痴話げんか
春川さんは一瞬、頭の中に?を浮かべたようによく分からない様子を見せた後、綺麗なその顔を近づけてきた。
「あなたこそ敬語は使わないって言ったばかりじゃないの。」
やばい。かわいい。お姉さんのようなその口調とは別に、彼女のあどけない顔が近づいて、ふんわりとした温かいにおいが香る。
叶翔は今どんな状況かをすぐに理解して、顔を真っ赤にした。純麗も叶翔の顔が紅潮しているのを見て、自分が何をしていたか気が付いた。気まずい雰囲気を帯びた一瞬の静寂が何時間にも拡張されたように過ぎる。静寂を破ったのは、純麗だった。こういうときに何も出来ない、自分のへたれさを叶翔は呪った。
「その、ごめんなさい....。それで、橘君は私に何か謝りたいことがあったんじゃないの?」
純麗はそのことを今思い出したように言った。
「うん。本当は闘技が始まる前に言いたかったんだけどね......。その、ごめん!この期に及んで信じてとは言えないけど、それでも聞いてほしい。俺たち3人、俺と男の方の秋と、女の方の奏は、俺が入学式ですごい出会い方をしちゃったから、二人に春川さんのことを聞こうと思って聞いてただけなんだ!」
何となく言い訳じみて、さらに二人に責任転嫁しているような言い方になってしまっている。人間とは人に謝るときに上手く伝えようとすればするほど、本当のことを話そうとすればするほど、自分の良いように話してしまう。そこは叶翔も人間、致し方の無いことではあるが、この状況ではそれで割り切っていい問題では無い。実際、純麗は沈黙を保ったままで、口を開く様子はない。
「えっと、そうじゃなくてだな。二人に聞いたのは、間違いなく俺だ。だから、あいつら奏と秋に全く悪意があった訳じゃなくてだな......。でも、俺も悪意があった訳じゃなくてな.......とにかく、春川さんともこれからこの学園でともに学んでいくんだ。ここで出して良い話題ではなかったことは確かだった。ごめんなさい!」
「ふふっ」
途端、純麗から笑みとともに声がこぼれた。
「そんなに必至にならなくても大丈夫よ。橘君がそんな陰口のようなことを出来るタイプなのはさっきの戦いで十分分かったから。あと、とても不器用なことも。」
純麗が気分が良さそうに、それでいてどこか、からかうような口調で言った。
「許してもらえたことは嬉しいんだけど、どこか戦い方も性格も笑われているようでならないんだけど。俺ってそんな変な戦い方していたか?」
「そんなことはないよ。隙を見せてこないあたり賢い戦い方だったわよ。最後あたりはバカ正直ではあったけどね。」
「まあ、戦闘に秀でるⅠ科のエリート様に褒めて貰ってるだけでも及第点なのかな。」
そこで純麗の柔らかい雰囲気が少し堅くなった気がした。
「橘君は本当にⅡ科なのよね?とてもあの戦いで素人とは思えないのだけれど。」
「父さんと簡単な組み手をしていたからだと思うけど、俺もよく分からないな。」
確かに橘君の身のこなしに組み手の細かい動きがあったけど、攻撃のタイミングだとか読み、そして間合いの取り方が絶妙だったのは組み手だけでは補えないと思うし.......。
「春川さん?どうかしたの?」
「橘君に私の攻撃がことごとく通用しなかったのだけれど、全部読んでたの?」
「んーー、そうだな-。あのときは必死すぎて良く覚えてないんだよな。まあ、よくよく考えてみると直感的な?そんな感じだったと思う。」
「そうなのね......」
俺自身はいたって正直に答えたつもりだったのだが、春川はどうにも腑に落ちないらしい。
「話が逸れたけど、秋と奏のことも謝りに来ると思うからそのときは許してやってほしい。この通りだ。」
俺は頭を下げると、春川はそれを制すように言った。
「ふふっ大丈夫よ。そんな根回しみたいなことしなくたって。でも、そんなことよりって何?そんなことよりって!こうしているけど、負けたのとても悔しいんだからね!」
「今度はそこに怒るのかよ!」
「だって負けたのよ。入学早々、いきなり!」
なんか今度は険悪とは言わないまでも、痴話げんかみたいになってきた。遠目に見るだけなら温かい目で見守って仲むつまじいですね、なんて言って見ぬふりでもすればいいのだが、巻き込まれる側ないし、当事者は厄介極まりない。
「いや、ほぼ俺の棚からぼた餅的な勝ちだったんだから、リベンジしたければ、明日にでも挑んでくればお前の圧勝だろ。」
