迷宮の果て
1
「この砂漠を越えるとすぐです」
姫君がためらいがちに言ったのは昨日の昼のことだった。森の端に着いてすぐの時だったんだけど、砂漠を越えるのに約一日かかるので一泊してからの出発になった。
朝から一日歩いて、陽はだいぶ西に傾いているけど夕方にはまだほど遠い。とはいえ、それでもまだ砂漠の端は見えない。
本当だったのかなあとちらりと姫君を見ると、どことなく憂鬱そうな雰囲気を身にまとっていて、不安をさそった。
「あ」
声を上げたのは松永くんだった。
「見えた。お城だ」
一番背の高い松永くんは眼鏡の奥の瞳を細めて地平線を見つめている。
「ああ、本当だ」
やよいさんもうなずく。
「えーっ? 見えない」
あたしは悔しくなって早足でとにかく前に進む。
「おーっ。見えた見えた」
藤川くんまで見えたらしい。
一番背の低いあたしにはまだ見えない。歩きにくい砂の上をそれからしばらく進んで、砂と空の間に小さな点を発見した。更に進んでそれがお城の塔だと気付いた。
「あ……」
ようやく、着いた。そう思った。やっと終わるのだ。この長かった旅も。
あたしは振り返る。他のみんなもこちらを見ていた。
お別れの時が来たのだとみんなが気付いていた。本当はここ数日間。もしかすると、お姫様を救け出してからずっと思っていた人がいるかもしれない。
「もうちょっとだね。がんばろうっ!」
あたしは手を振る。
現実の世界に戻っても、また会える。名前を知ってるし、みんなの通っている高校だって聞いた。住んでいるところだって、これから聞けばいい。旅は終わるけど、あたしたちはもう一緒には過ごせないけど、まるっきり知らない人になるわけではないから。
苦笑している三人が追いつくのを待って、あたしは言った。
「ねえねえ、どこに住んでるの? 住所教えて」
「おまえ、覚えられんの?」
「え? 紙に書いたのって持って帰れないんだっけ」
姫君は一瞬の間を置いてうなずいた。
「うーん。いい。死ぬ気で覚える。んで、絶対あたしから連絡いれるの」
握り拳を作って言うと、藤川くんが「はいはい」なんて返事をした。
「まあ、そうよね。未緒ぐらいなもんよね、連絡してくれるのは」
やよいさんがくすくす笑う。
「そーじゃなくてっ、あたしがしたいからするの。待ってるんじゃなくて、連絡して、自分から会いに行くためにするの」
「まあ、いいんじゃないの? 一人ぐらいそういうマメなのがいても」
松永くんはクールだ。
「いや、こいつの場合単に友達がいないという……ってぇ、殴ることないだろ」
「いい加減に人のいうコト信じなさいよ。べっつにねえっ、友達がいないから、今の関係を保っていこうなんて思ってないもん。友達はちゃんといるもん。……ああっもおっなんて言ったらいいのかなあっ」
うまく言えないのがもどかしい。
「判ってるわよ」
ぽんぽんとやよいさんはあたしの頭をたたいてあたしを追い越していく。
「大丈夫。石野さんが連絡してこなかったら藤川がするだろうし」
松永くんはくすくす笑って横を通っていく。
「まあ、たぶんな」
藤川くんもにやにや笑う。
「ひっどおいっ。みんなしてからかってっ」
「それはカン違いだろう? 石野さんをからかってたのは藤川一人だ。」
「あっ、松永ずるい」
横をすれ違いざまにぽんっとひとつ頭をはたいて藤川くんまで追い越していく。あたしは、頬を膨らまして振り返って、三人の背中にあかんべをしようとした。けれども、ゆっくり歩いてくる姫君の表情が気にかかってそれを途中でやめた。いつもなら、こんな会話のやりとりをくすくす笑って聞いている姫君が今日は本当に憂鬱そうにしている。
「何か心配ごとでもあるの?」
他の三人に聞こえないようにあたしは聞いてみた。
かすかに目を見開いた彼女は、小さく首を横に振る。
「申し訳ありません」
まいったな。どうしたんだろうか。
言いたくないことや、言えないことは勿論あるのだから、強要はできない。だから、理由を話してもらおうとまでは思ってはいなかった。ただ、ここのところ沈みがちだった姫君を笑わせたかったのだ。他の三人があたしを追い抜いていったのは、あわよくば理由を聞き出してこいということなのだろうけど、おバカなあたしが姫君のそばにいる方が、彼女の気が楽だろうと判断してのことだとも思う。
「理由を聞こうなんて思ってもいないけど、話して楽になるんならいつでも聞くからね」
「未緒さん」
あたしたちは見つめあう。姫君の青い瞳は話したいことがあるのだと言っているようなのだけど、瞳の語ることなんて、たかが知れている。
「なんだか、女同士で見つめあうって不毛よねっ」
あたしの言葉に、姫君はかすかに笑みを浮かべた。なんとかがんばってという印象を持たなかったわけではない。でもあたしはそれでよしとした。彼女は彼女なりに、あたしたちに心配をかけさせまいとしているのだ。
「さあ、行こう」
陽が西に傾いて、あたしたちはようやく門の前にたどりついた。街をとり囲む城壁の入口は木でできた大きな扉で遮られていて、その先には進めない。
「おい、どうやって入るの?」
藤川くんが姫君に訊いた。あたしたちはバカみたいに門を見上げたままの姿勢で、もちろん藤川くんも同じ姿勢で、振り返りもしないで言っている。けれど、期待した返事はなかなか返ってこない。
「おーい、姫さんや」
待ちきれずに藤川くんが振り返って、つられてあたしも振り返った。視線の先には俯いた姫君がいた。
「姫様、どうしたの?」
あたしも訊いた。もともと、箸が転がっても笑うようなタイプの女の子ってわけじゃないけど、絶対変だと思った。魔王の城から救けだしてからここまで三か月。それでもにっこりと笑っていたのだ、救けだした直後は。それが、ここ数日間沈んでいる。
「この扉を開けるには条件が必要なのね」
やよいさんが言った。
「ま、だろうね」
松永くんが同意した。
ってことは。
「なるほど」
藤川くんでなくても、あたしにも判る。やよいさんの言葉は当たりなんだ。
姫君は意を決したように顔を上げた。
「申し訳ありません」
それは肯定のための文句だった。
「その通りです。この門を開けるには条件が必要なのです」
「俺たちゃ、あんたを助けてやったんだよな」
藤川くんが脅迫めいたことを口にして。
「開ければ帰れるのに、開けるのには条件がいるなんて、極悪非道ね」
やよいさんは髪をかき上げて、美女特有の冷たい視線を姫君に注ぐ。
「それが、掟なんです。そういうしくみになってるんです」
「俺たちがここに呼び出されて帰るための条件ということか」
松永くんが妙に判ったようなセリフを言う。やよいさんと藤川くんはあきれたように彼を見て、姫君に視線を戻した。
「約半年旅をしてきて判ったんだけどね」
仕方ないという感じで、松永くんが説明を始めた。
「この世界では、魔法という俺たちにとっては不可思議なものがまかり通っているけど、それにはちゃんと法則があるんだ。決まった法則を守って正しい道筋で手順をふんだ結果が魔法みたいに見えるだけで、なんら不思議なことじゃない。たとえばテレビだ。あんなもの、どういう原理だと説明されても判らないヤツには判らないけど、生活の一部になっている今、驚くヤツはいない」
「だからそれがどうしたっていうんだよ」
藤川くんはとても短気だ。
「つまりさ、俺たちをここに呼ぶための魔法は、元の世界に帰すまでで一つの魔法で、帰すためにはまだ手順が残ってるんじゃないかってことだよ」
「それが?」
「……姫君。何をすればいいんですか? 俺たちは」
「……」
松永くんはじっと答えを待つ。
「……てください」
「え?」
「忘れてください。ここであったこと、すべてを」
「なるほど」
呟いたのは松永くんだった。
「あなたがたがここに呼び出された際に、魔術師が説明したことと思います。これは一夜の夢です。あなたがたにとっては、一夜の夢なのです。半年という時間は長すぎます。あなた方はとても順調に進まれた。だから半年ですんだ。けれども、そうでない方たちもいらっしゃいます。一年や、二年。中にはもっと長い方もいらっしゃいます。その間中、あなたたちの世界で眠っていただいているわけにはいきません。だから、一夜の夢と同じようにするのです」
「夢だって、覚えていることはある」
あたしが言った。
「忘れちゃったら、目が覚めたら、みんなのことを忘れちゃったら、会っても判らないってことだよね」
「ええ……」
「そんなの嫌だ」
「未緒」
「藤川くんは、イヤじゃないのっ」
ああ、イヤだな。涙が出てくる……。
「あたしは嫌だ。思い出は、今日までの半年は、大切な宝物なんだから。忘れてしまったら、なかったことになってしまう。夢なら夢でもいいのにっ」
両の拳を握りしめ、あたしは言う。
「姫様のことだってそうだよ。せっかくお知り合いになれたのに、忘れるなんて」
「でも、もう会えないのですから」
