上編「演奏、はじめました」(2)
2時少し前、指定された音楽室にミカは着きました。3人は楽器や機材の準備をしています。
「よかった。来てくれたんだ」とアコースティックギターのチューニングをしながらリーダーのマイ。
コンタクトでしょうか。メガネを外しています。
「2時半から吹部の全体練習なんで、それまでに空けなくちゃいけないんだ」
「軽音の使える時間は限られていてね。それを4つあるバンドで分けてるんだ」とマイクを調節しながらヨッシー。
タエコは黙々とドラムスやシンバルの位置調整と椅子の高さ調整をやっています。
2時になりました。
「それではミカさん」とマイ。
「はい」
「ミクッツのリハーサルへようこそ。私はリーダーでギターとMC担当のシショー」
ミカが一瞬ぽかんとします。
「あっ、シショーはステージネームね。そしてこちらがドラムス担当のタイコ」
スティックを手にしたタエコがこくりとうなずくように礼をします。
「そしてこちらがキーボードとサイドボーカル担当のミクピー」
ヨッシーがミカに軽く手をふります。
「転校しちゃったベースとメインボーカル担当のミクベーは、音源で参加です」
そういうとシショーことマイはスマホを操作しました。
音楽室のスピーカーからドラムスティックのカウント音が4つなり、シショーのギターソロが始まりました。キーボードとベース、ドラムスが加わって、ミクベーによるボーカルがスピーカーから聞こえ始めました。
その5分くらいの曲が終わると、マイがミクに向かって言いました。
「どう? うちの4曲目のレパートリーで、川本真琴さんの『1/2(にぶんのいち)』」
そういうとマイは譜面をミカのところに持ってきて渡しました。
「これがボーカルとベースの譜面。これからミクベーなしで3人で少し練習するから、見てて」
マイが他の2人に譜面を見ながらいくつか指示をすると、3人は最初から始めました。何度かマイが止めて、指示をして再開、そんなことを2回繰り返しました。
譜面を見ながら追っかけていくミカ。
「だめだ、わたしにはできない」とミカ。
一方、天使はこう言います。
「やっぱりこれって、チャンスだよ」
2時20分頃になりました。マイが言います。
「それじゃあ、最後にもう一回。ミクベー入りで通しでいくよ」
さっきよりもメリハリのきいた5分の演奏が終わりました。
「OK。それじゃあ今日は終わり。おつかれ。おっといけない、吹部の連中が外で待ってる。速攻で撤収!」
学校の備品のドラムスは吹部も使うのでそのままにして、マイはギターをケースにしまい、軽音部備品のコンポアンプをいったん音楽準備室に運び込みます。ヨッシーはキーボードをケースにしまって、机をもとあった位置に戻します。タエコはマイクとマイクスタンドをしまって、これも音楽準備室に運び込みます。
こうして4人は音楽室から音楽準備室に移りました。
ちょうど2時半。4人はコンポアンプとマイクセットとそれぞれの荷物を持って軽音部の部室に向かいます。正門と校舎をはさんで反対側、テニスコートの奥の城址公園に接する壁沿いに並ぶ、部室棟の部屋のひとつが軽音部の部室です。
20㎡くらいの広さの部室に、備品の楽器や機材などが所狭しと並んでいます。奥にテーブルと椅子がいくつか。一番奥に練習用の電子ドラムがあります。電子ドラムの前にはこちらに背を向けて練習している子がいます。4人に気づくと振り返って、そこにミカがいるのを見てヘッドセットを外して言いました。
「あれ、ミカじゃん。どうしたの?」
「うん、いろいろあって」
ドラムスの練習をしていたのは早川纏衣。ミカとクラスメイト。マーちゃんと呼ばれています。
彼女はルミナス女子高校軽音部創設以来受け継がれているバンド「ルミッコ」の第21代リーダーになったばかりです。
「ミクッツはリハーサル終わったの?」とマーちゃん。
「うん。ルミッコはいつ?」
「吹部が終わったあと4時半から」
マイたちはコンポアンプとマイクセットを部室に運び込みました。
「マーちゃんはいつもここで練習してるの?」とミカ。
「交代だけどね。家にパッドはあるけと、やはり音を聞きながら練習したいし。その点タエコはうらやましい。防音設備つきの練習室があるんだから」
「ドラムスやりたいって言ったら、じいさんが先に防音室作った」と相変わらずぼそりとタエコ。
「さて、そろそろ交代の時間。カフェテリアで時間つぶすわ。あなたたちは?」
「ここで少し話をしてから帰る」とマイ。
「了解。じゃあ。また明日」
マーちゃんはカバンを持って、出て行きました。
「さて、どうだった? 私たちの演奏」
4人が部室の椅子に腰かけると、マイはコンタクトを外しながらミカに向かって言いました。
「すごかったです。学祭で聞いたのより、ずっと迫力ありました」
「ミカは、ベースは自分の楽器、持ってるんだよね」
