エピローグ(2)
次の週、担任の松本先生に面談をお願いし、火曜日の放課後に時間をとってもらいました。
面談内容は志望の変更についてです。
「医学部志望として現役は天大医学部のみを受験する」と伝えました。
「併願はしないのかな?」と松本先生。
「私大医学部の学費は、うちにはとても無理です」
「正直いって現役ではほぼ無理でしょう。浪人することにご家族は?」
「一浪までならかまわない、と言ってもらっています」
「では、2年目は、他学部を併願するということだね」
「はい。そのつもりです」
「いいでしょう。ただ、気持ちだけは『今年合格する』というつもりで」
一浪覚悟で医学部を志望することについて、松本先生の面談の前日に、おじいちゃんとおばあちゃんには話をしていました。
おとうさんにも同じ内容についてメールを送信しました。「予備校の授業料ならなんとでもするので、頼って欲しい」との返信がきました。
松本先生のアドバイスを受けて、できる限りのことはやりたいと思い、ミカは予備校にコース変更を相談しました。手続き代やテキスト代を追加で払うことでOKとなり、10月14日の土曜日から、ミカはタイシくんと同じクラスで学ぶことになりました。
マイとタエコに予備校の帰りに報告しました。「思い切ったねえ」と言われましたが「応援してくれる」とのこと。ヨッシーにはLINEで報告。「すごーい。がんばって!」とのメッセージが。
ノエルには、気を遣わせるのではないかと思って、医学部志望に変更したことを言いそびれてしまいました。
2週続けて日曜日に模試があり、次に日曜日にお見舞いに行けたのは10月29日。もうすぐ11月、朝晩はかなり冷えるようになってきました。
平日は週2日ノエルのところに通っていましたが、話すスピードが一段とゆっくりになったように思えます。
「やはり...紅葉狩りは難しそうだな」とノエル。
「もうあと、1か月だよ」とミカ。
「たぶんそのころは...体が動かないだろう」
「お願い。弱気は禁物」
「そうだね」
11月5日の日曜日。厚手の服に1枚羽織るくらいでちょうどいいくらいの気温の、よく晴れた日でした。
ミカはタイシくんといっしょにノエルのお見舞い。いつもとおり2時頃に着きました。
「やあ。今日は二人いっしょで...来てくれたか」とニコニコしながらゆっくりと話すノエル。
「気分はどう? 変わりは?」とタイシくん。彼は先週の平日に、ひとりで来ていました。
「まあ...いまさら隠しても仕方ないから言うと...いいとは言えない」
「そうだろうね。あまり長居しないほうがよさそうかな」とタイシくん。
「いや、おまえらの顔見てると...気がまぎれる。いつものように...いてほしい」
「わかった」
しばらく3人黙っています。
「今日は、報告があってきた」とタイシくん。
「ほう。なにかな?」
「ミカさんと予備校同じクラスになった」
「っておまえ...医学部コースだよな?」
「ああ。ミカさんが医学部コースに編入した」
「ということは、ミカは医者になる気ってこと?」とノエルがミカのほうを向いて言います。
「...うん。10月前半に決めたんだけれど...なんか言い出しつらくて」
「そうか...ミカが医者に...」と考え込むノエル。
「...そう決めたのって...おれのことがあってか?」
「うん。そうかもしてない」
一呼吸おいてミカが続けます。
「ノエルと再会してから、病院で過ごすことが多かったこと」
「ほんとに...よく見舞いに来てくれたからな」
「それに、1階のホールでライブも3回やった。入院している人たちの前で演奏した」
「そうだな」
「志望が決まらなくて悩んでいたところに、タイシくんから医師について聞いた。『医療系も考えてみたら』ってアドバイスをもらった。そうしたら、この1年とちょっと自分の過ごした時間の中の大切な部分が、病院という空間で占められていることに気づいた。だから働く場所として病院ってことを考えた」
「医療系も...いろいろ職種があるぜ」
「バンド仲間のヨッシーが、法学部、そして弁護士を目指している。法律系の「オールマイティー」だからって言っていた。そうすると、医療系で「オールマイティ」なのは医師。だったら医師を目指してみたい、と思った。わたしには高望みだけどね」
「大変じゃないか?」
