彼氏と彼女
短編小説です。よろしくお願いします。
ポチポチ―――
湯気の向こうで彼は視線を落としていた。視線の先は先ほど店員が運んできたステーキではない。自分の手元にあるスマホだった。
今日は私と彼が付き合ってちょうど一年の記念日だった。大学二年生の時に彼のほうから私に告白してきた。私も彼に好意を抱いておりすぐにOKした。それから私たちは付き合うようになった。
最初のころは彼はいつも私の為にいろいろとしてくれた。週三のペースでデートもしたし、恋人が行くであろうTDLにもいった。
しかしそんな楽しい日々は長く続かなかった。付き合って二ヶ月が経った頃からだんだんとデートの回数が減っていった。彼に訊くと彼は決まって、「ごめん。最近忙しいんだ。今度うめあわせするから」と言った。
しかしその埋め合わせがなされることは無かった。
そして昨日、彼からの連絡が一向に来ないので私から連絡を取ることにした。
「私たち明日で付き合って一年なんだけど・・・」
もちろん彼がサプライズを用意しており当日の朝までなんの音沙汰もないという可能性もあったが、彼の性格を考えるとそれは限りなく低かった。
既読はすぐについた。彼もスマホをいじっていたのだろう。私は慌ててトーク画面を消した。すぐに既読が付くのを恐れたのだ。
首を長くして返事を待っていると思われたくなかった。
すぐに返信は来た。だがあえて五分ほど開けてからトーク画面を開いた。
彼のアイコンから吹き出しが出ておりこう書いてあった。
「ごめん。忘れてた」
たった二言の言葉だったが私の愛を冷ますには十分だった。急に、今まで彼を愛していた自分に疑問を抱いた。
彼のどこがよくて付き合っていたのだろう、と。
そして今日、私がデートに選んだ場所は以前友達に紹介してもらったステーキ屋だ。分厚いお肉が特徴である。
土日は大勢の客で賑わう店だが、今日は平日であるために客は私たちの他に二組いるだけだった。
席に着くとメニュー表を広げた。
「何頼む?いろいろあるよ。これとかは結構人気なんだよね」
私が話しかけるとすでに彼はポケットからスマホを取り出して机の下でいじっていた。
「何頼む?」もう一度訊く。
すると彼は私の言葉にようやく気付いて、
「同じでいい」と小さくつぶやいた。
料理が来るまでの間、私が何度か話題を作ろうと試みるものの彼からの返事が返ってくることは無かった。私が一方的にボールを投げるだけでキャッチボールが成り立たなかった。
ジュージューと湯気を上げながらステーキが運ばれてきた。この匂いはいつも食欲をそそぐ。
「早く食べないと冷めちゃうよ。一緒に食べよう」
彼は顔を上げることなく答えた。
「先食べてていいよ」
わかった、といってナイフとフォークを持ちステーキを切った。肉は柔らかくてすんなり切れた。
私がステーキを食べ終わるころようやく彼がフォークを手にした。すでにステーキは冷めて固くなりなかなか切れなかった。
彼がステーキを食べ終えると再びスマホをいじりだした。
そこで私はついに切り出した。
「実は話があるんだけど」
私の中ではもう覚悟は決まっていた。心の中で大きく息を吐く。
「別れましょう」
流石にこの言葉を聞いたら彼も何かのアクションを起こすと思ったが、予想に反し、彼は微動だにしなかった。
わかった、と小さく首を縦に振った。
「それじゃ私が払っとくから」
冷めた口調で私は伝票を手に取った。あまりにも冷めていたので自分でも少し驚いた。
いつからかこうした食事は私が払うという暗黙のルールが出来ていた。もしかしたら自分だけがルールと解釈していたのかもしれない。
彼が最後に奢ってくれたのはいつだっただろう。遠い記憶を辿ってそれが付き合ってから二か月記念のデートだったことを思い出した。
夜に彼からいきなり連絡がきたこともあった。私が嬉しくてスマホを開くとどこかレストランでデートしないかという内容だった。