「関係ない。知ってて会えないことと知らないことは全然違うことだもん」
ぽんぽんと頭をたたく手がある。これは松永くんだ。人のことをペットかなんかだと思ってるんじゃないかってたたき方だ。
「よしよし、判ったから、もう落ち着いて。俺に考えがあるから」
「ふうん……」
やよいさんが妙に感心したように言う。
「忘れずにすむ方法があるんだろう? 姫君」
「松永くん」
見上げる松永くんの表情はやけに真剣だ。
「何もない、この扉の前で言わなければならなかったということは、この中に入れば、覚えたまま帰る方法もあるということだろう。……違うかい?」
姫君はうつむいたまま首を横に振った。
「けれど、それは簡単なことではない」
「……ええ」
「それでもね、俺たちは聞きたい。残念ながら俺は石野と同じ意見なんだ」
「まあ、俺もね」
藤川くんが軽く右手を上げる。
「あら、同意見ね」
腕組をしたままでやよいさんが言う。
「……どうして……」
姫君は信じられないというようにあたしたちを見た。
「さあ、どうしてだろうね」
藤川くんはにやにや笑っている。
「よほどバカなんだろう?」
姫君はそれでもしばらく躊躇った。それからようやく口をひらいて「もしかすると帰れなくなるかもしれません」と言った。
「扉のむこうには街があります。街は迷路になっていて、城までたどりつけたらあなたがたは記憶をもったままお帰りになることができます。無理だと判断されたら街の者にお申しつけください。記憶を消してからお帰しします」
「帰れなくなるっていうのは?」
松永くんがしっかりとチェックを入れた。
姫君はうつむいて首を左右に振る。
「街に留まる人達がいるのです。街に留まることを決めた場合、迷宮を抜けるための地図が手に入ります。そのかわり、一生帰れません。この街で年を重ね、この街で生を終えます」
「地図があるのか……」
「ええ、でも。地図を見て城まで辿りついたとしても記憶は失われます。街の人達にきいたとしても同じです。自らの手で、辿りついてください」
「よく判らないな。街に留まるということが」
松永くんは眼鏡を人さし指で押し上げながらそう言った。
「私にも、判らないんです。……私には、あなた方が、ここでの記憶を失いたくないと思うことも理解できません」
「どうして?」
「ここでのことは、まるで役にたちません。あなた方が、あなた方の言うところの現実の世界に帰ったところで、ここでの体験はなんの役にたつのでしょう。話したところでただの夢物語のはずです。私には、判りません」
「もう二つ。俺たちは四人だけど、一人が城への道を見つけたら全員帰れるのかな」
「ええ。それはかまいません」
「あと、留まりたいと思ったものが一人いたとして、そいつだけ残ることはできるのかな」
姫君は意味が判らないというように首を傾けた。
「ええ……。でも、どうしてそんなこと」
「いや。……システムに興味があるんだ」
松永くんは言い訳するように言ってあたしたちを見回した。
「さて、どうする? 俺は入るつもりだが、君たちに強要はしない」
「同じくね」
やよいさんは苦笑する。
「俺も行くよ」
藤川くんも言うと、あたしを見る。
「もおっ、みんな忘れてない? 最初に記憶を消されるのは嫌だって言ったのはあたしなんだからねっ」
みんなが微笑む。
「と、いうことだ。姫さん、頼むよ。この扉の中に入れてくれ」
「判りました。扉の中に入ったら、外には出られません。街に留まり、この世界の住人になって初めて、城壁の外に出ることができます。覚えておいてください。……では」
姫君が扉に手を触れる。扉は低い音をたてて、少しずつ開いていく。
気がつけば、太陽はすでに沈んでいて、あたりは暗くなっている。
あたしたちは顔を見合わせた。表情はよく見えなかったけど、みんなが笑っているのは判った。
「さあ、行こう」
あたしが言うと、藤川くんが背中を叩いてくれた。
2
ばたんと大きな扉が閉まり、あたしたちは城壁の中に入った。姫君はいない。間接的にでも道を教えることはできないと言い、別のルートで帰っていったのだ。
城壁の中は、外よりは多少明るかった。
正面に道が一本まっすぐのびていて、城の塔のあたりまでありそうだった。左右にも道が一本ずつ。どうやら、とても整然とした街並みらしかった。
「これが、迷路……」
もっと、複雑怪奇な街並みを想像していたのだけれど。
「迷うわけないよなあ……」
藤川くんが疑問符をつけて松永くんに言った。
「隊長、指示は?」
そう訊いたのはやよいさんだ。とても正しい呼び方だ。
「とりあえず、動くな」
動かない方がいい、ではなく動くなというのが、ちょっと切羽詰まった感じがする。
「真っ暗だねえ……」
あたしは空を見上げる。せめて宿屋には泊まりたいと思うんだけど。
「動く時は、みんな一緒だ。今日はここでキャンプが正しいな」
「腹がへったな……」
「用意しよう。隊長、どの範囲なら動いていい?」
藤川くんが、背負っていたリュックをおろす。
「確かめよう。ここは、多分、そんなに安心していい所じゃない」
「どうやって?」
「小石を拾って、投げて。消えなかったら、そこまでは安全だと思っていい」
わけが判らない。
「この状況で、城まで迷わず行けると思わない奴がいるか?」
藤川くんとあたしが首を横に振る。やよいさんは、じっと松永くんを見ていた。
「でも姫君はここを迷路だと言った。辿りつけないとも言った。ということはだ、この道をまっすぐ歩いても城まで辿り着けないということだよな」
うなずく。
「なぜだ?」
「邪魔が入るとか」
藤川くんが言う。
「それは迷路ととは言わないな」
「まっすぐに見えてまっすぐじゃないってこと? あれは蜃気楼とか」
「それも可能性の一つだ。だったら、まだ楽だけどな」
「わかんない」
「空間が曲がっているということ?」
やよいさんが呟くように言った。
「多分な。調べたわけじゃないからなんとも言えないが、きっとそうだ。だとしたら、無闇やたらと歩き回るのは得策ではない。暗いうちに歩くのも同じだ」
だから松永くんは「動くな」と言ったのかと納得がいった。
「もちろん、違うかもしれない。だが、どこか知らない所に移動させられてからそうだったことが判っても遅いんだ。だから、気をつけろ」
あたしたちは神妙な顔でうなずいた。
この半年でキャンプをするのも馴れてしまった。常に一人ずつが持ち歩く大きな布とロープ、最低限の食料と水、道具類があればどこででも野宿ができる。もともと藤川くんがそういうことに詳しかったということもあるけれど、松永くんの機転の早さというか頭の良さ、やよいさんの料理の腕と器用さが役立ったと言ってもいい。
あたしたちは半年前にこの世界に招ばれた。この街の城の中の大きな円が床に描かれていた部屋に突然現れた。直前の記憶は自分の部屋で、ベッドの中に入って目を瞑り、明日の学校のことを考えながら眠ろうとしていたことだった。なのにあたしは見たこともない服を着て、知らない人間が三人もいて、知らない所にいた。呆然としている中、一早く納得したように「成程ね」と呟いたのが松永くんだった。彼以外の三人がその理由を問いただそうと彼の顔を見た時に、扉が開いて老人が現れた。老人は、まるでゲームの世界の住人のようなことをのたまった。
「姫君を救けてください。勇者の皆様」
というセリフに呆然としたのはあたしと藤川くんだ。やよいさんはそこで納得したように「ああ」と呟いた。
「我が国の姫君が東の山の魔王にさらわれました。どうかお願いします。姫君を救けてください」
なんでも、魔王に対抗できる魔法というのがないということで、対抗できる力を他の世界に求めた結果、あたしたちが集まったということらしい。あたしたち四人の個々のキャラクターには関係なく、このくらいの力が欲しいと注文したら、勝手に四人来てしまったのだそうだ。つまり、松永くんが料理ができて器用だったならば、やよいさんはいなかったかもしれないわけだ。
そして、結局そういう話になった。救けないと元の世界には帰れないというのだから、仕方ない。一晩の夢と同じで、元の世界では時間が進んでいないというのもOKした理由の一つだった。
旅を始めてそれぞれの特技が判ってくると役割分担ができてきた。松永くんがリーダーで藤川くんが野営準備をしてやよいさんが食事の用意をする。魔王の城の中に忍びこむのも松永くんと藤川くんの二人が計画をたてた。松永くんは旅の途中で興味を持ったこちらの世界の魔法を覚えて使い、藤川くんは格闘技で敵と戦った。
旅はとても順調だった。魔王の城へ辿りつくまでも、姫君を救いだすまでも、この街への帰り道も。ケンカもしたし、困難もあったけど、総じて順調だった。門の外で姫君が言ったように。それでも考えなかったわけではない。
――あたしは、どうしてここにいるんだろう?