「おじいちゃん、おばあちゃんには、国公立で一浪までならってことで許してもらった。おとうさんも応援してくれるって言ってくれた」
「そうすると...天大の医学部か?」
「そう」
「ぼくにとっては、同志ができたってわけだ」としばらく黙って聞いていたタイシくん。
「そうか...でも、はっきりと見えなかったミカの将来に...ひとつのイメージが」
一呼吸おくノエル。
「なんか...うれしいというか...ほっとした気がする」
ノエルとタイシくんが話す高校の話、ノエルとミカが話す中学の思い出話、そしてタイシくんとミカが話す予備校の話、いろんな話をしました。
「そういえば、コトネちゃんと、あの...カケル君。二人は最近やってきた?」
「うん。10月半ばの...土曜日だったかやってきた...二人とも記録会で...自己ベスト更新したって、その報告」
「そう。やっぱりあの二人、お似合いだと思うんだけどな」
「そのへんは...天使様のお取り計らいで...どうぞよしなに」とノエルはミカに言うとタイシくんに向いて言います。
「...陸上部の後輩の話。詳しくはまた、ミカに...聞いてくれ」
「了解」とタイシくん。
二人が病室に入ってから2時間が経ちました。
そろそろ、ということで二人が帰り支度を始めます。
「タイシ、今日はありがとう...また、来てくれよな」とノエル。
「ああ。わかった」とタイシくん。
二人は病室を後にしました。
11月10日の金曜日。雨がしとしと降る寒い日、ノエルと両親は、主治医と相談して今後の治療方針について決めました。積極的治療は終了とし、緩和ケアのみとすることに。同時に、面会を原則として近親者のみに制限することとなり、両親以外では、ノエルのたっての希望でミカを近親者に含めることとしました。
ノエルとの面会がNGになった、との報せが伝わるにつれ、ノエルの命の灯がもう長くはもたない、ということが自然に伝わりました。
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ミカはその後も同じペースでお見舞いに通いました。日曜と平日週2回。ノエルは寝ていることが多くなり、ベッドの横で勉強をするミカにときどき声をかける、という具合になりました。
10月に受けた共通テストと記述の模試の総合判定結果が通知されました。タエコとマイがA判定、ヨッシーはB判定になりました。
ミカは...天歌大学医学部医学科の判定が4段階で一番下のD判定です。
11月26日の日曜日、晴れているけれど底冷えのする日、今年初めてダッフルコートを着たミカが、いつものとおり2時頃、ノエルの個室の前まできました。
扉のところにお母さまが立っています。
「なにかありました?」とミカが聞きます。
「いや、ちょっと...いま会うとまずいかもしれない」
「...すみません。余計心配になるんで、会ってもいいですか?」
「じゃあ」
ミカが病室に入ります。
「ノエル...大丈夫?」
ベットに立膝で座った状態で、ノエルがじろりとミカの顔を見ていいます。
「...ひとりにしといてくれないか」
「どうしたの?...つらいの?」
「あたりまえだ。出てってくれ!」
そんな力が残っているんだ、とびっくりするぐらいの大声で、ノエルが叫びました。
頬がげっそりとこけた、ものすごい形相です。
びっくりしたのと悲しいのとで、ミカは部屋を飛び出します。
デイルームに行ったミカは、椅子に掛けると、コートを着たままテーブルに突っ伏して泣き崩れました。
5分くらいしたでしょうか。ミカが顔を上げると、お母さまが立っていました。
「驚かせちゃったわね。やはりやめとくべきだったかしら」とお母さま。
「いえ。いいんです。わたしが自分から行ったんですから」
「コーヒーでいい?」とお母さま。
「はい」とミカ。
お母さまが自動販売機でドリンクを買ってきて、ミカの分を渡します。
二人同時にプルタブを開けて、一口。
ミカはコートを脱ぎます。
お母さまが話し始めました。
「最近、ああいうことがあるんです。今日は今までで一番強烈かもしれない。
「...」
「ミカさん。あなたには本当によくしていただいたわ。感謝しています」
「いえ、何もできてません。現に、今日だって...」
