上編「演奏、はじめました」(3)
9月9日の金曜日、ミカがミクッツに加入して3日目。残暑が続く日です。
今日の放課後はミカのスタジオデビューです。学校の音楽室は水曜日と土曜日に30分しか時間がとれないので、ミクッツは、貸スタジオも借りています。
駅前商店街を抜けたところにある音楽スタジオ「ソヌス」を、週2回1時間ずつ借りています。時間はいつも4時から。5時以降にしたいのですけれど競争率が高いので、放課後速攻ダッシュでぎりぎりに飛び込みます。
その日もぎりぎり間に合って、スタジオに入ります。ギター2本のマイは汗をかいて、相当息が上がっているもよう。
セッティングして、最初30分は全員で「1/2」の練習。ミカも徐々にベースとボーカルのシンクロに慣れ、音楽に自然に乗れるようになってきました。
次の15分は、「初代」の音源で「Diamonds」。ミカは譜面を見ながら追っかけて、最後は楽器を手にしてサイレントプレイをしました。
タイムアップ。片付けしてスタジオを出ると、奥の事務室に向かいます。
事務机に座っていたシニア入口くらいの年恰好の男性に、マイがミカを紹介します。
「こちら、ベース兼メインボーカルで加入した森宮美香さん。学校ではミカと呼ばれてて、ステージネームは二代目ミクベー」とマイ。
「そう。ミクベーちゃんの後任決まったんだ」と男性。
「こちら、スタジオのオーナーの戸松寛さん」
「はじめまして、森宮美香です。ベースは中学の吹部でワンステージやっただけで、ボーカルは初めてです」
「そう。とてもそうは思えない演奏だった。ベースもちゃんとしてたし、透明感の中に艶と張りがある、個性的ないい声だ」
「ありがとうございます」
「戸松さん相談役」とタエコ。
「そう。いろいろと教えてくださるんだよ」とマイ。
「戸松さんとリーダーの音楽談義がはじまると、みんな入っていけないんだよね」とヨッシー。
その言葉どおり、戸松さんとマイが「なにゆえ『『1/2』なのか」について盛り上がった後、戸松さんによる1990年代ガールポップのムーブメントについての講義...
40分ほど過ごしてから4人はスタジオを後にし、7時からバイトのシフトが入っているヨッシーといっしょに、「JUJU」に入りました。
「いつもとおり」で楽しんでいると、カウンター内にいた40才くらいの男性が、なにかトレーに載せてやってきました。
「新しいメンバーが加わったお祝い」と男性が言うと、4人の前にミニチョコレートサンデーを置きました。
「うわ~、店長、ありがとうございます!」とヨッシー。
「吉野さんのバイト代から引いとくから」
「ええっ? マジですか?」
「冗談、冗談。店のおごりだよ」
「店長。いつもありがとうございます。ドリンクとポテトだけで長居して申し訳ありません」とマイ。
「なんのなんの。ドリンクもポテトも原価率低いから」
「こちら、JUJUの店長の半澤邦夫さん」とヨッシーがミカに紹介します。
「はじめまして。森宮美香です。よろしくお願いします」
「こんどぜひ、ご家族連れてハンバーガー食べに来てくださいね」
3人がチョコサンデーにとりかかろうとしたとき、タエコはすでにペロリと平らげていました。
「さて」とマイが場の雰囲気を変えます。
「いっしょに活動をやっていく仲間として、お互いのことをできる限り知っておいたほうがいいと思う。ミカ、あなたもできる限りでいいから、自分のこれまでの人生やら家族のことについて話をしてほしい。無理強いはしないからね」
と言うとマイは自分のことについて話し始めます。
マイは、それぞれがキャリアをもつ両親のもとに生まれました。一人娘のマイが小学校に上がるころまでは、夫婦仲にも問題なく、幸せな家庭でした。
それが、マイが小学2年になった頃から、両親の間にすきま風が吹くようになりました。夫婦間での会話が徐々になくなり、小学3年になった頃には「家庭内離婚」といっていい状況でした。家族の団欒が失われ、マイはひとりで本を読んで時間を過ごすことが増えました。年間100冊は本を読む読書少女は、こういう環境で生まれたのです。
小学5年のときに、両親は離婚しました。母親は別の男性のもとに走り、マイは父親と暮らすこととなりました。ほどなく母親はその男性について東京に行ってしまい、その後マイが母親と会うことはなくなりました。
小学6年になった頃、進学塾の帰り道にマイは、楽器店のショウウィンドウに飾られているアコースティックギターから目が離せなくなりました。すでに度の強いメガネをしていた彼女が、メガネをショウウィンドウにこすりつけるようにしてギターを見つめました。
「触ってみたい」
次の日曜日にマイは父親に「ギターを買ってほしい」と言いました。ふだんおねだりをすることのない娘からの願いに、父親はその日のうちにマイを連れて楽器店に行き、彼女が虜になっていた1本を買ってやりました。
読書とギターに勉強という、今に続く彼女の生活が始まりました。ルミナス女子中学に合格し、お祝いにエレキギターとアンプのセットを買ってもらいました。軽音部に入部し、1年ですでにかなりの腕前だった彼女は、バンドメンバーにはならず、サポートプレーヤーとして、難曲での交代要員や、ギターが追加で必要な曲での補強要員として過ごしました。
