妹、ああ妹よ、妹よ(心の俳句)
中華丼は冷めても旨い。
俺は妹が食べてくれなかった中華丼をかきこみながら、そう確信した。
「うん、うまい」
シャキシャキした野菜の食感を味わい満足感と共に完食した俺は
「ご馳走様!」と手を合わせる。
いつもどおり、手早く食器を片付けると、いつもの様に二階に上がっていく。
階段を上った先にあるのはファンシーな「なぎ」と書かれた名札がかかったドア。
ここが妹・・・・凪の部屋だ。
「凪、起きてるか?」
俺がドアの向こうにそう呼びかけると、
「うん」と、か細い声で返事が返って来た。これも、いつも通り。
返事があったことに少しホッとしつつ、俺は話を続けた。
「今日の昼飯、お前の好きな中華丼だったのに残してたな。なんか具合悪いのか?」
「ううん。ちょっと食欲が沸かなかっただけ。でも、残してごめんなさい」
「全然大丈夫だって。それより凪、今は腹へってないか?
まだ冷蔵庫に野菜も残ってるから、なんでも作れるぞ」
その問いかけに、凪は少し迷ったような間をおいて
「じゃ、じゃあ野菜炒めが食べたい・・・・かも」と控えめに答えた。
「わかった。おいしく作ってやるから、待ってろ」
*
俺の妹、凪は引きこもりだ。
中学校に進学した時にクラスのやんちゃな女子に目をつけられ、ひどいいじめを受けた。
それが原因で、人と接するのが怖くて引きこもるようになった。
元々はおとなしくて優しい性格だったのも災いしたのだろうと、俺は勝手に思っている。
凪が部屋から出てこないのが、俺たち家族の日常になっていった。
それと共に、部屋から出られない凪のために俺が毎日料理を作って
2階のドア前に置いておくのがいつのまにか日常になった。
(このままじゃダメだって、俺もわかってるんだけどな・・・・)
*
そんな事を考えながら、中華の鉄人のような小難しい顔をした俺の包丁は
ザクザクと小気味いい音を立てて、手際よく野菜と肉を刻んでいく。
(あとはここに調味料を入れて、炒めるだけだな)
凪が食べやすい様、少し小さめに刻んだ具材を鍋にぶちこんで強火で炒めていく。
「も~うはなさない~きみ~が~すべてさぁ~」
特に選曲に意味は無いのだが、ロックを歌いながらだと若干野菜が炒まる気がしてくる。
俺だけだろうか?たぶん俺が軽音部だからかもしれない。
傍から見ると頭のおかしい奴かも知れないが、これもロックだ。たぶん。
「び~まいべいべ~~び~まいべいべ~~」
器に移した野菜炒めは、我ながら結構よく出来ていた。
おいしそうな香りがすごい。最強。
どうせなので、一口試食してみることにした。
ぱくっ。
「うまい!」
しっかり肉と野菜に火が通っていて、味もしみこんでいる。
文句なしの仕上がりだ。
よし、あとはこれを持っていくだけだな。
「凪~野菜炒めできたぞ~」
できたて熱々で湯気が立っている野菜炒めを片手で持ち、凪の部屋のドアをノックする。
すると、ドアがキィという音を立てて控えめに開いた。
その開いた部分から、ピンクのパジャマを着た凪が、小動物のようにひょっこり顔を出した。
「兄さん、ありがとう」
高く透き通った声、そしてガラス細工のように透き通った肌と整った顔立ち。
少し童顔で背が低いのも愛らしい。
引きこもり生活で少々やつれてはいるが、何日かぶりに見た凪はいつもと変わらず美人だった。
「野菜炒め、とってもおいしそう・・・・!ほんとにありがとう、兄さん」
そう言って凪がはにかむ。
もともと綺麗なのもあって、笑顔だと天使のように可愛い。
つられてこちらも笑顔になってしまうほどだ。
「喜んでくれると作った甲斐があるよ」
これは心からの言葉だ。実際料理は、他人に喜んでもらえた時が一番うれしいからだ。
俺がシスコンなのかも知れないが。
「皿は食べ終わったらドアの外に置いておいてくれ。俺が回収する」