「こんな言い方、申し訳ないかもしれないけれど、そろそろもう、これくらいにしてはどうかしら」
「...」
「あなたはいま、受験生なんですよね。それに、将来もあるんだから...」
「...こんな気持ちのままでは...お願いです」
ミカの瞳に再び涙が滲んで、一筋頬を伝いました。
「いまは、できるだけ、ノエルの近くにいたいんです。でないと、後悔すると思います」
「...」
「どうか、最後までノエルの『ダチ』でいさせてください」
「わかりました。本当にありがとう」
というと、お母さまは視線を少し遠くにやります。
「ノエルがひとりっ子なのはご存知ですよね」
「ええ」
「あの子の父親は、いずれノエルが伴侶を得て、義理とはいえ家族が増えるのを楽しみにしていました」
「...」
視線をミカのほうに戻します。
「さっきはあんなこと言ってごめんなさい」
「いえ...」
「本音を言うと、あなたのようにあの子のことを思ってくれる人のことを、私も家族のひとりであると思いたいんです」
「そんな、もったいない...」
「そんなことないです。もったいない、と言うべきは私たちのほうです」
「...」
「だから、本当に勝手なお願いですけれど...あの子に残された時間、私たちと家族のようにお付き合いできないかしら」
「...」
「できる限りの時間で結構です。あなたも忙しいでしょうから」
そういうとお母さまはミカに、精一杯の微笑みをかけました。
ミカは、こっくりとうなずきました。
「様子見てきますね」といってお母さまが病室のほうに行きました。
数分して戻ってきました。
「落ち着いたようです。行ってやってくださいますか」
ミカは立ち上がり、コートとバックパックを持ってノエルの個室に向かいました。
ゆっくりと、中をうかがうように室内に入ります。
ノエルは立膝の上に顎をのせた格好でじっとしています。
ミカが荷物を置いて、ベッドの横に立ちます。
「...さっきは、ほんと...ごめん」とノエル。
「いいんだよ」とミカ。
「取り乱して...恥ずかしいし...申し訳ない」
「ほんと、気にしないで」
「でも...たまらないんだ...こわくて...」
そう言うと、ノエルは顔を立てた膝の上に埋めます。
微かに泣き声が聞こえます。
ミカはベッドの端に腰かけて、体をノエルのほうに近づけます。
ノエルの頭を両手で抱えて、ミカの右肩のところにのせます。
そして両腕をノエルの頭に回して抱きしめました。
はじめてキスして、ノエルが「幸せだ」と言ったときと同じように。
その日の晩、ミカはノエルのことを、おじいちゃんとおばあちゃんに話しました。受験勉強の妨げになるかもしれない状況ですが、「悔いのないように」と二人とも理解してくれました。
そのあと、おとうさんに電話で話をしました。「力になれることがあったら言ってほしい」と言ってくれました。
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その次の週、師走最初の日曜日、ノエルは、おそらく最後となるであろう一時帰宅の許可をもらって、家へと向かいます。
ひとりで立っているのはつらいようで、ミカの腕にすがって歩くような形になります。
長距離選手として鳴らしたころのノエルだったら、腕にすがられたら、ミカはとても真っすぐ立っていられなかったでしょう。本当に軽くなった、ということを、腕から伝わってくる感覚で実感します。
朝10時頃。メインエントランスの車止めのところで、お父さまが待っています。寡黙な方らしく、黙ってミカに会釈します。ミカも会釈を返します。
後部座席にミカとノエルが乗り、お母さまが助手席に乗ります。
「ちょっとだけ...城址公園の紅葉を...見たい」とノエルがつぶやきました。
お父さまは、発進させた車を城址公園沿いに進めて、紅葉が見えるあたりに停めました。
ミカとノエルが車外に出ます。城址公園の中に入り、色づいた木々の下の道を進みます。
「約束...」とノエルがつぶやきます。
ノエルのほうを見ると、ノエルはミカに微笑みかけます。ミカも微笑みを返します。
ノエルの自宅は車で10分ほど、ミカの自宅からさらに少し西に行ったところにある一戸建てです。
お母さまが玄関の鍵を開け、二人が上がってしばらくすると、車を駐車させたお父さまが鍵を閉めて入ってきます。
