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1. 異世界行きからは逃げられない 前編

「ようこそ高橋芽衣さん」

「……え?」


 青い海、白い砂浜、照りつける太陽。

 南国のビーチに立つ二人の女性。


「あなたの大好きな異世界モノですよ!」


 声をかけたこの女性は、パレオ型の水着の上に薄手のシャツを着て、左手に本を抱え、丸い眼鏡をかけている。笑顔が柔らかく、図書館の司書が海に遊びに来るとこのような雰囲気になるかもしれない。実際は異世界モノ定番の女神なのではあるが。


「…………」


 一方、女神に話しかけられた少じ……女性は、水着ではなく麦わら帽子に真っ白なワンピースという、避暑に来たお嬢様風な格好だ。突然の出来事への驚きによるものか、まるで時が止まったかのように完全にフリーズしている。


「あ、あれ、どうしました?異世界モノですよ?お好きですよね?」


 女神はまったく反応が無い芽衣の様子に焦りはじめているが、状況は全く変わらない。


「突然のことに困惑しているのかしら……そうだ!周囲を見て。ほら良い景色でしょう?」


 リラックスしてもらうために周囲の風景をお勧めしてみたが、それでも反応が無い。


「(おかしいわ。異世界モノへの適応能力が高い人を呼んだはず。特に日本人は適応能力が高いから初心者にオススメって習ったのに、なんで?なんでなの?)」


 慌てて手元の本をパラパラとめくり読みはじめた女神。


 この女神、女神初心者である。


 女神育成学校の異世界女神コースを受講。座学は順調だったものの実技が苦手で、長い長い仮免生活。厳しい教官にしごかれる日々を乗り越えて、先日ようやく免許を取得。今日が記念すべきデビュー戦だ。


『いいか、絶対に最初は日本人を呼ぶんだぞ、絶対だぞ!』


 という指導教官の強い勧めに従って、異世界モノが普及していて召喚難易度が激甘と言われている日本人をターゲットに召喚に挑戦……したものの予期せぬ展開にパニックになりかけている。


 ちなみに、南国風の景色なのは芽衣の服装に合わせたわけでは無く、偶然だ。波の音が心地良く響くこの場所は、神様に邂逅する場所としてはイレギュラー。異世界モノだと分かりやすくするために白一色の景色にすることが異世界召喚の鉄則であるが、この女神は変にアレンジしてしまった。


 ちなみに、この様子をどこからかこっそり見守っている指導教官は『あんの馬鹿が!余計なことするなってあれほど言ったのに!』と憤慨していたりする。


 もっとも、芽衣は周囲を見回すことすらしなかったので、このアレンジは良くも悪くも意味が無くなってしまったのだけれども。


「(あ、そうだ、これを忘れてたわ!)」


 手元にある本は『異世界召喚マニュアル』と呼ばれる初心者向けのハウツー本。この本を持つ女神に出会ったら、外れだと思った方が良い。


「驚くのも無理はありませんね。大切なことをお伝えし忘れてました。あなたがこれから体験する異世界は、楽しいだけの【当たり】の世界です。死闘を繰り広げたり、理不尽な目にあったり、痛い目にあったり、裏切られたり、絶望したり、そのような辛いことは一切ありません!」


 異世界モノとなると、チートで俺(私)TUEEEEしたり、美男美女と恋愛したりなどとプラスの面ばかりが話題になるけれども、実際に当事者となって体験すると辛い展開の作品がかなり多い。生き地獄を味わったり、裏切りなど人間の醜さに翻弄されたり、強いはずなのに生死をかけた戦いばかり強いらる。日本人は異世界モノに詳しいがゆえに、そのような【はずれ】の異世界モノを想像して召喚時に恐怖するケースがある、と女神育成学校で学び、注意するようハウツー本にも書かれている。


 そのための接し方や会話の方法を学んできたにも関わらず、この女神はそのことをガン無視して好き放題やっていた。


『こちらから良いことばかり主張しても、逆に不信感を植え付けるだけだ。最悪の場合、私たちが悪神だと受け取られる可能性もあるから、くれぐれも第一印象には注意すること。いいか、何があっても絶対に焦って良いことばかりを主張してはダメだからな、絶対だぞ!」


 免許取得のために人より何倍も時間がかかったこと、指導教官から何度も強く叱られたこと、そしてそれが本番で実践できない女神。


「しかもですよ、とある条件をクリアすればどんな願い事でも叶いますし、ちゃんと元の世界の元の時間に戻れるんです!もちろん戻りたくなければずーっと向こうで暮らしても構いません」


 胡散臭さ爆発寸前、という状況ではあるけれども、幸か不幸か、芽衣から疑わし気な視線を受けることは無かった。というよりも、どれだけ女神がポカをやらかしても、状況は全く変わっていない。直立不動のまま、目を大きく開き、だらしなく口が半開きになっている状態のままだ。


「……それで……えっと……あの……その」


 異世界良いとこアピールをしても全く反応が無く、それでいてアピールする内容も尽きかけてきて、本格的に困惑する女神の目元には、うっすらと何かが浮かびかけていた。メンタルも弱いのである。