「未緒」
気がつくと手が止まっていた。
「何、ぼーっとしてるの」
やよいさんが手を差し出していた。あたしは慌てて食事用のカップをだした。お茶用、スープ用の便利な道具だ。
「うん。最後の最後でどんでんがえしーって奴だなあって思って」
「まあね」
うなずいてやよいさんはカップにスープを入れてくれた。
「でも、ま。おいしすぎるからな、この話」
「藤川くん?」
「最初の話であっただろ? ケガや病気で死ぬことはまずないって。これじゃ、ゲームと変わりないからな。誰だって条件呑むんじゃないの?」
「元の世界にまったく影響がないっていうのは、まあおいしい話だよね」
松永くんもうなずく。
「うますぎる話には裏があるとは言うけどね」
「そういう意味じゃ、あっても悪くないどんでん返しって奴だよな」
「そうかなあ」
「小説やまんがや映画でこのまま終わったら、絶対つまらないと思うぞ、俺は」
「だって現実じゃない」
「そう思ってるけどね」
「松永くんは違うっていうの」
「覚えていたら、現実だろうね。忘れてしまったら、やはり現実じゃないだろう。だから、現実にするためにここに来たんだから仕方ないさ」
「そーゆーことだよ」
藤川くんは松永くんに同意した。というか、最初からそういう意見だったんだけど。あたしはやよいさんの方を見た。
「やよいさんは?」
「未緒には悪いけど。姫君が言いだした時、やっぱりって思わなかったわけじゃない」
「じゃあ、ずるいって思ったのは、あたし一人なんだ……」
あたしが呟くと三人は笑った。
「そーだろうね」
代表してやよいさんが返事をしてくれた。
「でも、ああまできっぱり言ってくれなかったら、私も、松永も藤川もきっと迷ってたからね」
「そうそう。未緒のあの思いっきりの良さは俺たちの方位磁石みたいなもんだから」
「つまりね。石野さんは自分の言ったことでこういう結果になったとか考えなくてもいいんだよ。俺たちは嫌だったら反対したし、この中に入らずに帰ることを選ぶことも可能だったのに誰一人それを選ばなかったんだから」
入る前に、松永くんは姫君にちゃんと訊いていた。あたしたちはそれを知っていた。
「うん」
あたしはうなずく。でも、松永くんはせっかく気をまわしてくれたけど、あたしが考えていたのはそんなことじゃなかった。関係はあるけど。でも、問題はそこじゃなかった。
あたしは火を見る。今朝、荷物になるから置いて行こうと言った藤川くんに松永くんが反対して、わざわざ持ってきた薪が役にたっている。本当なら、城についているから必要である筈はなかったのだ。城に着いていなくても、街に入ってしまえば、自分たちで料理をすることもなくなる。
こんなふうに、松永くんは先を見る目を持っている。役たたずのあたしとは違う。あたしの意見なんて、意見とは言わない。ただの自己主張にすぎない。もしあたしが逆のことを言っていたら。あたし一人忘れてもいいから迷路なんて嫌だから帰るなんて言っていたら、彼らは迷わずあたし一人が元の世界に帰ることを許しただろう。そして彼らは三人で迷路に挑戦するだろう。つまりそういうことなのだ。
3
夜が明けた。
なんだかがやがやと騒がしい声がして目が覚めると既に他の三人は起きているらしく姿がなかった。ごそごそとテントから這い出てみると人だかりができていた。街の人達が集まっているらしい。
「どーしたの」
やよいさんは当然というように朝ごはんの支度をしていて、藤川くんと松永くんが街の人と話をしている。あたしはやよいさんにそっと訊いてみた。
「なんか珍しいみたいよ。わたしたち」
手を止めることもなく、やよいさんはそう答えてくれる。
「門の中に入って、ここで野宿した人達って少ないみたい。で、珍しがられてるってとこね。丁度いいからって松永がいろいろと情報を仕入れているところ」
「ふうん」
「どうやら明日からは野宿しなくてすみそうだわ」
「お風呂入りたいね」
旅の間中、あたしたちは何度この会話をしただろう。二人で笑いあっていたら藤川くんたちが帰ってきた。街の人達も帰ってゆく。なんとなく見ていたらその後ろ姿がふっと消えた。
「え?」
「思った通りみたいだ」
松永くんが言った。
「昨日の夜に言った通りらしい。もう少し整然としてるけどね」
「整然と?」
やよいさんが聞き返す。
「交差点で空間が切り替わるらしい。だから、ここからでそこの道だとすると、そのさきに次の道が見えるだろう? あれを渡ろうとしたり曲がろうとしたりするとどこか別の道に出るらしい。その間なら行き来が可能。ただ、法則があるらしい。通るたびに違うところに出るわけじゃないらしいんだ」
「そう」
「他には?」
腕組をしてじっと聞いていたやよいさんが冷静に訊ねた。
「姫君の言ったことに盲点は本当になかったか。松永には判っていたよね」
「勿論」
人さし指で眼鏡を押し上げて松永くんは言う。
「と言いたいが、実は街の人達が教えてくれたんだ。道を教えてもらったら駄目だというが、正確には城への道を教えてもらったら駄目なんだそうだ。だから、例えば宿に泊まりたいと思ったらそこらへんを歩いている人に言って宿はどこかと訊ねればいい。そうしたら、そこまでの道を教えてもらえる。あとは……」
松永くんはそこで言葉を切って藤川くんを見た。藤川くんは肩をすくめる。
「一週間で道は変わるそうだ」
溜息とともに松永くんがそう言う。
「えっ? じゃあ、しらみつぶしに探すっていうのは無理ってこと?」
「まあねえ……」
藤川くんが空を仰ぐ。
「やっぱり……」
やよいさんが呟く。
「整然としてるってあたりから怪しいもんだとは思ったけどね。確かに」
それから松永くんはやよいさんを見る。
「作戦、立てようか」
「あら、わたしが必要なの?」
やよいさんはぴっと自分の頭を人さし指で示してみせ笑った。
「非常に残念なことにね」
「待ち合わせ場所、決めておこうか」
唐突に藤川くんが言いだした。
「例の宿屋。太陽が真上に登ったら」
松永くんが言い切る。
「じゃあ、とっとと食べて後かたづけしよう」
ぱんっとやよいさんが手をたたいた。
出掛ける前に簡単な打合せをした。松永くんとやよいさんはこの街を上空から見た図を手に入れられないか調べてみるという。地図というものがあるとすると、おそらくそれには道順も書いてあるのだろうと思われたのでそういう回りくどい言い方になったんだけど、セットで法則も探せたらと思っているらしい。藤川くんとあたしはというと同じようなことなんだけど、この街にはどんな店があってなにが手に入るかを調べるらしい。頭脳二つが固まってしまっていいのかなあと思わないでもないけど、頭脳の片割れの松永君が提案し、もう片方であるやよいさんが何もいわなかったので文句の言いようがない。いつも松永くんと一緒に活躍している藤川くんも賛成したようなので、多分これで間違いない方法なんだろうと思う。けど。
「なに?」
藤川くんが訊いてきた。
「なんで今回はこんな分け方なのかなあって思って」
二手に別れて行き当たりばったりに交差点を渡りながら、店の種類や、売られている品を確認してはメモしていく。そんな作業繰り返して、数十分。交差点を渡る時がなかなかスリリングなんだけど、道の角にある家は道を挟んで両側ともメモして、どんな通りにあるかもチェックする。松永くんたちが見取り図を手に入れられなかった時に無駄にならないようにするためだ。
「まあ、松永と小松が気を回してくれたんじゃないかと」
藤川くんは顎のあたりを人さし指でポリポリと掻きながらぼそぼそと言った。