先にリビングのソファーに並んで腰かけた二人の右斜め前に、お父さまが腰かけます。
「ミカさん」とお父さま。
「ほんとに、ノエルがお世話になって」
「...とんでもありません。わたしが勝手言ってるようで」
「感謝してます」と言ってお父さまがお辞儀をされました。
ミカもお辞儀を返します。
ダイニングからおいしそうなコーヒーの香りが漂ってきました。
「ミカさんは、たしかブラックよね」とお母さま。
「はい」
お母さまが4人分のコーヒーを運んでリビングに入ってきました。
コーヒーテーブルの各自の前にコーヒーを置くと、二人が並んで座っているソファのお父さまの側に腰かけます。
「寒いわね。お昼は温かいものをこしらえましょう」とお母さまが言います。
コーヒーを飲みながら、主にお母さまとミカが言葉を交わしました。ミカの学校のこと。バンドのことなど。
コーヒーがすむと、ノエルとミカは2階のノエルの部屋へ行きます。玄関横の階段をノエルが一段一段、ゆっくりと上ります。あとからミカがついていきます。上りきったところすぐ右手のドアを開けると、ノエルの部屋。
きれいに片付いた部屋。中学時代のものでしょうか、大会で好成績をあげたときの表彰状がいくつか掛かっています。
学習机にベッド、書棚にチェストと、ごく普通の男の子の部屋です。
ベッドの端に二人並んで腰かけます。
向き合って、唇を重ねます。キスは久しぶりです。
そのまま、ミカがノエルの頭を抱えて、抱き合います。しばらくじっとしています。
ノエルが呟きます。
「ありがとう...」
お母さまが用意してくださったお昼ご飯は、にしんそばでした。温かいおそばの上に、身欠きニシンの甘露煮と薬味のネギがのっかっています。
「ノエルの好物でね」とお母さま。
「うちの年越しそばは、いつもにしんそばなんですよ」
「そういえば、師走だな」と感慨深げにお父さま。
揃っていただきます。
「おいしい」とミカ。
ノエルは、ゆっくりと、噛みしめるように食べます。
ノエルがにしんそばを食べ終えた頃には1時を過ぎてました。
「何時に戻るんだっけ」とお父さま。
「3時までには、ってことでした」
「じゃあ、車で少し回ってから戻ろうか。どうだい?」とお父さまがノエルに聞きます。
「うん」
お父さまは最初に、ノエルとミカが通った市立三中に連れて行ってくれました。
車内で待つご両親を残して、ミカの介添えでノエルを校内に連れていきます。
ノエルにとって一番懐かしいのがグラウンドです。陸上部自体の練習は休みのはずですが、自主練をしている後輩がいるようです。
校舎や体育館は施錠されていて入れませんでした。外から中を覗きます。
1年生で同じクラスだった時の教室の前に来ました。
「おれたち...ほんとよく...話ししたよな」
「うん。そうだね」
車に戻ると、次にお父さまは天高に連れて行ってくれました。
やはりグラウンド。こちらも自主練の後輩たちがいるようです。
「文化祭...いっしょに...来れなかったな」
「うん。でもこうやって、いっしょに来れた」
3時まではまだ少し時間がありました。お父さまは、駅のほうへ向かった後、戻る形で城址公園の周辺を回りました。ノエルは、車窓の景色をひとつひとつ胸に焼き付けているのでしょうか、じっと黙って眺めていました。
3時5分前、お父さまは車をメインエントランス前に停めました。ミカとノエルが先に行き、お母さまが続きます。お父さまはパーキングに車を停めにいかれました。
こうしてノエルの「家族の一日」は過ぎていったのでした。
最後の日々、冷たい北風に吹かれながら、ミカは同じペースでノエルのもとに通い続けました。
ノエルがほとんど黙って寝ている横で、ミカが受験勉強をする、という形になりました。
ほんのときどき、ノエルがミカに声をかけて、思い出話をしました。たいてい「ベース下手くそ」発言をノエルが「すまなかった」という形で終わりました。
一度だけ、気分がよくてノエルが少し多めにしゃべったときのこと。
「あのひとことの...後悔を...墓場まで持ってくんだ」とノエルが言いました。
「持ってかなくていいよ、そんなもの」とミカ。
「...」
「成仏できないと困るから。わたしのところに置いてって」
「ははは...」弱々しい声ですが、ノエルがたしかに笑いました。