3年の半ばに、高校軽音部のルミッコからオーディションの誘いを受けました。心は動きましたが、逆に「自分で一からバンドを作ってみたい」という気持ちが生まれました。
こうして「ミクッツ」が生まれるに至ったのです。
「プリプリの『Diamonds』はね、両親の仲が良かったころの思い出の曲。家族でカラオケ行くといつも聞かされた。うちの父親キー高くて、母親と原キーでハモるの自慢だった。まだ幼かったけれど、頭の中にありありとインプットされている」
マイが話し終わった頃には、ヨッシーはバイトに入っていました。
ミカのミクッツメンバーとしての活動が始まりました。週2日スタジオで、水曜と土曜には学校の音楽室でのリハーサルをやります。終わると決まって「JUJU」で反省会。練習内容のことをひととおり振り返ると、あとはおしゃべりになります。
マイに続いて、ミカに打ち明け話をしたのはタエコです。9月12日の月曜日でした。
「あたし、中学時代3年間ずっと、シカトされていた」
そう言うと彼女はぼそりとした口調で続けます。
市立天歌南中に通っていたタエコは、マイペースでぶっきらぼう。同調圧力がいやで周囲と距離をとっていたら、いつのまにかクラスでも吹部でも孤立していました。露骨なLINE外しに遭い、お祖父さまに買ってもらった高級ボールペンがなくなって、トイレのごみ箱に捨てられていたこともありました。もともとゲーム好きだったのが、こういう状況でますますのめりこむようになりました。学校生活では吹部のパーカッション、特にドラムスに打ち込むことが唯一のよりどころで、つらかったけれど3年まで練習に励みました。幸い顧問の先生は理解してくれて、実力相応のパートを割り振ってくれました。
中学を卒業して、ルミ女の国立コースに入学しました、相変わらずクラスでは人付き合いは最低限でしたが、中学の時のような同調圧力を感じないようになり気持ちが楽になりました。楽器を続けたいので、軽音と吹部を見学してみることにして、先に行った軽音でマイに声をかけられ、ドラマーとしてミクッツに加入。
「ドラムスのおかげで、かけがえのない仲間に出会えた」
14日の水曜日は音楽室でリハーサルです。練習を重ねるにつれて、ミカのパフォーマンも徐々に様になってきます。
リハーサル後の「JUJU」で、ヨッシーが打ち明け話をします。
「うちの家庭は、経済的に厳しいんだ」
ヨッシーが話し始めます。
両親と弟がひとりの4人家族。仲良く恵まれた家庭生活を送っていましたが、ヨッシーが市立一中の3年の時、食品会社の営業マンの父親が突然リストラに遭いました。成績は良かったので、特待生狙いでルミ女の国立・特進コース試験を受験しました。ところが当日風邪をひいたのと、プレッシャーとで試験は散々。かろうじて「一般コース入学資格付与」でした。臨んだ県立天歌高校の試験も、プレッシャーで不合格。結局、ルミ女の一般コースから始めて、上を目指すことになりました。一般コースでは、勝気な彼女は揶揄されようがシカトされようが構わず、ひたすら勉強に励みました。お小遣いと将来のための貯金にとバイトを始めたのが「JUJU」です。努力が実って2年から特進コースになりました。父親は失業保険が切れて、スーパーでバイトをしながら就職活動中です。
キーボードは中学入学のお祝いに買ってもらいましたが、ちょっといじっただけで弾いたことはありませんでした。ルミ女に入って無性に音楽がやりたくなり、楽器を抱えて軽音部に行ったところ、マイに声をかけられたのです。
「ミクッツは、そうね...第二の家族のようなものかな」
ミカは16日の金曜日、スタジオでのリハーサルのあと「JUJU」で自分の打ち明け話をしました。
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10月下旬のライブステージまでに、ミカは「1/2」と「Diamonds」をステージ上で演奏するのに十分なレベルに上達しました。YouTubeにもアップロード。「顔が出て大丈夫?」というミカの心配をよそに、タエコがそのPCテクを駆使して、顔がわからない、それでいて自然な動画があがっていました。
他の2曲のレパートリーにもとりかかりました。仕上がったら動画公開予定とのことです。
そして迎えた10月29日土曜日。ミカのライブデビューの日です。朝はめっきり冷え込みましたが、よく晴れて、天気は終日問題無いようです。
12時30分に講習が終わると同時に4人は部室にダッシュ。まずは機材を持って校門のところに向かいます。そこにバンを停めて待っているのがタエコのお兄さん、がっしりした体躯で、4人から受け取った機材を次々、タエコのドラムセットがすでに積み込まれたバンの中に、軽々と、丁寧に運び込みます。4人は教室に戻り、楽器とカバンを手にして再び校門に。楽器を運び込み終えると、助手席にタエコが乗り、他の3人が後ろの座席におさまりました。1時5分過ぎ、メンバー4人とタエコ兄は、会場のAUショッピングモールへと向かいました。
