」
「...『気がついたらおまえがいた』って感じかな?」
「なに? それ」と言うミカの顔に、少し笑顔が戻ってきました。
「じゃあ、このことはご家族以外には、だれにも内緒ってことね?」
「まあ、時期がきて、自然に知られるようになるまでは」
「わかった。約束する」
「うん。短期間だがよろしく」
「だめ、そんな言い方しちゃあ。また泣いちゃうよ」と下を向いてウルウルするふりをしながらミカ。
「ごめん。女の子を泣かせるなんて、サイテーの男子だな、おれって」
「そうだよ」と再び顔を上げてミカ。
「でも、おれのために泣いてくれる人が、家族の他にもいるんだってこと、なんか嬉しいよ」
残りのコーヒーを二人ほぼ同時に飲み終わりました。
「これからも、こうして会ってくれるかな?」とノエル。
「いいよ。ミクッツの活動でこう見えても結構忙しいけれど」とミカ。
「こちらは暇だから、おれが合わせれるよ」
「次は、天歌で会おうね。わたしは別に気にしないから」
最初に言ったとおり、この店の払いはミカがすませました。
再びアーケード街に出て、駅前まで行きました。
帰りは同じ電車で、並んで座っていきました。
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1月10日の月曜日は始業式の日。快晴だけれど空気は一段と冷え込みます。
授業が午前中で終わった放課後、4人は、カフェテリアにいました。
オリジナルの新曲「天使のメッセージ」の譜面がマイから渡されました。
「もう大変。今朝まで徹夜でやってたの」
「どうして? マイらしくない」とヨッシー。
「歌詞を見て最初に浮かんだメロディーで組み立ててたけど、初詣のあとに完全に行き詰まっちゃって、やり直ししてたの」
「ほんとお疲れ様。わたしの歌詞にそこまで取り組んでくれるなんて、光栄だな」とミカ。
「で、アップテンポのドラムスに、他の楽器とボーカルがコーラスを奏でる曲になった」
それぞれ、譜面を見せ合って曲の全体像をつかみます。
それから約2時間後「ソヌス」でのリハーサル。少し遅めのテンポのタエコのカウント音に続き、ボーカルも含めて全員が一斉に演奏を始めます。
ミカが初めて作詞をした「天使のメッセージ」です。
天使が運んでくれた
キラキラのメッセージ
とめどなくあふれ出るよ
キミに伝えたいんだ
昼下がりの図書館
うららかな光差し込み
コトバがきらめき湧き上がる
ワタシは感じたんだ
天使が持ってきた
透き通るメッセージ
軽やかな唄にのせて
キミに届けるんだ
愛してるとかスキとか
本には書いてあるけれど
コトバにできないこの思い
キミに感じてほしい
笑ったっていい
泣いたっていい
素直な心の ままに
天使が運んでくれた
ピカピカのメッセージ
あしたが終わらないうちに
キミに伝えたいんだ
あざやかな唄にのせて
キミに届けるんだ
キミに伝えたいんだ
「結構いけるんじゃない?」とマイ。
「2月の市民文化祭に間に合わそう」
「でもこれからハードだよね」とヨッシー。
「学年末試験」とタエコ。
ルミナス女子高の学年末試験は、2月13日から始まります。
「試験期間も合わせると実質2週間半、活動中止になるからね」
「私は、人生かかってるし」と国立コース志望のヨッシー。
「1月末までに仕上がっていないといけないってことかな」とミカ。
「そう。なので、時間がない。今度は少しテンポ上げて通すよ」とマイ。
リハーサルが終わると、徹夜明けのマイがヘロヘロになって、今日は音楽談義も反省会も無し、となりました。
みんなそれぞれに家路につきます。4人とも天歌市内ですが、マイはT市方向に電車を一駅のったところ、ヨッシーは鉄道南側の商業地区の西側の住宅地へ駅前からバスで、タエコは駅から歩いてまっすぐ南下したあたり、そしてミカは鉄道北側の文教地区の西側。タエコとはスタジオの前でさよならして、マイとヨッシーとミカは商店街を駅まで歩いて行って、駅のところでさよならでした。
5時半頃、ミカが家に帰ると、おばあちゃんが「今日は早かったね」と言いました。
ダイニングで、おばあちゃんがいれてくれた熱いお茶を飲みます。
「リーダーが昨日徹夜で曲を仕上げたので、今日は寄り道なしで帰宅」
「そう。バンドって大変なんだね」
「うん。でも思ってたよりずーっと楽しい」
「おじいちゃんも、ベースをミカがまた弾くようになって、喜んでいますよ」とおばあちゃん。
「で、今度はいつ演奏するの?」
「2月下旬の市民文化祭で2曲やる予定」とミカ。
「そろそろ私たちも見に行ってもいいかな?」
いままで「恥ずかしい」と言って、二人には来ないでくれと頼んでいました。
「孫が楽しんでやっているのを見るのが、私たちにとっては幸せだからね」
「わかった。2月25日土曜日、天歌市民ホール小ホール。出番がいつ頃かわかったら教えるね」
「2月25日だね。おじいちゃんにも言っとくよ」
背中の肩甲骨のあたりがムズムズしました。
「よろしい、よろしい」と天使が言いました。