「ええ。楽器と練習用の小さなコンポアンプ」
「なにも問題ないじゃん」
「ミカ、いっしょにやろうよ。このままだと私たち続けられなくなっちゃう」とヨッシー。
「存亡の危機」とタエコ。
「でもわたし、ベースは中学で少しやっただけでずーとやってないし。人前でソロで歌ったこともないし」とミカ。
「まあ、そう言わずに、試しにやってみたら? 渡した譜面で2週間くらい個人練習して、いっぺん合奏してみようよ。ねっ!」とマイ。
「...わかりました
「じゃあ、うちのレパートリー4曲、音源渡すからスマホ出して」
マイはそう言うとUSBメモリを出して、ミカのスマホにファイルを転送しました。
ミカと3人がメアドを交換すると、4人は下校することにしました。
校門を出てしばらくいっしょに歩いた後、駅のほうへ向かう3人と分かれると、ミカは、まっすぐ家へ向かいました。
ミカと分かれた3人。ヨッシーが言います。
「いきなり『1/2(にぶんのいち)』、きつくない? 私らもけっこう苦戦したし」
「いや、そこが狙いなのさ」とマイ。
「どうして?」
「2週間であの曲をこなせれば、他の曲は問題なくものにできる。あの子ならできそうな気がする」
「なんで?」
「そうね...強いて言えば直感かな?」
「直感? リーダーらしくもない」
「ただいま~」
「おかえり、ミカ」とおばあちゃんがリビングから出てきました。
「ごめんね、急に」
「喉乾いたでしょ?」
ダイニングでおばあちゃんがコップに注いでくれた麦茶を、ミカは一気に飲みます。
「図書館行くんじゃなくて放課後を外で過ごすなんて、珍しいわね。友達といっしょだったの?」とおばあちゃん。
「うん。まあ、そんなところ」
「ミカが友達と時間を過ごしてるなんて、うれしくなっちゃうな」
自分の部屋に入り、着替えると、ミカは学習机の前に座りました。本棚の横に立てかけるように、弾かなくなって久しいベースがミニアンプといっしょにあります。しばらく考えていたミカは、渡された楽譜を出すと、立ち上がってベースカバーから楽器を取り出しました。座りなおしてベースの譜面の最初のフレーズを弾いてみます。
「意外と指が動くな」と思った次の瞬間でした。
「ん?」
背中の肩甲骨のあたりがムズムズしたような気がしました。
「ほら、やっぱりこれ、チャンスなんだよ」と天使が言いました。
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夏期講習期間中は、ミカは1日2時間練習しました。まずはベースだけ。ひととおりなんとか弾けるようになる頃には、始業式になっていました。学期が始まって放課後の時間もあまり取れなくなると、練習時間は1日1時間になりました。ベースを弾きながら少しずつ声を出していきます。
そうこうしているうちに9月6日。マイからメールが入りました。
「どう? 明日は水曜日で音楽室を軽音部が使える日なので、5時からリハーサルです。来て合わせてみない? 個人練よりずっと楽しいよ」
ミカはマイに、こうメールを返しました。
「まだまだ自信がないけれど、一度合わせてみます。5時からですね。アンプも持ってったほうがいいですか?」
速攻で返事がきました。
「うれしい! ありがとう。アンプは部の使えるから楽器だけでいいよ。じゃあ5時10分前に音楽準備室に集合ってことで。よろしく!」
翌日。カフェテリアでミカが時間をつぶしていると、マイとヨッシーがやってきてミカの前に座りました。
「おひさしぶり。合わせてくれるってほんとにうれしいよ」とマイ。
「タエコさんは?」
「どっかでゲームやってんじゃない? ゲームオタクなんだ」とヨッシー。
「けどパソコンとかも結構やれるっから。ミクッツの『IT担当』だね」とマイ。
「みんなのステージネーム、どうやってつけたんですか?」とミカ。
「まず私のシショーだけれど」とマイ。
「図書館司書志望なので司書の『シショ』と、一応音楽的にもみんなに教える立場なんで、音楽の師匠の『シショー』からきている、らしい」
「らしいっていうと?」、
「タエコがつけたから。みんなのステージネームはぜんぶタエコが考えたの」とヨッシー。
「で、私のミクピーは、転校したミクちゃんと名前が同じで区別するのに、「ピアノのミク」でミクピー。これも。らしい」
「そうか。それで「ベースのミク」でミクベーなんですね」と納得したミカ。
「じゃあ、タイコは?」
「『太鼓やるタイコでいんじゃね?』とか言って決めたの」
「なんかすごいな。で、ミクベーさんはどういう人だったんですか?」
「苗字からわかると思うけど、旧華族の名門の一族らしい。世が世ならばお姫様。実際に『お姫様キャラ』なんだけれど、人懐っこくて誰とも分け隔てなくつきあう、アイドル的な存在だったのさ」とマイ。