 だからなのか、それとも女神自身の性格なのかは不明だけれども、芽衣の心を揺さぶるために投げかけた苦し紛れの言葉が、偶然にも芽衣の心に突き刺さった。


「あ、あなたが主人公なんですよ!」


 日本人なら異世界モノの主人公に憧れているはず、という思い込みのもとに発した言葉であったが、ここにきてようやく芽衣の驚愕の表情は消え去った。その後に生まれた表情は『無』そのものであったけれども。


「え?え?」


 喜んでくれるか、少なくとも安心くらいはしてくれるかなと思っていた女神にとって想定外の反応。そして想定外はさらに続く。


 芽衣が突然膝立ちになった。


 直立の状態から上半身を伸ばしたまま、膝を曲げて地面につける。勢いが良かったが、膝に痛みを感じた様子もない。一呼吸置いてから、今度は上半身が伸びたまま前に倒れる。やや傾いたところで腰の横にだらんと垂れていた両手が前方に動き出し、体が地面に倒れきる前、丁度両手が胸の前方に伸びたタイミングで、てのひらが地面に着き体を支える。


 orz


 途中でお尻を後ろに突き出すことも無く、常に背筋を伸ばしたまま滑らかな動きでorzを作り上げる一連の流れは、優雅さを感じられるレベルだった。


「あらまぁ、美しい……」


 と、女神が思わず発してしまうくらいに。


「無かった……から」


 その美しさに見とれていた女神の耳に、ようやく待ち望んでいた芽衣の言葉が入ってきた。


「な、なんでしょう!」


 ポーズから分かるように芽衣がマイナス面での感情を持っていることが明らかなのに、反応が返って来ただけで思わず嬉しくなってしまった女神。もちろん芽衣の言葉は女神を喜ばせるようなものではない。


「無かったことにして欲しいから!」

「え?」


 うなだれたまま叫んだ言葉には、とても強い拒絶の意思が込められていた。


「な、無かったって何を、でしょうか?」


 ハウツー本には、召喚者とのQ&Aも用意されていて、その中には異世界召喚を拒む例も載せられている。ただし、元の世界に返して欲しい、といった類のものがほとんどで、『無かったことにして欲しい』などという反応は例がなく、もちろん初心者女神には適切な対応など出来るわけも無かった。


 orz のまま固まっていた芽衣は、素早く立ち上がり、女神に近づき両手で服の胸元をグイっと掴み上げる。


「召喚を無かったことにしてって言ってるの!」

「え?え?あの、元の世界には戻れますけど」

「ちがああああああう!召喚された事実そのものを無かったことにして欲しいんだから!キャンセルして欲しいんだからああああああ!」


 気迫を込めて詰め寄る芽衣に、女神はパニックになりかけつつも、なんとか疑問を返す。


「ええと……向こうで願い事を叶えてもらうために頑張るってのは?」

「ダメに決まってるから!」

「ダメって……どんな願い事でも叶うんですよ!」

「絶対に叶わないから!」

「叶わない願い事って一体……………………あっ」


 女神は召喚者の気分を損ねないために、思考を読むことを禁止されている。ただし、会話を円滑に進めるために願い事を知ることだけは許可されている。『絶対に叶わない願い事』が何なのかが気になり調べてしまった女神は、思わず芽衣の体をまじまじと眺めてしまった。


「おいコラ、何見てる。何考えてる。私はまだこれから成長するんだからあああああああああ!」

「ひいいいいい!ごめんなさいいいいいい!」


 服を掴んだ手に更に力を入れ、顔を近づけ、下から女神を強烈に睨みつける。


「で、でもでも、『体の成長』が願いなら、向こうの世界で頑張れば叶いますよ!」


 女神が読み取った芽衣の願いは『体の成長』


 百五十センチメートルには届いておらず、少女と呼ばれても違和感のない体型の芽衣は十六歳の高校二年生。同年代と比べて小柄なのはもちろんのこと、小学生と間違われることもある。


「分かってない……あんた分かって無いから!」

「な、何をでしょうか?」

「異世界モノ、本当に知ってるの?それ以外の物語も読んでないの?物語の中で『体の成長に悩む女の子』が出てきたら、ほぼ間違いなく最後まで成長しないから!」

「ええええ!」


 異世界モノに限らず、小柄であることを気にする小柄な女性、はあるあるな設定だ。それがそのキャラクターの個性となっている以上、少なくとも物語の範囲内で成長する可能性は、微粒子レベルとまではならないかもしれないが限りなくゼロに近い。物語のエピローグで数年後に成長していて久しぶりに会った友人などがびっくりするケースが時折ある程度か。


「主人公だろうがモブだろうが、『成長を気にしている』って表現がちょっとでも出てきた瞬間に、そのキャラは成長しないことが義務付けられちゃうの!だから私は誰の物語にも関わりたくなかったのにいいいいい!」