「え?」
「あと、俺たちは偶然城にたどり着くことができるかもしれないけど、ちゃんと考えて辿り着くことは出来ないから確実性がないってことじゃないか?」
「ってことは」
「間違って城にたどりついたとしても気にせず帰っていいってことだと思うよ」
「うーん」
本当は、そういうのは好きじゃないんだけど、最善の策ということなんだろうか。
「だったら、頭脳が別々になったら、そのぶん確実になるってことでしょ?」
「だからそれは、それくらい難しいパズルなんじゃないか?」
「パズル、ねえ」
「一瞬のひらめきのある奴は一種の天才なんだよ。あいつらがそうだろ? 二人いて、俺たちの水準に合わせることなく話をすればその分早いってことだろ、きっと」
「藤川くんは納得してるんだ」
「信用してるからね。あいつらがもし帰る方法を見つけたら、絶対俺たちに教えてくれるだろ? 俺たちがその方法を見つけてもそうだ。でも俺たちの場合、方法を見つけられるかどうかってーと、無理だと言ってもいい。どっちかっていうと偶然たどりついちゃったってパターンだろう。そこまで考えてのこの分け方だってのは判ったからね。未緒は信用してないの?」
首を振る。
「どうせなら、一緒にいたいなって思って」
そういう可能性があるのなら、なおさら。
「ま、午後からはそうなるだろ。午前中を無駄にしたくないってだけだと思うけどな」
ポケットに両手をつっこんで顎で行く先を示す。
「偶然城にたどりつける確率は、無茶苦茶低いんじゃないか?」
言って歩きだす。
「ま、俺たちゃ、与えられた仕事をさくさくこなしていこーぜ」
その後ろ姿をあたしは見る。
「藤川くんって頭いいよね」
泣き言だということは判っている。あたしには割り切れないいろんなことが割り切れる藤川くんややよいさんや松永くんがうらやましいだけだということも、勿論、判っている。判っていても、納得できなければなんにもできない。自分がくやしい。
藤川くんがぴたりと止まった。ふうっと息を吐く。それからゆっくりと振り返って、立ち止まったままのあたしの目の前まで引き返してくる。
「俺は……きっと松永だって小松だって同じだと思うけどさ、未緒がいたからこの旅を続けてこれたんだと思ってるよ」
ぽんと頭を手ではたいて、そのままあたしの肩に腕を回して背を押すようにする。あたしは流されるように歩きだした。
「だからさ、自分一人役立たずだなんて思うなよ」
藤川くんの声はなんだか困っているふうだったんだけど、あたしは返事できなかった。
昼、まちあわせの宿屋でやよいさんと松永くんに会った。地図というか見取り図は手に入ったらしい。そのこと自体はめでたかったんだけど、問題は通りの数らしかった。
正方形の上の辺のあたりが横長に城になっていて、堀と高い壁でくぎられている。真ん中に門があって、吊り橋で渡るようになっているけれども普段は上げられていて渡れないようになっているらしい。吊り橋のあたりからまっすぐ下に道が延びていて下の辺のところに門がある。城からの通りを中心に左右にそれぞれ四本ずつで縦の通りは計九本。それから横の通りが十本あって、底辺に一番近い横の通りだけが途中で切れている。交差点は全部で八十九個。その八十九個の交差点に対しては必ず四個の入口があるわけだから、最低でも八十九個の四倍分の空間の切替え場所があるらしい。それを全部調べるのに頑張れば三日頑張らなくても四日あれば十分らしい。松永くんとやよいさんが言うには。
四日あれば全部調べられるのなら、楽勝じゃない。なんてあたしは思ったのに、二人は浮かない顔をしている。
「えーと?」
宿屋にくっついている食べ物屋で食事をしながらそんな報告を聞いていたあたしは、うなっている二人に先を促すように首を傾けて言ってみた。
「うん、つまりね。四日あったら全部調べられるのなら、何故今までここを抜け出せた人が少ないのかってことなんだけどね」
あたしはさらに首を傾ける。
「少ないのかな」
確か姫君はそういう風には言わなかった。
「ああ、確かに姫君はそういう風には言わなかったけど。簡単ではないとは言ってたよね」
「タイムリミットは一週間。三日も余ってしまう。これが一日とか二日ならまだいいんだけど、三日あれば頑張ったらギリギリで全通り確認できてしまうわけだから」
やよいさんが補足するように言った。
「えーと、じゃあ、もしかして。簡単じゃないってこと?」
「ウラがあるってことか……」
藤川くんが呟く。二人がうなずいた。
「あくまで『かも』なんだが……」
「で、次変わるのはいつなんだって?」
「明日。だから今日は動かない。でも、午後からはヒマだから城の近くまでは行ってみようと思って、この堀と吊り橋の当たりに出るための道筋は聞いといたんだ。食事が終わったら行ってみよう」
松永くんの提案にあたしたちは頷く。そして、藤川くんが顔をしかめた。
「訊けば答えてくれるんだっけ、そう言えば」
あたしと藤川くんはそうやってこの宿屋にたどりついた。
「ってことはさ、自分たちで調べなくてもある程度の道筋は判るってことか?」
「まあ、そういうことだね」
松永くんは肩をすくめた。
食事が終わってあたしたちは四人揃って行動していた。松永くんの提案どおり道のどんずまりの堀を見に行くことになったのだ。前に藤川くんと松永くんが二人でメモを見ながら歩く。交差点では必ず振り返ってから渡り、後ろを歩くあたしとやよいさんが渡るまで待っていてくれた。
やがてついたのは地図でいうところの左上の堀のところだった。
「あの壁の向こうなんだね」
堀は飛び越えられないらしい。
「ここ覗けるの?」
「やってみようか」
藤川くんはそう言った時にはもう体を乗り出していた。左右をゆっくり見てから。
「あ、川が流れてる」
「それは堀と言うんじゃないの?」
あたしも身を乗り出す。
石を組んで造られた幅二メートルぐらいの堀がずっと続いている。左側を見ると壁の下を潜っているから外につながっているんだろう。
「当然、ここを渡ってもたどりつけるわけじゃないんだよねえ……」
あたしはやよいさんを振り返った。
「きっとね」
やよいさんは肩をすくめる。
「こんなに近いのにね」
体を起こしてあたしは城の内壁を見上げた。高い石造りの壁だ。跳べない距離じゃない。けれど、きっと違う所にたどりつくのだろう。
「この街でのご法度はね」
ずっと黙っていた松永くんが口を開いた。
「通りで物を投げることなんだ」
「あ……どこから飛んでくるか判らないから」
松永くんはうなずいて続ける。
「道を隔てて隣の家に行くにも、遠回りしないと辿り着かないようなところもある」
「うん」
「これが、魔法の一環なんだとしたら、この街に住んでいる人たちは、なんなんだろう」
やけに難しい表情をして松永くんは呟いた。こういう話し方をするのは、松永くんにしてはとても珍しいことだったので、あたしと藤川くんは思わず顔を見合わせた。
「それを言うなら、魔王にしろ、ここの姫君にしろ、不思議は山積みだよね」
「そうなんだ……」
やよいさんの言葉に松永くんは苦笑してみせた。
旅の途中、あたしたちは何組かの同じようなグループに出会った。みんな、姫君や幼い王子様を魔王から助け出すために招ばれたのだと言っていた。けれども、行く方向はバラバラで、もちろん招んだ人たちもさまざまで、なんだか魔王は世界中にいるような気がしたものだ。
4