学校とバンドの日々がまた始まりました。新曲を1月末までに仕上げるために、個人練習にもリハーサルにも熱が入ります。
同時に学年末試験も気になります。ミカもできれば国立コースへ進みたいと思っています。練習のない日には、図書館で閉館近くまで勉強しました。
1月21日の土曜日は、ルミッコ恒例のウィンターライブ。「エンジェル」で催されます。人気でなかなかとれないチケットをなんとか4枚おさえて、4人で見に行きます。定番曲2曲を含む6曲のプログラム。4人にとっては、軽音部のバンドを応援する、というより、テクやパフォーマンスを勉強する、という感じでしょうか。ミカも、ナッチのボーカルに、自分はまだまだという思いを一層強くします。
ノエルと再会したのは1月22日の日曜日。寒いけれど風が弱く、ときどき雲間から陽がさす日でした。天歌駅前の大きな書店で11時半に待ち合わせて、ショッピングモール内のうどん屋さんで、なべ焼きうどんを食べて体を温めると、駅の反対側の文教地区のほうへ向かいました。最初にミカがいつも行く図書館をノエルに紹介しました。市内には中央図書館をはじめとして10の図書館があり、ミカの行く図書館は「城址図書館」という名前です。
そのあと、二人は城址公園に向かいます。
天歌藩十万石の城址公園は広々としています。
「春になったらお花見に行こうね」とミカ。
「うん」
「約束だよ。そして秋には紅葉狩りもね!」
「それは正直、約束できない」とノエル。
「いいの。そういうことにするの!」とミカ。
城址公園を抜けて、二人は天満宮でお詣りをし、おみくじを引きました。ミカは大凶、ノエルは大吉でした。
天満宮から南下して、ルミナス女子高校の前に来ました。
「5月の文化祭、来たことある?」
「1年、2年と来た。吹部と軽音のステージをずっと見てた。おまえがいるかと思ってな」
「そうなんだ」
「おまえはなにやってたの?」
「クラスの模擬店の手伝い。1年はたこ焼き。2年は駄菓子屋」
「そっか、そちらを探すべきだったな」
「やだ~。ストーカーじゃん」
二人が駅前に戻ったころには、もう冬の早い陽が暮れかかっていました。
駅ナカの喫茶店に入って、コーヒーで体を温めます。
「大丈夫? 疲れてない?」とミカ。
「うん。大丈夫」とノエル。
「次は、どこ行こっか?」
「そうだな、海へ行くにはまだ寒いし...まかせるわ」
「OK。考えとく」
1月28日の土曜日。山から吹き下ろす風に体温を奪われる寒さです。
2時半に終わった音楽室でのリハーサルの後、マイが「緊急ミーティング」の開催をメンバーに告げました。
カフェテリアの隅で、自販機で買ってきたドリンクを前にして、ミーティングが始まりました。
マイが開口一番。
「ええと、練習後のミーティングなら、いつでもやってることだけれど、今回はちょっと、文字通りやばいことが起こってるようなので、こういう形にした」
続いてタエコの説明。ライブの告知をやるミクッツのツイッターの、10月の屋外ライブの告知ツイートがやばいことになっている。だれかが撮影したライブ画像を、リプであげている。そのリプに、さらに200を超えるリプがあり、その内容が音楽ではなくメンバーのルックスで盛り上がっている。
「メンバーのだれがどう、とか?」とヨッシー。
「一番人気はミカ。次がヨッシー。あとマイとあたしが同じくらい」
「よかったじゃん、ミカ。とか言ってられる状況じゃないんだよね?」とヨッシー。
「そう。限定的だけれど異様に盛り上がっている。変な奴出てくるかもしれない」
「ストーカーみたいな?」とマイ。
「そうなると最悪」とタエコ。
「どうすればいいの?」とミカ。
タエコによれば、ミクッツのアカウントを消しても、別のアカウントやらハッシュタグで盛り上がり続けると思われるので、あえて残すことで、自分たちの知らないところで盛り上がられる可能性を減らしたほうがいい、とのこと。
「連中どんなこと言ってるかモニタリングして、アラート出せる」とタエコ。
「わかった。ところでYouTubeにあげた画像のほうはどう?」とマイ。
「連動したようなコメント少し入ってるけど、限定的」
「じゃあ、ツイッターやYouTubeのほうはタエコ、引き続きよろしく」とマイは言うと全員に向けてさらに続けました。
「私たちは、変な形で注目をされているらしい。だから、慎重に行動しなければならない、ということね」
さらにミカに向かって言います。
「ミカが一番注目されている。あなた、最近、例えばノエルくんとかと会った?」
「実はこの前の日曜の午後、ノエルとずっといっしょにいた」
「ノエルくんに事情を話して、しばらくは人目につくところで会わないようにしたほうがいいわ。二人のため」
「わかった。ノエルに伝える」
その日帰ってから、ミカはノエルに「しばらく街中で会わないほうがいい」ということと事情について、メールしようとしていました。
ちょうどそのとき、ノエルからのメールが着信しました。
「入院した」