「1年のとき一般コースでイジメの中心人物の一人だった子がいて、その子が2年で特進に上がったあと、1年のときの話が知れてクラスの中で敬遠されて孤立した。ただ、ミクだけは最初からその子にも変わりなく接して、ミクのおかげで次第にクラスに溶け込めるようになったんだって」とヨッシー。
「そんな人の後任、ますますわたしでいいのかしら」
「ご心配なく。タエコは地元の資産家のお嬢さんだけれど、そんな雰囲気ないし、私とヨッシーはふつうのサラリーマン家庭」
そう言うとマイは一呼吸おいて続けます。
「まあ、考えすぎないで、高校時代に音楽をマイペースで楽しむのがミクッツなんだ」
「じゃあ、高校で終わり?」
「うん。3年の夏まで」
そうこうしているうちに、5時まで15分となりました。
「そろそろ行こうか」とマイ。
5時ちょうど。準備のできたミクッツ3人とミカは、音楽室でリハーサル兼オーディションを始めようとしていました。
「ミカ、いいかな?」とマイ。
「すみません、心臓バッコンバッコンですけれど、始めてください」
「じゃあ、『1/2』行くね」
そう言うとマイは前奏のソロ部分を奏ではじめました。
ソロが2フレーズ続いて、キーボードとドラムスとタイミングを合わせてミカはベースを弾き始めます。
さらに2フレーズ続けて、ボーカルが始まります。
Aメロの上下が大きい伸びやかな旋律。Bメロの少し細かいフレーズと高音域へのゆったりとした上昇。そしてサビの細かいフレーズに続く3回の「愛してる」...
ミカは無我夢中で歌い、演奏しました。
余韻が消えてしばらく、音楽室内が静寂に包まれました。
ミカが消え入るような声で切り出します。
「ダメ、でした? 歌もイケてないし、ベースもミスタッチばっかりだし...」
静寂を破るようにマイの笑い声が響きだしました。
「...ククク...ハハハハハハ」
「えっ?」とミカ。
「合格ってことなんじゃね?」とタエコ。
「ごめんごめん、2週間でここまでもってくるとはね。ブラッシュアップ必要だけど、ミカ、あなたすごいよ」とマイ。
「じゃあ?」
「そう。あとはあなたの気持ち次第」
「お願い。いっしょにやろう」とヨッシー。
「存亡は君の双肩に」とタエコ。
「ええと...実を言うと、いっしょに演奏してとっても気持ちよかったんです」
ミカはそう言うと一呼吸おいてさらに続けました。
「こんなわたしでよかったら、ぜひメンバーに加えてください!」
背中の肩甲骨のあたりがムズムズしました。
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そのあと1回、途中確認しながら通して、もう1回止めずに演奏すると5時25分になっていました。急いで撤収。入れ替わりに入ってきたのはマーちゃん率いる「ルミッコ」のメンバー5人。ギターは2人でキーボードは2台持ちです。
「ミカちゃん。ミクッツ加入?」とマーちゃん。
「うん。いまオーディションで合格したの」
「軽音部へようこそ」
「期待の新人だよ。2年だけど」とヨッシー。
「よかったらうちのリハーサル聞いてって」とマーちゃん。
ルミッコが演奏した曲は、洋楽でちょっと不思議なテイストのある、印象的な曲でした。
「『Walking In My Sleep』。クラウドベリー・ジャムっていうスウェーデンのアーティストの曲。ルミッコでずっと受け継がれている定番レパートリーのひとつ」とマイ。
「なんかすごい堂に行ってますね」とミカ。
「ルミ中軽音部の子たちの憧れのバンドだからね。高校進学時にメンバー入りできるよう計算して、楽器を持ち替える子もいるって話だし。ルミ大の学祭にも呼ばれてゲスト出演するよ」
4人そろって校門を出たのは6時頃。
「まだ大丈夫だよね、ミカ」とマイ。
「ええ、家には少し遅くなるかもって言ってきました」
「じゃあ、今後のことも含めて、軽くミーティングやってこう」
マイがそう言うと、4人は駅を通り抜けて向こう側へ歩いていきました。
着いたのは天歌駅前商店街の中のハンバーガーショップ「JUJU」。
入り口から2つ目の窓際の4人掛けの席に着きました。
「ここ、ヨッシーのバイト先」とマイ。
「売上貢献」とタエコ。
「平日週2と日曜」とヨッシー。
「じゃあみんな、いつもので。そうそうミカは?」
「じゃあ、アイスコーヒーのMサイズ、ブラックで」
「かしこまりました!」と言うとヨッシーはカウンターに行きました。
店長でしょうか。オーダーしながら二言、三言ヨッシーと話しているうちに、ドリンク4つとポテトのLサイズが揃いました。
手慣れたふうにトレーを持ってヨッシーが戻ってきます。ドリンクを各自の前に置き、ポテトをのせたトレーを真ん中に置きました。
「ここのポテト、ちょっと高いけど絶品。それじゃあ」
マイが言うと「いただきま~す」...