そして、あたしたちは一本一本道を調べ、判りきっていたことだったけれど、その三日後には行くところがなくなっていた。五日後には、街の人たちに道を聞くまでもなく、覚えてしまっていた。見落としがないかどうかもう一度一本一本調べていったからだ。
あたしがゴネたのを藤川くんから聞いたからか、調べる作業はずっと四人一緒だった。といっても、あたしと藤川くん、やよいさんと松永くんという分け方で、実際はなんだか二人ずつで行動しているみたいな感じだった。松永くんがなにかあるとやよいさんに相談するからだ。これも、とても珍しいことだった。旅の間中、松永くんは基本的に一人でいろんなことを決めていたし、やよいさんも、よほどのことがない限り、松永くんの決定に抗議することはなかったのだ。あたしがそういう疑問を口にすると、藤川くんは「よほど慎重にしたいんだろう」と言ったのだけれど、どうして慎重にしたいのかという疑問の答えはなかった。
五日目の夜、宿屋であたしたちは図面を見ていた。当初考えていたことはとりあえずすべて試したので、今後の検討会といったところだ。
「何かしたいとこはある?」
八方手詰まりなのだと松永くんは言ったのだ。松永くんとやよいさんが考えたことは全て試したということだ。そしてあと二日で、道は変わる。その二日間で無駄だと思うこともやってみようというのだ。
「ってもなあ……」
藤川くんが天井を仰いだ。その気持ちはよく判る。私にしろ、藤川くんにしろ、角を曲がる以外には思いつかない。
「思いつくところはすべて通ったし、堀にも落ちたし。……なあ」
同意を求められてあたしは頷いた。図面を見ると、そこにはどこに辿り着くかことこまかに書き込まれている。通っていない交差点は一つもない。
「じゃ、なくてさ。もっとこう……、屋根から下りてみるとか、そういう突飛なことがいいんだけど」
「突飛ねえ」
藤川くんが腕を組む。
「ねえ、あのね。他に可能性はないの?」
あたしは訊いてみた。考えられることと言っても、あと二日しかないから、今回は諦めたということも考えられるしと思ったからだ。
「ないことはないんだけどね」
松永くんが苦笑する。
「道を一本一本調べていくよりもっとやっかいなんだ。もうほとんど、確率の問題」
あたしは首を傾ける。
「それこそ魔法の世界。酒屋に行って八百屋に行って薬屋に行って道具屋に行ってもう一度八百屋に行くとお城に辿りつけるみたいなさ、道順が正しければ辿り着くっていう」
言っている意味は判るんだけど、なにが難しいかが判らない。あたしは首を傾けたままだ。
「どこに行っていいのか、何か所に行ったらいいのかまったく見当がつかないからね。五か所なら五か所だって判ってるならいいんだけどね」
少し納得がいった。
「たった一週間でどうにかなるとは思えないんだよ。偶然見つかる以外にはね」
「確かに……」
「だから、もっと短絡的で、突飛な方法がないかと思ってさ」
「まあ、つまり。煮詰まってしまったわけよ」
ずっと黙って聞いていたやよいさんがトドメを刺すように言い、松永君は肩をすくめてそれを肯定した。
あたしは考えてみる。
突飛な、思いもつかないようなことがあるかどうか。何か、他に。
街はぐるっと高い壁に囲まれている。入口は一つ。あたしたちが入ってきた門のみ。そこからまっすぐに道がのびていて、突き当たりが城の門。街は碁盤の目のようで、とても整然としているけれど、交差点で空間が曲がっているため、真っ直ぐ歩いているだけでは目的地には辿り着けない。
判っていることを頭の中で整理する。
「行けない所ってあるんだっけ」
ふと思いついて言ってみる。空間がねじまがってまるでパズルのような街は七日間たつと空間の曲がり方が変わる。何通りあるかは判らないけれど、毎回毎回その曲がり方をどうやって決めるのだろうか。それが疑問だ。
「ああ、未緒の言いたいことは判る」
やよいさんがうなずいてくれた。
「でも、この街は整然としてるでしょ。この大通りを中心に左右対象だしね。それだけでも一つのパターンが二つになったって考えられるでしょ」
「あ、鏡に写したみたいな」
「うん、あとは上下も逆さまにできるし。何通りか作っておいて、組み合わせてローテーションさせればね」
「でも、基本が同じなら簡単じゃないの?」
「ああ、あのね。ジグソーパズルってさ、同じピース数のパズルの場合、型は一つしかないって知ってる?」
「?」
「例えば千ピースのジグソーパズルが二種類、子犬の絵と山かなんかの風景のがあったとする。これはね、絵が違うだけで、パズルのピースの形は同じなんだよね。でも、絵が違うから人は惑わされる。上から全体を見てても惑わされるくらいなんだから、その中にいたら絶対わけわからなくなると思うよ」
「そうかあ……」
そうは言ったけど、実は判ったような判らないような感じだった。あたしは地図を見つめる。
「でも、その発想は面白いな」
松永くんがぽつりと言った。
「その発想?」
どの発想だ。
「行けないところ。あったら困るだろ? だからそんなものはないと思ってたんだ。でも、あるかもしれないよな。城以外にもさ」
「あ、そうか。行けないところはあるんだ、実際」
藤川くんがうなずく。
「そう、お城。ここには行けないんだ」
松永くんはわざとお城の門の前の橋を指先で示した。
「城から出てきてこの橋を渡って、この道を横切ろうとすると、一体どこに飛ぶんだろう」
次の日の朝、もうすっかり馴染みになった宿屋のおじさんに、あたしたちは地図を持って訊きにいった。
「言ってもいいのかい?」
質問を聞いて、おじさんは感心したようにあたしたちを順番に見てからそう言った。
「ってことは……」
疲れたように藤川くんが言う。つまり、聞いたら最後、記憶を失ってしまうような質問なのだろう。
「そうだな。まあ、いいところに目をつけたと言えば、言えないことはないな」
おじさんは豪快に笑う。
「なかなか頑張るじゃないか」
「まあねえ。帰れなきゃ、意味はないんだけどね」
「たった一週間で帰れりゃ、苦労はないさ」
「そういうもんなわけ?」
藤川くんは、既におじさんとタメ口をきいている。
「ほとんど偶然で帰ったやつらもいるがね、あんたらみたいに、慎重に行動してるやつらで一週間で帰ったモンはいないね」
「へえ……」
藤川くんは少し顔をしかめる。その気持ちはあたしにはよく判る気がした。
食事を終え、あたしたち四人は街に出た。やよいさんと松永くんは先程のおじさんの言っていたことについて話し合っていて、あたしは藤川くんとそれを眺めていた。
「なんか、ヒントがあったのかな」
「さあねえ……」
藤川くんは首をすくめる。
「どっちかってゆーとさ、偶然でも帰れた奴がいたってことの方が、俺には重大なんだが」
「……うん」
「昨日の夜、何か突飛な案がないか訊いてただろ? 流石頭のいい奴は、そこまで判ってるってことだよな」
「……うん」
「………」
藤川くんがあたしを見ていた。
「なに?」
「おまえ、元気ないな」
「断定したな? 根拠を聞きたいぞ、あたしは」
「いつもの、問答無用の強引な明るさは一体どこにいったのかな?」
「なんか、無茶苦茶な日本語」
笑ってみせて、それからあたしは溜息をついた。
「旅をしている間はさ、暗くなってもしょうがないんで楽しむことにしてたんだよね、実は。やっぱり、どこかで判ってたんだよね、お気楽な旅だって。それがさ、ここにきて、急に気楽に構えてはいられなくなったじゃない。あの能天気さはハタ迷惑なんじゃないかって思うわけよ、やっぱり」
「役立たずだから、か。……まだ、こだわってるわけ」
