3. まったく痛みを感じられない
「へっ!ぶっ!しっ!」
ワープゲートから勢いよく飛び出たメイは、そのまま地面に激突し、二回ほど跳ね、壁に後頭部から激突した。
「痛ったぁ……くない?」
血まみれになりそうな衝撃にも関わらず、怪我どころが痛みが全く無いことを不思議に思った。
「というか、パイも無くなってる。まったく、いくらなんでも乙女にパイは無いでしょ、パイは。お笑い芸人じゃないんだから」
女神のところでのアレコレが無かったかのように、体は元通りで疲労も感じられない。さっきのは精神体とかそんな感じだから汚れてないのかなぁなんて思いながら辺りを見回す。
「あれ、服も変わってる。いつものだ」
白いワンピースと麦わら帽子は、姉や妹に色々と着せ替えられていた途中のもので、普段着では無い。それが普段利用しているラフな外出着に変わっていた。軽い運動程度なら出来るのでありがたい一方、服が勝手に変わっているというのはちょっと気持ち悪くもあった。
「さて、どうするかなぁ」
これからの目標について考える。
「あのポンコツ女神をぶん殴るのが最優先で、次は元の世界に帰ることかなぁ。願い云々は別にいいや。ど、どうせ成長するし。でも説明何も聞かなかったのは流石にやらかしちゃったなぁ」
怒り心頭でカッカしているわけでもなく、悲嘆にくれているわけでもなく、異世界転移という現実を普通に受け入れているのは、ポンコツ女神が想定していた通りに異世界転移を受け入れやすい人が正しく召喚されていたということでもある。
「さて、まずは現状認識だ。萌姉も『異世界に飛ばされたら、最優先でその世界の危険度を確認しなさい』って言ってたもんね」
高橋萌。高橋家の次女(芽衣は三女)にして漫画家。ジャンル問わず多くの作品を世に生み出し、そのほとんどがメガヒット。彼女の作品はアニメ化、映画化、実写化は当然として、必ず社会現象にまで発展するほど人気が高い。職業柄、部屋にひきこもって仕事をしていることが多いけれども、スタイルも美貌も高橋家の血を色濃く受け継いでいる。
メイはそんな彼女に溺愛されることで、サブカルについての知識がそれなりに深くなっていた。
「転移先は建物の中かぁ。良いパターンじゃないね」
神殿や城の中など、『誰かに喚び出された』可能性が頭をよぎる。勇者召喚、怪しい王様、クラスメイトの裏切り。異世界モノについても、萌姉から叩き込まれていたメイは、自分が置かれた状況を推測する。
「うーん、でもこの雰囲気は召喚って感じでも無いよなぁ」
四畳半くらいの殺風景な小部屋。外へ出るための扉が一つあるだけで他には何もなく、がらんどうだ。床に魔法陣などもなく、神殿や城のような厳かな雰囲気も全くない。
「とりあえず外に出てから考えるかな」
このまま考え込んでいても何かが変わるわけは無いので、ひとまず外に出ることに決めた。
「……え?」
あまり気負わずに開けた扉の先に広がっていた風景は、割と馴染みのあるものだった。
「市役所?銀行?」
広い部屋の中に横長のカウンターがあり、カウンター上に等間隔で番号が書かれていて、その場所に椅子が置かれ、カウンターを挟んで話が出来るようになっている。少し離れたところに長椅子が複数置かれているのは待ちスペースで、その近くにはパンフレットのようなものが複数置かれている。カウンターの向こうでは多くの職員さんらしき人が静かにデスクワークをしている。部屋の明かりは蛍光灯によるもので、テレビのようなものが壁に架けられている。
「いらっしゃいませ」
「あ、はい」
部屋の中を見渡し戸惑っていたメイに話しかけてきたのは、スーツを着た初老の男性。執事服ですらない。カウンターの向こうの職員さんも、スーツや見慣れた洋服の人がほとんどだ。
「はじめての方ですね。まずは……こちらの番号札をお受け取り下さい」
「……異世界だよね?」
「はい、タカハシ様の世界とは異なる世界でございます」
男性が近くにあったタッチパネルの機械を操作すると番号が書かれた紙が出てきた。
母親と一緒に行った銀行が確かこんなシステムだったなぁと思い、異世界風味の無さに安心するような不安になるような不思議な気分だった。
「こちらの番号が呼ばれましたら、番号が書かれているカウンターにお越しください」
「銀行システムだよね?やっぱり異世界じゃないよね?私からかわれてる?」
「いえ、そのようなことはございません。ここは間違いなくタカハシ様にとって異世界でございます」
「そう言われてもなぁ……」
女神とのアレコレが無ければ、盛大なドッキリでした、と言われた方がしっくりくる。
ただ、そもそも役所でも銀行でも冒険者ギルドでも、カウンター越しに話をして待合スペースがあるのは共通なのだから、見た目や仕組みが似ていても仕方ないとも思った。
「このタッチパネルが無ければねぇ……」
ひょっとして自分はよくある異世界モノとは違うタイプの異世界に飛ばされたのでは、萌姉から教わったことはあまり参考にならないのでは、と少し不安になりつつも、自分の番号が呼ばれるのを待合スペースで待った。