「では最初に、ミカにミクッツの規則を言うね」と少し背筋を伸ばしてマイが言います。
「ミクッツ内では『ですます』禁止! だからミカも今から、『ですます』はやめること。いいね?」
「でも...知り合ってまだそんなに経ってないし」
「一度合奏した仲間なんだから、他人行儀は禁物だよ」とヨッシー。
「わかり...わかった。でも慣れなくて出ちゃったら許してね」
「そうそう忘れないうちに」と言って、マイはポテトの油がついた手を紙ナプキンで拭って、カバンの中から書類を1枚取り出します。
「これ、軽音部の入部届。記入して今週中くらいにマーちゃんのところへ持っていってね」と言って書類をミカに渡します。
「そうか。彼女部長だもんね。了解です」
「ほら、『です』が出た!」とヨッシー。
「3回でペナルティ。全員にドリンクMサイズおごり」とタエコ。
「真面目な話。次のライブが決まったよ」とリーダー。
「やった~」とヨッシー。
「どこでやるの?」とミカ。
「屋外ライブで、場所はそこのAUショッピングモールのメインエントランス前。抽選結果がさっきメールに入ってた」
「いつ?」とヨッシー。
「10月29日の土曜日。時間が、それが午後2時からなんだよね~」とマイ。
「土曜の講習12時半までだよね。間に合うかな? 機材もあるし、タエコのドラムスもあるし」とヨッシー。
「アニキにバンで運ばせる」とタエコ。お兄さんは大学生で、妹の頼みを断らないのだそうです。
「了解。よろしく」
「で、何曲やるの?」とミカ。
「30分もらっているけれど、セッティングやら撤収の時間考えると、実質15分。3曲はむつかしいね」
「どれやる?」とヨッシー。
「せっかくだから『1/2』はやろうよ。それから主催者的にはポピュラーなのをお望みだろうから、『Diamonds』だね。あれは、そんなにベース難しくないから、ミカ大丈夫だよ」とマイ。
「ライブするなら、ミカのステージネーム必要」とタエコ。
「そうだ。どうしようか」
「『二代目ミクベー』でよくね? クとカちがうけど」と再びタエコ。
「よし、じゃあそれで決まり。いいよね、ミカ?」とマイ。
「うん。いいよ」
「それじゃあ最後に、ミカをミクッツのLINEに...」
「ごめんなさい。わたし、LINEやってないの」
「わかった。スマホ貸して」とマイ。
ミカはスマホをマイに渡します。ほとんどをマイとタエコがやってくれました。
「LINEネームどうする?」とマイ。
「ミクベーじゃミクとかぶっちゃうし。二代目ミクベーだとちょっと長いかな」
「二代目!」とタエコ。
こうしてミクッツの「二代目ミクベー」が名実ともに誕生したのでした。
「ね、よかったでしょう」と天使がささやきました。
少し時間を遡ります。
同じ日の午後、ミカの中学校のときの同級生、ノエルこと中上乃恵留は、両親といっしょに天歌大学医学部付属病院の血液内科の診察を受けていました。通っている県立天歌高校の授業を休んで、その日朝から検査をずっと受けていました。そして、1週間前に受けた検査とあわせて、その結果を聞いていたのでした。
主治医は長い時間をかけて、いろいろと丁寧に話してくれました。けれどノエルは、何を聞かされたのかよく思い出せません。ただ呆然としていて、理解できたのは「即刻入院しなければならない」ということだけでした。