藤川くんがむっとした顔をする。
あたしは頬を膨らました。
「しょうがないじゃない。事実なんだから」
「事実って、おまえ、俺たちの話を聞いてないだろ。未緒がいなかったらこの旅は続けてられなかったって、言ったろ?」
「信じられない」
「んじゃ、信じろ。今からでも遅くはない。……あのな、俺と松永と小松が三人いたとして、会話があると思うか?」
「してるじゃない」
意味が判らない。
「必要最低限のな。基本的に俺たち三人は個人主義なんだよ。集団生活に向いてないの。俺はまだいいよ。例えば松永と組んでいくことはできる。小松と二人でもいいな。できることが違うからさ。でも、松永と小松は一緒にはいられないだろう」
「いるじゃない」
あたしは二人を見た。
「あれは、必要最低限の意見交換だって。あの二人が世間話をしてるところを見たことがあるか?」
「ないような、気がする……かな」
「ないと思う。ちなみに、俺と松永も、俺と小松でもいい、世間話もできない」
世間話も、と藤川くんは言った。
「反りが合わない、としか言いようがない。会話がなりたたないんだよ。旅に出てしばらくして気がついた。松永と小松はすぐに気付いてたんじゃないか? あいつらはとりあえず表面上は、人に合わせることができるから判りにくいけど、そういう人間ばかりが周りにいる生活っていうのは耐えられない筈なんだ。しかもこういう環境だし」
「だって、それでもちゃんと仲良く旅してたじゃない」
「未緒がいたからな」
あたしは、意味が判らなくて藤川くんを非難するようにみつめた。
「嘘じゃない。未緒がいたから、旅ができたんだ。お前がいたから、俺たちは好き勝手せずに、四人でずっと旅ができたんだよ」
「あたしは、ただのお気楽なバカだよ」
「そうだよ」
「お荷物だったんだよ」
「だから」
藤川くんはうなずいた。
「だから、みんなで守ることにした」
「そんなのっ!」
あたしは叫ぶ。そんなの肯定してほしくない。
「いいか? 一人の人間を守りきれる程、俺たちは強くない。そんな力はない。未緒がのんきに笑ってたから、未緒がなんのためらいもなく俺たちと会話をしてくれたから、だから俺たちは力をあわせて守ろうと思った。危険なことはなにもないのんきな旅だと判ってたけど、守ってやろうと思った。そう思わせるほど、おまえの存在は重要だったんだよ。でなきゃ、お気楽バカのお荷物なんかほうっておいて、とっとと帰るよ」
「あたしは」
藤川くんの気持ちは判る。でも、それじゃあ意味がない。そんな意味はいらない。あたしは、欲しくない。
「あたしはペットじゃない」
立ち上がる。目の端にやよいさんと松永くんが見える。でもあたしは彼らに背を向ける。
「未緒」
藤川くんの声を振り切って、あたしは歩きだした。
景色が変わる。あたしは交差点を通ったのだ。心配することはない。道ならもうとっくの昔に頭の中に入っている。帰る所は宿しかないし、少し頭を冷やしたいだけだ。
見慣れた風景。町並み。人々。もう顔見知りも何人かできた。目で挨拶して、あたしは歩く。角を曲がる。そして、見慣れない人を見た。若い女の人だ。
「あっらー」
長い、ウェーブのかかった髪の毛を結びもせず背中にたらしている、派手な顔だちの女の人だった。目をみひらいて大げさに驚いた表情をしている。
「あなた、初めて見たわ」
「あたしもです」
「いつ来たの? あたし結構長いんだけど。つい最近?」
そのセリフにあたしは驚いた。
「長いんですか?」
「そう。長いんです。長々と、何週間かしらね」
何週間。週が単位だということに少し驚く。そして、納得もした。
「うん。そう。ここでは月とか年なんて単位は役にたたない。あるのは、何パターン経験したか。ってことは、まだ来てから日が浅いのね」
「はい」
「そんなに緊張しないでよ。あ、ちょっとお茶でもしない? そこのお店、結構美味しいのよ」
彼女は、ダテに長い間ここにいるわけじゃないのよと自慢してみせる。あたしは笑ってその後をついていった。
5
「長いって、どういうことなんですか?」
あたしは単刀直入に訊ねた。
「帰りたくないから、ずーっとここに居るってこと」
彼女はあっけらかんと言った。
「仲間と離れたくないのよ。ここから、記憶を持ったまま帰れる確率なんて低くて、そんなものに賭けるなんてイヤなの。ただそれだけよ」
彼女はあたしの顔色を読むようにしばらく視線をこちらに向ける。
「ねえ、あなた、ここに来る前のことを覚えてる?」
いきなり話が飛んだけど、あたしはゆっくりと首を振った。
「そうでしょ? あたしもそう。全然覚えてないの。だから色々考えてみた。仲間とね。どうしてここに来ることになったのか。どうしてこんな迷路に放り込まれなければならなかったのか。どうして、一夜の夢なのか」
「答えが、出たんですか?」
「まさか。そんな簡単に出るもんじゃないわ。そんなのきっと、記憶を持ったまま帰れた時に判るにきまってるのよ。でもねえ、あたしは不思議だった。なんで、こんなところで冒険なんかしなくちゃならないんだろうって、ずっと思ってた。だってね、年とらないでしょ? 大した怪我もしないでしょ? しかも、現実の世界にも迷惑はかけないでしょ? 出来過ぎじゃない。なんでだろうって、夢じゃないのかなって思った。こんな都合のいい世界があっていいんだろうかって思ってた。そうしたら、最後の最後でこんな迷路が待っていた。それで納得したの。ああ、これが本当の冒険なんだって。これがあたしを試すための冒険なんだって、納得できたのよ」
「納得、できたんですか」
「できたんだな、これが。というか、納得させられたんだな」
彼女は淋しそうに笑った。
「どういうこと、ですか?」
「ここに着くまでの冒険は、前置きと考える。まだ、正体を現してなかったとも言える。でも、この迷路は、自分たちで選だ道しか進めないようになっている」
彼女は何かを読むようにそう言う。あたしには意味が判らない。
「判らない? ここまで来たらずっと楽しみにしていた現実世界はすぐそこにあるのよ。ここで体験したことを忘れれば、すぐ帰ることができる。忘れるのが嫌ならば道を探せばいい。残りたければ、探さなければいい。だからあたしはここに残ることにしたの。仲間と、ずっとここに残ることにしたの」
彼女はにこりと笑った。
その顔が少し哀しそうに見えたのは気のせいだったのだろうか。見ていたくないと思ったのは、勘違いだろうか。
「悪いね、おねえさん。こいつ、俺の連れなんだ。妙なことを吹き込むのはやめといてくれないかな」
左肩に手を置かれ、ぐいっと後ろに引かれた。藤川くんの声だった。
「妙なこと? 一体、なんなのかしら」
彼女は楽しそうに笑った。
「別にとぼけなくてもいいんだけどさ。ってことで、こいつはつれていくよ」
「残念ねえ」
「またの機会に」
肩を抱かれて無理やりに立たされるのにあたしは従う。
「ねえ、帰れる目処はついたの?」
女の顔がわずかに真剣味を帯びた。
「さあねえ。うちの知恵袋たちはなにかが引っ掛かるって言ってはいたけどね。関係ないでしょ?」
「……そうね」
あたしたちは店を後にした。藤川くんに背中を押されて、背中にその体温を感じてあたしは歩いた。
「大バカ者」
声が怒っている。
「一人で歩くんならまだしも、知らない人間についていくんじゃない」
「人に、影響されるから?」
動きが止まった。
「いい影響ならどんどん受けろ。今は、たった一人の行動が士気に影響する時だ」
「あたしたちは、仲間だから……」
「そう」
手が、離れた。