「番号札五番の方、一番のカウンターへどうぞ」
小さな電光掲示板に番号五が表示されたのは、扉に近い一番のカウンターだ。電光掲示板に突っ込もうかと思ったけれども、時間の無駄だと思い止めた。
「よろしくお願いします。本日、タカハシメイ様の担当をさせていただきます、『ジーマノイド』のメグと申します」
「はぁ」
スーツを着た礼儀正しい若い女性。サラサラで艶のある黒髪を羨ましく思いつつも、異世界感が皆無なのは何故なのかとまた疑問に思う。よく見ると働いている人の中には異世界風な風貌の人もチラホラいるけれども、日本の職場で外国人が働いているようにしか見えない。
「……」
「……」
続きを待っているけれども、何故か無言が続く。
「……気にならないのですか?」
「なにが?」
「ジーマノイドですよ、ジーマノイド。聞き慣れない言葉だから気になるでしょう?」
「あ、はぁ、いや別に」
「え」
重要な情報では無さそうだと思い、指摘しなくても良いかなと判断していた。
「え、あの、本当に気にならないのですか?だってほら、ジーマノイドですよ、似たような単語があるでしょう?どういうことなのかなって気になりません?気にならないわけないですよね?」
「(あ、これ聞かないと話が進まないやつだ)めんど……気になりますね!」
「今めんどくさいって言おうとしましたーーーー!」
「いやいや、そんなことありますけど」
「なんでーー!」
なんでーーって言いたいのはこっちの方だと内心メイが思ってしまったのも仕方ない。女神に続いて受付嬢まで癖のある相手だったのだから。
「でもこれを見れば興味を惹かれるはずです」
そう言うとメグはその姿を変えた。
「男性、おばあちゃん、子供、馬、猫、カエル、私?」
次々にその姿を変えるメグを見て、驚くメイ。
「ふふん、どうでしたか」
元のOL風の女性に戻って得意げな表情をする。
「今はタカハシ様がお話しやすいと感じられる姿になっているわけです」
「ふ~ん、つまりメグさんは人間じゃないってことですか?」
人間が異世界でよくある『スキル』を使っている可能性もあるけれども、ご丁寧に『ジーマノイド』なんて名乗っているのだから、人間では無いアピールをしたいのだろう。
「メグでいいですよ。そうです、私達は神に作られたモノです。タカハシ様の世界で言えば、ロボットに近い存在ですね」
「生きてないってこと?」
「はい、私たちに魂はございません。感情に見えるものも全て用意されたものになります」
「ふ~ん……あ、神様が作ったから『神造人間』で『ジーマノイド』ってことなのね」
「よくお気づきになられました!そうなんです!私たちは神に造って頂いた存在なのです!」
本当に感情が無いのか疑わしくなるくらい『ジーマノイド』という単語に触れられて喜ぶメグ。
ヒューマノイドをもじってジーマノイド。ヒューマンでは無くてジーマン。ジーマンって何よ、と突っ込みたかったけれども、まだ多少うざいだけなので凹ませるのは悪いかなと思ってメイは黙っていた。ただ、一つだけ気になる点があった。
「でもその名前大丈夫?」
「え?」
「だって、ヒューマノイドをもじってるんでしょ。ヒューマノイドって『人間そっくり』とか『人間に良く似ている』って意味だよ。ジーマノイドだと『神様そっくり』とか『神様に似ている』って感じの意味になっちゃうけど、不敬だったりしない?」
「……」
無言になり、汗がだらだらと流れるメグ。神造人間でも汗が出るんだなぁ、早く本題に入らないかなぁなんてメイは人ごとのようなことを考えている。
「本日は、タカハシメイ様のおかれた状況やこちらの世界についての説明を行わせていただきます」
「あ、無かったことにした」
「本日は、タカハシメイ様のおかれた状況やこちらの世界についての説明を行わせていただきます」
「はーい、助かります、神様。あ、神様じゃなかった。ジーマンだっけ?ふっ」
「……メグです」
「はーい、メグ様」
「(ギリィッ!)」
そんなに強く歯を食いしばるくらいダメージ負うなら、名前考える時に気をつけなさいよ、と思ったがもちろん言わない。
さて、それはそれとしてようやく本題だ。真っ当な説明をまったく聞かずにこの世界に来てしまったため、いくら安全な世界と言われてたとはいえ、流石にまずいと思っていた。だからしっかりと説明してもらえるのはメイにとって大変ありがたかった。
「タカハシ様はこちらの世界に来る際に、女神さまから愚かにも詳しい話を聞いていないと伺っております」
「お、ケンカ売られてるのかな。あとメイで良いよ」
「いえ、メイが愚かなのは当然のことでございます」
「まさかの呼び捨て……まぁ自業自得でもあるからこれ以上は言わないよ」
情報収集をせずに女神を煽ったのはメイの失敗であり、そこをつつかれるのは少しイラっとするけれども仕方ないと諦めた。