「うん」
「そんじゃな」
「う、うん」
そう言ってドアを閉め、凪の部屋を後にすると、俺は1階の自室へと向かった。
ドアを開けて中に入ると、ずらっと並ぶ本棚が目に入る。俺のコレクションだ。
コレクションとはいっても別に大したものがあるわけではない。
親が仕事でたまにしか帰らないから料理本を買ってみたりとか、
「引きこもり対策マニュアル」みたいな凪と話す為の本だったり、あとは漫画くらい。
まあ、今日も結局凪と学校とか外に出るための話は出来ていないのだが。
「どうしたら、あいつが外で楽しくやれるようにしてあげられるんだろうなぁ」
軽音部でやる曲をギターで練習しながら、いつもの様に
そう何度も自問自答し続け、俺は眠りについた。
翌日。学校に来た俺は、一人ギターの練習をしていた。
ギターの手入れをし、音を出そうと楽譜に目をやっていると、
目線の奥にあったドアが開いた。
「童貞くん、おっす!」
ドアの隙間から、小さい女子がぴょこっと顔を出す。
俺はため息をついて、首を横に振った。
「童貞じゃなくて幸一です。その呼び方いい加減直してください、ビッチ先輩」
「あいわかった、童貞くん」
マジで人の話聞かないなこの人。いつもだけども。
呆れた俺はニヤニヤしている先輩を無視しようと、手持ちの楽譜に目を落とした。
「まったくお堅いねえ。そんなんだと女の子にモテないよ?私にも」
「ビッチ先輩みたいな子はタイプじゃないんで大丈夫っす」
「はいはい童貞童貞」
「セクハラやめてください」
軽音楽部の机の上にどかっと足を組んで座り、セクハラまがいのちょっかいを
かけて来るこの先輩の名前は、門内理沙。
高二だから、高一の俺の一個上にあたる。
特徴的なのはツインテールになった紫の髪と目つきの悪い三白眼。
あとはゴムで留めて極端に短くなった制服のスカート。
笑う時に見える鋭い犬歯も一応・・・・チャームポイントではある。
男なら誰彼かまわずアプローチをかける事から、軽音部の中では
「ビッチ先輩」
と呼ばれているものの、本人もまんざらでもないようで
「あたしビッチ!こっちは相棒のミニスカと化粧道具!ニヒ!」
などとふざけたりしている。
頼むから毎回「彼女できた?」と聞くのはそろそろやめてくれ、先輩よ。
俺は大きく伸びをすると、ぐいぐい来る理沙先輩を適当にあしらいつつ
いつもの様にギターの練習を再開した。
*
私立橋羽高校。
生徒数約600名の、これといって特徴のない普通の中高一貫校である。
男女比は至って面白みの無い1;1。
中高一貫である以外は至って「普通」そのものなので退屈な奴は退屈かもしれないが、
俺は結構今の現状に満足している。
普通をこよなく愛する俺にとっては、なかなか楽で居心地がいいのだ。
家から歩いて徒歩2,3分なのも素晴らしい。
もっとも、理沙先輩や他の軽音部員はそうではないかもしれない。
軽音学部、俺以外変人揃いだし。
俺がそんな事を考えていると、
「うおっ!?」
突然目の前にあった部室のドアが勢いよく開かれたかと思うと、
一人の男が息を切らしながら部室に入ってきた。
「大変だ!号外だぞ!女子が、女子が!」
「おっ、新聞くんじゃーん。今日もいい走りっぷりだねぇ」
その「新聞くん」は理沙先輩に「うす!」と軽く挨拶すると、俺のほうにまっすぐ向かってきた。
「なあ幸一、やばいネタだ!やばいんだよ!」
「落ち着け、清志。女子がどうした」
俺は新聞くん改め、新聞部兼軽音部員である加次清志を手で制し、
まずは席に座って話すよう促した。
清志は席に座ると、肩を上下させ息を切らしながらも、
興奮冷めやらぬ様子でこちらに話しかけてくる。
「おい幸一!聞いたか、あの噂!」
「何の噂だよ。主語を言え、主語を」
「あれだよ、あれ!あれ!」
お前は喋るウサギさん人形か何かなのか?それともわざとやってる?
