麻希都
梨花の行動には確かに地獄を感じさせられた。その裏には佐久間がいたっていうのかよ。
「俺と梨花は双子だ。全く同じってわけじゃあないけど、俺達は同じ顔をしていた。それなのに、梨花はお前のために顔を変えたんだ」
それが佐久間が許せない事か。梨花を手に入れる事ができても、麻衣都そっくりに整形したその顔は佐久間が愛していた梨花じゃないから。
「梨花はお前が好きだったんだよ、麻希都。でもなぁ、俺は梨花が好きだったんだ。わかるか? 俺が大好きで大好きで堪らない女の顔をお前は変えたんだよ。死んで償うべきだろ」
「お前、何言ってんだよ。梨花はお前の実の妹だろ」
隆治は佐久間に向かって言った。
「実の妹に恋をしちゃいけないなんて誰が言ったんだよ? 麻希都。お前の弟だって兄に恋をしていただろう。しかも、同姓の相手に」
「それは…」
「俺は梨花を愛していた。お前は梨花の心を弄び、人生をぶっ壊したんだよ」
そう言うと佐久間は足元に置いてあったボトルを倒した。ボトルの中に入っている液体が流れ出る。ここに入った時から臭っていた。しかし、隆治を助けるために気にしていなかったがこの臭い…。
「ガソリン…」
佐久間はどんどんガソリンが入ったボトルを倒している。まさか佐久間はここに火を点けるつもりなんじゃ…。
「隆治、逃げるそ!」
俺と隆治は立ち上がって逃げようとした。しかし、もう遅かった。佐久間は持っていたライターでガソリンに火を点けた。火は瞬く間に広がり、俺達の行く手を完全に阻んだ。
「くそ…」
俺に支えられ一度立ち上がったが、隆治はすぐに倒れこんでしまった。
「隆治? どうした、隆治、大丈夫か? しっかりしろ」
どうやら、俺がここに来るまでに受けた傷が予想以上に深いらしい。無理もない、きっと相当の暴力を受けていたのだから。
「ようやく…ようやくお前を殺せるよ麻希都」
炎も向こうから佐久間の高らかな笑い声が聞こえてくる。本当は今すぐに佐久間を殴りに行きたかった。それなのに、何もできない自分がいる。
「俺が憎かったんなら初めから俺だけを殺せばよかったじゃねぇか! 何で隆治を…麻希都を…皆を…」
皆の姿が浮かんできた。いつも当たり前に俺の傍にいてくれた大切な人達。俺のために今までいろいろな事をしてきてくれた。そして、俺のせいで地獄を味合わせた。
「お前だけが死んだらつまらないだろ」
「どういう事だよ」
「お前だけが死んだってお前は大した不幸を感じられない。お前が一番悲しむのは自分のせいで大切な人間が死んだ時だ」
だから皆を巻き込んだのか。
「どうして顔を変える必要があったんだよ。なんであれから何年も経った今になって…」
「梨花の顔が俺と同じじゃなくなったからだよ。だから俺と梨花はまた同じ顔にするんだ。そのために、俺は納得のいく顔に整形する時間が必要だったんだ。勿論梨花も整形するはずだったよ? 今の俺と同じ顔にね」
どうしてそこまでするんだ…。俺はそこまでこの兄妹の人生を狂わせてしまったというのか。俺が無意識にしていた行動は、多くの人間の人生を変えてしまった。
「でも、それも失敗しちゃった」
失敗? それってどういう…。
「ふざけた事言ってんじゃねぇよ」
隆治は腕に力を込め、必死に起き上がった。
「お前は妹を愛していたんだろ。じゃあどうして妹を傷つけるんだよ。お前は…お前は妹を愛していない」
「俺は梨花を愛している」
「違う! もし愛しているなら、そんな残酷な事できるわけないんだよ」
隆治の言っている事の意味がわからない。
「隆治、それ、どういう意味…?」
「もし…もし愛しているっていうなら…。いくら整形した顔だったとしても…愛している人の顔を潰す事なんてできるわけぇえだろ」
え…? 顔を潰す…? 佐久間の妹? 梨花の顔を潰したの?
「何言ってんの、隆治。そんな事ないだろ」
そこまで愛した人の顔をわざわざ潰すなんて、そんな事あるはずがない。いくらなんでも有り得ない。
「あははは、それが俺達の愛なんだよ」
そう言って佐久間は物陰に隠れたが、すぐに戻ってきた。髪の長い女性を抱えている。
「ねぇ、梨花」
そう言って女性に声をかける。
梨花…本当に梨花なのか? 梨花の顔は、熱せられた金属を押し当てられたように潰れており、見る影はなかった。
「梨花…あれが梨花なのか…?」
どうしてあんな顔に…。
呆然と俺をあざ笑い佐久間が答えた。
「やっぱりさ、お前の弟の顔が近くにあるのが耐えられなくてさー。すぐ整形するからいいかって思ってたんだけど、どうやらこの火傷じゃ俺と同じ顔にはならないみたいなんだよね」
佐久間が言っていた失敗とはそういう事か。
「だーかーらー、もういっそ俺とここで死んでもらおうと思って。あの世で一緒に暮らそう? 同じ顔で」
炎はどんどん大きくなる。立っているのが辛い。煙で視界が遮られる。呼吸も…辛い…。逃げないと、本当に死ぬ。
「隆治、隆治しっかりしろ」
隆治は服の袖で口元を押さえ、煙を吸いこまないようにしている。しかし、それでも煙はどんどん体に入ってくる。
「あははー、死ね死ねー」
もう姿すら確認できない佐久間の笑い声が響く。
薄れ行く意識の中、激しい轟音が響いた。建物が崩れ始めたのか? それならもう俺達助からないな。諦め始めた時だった。
「お兄ちゃん! お兄ちゃんどこ!」
突然そんな声が聞こえた。はじめは幻聴かと思った。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん返事して!」
幻聴なんかじゃない、確かに聞こえる。
「麻衣都…」
どこにいるんだ。どうしてここにいるんだ、麻衣都。
「麻衣都!」
俺は力の限り叫んだ。
「お兄ちゃん!」
麻衣都の姿を確認した。麻衣都は炎の向こう側で俺を見つけたようだ。でも、ごめんな。せっかく来てくれたけど、もうダメだ。俺の意識は限界だ。俺はゆっくりと目を閉じた。