 物語に登場しそうな個性がある人とは友人関係にはならず、外出時は(とくにトラック)に気をつけて、通り魔に出会った時のための逃走ルートを常に考え、突然魔法陣が出ても慌てず退避する心構えを忘れず、過労死するようなハードな毎日は送らない。日常的にそこまで注意していたにも関わらず、自宅の居間で姉と妹に着せ替えられていた何気ないタイミングで喚ばれてしまった。


「断言するから。たとえどんな願いが叶えられるとしても、きっとその時には別の最重要な願いがスライドしてきて叶えられなくなるから」


 元の世界の大切な人が、召喚直後に事故に合うことが判明した。

 転移先で出来た仲間がどうしても叶えたい願いが二つあるけど一つしか叶えられなくて苦しんでいる。

 仲間との雑談が願いとして勝手に解釈されて、どうでも良い願い事が叶ってしまう。


 などなど、物語当初に思った通りの願いが叶う可能性は、かなり低いと芽衣は考えている。


「だから無かったことにして欲しいから。そうすれば私は物語の登場人物でもなんでもなくなるから、『物語の力』で成長無効なんて悲劇はキャンセルだから!」

「で、でもそれだと成長したいっていう願いが叶わないのでは?」

「大丈夫、私は一気に成長するから。絶対成長するの分かってるから。余計な手出しは無用だから」


 芽衣の根拠は、高橋家にある。

 高橋家は代々、高身長、抜群のスタイル、チートレベルの高能力、な女性ばかりが生まれる家系で、芽衣の家族もその歴史の通りにチート女性だらけである。だからこそ、自分もそうなると信じて疑っていない。ただ、他の姉妹よりも成長が遅いだけだ、と。


「……申し訳ありませんが、私の力では、一度起こったことを無かったことにすることは出来ません」


 自らの服を掴んだ拳にそっと手を添えて、悲し気な表情で言葉を紡ぐ女神の振る舞いを受け、芽衣は手の力を抜いてそっと離れた。


「で、ですので、やっぱり向こうで……」

「どうして出来ないの?」

「え?」


 ようやく話の本筋に戻れたかと女神が安堵したのも束の間、芽衣はまだまだ逃がしてはくれない。


「やってみたことあるの?」

「い、いえ無いですが……」

「無いのになんで出来ないって分かるの?」

「え、でも、そんなこと普通は」

「普通って何?女神の普通?世の中普通じゃないことだって沢山あるし出来る人いるから」

「いや、その、アレ?」


 芽衣からしたらダメもと、もちろん出来るとは思っていない。ただ、ここまでのやりとりでこの女神が弱腰でへっぽこ風味だと感じていた。それならば、ちょっとつついてみれば何かが出てくるかもしれない、くらいの気持ちだった。


「あんたが無理なら、あんたの……上司?とかは?」

「だ、だ、だ、ダメです!そんなこと話したら怒られちゃいますうううううう!」


 何度も聞いた指導教官の怒鳴り声が頭に鳴り響き、居もしない相手に震えだす女神。その様子を見て、使えるかもしれないと芽衣は思う。


「そう、あなたの上司でも無理なの。でも、それってチャンスじゃない?」

「え?」


 どちらが女神かと思える程の満面の笑み。ただし、芽衣のことを良く知っている家族や友人から見たら悪魔の笑み。いつの間にか呼び方も【あんた】から【あなた】へと柔らかいものへ変わっている。そもそも神様を【あんた】呼びする度胸が凄いが。


「あなたの上司ですらできないことを、あなたがやってのけるの。そうすれば、あの口うるさい上司を黙らせることができるから。『私は召喚者の強い望みを叶える力があるんです。あなたは異世界に送ることしかできないですよね、ぷげら』ってできるから」

「い、いやいやいや、そんなの無理ですよ」

「ほら、想像してごらんなさい、あなたの上司が何も言えずに悔しさでプルプル震える姿を。散々虐げられてきたあなたが、自分の力が上だって示せるんだよ。今まで散々思ってたんじゃない?あれすればもっと良くなったのになんで怒られて止められるんだろう?私の方が正しいのに!とか……」

「……」


 芽衣の言葉を受けて、思わずごくりと唾を飲み込む女神。


「(いける!)」


 魔性の笑みはより深みを増し、芽衣がトドメをさす。


「今こそ、日ごろのうっ憤を晴らすとき!あなたの本当の力を解放して、自分の素晴らしさを憎きあいつに見せつけよう!」

「あ……ああ……」


 思い出すのは怒声にまみれた育成学校での日々。何をやっても怒られる。何かを言えば怒られる。私が正しかったときだってあったはずなのに。我慢して我慢して我慢してようやく手に入れた女神免許。もう立場では同じ。文句なんか言わせない。黙って怒られるのはもうこりごりだ。


 『お前には異世界女神は無理だ』


 幾度となく言われ、当初は腸が煮えくり返るほど悔しかったあの言葉。いつの間にか怒られ慣れてしまい、何も感じなくなってしまったあの言葉。無理なんかじゃなかった。そう、私だって免許をとれたんだ。無理なことなんて無い。だから、私は、私はっ……!




 なんて、芽衣の言葉に感銘なんか受けてしまっているが、もちろんこの女神はポンコツであって、これまでも当然の理由で怒られていた。


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