「気をつけろ、と」
あたしたちは向き合った。
「未緒」
「ごめん。少し考えさせて」
「何を?」
「いろんなこと。さっきの人の言葉も、藤川くんの言葉も、あたしには理解できない。このままじゃ、あたしはダメだから。少し考えさせて。どこにも行かないから」
藤川くんがあたしを見る。真剣な表情なんだけど、少し困ったなって感じで笑っている。あたしが一番好きな表情かもしれない。
「どこにも行かないのなら、一緒にいるってことだよな?」
あたしはうなずく。一緒にいるけど、それは考えているだけで、いっしょにいることが答えじゃない。
「じゃあ、いい所みつけたんだ、一緒に行こう」
「え?」
あたしの返事を待たずに藤川くんはあたしの手をひっぱってすたすたと歩く。
「ね、ねえ。どこに?」
「いい所って言ったろ?」
それだけ言って、藤川くんはなんだか楽しそうにあたしに背を向けたまま歩いた。
つれてこられた場所は街の中央の建物の屋上で。
「すっごーいっ」
なんだかとても久しぶりな景色だった。
青い、空。丸く切り取られた深い青の空があった。雲一つない晴れた空の、その真ん中にあたし一人がいるような、そんな気持ちになる。
吸い込まれそうな青い空を、あたしはバカみたいに見上げていた。ふいに涙がこみ上げてくる。
これから、どうしよう。
不安が、あたしの心を襲う。どうしようもなく不安で、いてもたってもいられない。
この先、帰れる自信はない。松永くんがいてもやよいさんがいても、藤川くんがいても、帰れる自信がない。だから、不安でしかたがない。
あの女の人は、あたしの願望だ。あの人に出会わなくても、いつかあたしは自分の中にあの人をみつけただろう。帰れないだろうという不安に耐えきれずに、あの人と同じことを言っただろう。そして、それを呑み込んだら、もう戻れない。思い出が大切だと言ったあたしは、結局思い出にすがってるだけなんだと気付いたら、あの人と同じ瞳をするしかなくなる。妥協してしまったら。
イヤだと思った。あの姿は醜いと思った。未来を拒むことができないと目の前につきつけられて、さらに不安になって、あたしはこれからどうしたらいいのか、まったく判らない。ここに着いた時みたいに、もう、無責任に騒ぐことはできない。
「未緒」
肩に体重を感じた。
気がつくと、藤川くんに背中から抱きしめられていた。
「一人じゃないんだからさ、四人なんだからさ、なんとかなるって」
藤川くんの声は温かい。
「帰りたいね」
あたしは呟くように言った。本当の、心の中からの気持ちだった。
「うん?」
「帰りたいね」
藤川くんの手に自分の手を添えて。ちょっと力を入れて。
「初めて、心から思った。帰りたいって」
ずっと旅をしている間も、この迷路に入ってからも、こんなに帰りたいって思ったことはなかった。
「ああ、帰ろうな」
少し困ったように藤川くんが応えてくれる。でも、そうじゃないんだよとあたしは言わなかった。
6
夕方まで屋上にいて、街をとりかこむ壁に夕陽が沈むのを見てからあたしたちは宿に帰った。宿ではやよいさんと松永くんが待っていて、あたしを見ると少しほっとしたような顔になった。
「ごめんなさい」
あたしは謝った。
あたしの姿をみとめてから立ち上がってそばにやってきたやよいさんに、抱きつかれた。
「やよいさん?」
「心配した……」
「俺がついてるんだから大丈夫だって」
「だから、心配だったんだが」
「やよいさん……」
「どういう意味だよ……」
「そのまんまの意味だよ。藤川じゃ頼り無いってことだ。……なあ?」
松永くんの言葉に、やよいさんはあたしに抱きついたままうなずいた。
「信用ないねえ」
藤川くんは苦笑する。
「やよいさん?」
あたしは、抱きつかれたまま、やよいさんに声をかける。やよいさんはそっと力をぬいて身体をはなした。正面から顔を見て、驚いた。やよいさんは泣いていた。
「やだな、安心したから」
照れ笑い。あたしは笑顔を返す。
「大丈夫。あたしは、そんなにバカじゃないから」
やよいさんや、みんなが心配していたのは、あたしがここに残ろうと言い出すことだったのだろう。頭のいい二人は姫君が言った時からその意味を理解していたに違いない。そして、一番言いそうなのはあたしだったのだろう。あたしを一人にしなかったのはきっとそういう意味で。
「忘れたくないって思ったら、あたし一人で残るから」
今はそんなこと思ってもいないから、あたしははっきりと言える。でも、三人はあたしの言葉をそうはとらなかったらしい。松永くんでさえ、表情が少し変わった。
「未緒」
「あくまで、思ったら、だけど。大丈夫。そんなこと、まったく思ってないから」
松永くんの表情は少し固い。やよいさんはあたしを検分するように見ている。藤川くんは少しだけ肩をすくめて椅子に座り、あたしたちにも、目で座るように勧めた。
困ったな。あたし、藤川くんのそういう顔大好きなんだけど。そんな顔みると、嬉しくなって笑ってしまうんだけど。
「なに、にやにやしてんだよ。――小松、お茶いれてくれると嬉しいんだけどな、俺は」
やよいさんは珍しく素直にうなずいて、やかんを手にすると備え付けのストーブにかけた。
あたしは、いつもの席に座る。藤川くんは相変わらずしょうがないなって顔をしていて、それが嬉しい。
「何か、決めたんだろう? 石野さんは」
松永くんが静かに口を開く。
あたしはうなずいた。
藤川くんの溜息が聞こえる。
「俺たちは見捨てられるのかな?」
さすが、松永くんは頭がいい。
「そういうわけじゃないけど。あのね、別行動をとりたいの」
空を見ながら、帰りたいって思った。それが大切だと気付いた。そのためには、一人でいることが一番だって思った。
「今ね、すっごく帰りたいの。ここにみんなでいたら、あたしは甘えてしまう。いつまでもここにいたいって思ってしまう。それは、イヤなの。ぜったい、イヤなの」
「うん」
「だからね、別々の行動をとろう。あたしは、あたしで道を探す。みんなは、みんなで探して帰って。あたし、絶対みんなのことを覚えてるから。みんなが忘れてても、絶対に覚えてるから。覚えたまま帰るから」
自信があるわけじゃない。忘れないまま、記憶を持ったまま帰れる自信なんてない。でも、帰ったあと、みんなとまた友達になれる自信はある。一からまた始めることはできる。あたしたちは、藤川くんが言ったような、ここでしか築けない関係じゃない。少なくともあたしはそう思ってるから、だから。
「絶対、帰るってこと?」
松永くんが確認するように言う。ちょうどやよいさんがお茶をいれてきた。
「うん。帰る」
「帰れるの?」
それは、道をみつけたのかという質問なのだろう。そう解釈した。
あたしは首を横に振る。
「そんな返事にOKは出せないよ」
「同じく」
固い声でやよいさんが言う。椅子に座ってあたしのことを見る。
「でも、決めたの」
まるで、両親に反対された進路を選ぼうとしている娘みたいだなと思って、あたしは心の中で苦笑した。
「それに、俺が加わるってのは駄目なプランなわけ?」
藤川くんが軽く手をあげてそんなことを言った。
「うん。駄目プラン。却下」
「じゃあ、期限をつけよう」
「藤川は賛成なんだ」
やよいさんが責めるように言った。
「まあ、未緒がそれで元気なら、そういうのもいいかなとは思うよ」
藤川くんはあくまでもあたしの大好きな顔でそんなことを言う。
「でも、いつまでもってわけにはいかないでしょ、やっぱり。だから期限つき。次の週で決めてしまおうぜ。俺たちもさ」
