隆治
俺と麻希都は少しだけ話をした後、部屋に戻る事にした。この季節だと夜は大分冷え込むな。
「あ」
「どうした?」
「悪い。タバコ買い忘れた。先に帰ってて」
「それなら俺も一緒に」
「いいって。すぐだから。先に帰ってて」
俺は麻希都を先に帰るように言うと、今歩いてきた道を小走りで戻った。
本当はタバコなんてどうでもいい。麻希都と別れてから、俺は桜の後を追っていた。桜と分かれてから大分時間が経っていたからちゃんと見つかるか不安だったが、先ほどいた公園のベンチに未だ座っていた。俺が殴って傷がついた頬を優しく撫でていた。こいつが皆を消したんだ。後をつけていけば、きっと皆の居場所に辿り着く。
俺は桜の正体は麻衣都だと信じて疑わなかった。麻希都の前から姿を消した麻衣都は、十年かけて性別を変えた。そして、まったく知らないふりをしながら麻希都に近づいたんだ。そして、兄が大好きだった麻衣都は、兄に近づく人間が許せなかった。それで、麻希都に近づく人間を次々に消して行ってる。そして、最後に二人きりになるつもりだ。そうに違いない。だとしたら、麻希都と幼馴染で一番の親友といっても過言ではない俺の存在は、奴にとって必ず消さなければならない存在。絶対に俺を消しに来る。だが、俺はそう簡単に消されたりはしない。絶対に尻尾を掴んでやる。
俺は気づかれないように気配を消して桜の後を追う。桜は廃墟のビルに入っていった。ビルは錆付いたフェンスで覆われ、草木が生い茂っていた。それをものともせずに、桜は潜り抜けると鍵を使ってビルの中に入っていく。
俺は急いで後を追う。フェンスを抜ける際に、誤って腕を切ってしまったが、気にする事なく、ビルの中に入っていった。
ビルの中は静まり返っていた。少しでも気を抜くと、桜にばれてしまうのではないかという恐怖に襲われる。ヒールの足音が、地下の階段を進んでいく。その音は、俺に自分の存在をアピールしているようだった。俺は決して物音を立てないように地下に進んでいく。
足音は止まない。まるでビルの中の壁全体から発せられているのではないかと思わせるほどに足音は響いていた。それがまた気持ち悪かった。
俺が地下に到着した時、ようやく足音が止んだ。その代わりに、楽しそうな鼻歌が聞こえてくる。俺は歌が聞こえてくる方に進んでいった。しかし、歌はすぐに止んだ。静寂な廊下に、俺の心音がやけにうるさく感じられた。
それにしても、やけに臭うな。なんていうか…鉄…みたいな臭い。それに生ごみが腐ったような臭い。吐き気を催すその臭いは、ビルに入った時から感じらていたが、この階は特にひどい。きっとこの臭いはこの階のどこかから発生しているのだろう。
俺の予想が正しければ、事態は最悪なことになるだろう。どうか外れていてくれ。そう願って進んでいった。そして、俺はついに臭いの元を見つけた。
俺の考えは甘かった。最悪な事態? 何を言ってるんだ。これは最悪なんて言葉じゃ収まりきらない。これは…地獄だ…。目の前に地獄の光景が浮かんでいる。
「うぅ!」
俺は溜まらず吐いた。目の前の状況はそれほどまでにひどかった。人間のできる事じゃない。こんな事をする奴は人間じゃない…。今見たものは本当に現実のものなのか? いや、見間違いだ。こんな光景、あるわけない。俺はもう一度見る事にした。それが現実を突きつける最悪な事態だったとしても。ゆっくり顔を上げる。真っ赤に染まった部屋。そして、壁に並べられた生首と目が合った。俺は堪らず叫び声を上げた。
「うわぁぁー!」
俺は錯乱状態だった。こんな景色を見れば誰だってそうだろう? こんな正常からは程遠いものを見せられたら。そんな状態の中、俺の視界にあるものが映った。それは、俺を正常に保たせるための、唯一の存在。
「なん…で…?」
俺にはわけがわからなかった。けど、俺は、大切なものを見失いかけていた事に気がついた。
その時、俺の頭に衝撃が走った。
「うっ」
あまりに突然だった。俺の体は壁にぶつかる。
「あーあー。なんで着いて来ちゃったの? 君はまだ殺す気なかったのに」
そんな声が聞こえた。俺は頭を押さえながら振り返る。
「さ…く…ら…」
桜が笑顔で立っていた。
「大谷隆治君、女の子付回すなんて良くないよ? 僕、今は女の子なんだから、昔とは違うんだよ」
そう言ってもう一度俺を殴る。俺の意識は、もう限界だった。薄れ行く意識の中、桜は返り血を浴びて染まっていた。
「順番おかしくなっちゃった。だからまだ隆治君は仲間に入れてあげない。ちょっとだけおとなしくしててね」
桜は俺の体を引きずって部屋の中に入れた。もう限界。それ以上の事は何もわからない。
もう俺、死ぬのかな。