デートと都合のいい言葉を使っているが、ただたんに私の奢りでご飯が食べたいだけなのだ。
当時の私は嫌に思うこともなく、彼の為ならばと喜んでお金を出していた。しかし今思うと私も馬鹿だったなと思う。
レジへと向かいお会計を済ますと私は彼のいるテーブルを振り向いた。彼はスマホをいじっている。
「ありがとうございました」と店員に見送られながら私は店を出た。
外は雪が降っていた。この量では積もることはないだろう。
家を出る前に天気予報を見といてよかった。私は赤い折り畳み傘をバックから取り出す。そして銀色の空に向かって傘を開いた。
もう一度店の方を振り返る。来るわけないと思っていてももしかしたらと淡い期待を抱いていた。
「何を期待してんだろう私は」
自分にため息をついて私は雪の中を歩き出した。
そういえば彼は折り畳み財布を使っていたな。ふと思った。
私と彼は誕生月が同じで、以前お互いにプレゼント交換をしたことがある。
私は彼がボロボロの折り畳み財布を使っているのを知っていたのでバイトして貯めた貯金を崩して二万円の有名ブランドの長財布をプレゼントした。
彼からは千円くらいのキーホルダーをもらった。嬉しくないプレゼントだったが私はありがとうと笑顔を見せていった。
その時の笑顔がぎこちなかったことは今も覚えている。
しかしそれ以来彼が長財布を使っているところを見たことは無くいつもボロボロの折り畳み財布だった。今日もそうだったっけ。
「今年のクリスマスは一人か」
不意に口から零れ落ちた。
それから五年後、私は彼と再び出会った。調査員として派遣された食品会社に彼は務めていた。
彼は昔と全く変わっていなかった。
しかし彼は私に気付いていない様子だった。付き合っていたころと違って私の髪形がショートカットだったせいだろう。
ある日のこと仕事終わりに彼は「食事でもどう?」と誘ってきた。
私はあえてその誘いに乗った。今の彼がどうしているかも気になった。
「予約してあるから」と彼に連れられてきたのはお洒落なイタリアンレストランだった。
席に着くなり彼は「なんでも好きなの食べていいよ」と白い歯を見せながら言ってきた。
「いえ、私も払いますよ」
顔の前で手を振って答える。
運ばれてきたパスタを食べながら彼はいろいろ訊いてきた。主に恋愛関係のことだった。私は結婚していてすでに元気な女の子を授かっていたが、独身だと嘘をついた。
すると彼の目が一層光ったのが分かった。好きな女の子をロックオンした時の目だ。
食事を終えると彼は伝票を取り、レジへと向かった。後ろポケットから取り出したのは以前と同じボロボロの折り畳み財布だった。色が前よりはげていた。
私のプレゼントした財布は使っていないようだ。そういえば私の後に彼と付き合った友達も彼に財布をプレゼントしたと言ってたっけ。
私がじっと財布を見ていたのだろう。彼がこちらに怪訝そうな目を向けて
「どうしたの?」と訊いてきた。
なんでもないよ、と答えた。
外に出ると少し肌寒かった。人通りも少なくなっているようだ。腕時計に目をやると十時だった。
「これからちょっと飲みにいかない?知り合いの店があるんだ」
「明日早いのでまた今度お願いします」
笑みを作って丁寧に断る。明日早いのは本当だ。
彼は肩を落とした。
「それじゃあしょうがないな。じゃあまた今度よろしく」
はい、と元気な少女のように首を縦に振ると私と彼は正反対に歩き出した。
数歩進んだところで私は振り返った。彼はゆっくりと向こうに歩いていた。
その後ろ背中向かって私は言ってやった。
「さよなら、たーちむ!」
そして体を反転させて私は再び歩き出した。
彼がどんな表情を浮かべているのかは分からなかった。青ざめているかもしれないし、気にも留めずにひょうひょうとしているかもしれない。
けど彼の反応はそれほど気にならなかった。私の中にかかっていた黒い雲が晴れた気がした。
たーちむは私と彼が付き合っていた時に私が呼んでいた彼のあだ名だった。