俺は深くため息をついた。ビッチ先輩も変人だし、こいつも中々に「ガチ」だ。
どうしてこう、軽音には変人奇人が集まるのだろうか。
俺は「普通」をこんなに愛してるのに。LOVE普通なのに。
普通の毎日は一向にこちらを振り向いてくれません。悲しい。
俺は半ば諦めて清志に「どんな噂なんだ?」と話を振った。
普段いろんなゴシップを取り扱ってるこいつが急いで持ってきた噂だし、
女子の話題とくればやはり……転入生とか?
「いやあ、聞いてくれよ、幸一、ビッチ先輩!中等部の三年に、すっごいかわいい子が転入してきたって噂なんだよ!」
「ホヘ~ソウナンダ、スッゴイネエ~」
「ソウデスネエ、センパイ」
「なんだその炭酸の抜けたコーラみたいな返事は」
「スプライトだよ?」
「知らないっすよ!っていうか、ここからが本題なんだって!」
予想は当たっていたようだ。だが、まだ噂は終わっていないらしい。
清志は俺の机に手をつき、身を乗り出してきた。
「俺の極秘情報によると、実はその子」
「どうしたの?腕が四本あって足が八つの美少女なの?」
「化け物でも土地神でもねえって!実は、軽音に入りたいらしいんだよ」
「ほなまともな人間とちゃうなあ」
「せやなあ」
「なんでやねん!もう先輩は黙っとけ!お前もだ、幸一!」
清志は見事なツッコミを披露した後、一拍おき、少し真剣そうなトーンで再び話し出した。
「俺も、チラっとだけ顔見たんだけどさ、……すっげえ美人でさ。
なんつうの、透明感?なんか別格の美人だったぜありゃ」
普段たくさんの人間を取材している清志の言うことだ。美人というのは本当なのだろう。
だが、そうなるとさらに謎が深まる。
「透明感のある美人」とやらが、なぜ数ある部の中からウチを選んだのか。
それを考えるとなんだか嫌な予感がして、俺は少し身震いした。
だが俺とは対照的に、普段男にしか興味のない理沙先輩は
その子にかなり興味があるようで、
「その子って身長どんくらい?」
「声は?かわいい?」
と矢継ぎ早に清志に対し質問を投げかけていく。
「声は、聴いてないからわかんないっすけど……
身長は小さくておとなしめの子ぽかったっす。
「いいねぇ~。そういや中三の子で体験入部来てたな。その子かも?」
先輩はそう言って机に置いてあったバッグを漁ると、一通の封筒を取り出した。
「これだこれ、その書類」
「まじっすか!見せてくださいよ」
「君の貞操を私がもらうのとと引き換えならいいよ」
ところどころに際どいのをぶっこんでくる。流石ビッチ先輩。
ネタなのか、本気なのか。
まったく、いわれているこっちの身にもなってほしいものだ。
だが清志はそれに動じず即答した。
「それは嫌っす」
「ひどい!フラれた!」
しょうがねえだろ。
「でも見せてください!」
「ええ……君いい性格してるよね」
いや、先輩には言われたくないです。
「まあいいよ、ほい」
「あざっす!」
清志が封筒を受け取り、中身を出そうとする。
その時だった。
コンコン。
部室のドアが、控えめにノックされた。全員の視線がドアに集まる。
だが入ってくる気配はない。体験入部の子だろうか。
見かねた理沙先輩が、俺に指示する。
「おっ、体験の子かな?童貞くん、開けてあげて」
「了解です」
「じゃあ私たちは封筒でも確認しますかね。名前覚えなきゃだし」
「うす」
二人がごそごそとやっているのを背にし、俺はドアを開ける。
「ようこそ、軽音部へ……え?」
目の前で信じられないことが起きているのを見て、俺の体が硬直する。
と同時に、後ろから先輩の声が聞こえてきた。
「体験入部で来た一ノ瀬 凪さんであってるかな?」
「あ、はい。いつも、兄がお世話になってます」
「えっ?」
先輩もとっさの事で声が出ていない。当たり前かもしれない。
ドアを開けたそこにいたのは、なんと俺の、妹だったのだ。