五の幕
ストックなんて貯められません。これでも学生だもの。
例えるなら、そう。
何にもない空間で、意識だけはあるのに、それに連なる体の感覚だけが、ぶっつり途切れている様な……まあ、そんな感じだ。
見えない、聞こえない、感じない。
……あれ? 俺、生きてるよな?
――ああ、お前は生きている。
聞き覚えのある声。
それが聞こえたことは不思議だが、違和感も疑問も感じない。
……だけど、身体が動かないんだが?
――そうだな。もう一人のお前が主導権を持っている。
……もう一人の俺?
――彼女と言ったほうが正確かもな。機械細胞本来の持ち主だ。
……機械細胞? どういう意味だ?
――お前は言うなれば、後から植えつけられたオリジナルのコピーだ。その前にあった意識は無意識下に沈み、眠っていた。
――だが、お前は一回死にかけて、結局、前の意識が覚醒し、肉体を変化させ、表に出て来たわけだ。
……死にかけた、って……、っ!? そ、そうだよ、ジュラは!? あいつは無事なのか!?
――無事さ。お前が助けたディアもな。今じゃ、随分と打ち解けているみたいじゃないか。
……そ――そう、か。良かった。
本当に良かった。
ジュラも、あの子も、救えた。救うことが出来た。
――なーに満足げにしてるんだよ。さっさと起きろ。
……起きる?
――言っただろ? お前はまだお前に目覚めていない。
……ああ、俺の身体を、前の意識が使ってるって話か。
――そうだ。そして、それじゃあ都合の悪い状況が今起こっている。
……都合が、悪い……?
――狂気襲来とでも言うべきか……。ま、あの子とは比べ物にはならない、混じりっ気なしの、純粋な、生まれたままの狂気。そんな代物が、お前の住んでいる町に手を出している。
……な――っ!?
声の言い草に、衝撃が走った。
――ああ、あーいう手合いは、囲って薬打って肉便器ーなんて安直な手は使わないから安心しろ。いや、まー、肉体改造精神改造果ては死亡率百パーの実験なんかは躊躇なくやるだろうけどさー。うん、純潔を散らすって事は……あ、いや、最悪交配実験なんつーどこの同人誌かっていうネタに手を染めかねないな。そういうイヤラシイ目的なしで。
瞬時に、感情が怒りで焼きついた。
怒声が喉を震わせる。
……っざけんな! そんなことをさせてたまるか!
――俺に言うなよ、俺に。
――あいつを動かすのは、純粋に知りたいという欲求――知識欲だ。興味が向かないことにはひたすらに無頓着だ。それこそ生命倫理なんかにもな。逆に、知識欲が係わらなければ、びっくりするぐらい無欲で無害なんだよ。……絡んだ瞬間ああなんだけどよ。
その様を想像しただけで、吐き気がこみ上げてくる。
……戻せよ。今すぐ俺を、元の身体に戻せっ!
――そうするために俺はここに居るんだよ。
――毒をもって毒は制すべきだからな。
……な、に?
一瞬、思考が凍りついた。
声はさらに追い討ちをかける。
――あの野郎も俺も、お前だって、おんなじ毒だって言いたいんだよ。
……笑えない、冗談だな……っ。
――俺は冗談は好きじゃない。……お前、親父のしたこと知ってるんだろ?
……――っ!?
――で、その親父の血がお前にも流れてるんだよ。知ってるか? 狂気ってのは、存在するから異常なんじゃぁない。……実行に移せちまって、初めて異常なんだよ。
……それは親父の話だろうが!
――ああ、そうさ。だが、その考え方の結晶がお前だよ。息子を生き返らせる? しかも、人間じゃないとしても、外見は人間の少女で、しかも仲の良い子を使って? ……これを狂気の沙汰以外の、なんて言うんだ?
……五月蝿い、五月蝿いっ! 俺は、俺はそんなこと――
――絶対にしない、か? ……お前、馬鹿なのか?
……なんだと……?
――訂正する。お前は馬鹿だ。さっき毒をもって毒を制すっつったばっかりだろうが。いいか? その足りない脳みそでよ〜く考えろ。
……ま、さか、まさか……!?
――毒は毒でしか制せない。お前がそれを認めないなら、お前は彼女達(大事なもの)を救えない。
……俺に、どうしろってんだよ……!
――狂え……なんては言わないが、まあ、本性表せとは言うな。
……本性……?
――ああ、お前なら、自分の性分くらい把握してるだろう? ……大切なものを救うために、守るために、自己の犠牲をためらわない。誰かを傷つけることさえ厭わない。
……――!?
――……この期に及んで気づかない振りか? もう飽き飽きだ。いい加減、目の前の真実から、目を逸らすのを止めろよ……俺」
「……な!?」
一気に意識が浮上する感覚。
体の感覚が、ある。
当たり前に感じていた物を、取り戻した。
だがまだ違和感が残っている。
「久しぶり……とはいっても、これだって擬似的な肉体だ。本物じゃないんだが……文句はないだろ?」
「…………ああ。はじめまして、で良いんだよな。……俺」
「ああ。はじめまして、だ」
赤い瞳。
白衣。
相違点はそれだけだった。
それ以外、本当に俺のまま、文字通り、瓜二つの俺がいた。
何もない、明るいか暗いかも判らない空間に、浮かんでいるのか、立っているのかさえ判らないまま、俺がそこにいた。
「「……よう」」
声が被さる。
表情も被さる。
紛れもなく、そこにいるのが俺だと理解出来てしまった。
「救いたいか?」
「……ああ」
誰を、とは訪ねない。判りきっているのだ。俺も、目の前の俺も――
「だったら教えてやる。躊躇うな。立ち止まって悩むな。それをした瞬間に、手前の大事なものは、手前の手から零れ落ちていく」
「……判った」
「まあ、そんなこと言っても、お前には突然には無理だろ」
……そこまでお見通し、か。
「あーあ、俺って言う人間は、どんなになろうと結局ヘタレかよ……」
呆れた声。
ぐいと胸倉を掴まれ、俺を睨みつける。
「……失ってからじゃ、遅いんだよ。……引っ張りだしてやる。だから、とっとと行け」
そして俺を突き放す。
「じゃあな。絶対にあの子達を泣かすんじゃねーぞ?」
そう言って笑う俺に、
「ああ。泣かせてたまるかよ」
俺も笑って言い返した。
そうだ。
泣かせてたまるか。
失ってたまるか。
奪われてたまるか。
絶対に放さない。
汚させない。
壊させない。
……それだけは、変わらない。
変わらないんだ。
はい、デウスエクスマキナです。ギリシャ流、「夢オチ」的なアレです。困った時の女神さまです。
……まあ、意図してフラグは立てなかったのですけど。
劇中のもう一人の彼は、原案の時の芹沢君です。性格的には大分ドクターイクスに近いんですよね……彼。できれば書き上げて世に出したいんですけど、正直欝展開が過ぎるので、恐らく途中で音をあげるんですよね……。