「そういえば私服持ってきてないけど?」とミカ。
「ユニフォームは制服」とタエコ。
「『制服私用届』提出して承認されてるから大丈夫」とマイ。
ルミナス女子高校の生徒は、登下校時、冠婚葬祭以外で制服を着用するには、「制服私用届」を事前に学校に提出して承認される必要があります。
4人は、クリーム色の丈が長いワンピースの冬服で、今日のステージに立ちます。
1時15分頃、AUショッピングモールのメインエントランス前に着きました。進行担当者と事前打ち合わせをするマイとマイの楽器をいったん下ろして、立体駐車場に向かいます。1階の入り口近くに駐車。先に楽器を、それから機材を会場横の出演者控えスペースに運び込みます。タエコ兄が、最後に一番重いキーボードのスピーカーを軽々と運んで搬入終了。
1時55分頃、ミクッツのひとつ前の、市内のジャグリングサークルのステージが終わりました。会場から離れる人たち。最前列に陣取ってそのまま残っている人たち。
2時少し前からステージ準備。タエコ兄が次から次へと機材を運び込みます。電源をつないで位置を微調整して、ケーブルプラグを接続。音出ししてチューニング。マイは2台持ちなので忙しいです。
2時10分頃、準備OKになりました。準備に夢中だったミカは、急に緊張が高まりました。目が合ったタエコが「ピース」を送ってくれました。
マイが進行担当者に手を振って合図すると、舞台袖のアナウンスの女性が言いました。
「さあ、準備ができたようです。次のステージは、ルミナス女子高校軽音部のバンド「ミクッツ」。あのルミ女の制服を纏った天使たちが、ごきげんなナンバーを披露してくれます」
アナウンスを聞いて人が集まってきました。あわせて40人くらいいるでしょうか。人が増えるにしたがってミカの緊張がますます高まってきました。
マイがメンバーに目で合図をすると、一呼吸おいて、イントロのソロを奏で始めました。
ミカもベースで加わり、そしてボーカルの第一声を音程もタイミングも外さずに発することができました。
無我夢中の5分間。最後の音になんとか辿り着いて「1/2」の演奏が終わりました。
ミカのライブデビューです。
マイによるMC。曲についてとバンドについて。メンバーをステージネームで紹介します。
そして2曲目の「Diamonds」。超有名な曲なので、聴衆も手をたたいたり、いっしょに歌ったりと楽しいステージになりました。
そんな中、ミカは聴衆の中に見覚えのある顔を見かけたような気がしました。
2時25分頃、ステージは終了。速攻で後片付け。タエコ兄が大活躍で、楽器と機材をバンに運び込みます。
撤収が完了すると、進行担当者に挨拶をして、モールのフードコートに行きました。
「おごってやるから」とのタエコ兄の厚意に甘えて、和食、洋食、中華みんな思い思いの料理をとってきて、遅い昼食が始まりました。
「みんな、お疲れさま。いいステージだったと思う」とマイ。
「お疲れさま」...
「お兄様も本当にありがとうございました。タイトなスケジュールをこなせました」
「気遣い無用」とタエコ。
「バタバタしててお兄様をまだミカに紹介してなかったね」とマイ。
「改めまして、こちらタエコのお兄様で内田恵一さん」
「どうも。いまさら、はじめまして、じゃないよね」と頭を搔きながらタエコ兄。
「森宮美香です。よろしくお願いします」
「お兄様は、天大の法学部2年生なんだよ」と憧れるような顔のヨッシー。彼女は国立天歌大学法学部をひそかに目指しています。
「あー、でも幸せだなあ~。こうやって4人で演奏できるんだから」とヨッシー。
「存亡の危機回避」とタエコ。
「ほんと、幸せ。ミカ、あなたのおかげよ。本当にありがとう」とマイ。
背中の肩甲骨のあたりがムズムズしました。
「順調、順調」と天使が言いました。
ノエルは、結局1か月と少し入院し、いったん退院していました。集中的な治療のおかげで表面上はよくなり、家で1週間ほど静養した後に、10月24日の月曜から学校にも復帰しました。けれどあくまで治療の結果の小康状態。根本的な部分では、病状は、悪化することはあれ好転は見込めないとのことでした。
ミクッツのライブの日、ノエルは両親とAUショッピングモールに来ていました。買い物を終えて、モール内のイタリアンレストランで昼食をすませて、帰ろうと出てくると、ちょうどミクッツの演奏が始まったところでした。
ベース兼メインボーカルの女の子に目をやって、ノエルはびっくりしました。
ミカです。顔を見るのは中学卒業以来、1年半が経っています。
「ちょっと、これ見て行ってもいいかな?」
「大丈夫? 疲れてない?」とノエルの母親。
「うん。大丈夫」
「ならいいけど」
ノエルは、ミカのほうを真っすぐに見たいような、目を合わせられないような、中途半端なうつむき加減でミカのステージを聴いていました。
1曲目が終わったところでノエルは呟きました。
「あいつ、ベース...続けてたんだ」