「それじゃつまらないじゃない。それに、今回の試合が公式の試合に含まれているとしたら、来月まで私達は順位の変わる公式の試合は出来ないしね。」
純麗はすねるようにして言った。
最初はあんな堅そうな見た目なだったのに今じゃこれだもんな......。
「じゃあ、こういうのはどうだ?何か俺が困っている時に助けるっていうのは。(まあ、面倒くさい課題とかをやって貰えば一石二鳥だしな。)」
「貸しってわけね。分かったわよ。けれど、その代わりさっき橘君が私にっ勝った理由を教えて。」
「それもう貸しになっていないよね?まあ、貸し2になるけどいいのか?その答えがしょうもなくてもか?」
俺はふざけるように言った。実際ふざけて言ったし、春川ものんでくれるとは思わなかったが、以外にもその答えはイエスだった。どうやら、よほど俺に負けたのが悔しいらしい。これが真の負けず嫌いというやつか。
「俺の勝因はシンプルに1つだ。ただ、運良く攻撃が当っただけだ。最後に無理矢理突進して、ぎりぎり春川に魔術が当っただけだ。それだけ。」
「はあ?何よそれ!?答えになってないんだけど!本当にしょうもないじゃない!」
「だから言ったろ?」
「いや、私が聞きたいのは使った魔術とか、戦術とか、そういうことよ!」
春川がもう噴火寸前だ。顔はさっきのこの子は上品な顔立ちのーーとか思ったはずなのに、その面影はどこへ消えたのやら。こんな反応されたら.....
「だからな、一時的に体を麻痺させる雷の魔術は受けた春川さん自身が俺と同じくらい分かっているだろうし、戦術は苦し紛れの突進だから、運の問題なんだよ。多分な。」
......余計にからかいたくなってしまう。
俺がふざけるように春川さんへの答えをはぐらかしていると、彼女は怒りを耐えるようにして顔を真っ赤にしている。
そろそろ大爆発しそうだな。春川さんが納得できるぐらいには説明してやらないとな。
「お願いよ......。理由を教えて。」
「分かったよ。」
彼女には俺の二つ返事が意外だったのか、拍子抜けしたような顔をした。
「どこから聞きたい?」
「そうね.......どこからどこまでがあなたの思い通りだったの?」
俺は特に悩む必要もなかったのだが、とりあえず考えるそぶりを見せ答えた。
「俺が予想通りだったのは春川さんが春川さんの契授、つまりイザナミのあの光柱の攻撃までだよ。」
「じゃあ、その前のとどめを雷で仕留めようとした攻撃は元々用意してあったわけね。」
「まあ、見破られたかは分からないけど、回避されちゃったけどな。」
「私もあの攻撃には驚いたわよ。今まで塾で何度か魔術戦をしたことがあるけれど、ほとんどが魔術の火力押し、いても魔術を複数組み合わせて同時に打つくらいだわ。あの戦いは魔術戦というよりは、科学の力を応用した戦い、言うなれば科学戦という感じかしら。」
「俺はⅡ科の人間だし、そういう理論的な戦いの方が好きなのかもな。」
叶翔は何かをはぐらかすように答えた。そこまで隠すようなことは叶翔は何もないのだが。
俺自身、戦い自体好きじゃないんだけどな。
「そこまでは分かったわ。でも、その後は?なんの準備もなしにあの攻撃を仕掛けられたって言うの?」
「そう言われても本当に咄嗟にやったことだからな......」
再び俺はなんとも煮え切らない答え方をしてしまった。彼女が考えるようにして、一瞬の静寂が訪れる。
「じゃあ、そんなに私の質問に答えたくないのなら、質問を変えましょう。」
「ちょっ!そんなつもりはないから!」
「橘君はいちいち引っかかってくれるから面白いのね。」
純麗が優雅とは言えないが楽しそうにクスクス笑う。
「それで質問を変えるってのは?」
「そうそう。あなたが突進してこける前に私を襲った眩しい光は何なの?」
「それは........春川さんのイザナミの光が自分の所にも来たんじゃないのか?結構あの光柱の攻撃は光量が大きくて眩しかったし。」
「そんな訳ない!確かにあの光は私も眩しいことには眩しいけど、直接当てられなければ大丈夫だし、ちゃんと収束させて、私に当たらないようにしてるもの。なのに!あのときは橘君の魔術も無かったし、私も魔術を制御出来てた!」
純麗は普段はこんなことはしないが感情に身を任せて、勢いで立ち上がっていた。
「落ち着けって。その通りだよ。でも、直接当たっていたなら、話は変わってくる。」