「無知なメイに教えて差し上げましょう。1つ、この世界であることを達成すると、あらゆる願いを叶えることができます。こちらについては後程詳細な説明を致します」
これについてはポンコツ女神とのやり取りの中で把握できていた。気になることはあるけれども、後で説明があるのならとひとまずは放置。
「2つ、この世界では『基本的に』痛みを感じることはなく、病気にかかることもございません」
「え、マジ」
「マジのマジでございます」
「怪我も病気も無いとか、楽園じゃん。怪しすぎるから。『基本的に』ってのが罠だったりするんじゃない?」
そう疑いながらも、転移したときに床や壁にしこたま体を打ち付けてもまったく痛くなかったのを思い出し、本当のことなのかもしれないとも感じていた。
「こればかりは実感していただく他……いえ、どうせですから……」
痛みについて考え込んでいたメイは、この一瞬、メグが怪しい笑みを浮かべていたのを不覚にも見逃してしまった。それゆえ、次のメグの言葉を特に疑うことなく従ってしまう。
「右手を机の上に出してください」
「右手?こう?」
手の甲を上側にして、軽く握った手を言われるがままに机の上に出してしまった。
「確保っ!」
「えっ!」
メグの左腕がヒュッと伸びてきて、机の上に出されたメイの右手首を上から押さえつけた。
「な、なに?うわ、まったく動かせない」
慌ててバタバタと右腕を動かそうとするものの、押さえつけられた部分がぴくりとも動かせない。
「痛みを感じないということを『体験』によって納得して頂けるのではないかと思いまして」
メグはいつの間にか右手に鋭いナイフを手にしており、メイはそれを見てすべてを察した。
「おいこらバカ止めろ!それは冗談じゃすまないから!」
「大丈夫です。ちょっとチクっとやるだけですから」
「その顔は嘘を言ってる顔だから!」
笑みを浮かべながら切っ先を右手上部へと移動させる。ゆっくり、ゆっくりと、恐怖を煽るように。
「やめろおおおお!」
「嘘だなんて失礼ですね。お客様を怖がらせるような真似は、あっ」
ナイフを握っていた右手が僅かに開かれ、ナイフは重力に導かれそのままメイの右手に落ちて行く。
「うわああああ!」
「おっと危ない」
右手に刺さる直前でナイフを掴みなおす。もちろん恐怖を更に煽るためにわざとやったことだ。
「こんのおおおお!」
焦って空いた左手で掴まれた右手をひっぱろうが、掴んだ相手の左手をはがそうとしようが、まったく効果が無い。
「それでは、今度こそ、えいっ!」
「ひいっ!」
カンっと刃先が机に当たる音がする。僅かにそれた。
「あれぇ、ずれちゃいました。今度こそ、えいっ!えいっ!」
ナイフが振り下ろされるたびにメイの体が大きくビクンと震えてしまう。
そんなメイの様子を見て満足したのか、ようやくメグはナイフをまともに振り降ろそうとする。
「今度こそちゃんと狙いを定めてぇ~~~~あ、そうそう、痛みを感じさせるように設定を変えることもできるんですよ」
「何で今それ言ったのおおおおおおお!」
「えいっ!」
「ぴぎゃああああっ!」
ずぶり、と刺さることはなく、手の甲でナイフが止まっている。何か硬いモノが当たっている感触があるだけで、痛みは全くない。
「ほら、こうやって、何度やっても、大丈夫ですよ」
繰り返し刺そうとしても、傷一つつかない。もちろん、痛みが無いことが分かっていたとしても、ナイフが振り下ろされるたびに本能的に体がビクっと反応してしまうわけだが。
「ね、大丈夫だったでしょう?」
「……」
メイは少しうつむいて、息を整えることに専念しているように見える。
「どうしました?まだ信じられないのでしたら、もっと試して……」
まだまだ弄ろうとするメグだったが、メイはやられっぱなしで終わりにするような人間では無かった。
「痛くないって、メグも同じなの?」
「……そうですけど?」
なるほど、それなら遠慮する必要はない。
顔を上げたメイが浮かべた笑みは、ナイフを持ったメグのソレと同等レベルで怪しい。
「んじゃそれも試してみるよっと!」
「えっ!ぐひゃっ!」
メイの渾身の左ストレートがメグの顔面にクリーンヒット!予想外の一撃に思わず後ろに倒れてしまう。
「まだまだぁ!」
右手が解放されたメイはカウンターを乗り越えて倒れたメグにまたがりマウントポジションを取り連打!連打!
「ほらほら、どう?痛い?痛くない?あははは、殴っても私の右手痛くないから!」
散々やられたうっ憤を晴らすかのように殴り続けるメイであったが、長くは続かず手のひらで受け止められた。
「ふふふふ、そうですか、メイはそっちの方が好みでしたか。それならお望み通り教えてさしあげましょう!」
そこからは泥仕合。お互いにひたすらノーガードで顔面、腹パン、頭突きなどなんでもありのキャットファイト。お互いノーダメージだからこそ終わることのない殴り合いは部屋中を巻き込み、業務中の机はぶちまけられ、書類の束が宙を舞った。これを期にペーパーレス化が進んだとかなんとか。
「あはははははは!」
「うふふふふふふ!」