「見つけられなくてもということだな」
松永くんが確認する。
「そういうこと。そういうのじゃ駄目か?」
あたしは首を横に振った。ぶんぶんと勢いをつけて。同じことを、あたしも提案しようとしていた。
「すっぱり忘れてもいいってことか?」
あくまでも松永くんは確認するように言う。
「違う」
あたしは否定する。
「覚えてるって、あたしは。どんなことをしても。忘れたりしない。上手くは言えないけど、ここであったことを忘れても、みんなの名前や顔を忘れても、みんなといたことを忘れても、なんだろう、覚えてることってあると思うの。あたしは。出会ったら、絶対判ると思うの。やよいさんの優しさや、松永くんのあたたかさや、藤川くんのちょっと困ったような笑顔は、覚えてると思うの」
「まあ、賭ではあるけどね」
それは否定できない。それでも、自分が自分でいるために、絶対に譲れないこともある。
「じゃあ、私も絶対に覚えている」
やよいさんがあたしのことをまっすぐに見て言った。
「未緒が言うより可能性がありそうでしょ。松永も私に賭けなさい」
「……」
無言でやよいさんの方を見た松永くんが溜息をついた。
「なんで、そろいもそろってみんなして、そういう無茶なことを言いだして、しかも短気なんだ……」
「たかが二週間。されど二週間」
藤川くんが重々しく言う。
「松永だって、普通に考えられる範囲でみつけられるとはもう思ってないでしょ」
やよいさんの突き放すような言葉に溜息を返す。それは肯定の意味だ。
「次の一週間を、今週と同じように一本一本の道を調べていく気はないでしょ。そんな単純な答えじゃないってことは予想がつくもの。なら、あと一週間もあれば充分だってことじゃない。なにが短気なんだか」
やよいさんの言い方がなんだかおかしくて、藤川くんとあたしは顔を見合わせて笑った。つられたようにやよいさんも笑って、とうとう松永くんも笑いだした。
あたしはほっとしたのを気付かれないようにごまかすようにひたすら笑った。
別行動。
でも、宿は一緒で、あたしはちゃんといろんな情報を貰えるらしい。とても過保護だと思う。それでも、それが条件だった。別行動をとるための最低限の条件。毎晩、情報交換をすること。松永くんはそう言った。圧倒的にあたしの方が有利だ。そう言ったら松永くんに否定された。行けないところの質問をしたのはあたしの発想があったからだと言われた。でも、あたしが思うに、その発想から正しい答えを導き出せたのは、松永くんだからこそなんじゃないだろうか。そんなことを思ったと顔に出すと、せっかく許可してもらったのにいきなり却下ってことになりかねないから、もちろん素直にうなずいたんだけど。
宿を一歩出て、新しい道を見渡す。今日ばかりはどこにつくか判らない。真新しい図面に書き込んでいき、とにかく地図を作ろうというのがあたしの計画だ。瓢箪からコマを狙ったわけじゃなくて、単に地図作り。もう一度行きたいところがあった。藤川くんにつれていってもらった、街の中心の建物に、自分の力で行ってみたかった。
相変わらずのスリリングな道を、午前中ぐるぐると歩きながら偶然にもあの建物の前に出るのを待った。街を一望できる建物を見ることは出来てもその前には辿りつけない。焦らなくても三日間でだいたいの道は判るし、人に訊けば応えてくれる。けれども、思うように行かないこの状態をちゃんと噛みしめておきたいと思っていた。
藤川くんに連れられて行ったあの場所で帰りたいと思ったことは、忘れてはいけないことだ。ここでずっと暮らすことはみんなと一緒にいるということだけれど、一歩も前へ進まないということでもある。それを忘れたら、あの女の人になってしまう。あたしは、ここで、みんな一緒に居たいんじゃなくって、自分達の世界で、みんなと一緒にいたい。この先の未来で、大学行って、就職して、結婚して、子供が生まれて、そしておじいちゃんおばあちゃんになっても友達でいたい。そうでなきゃ、思い出なんて、ここでの生活の記憶なんて必要ない。
えんぴつを片手にどきどきしながら交差点を渡る。主な店の看板を見て書き込む。そんなことを繰り返しているうちにお昼になってお腹がすいた。丁度、食堂が目に入ったので、次の交差点で違っていたら引き返そうと心に決めてから交差点を渡った。
「おおっ」
思わず声が出る。あの建物だった。
仕方ない。昼食はしばらくおあずけだ。
あたしは建物の中に入った。
昨日は何も思わなかったけど、これは結構変な建物だ。中に誰も居ない。おまけに、入ると正面に階段がある。まるで、屋上に上がるのが目的のような建物だ。もしかしたらここは、この迷路の全体を見渡すための場所なのかもしれない。
とんとんと階段を上がって行くと屋上につく。まず見えるのは、あたしたちが入ってきた大きな門。屋上にちゃんと立って振り返るとお城。あたしはちょっと動きを止める。彼女がいた。
「あら、こんにちは」
ひらひらと手を振って彼女は笑っていた。
「ここいいわよねえ」
長い髪を風になびかせ、彼女は陽気に言う。
「やあね、とって食いやしないわよ」
あたしは彼女に寄っていった。なぜだか、怖くはなかった。そんなことを考えて、あたしは初めから彼女のことを怖いと思ったことはなかったことを思い出した。
「やっと仲間ができたと思ったんだけどな」
あたしの顔をじっと見ていた彼女は苦笑した。
「一緒にここに残ろうとする仲間だと思ったのよ。あなたたちをね」
「あの……あなたは一人なんですか?」
「違うわよ。ちゃんと仲間がいるわ。そういう意味じゃなくて、あたしたちと同じようにここに残ろうと思うグループを待ってたのよ」
「待って、いたんですか?」
「そうよ。一緒にここで頑張っていく人たちを探してるの。でも、あなたたちは帰るんでしょ?」
あたしはうなずく。
「あなたたちから見たら、あたしたちの方法は逃げなのかもしれないけど。あたしたちには最善の方法なの。それでも、残ろうって人たちは少なくて、あたしたちは不安になる。そろそろ仲間が欲しい。じゃないと、あたしたちも、きっと諦めてしまう」
諦める。
あたしはその言葉を噛みしめる。違うと思う。あたしは、諦めたからこんなことしてるんじゃない。諦めないために、別行動をとったんだし、諦めないために、この一週間でやめることに決めたのだ。
「不満そう」
彼女はくすくすと笑う。
「いつか、あたしたちもあなたたちと同じように思うかもしれない。いつかあなたもあたしの気持ちが判る時がくるかもしれない。まったく違う状況の時に。そんなことは、その時になってみないと判らないわよね」
あたしは静かにうなずいてみた。
「健闘を祈るわ。どこかで出会ったら、声をかけて。あたしはしばらくはここにいるから。無視なんてしないで」
明るくそう言って彼女は去って行った。
残されたあたしはゆっくりと街を見渡した。地図と見比べて、同じであることに安心して、同時にがっかりした。わずかな違いがあったら、それがヒントだと思うのは虫がよすぎるかもしれない。
彼女には、あたしたちが諦めているように見えているのだろう。あたしには、まったく逆に見えても、彼女達にとっては、今の状態を維持することの方が大切なことだということだろう。彼女は判らないだろうと言ったけど、あたしにはよく判る。彼女達の気持ちは、とてもよく判る。判るから、そこへ向かわないようにした。藤川くんも、やよいさんも松永くんも、もちろん判ってると思う。あれは、悪魔の囁きなのだ。あたしたちにとっては、甘い誘惑の言葉なのだ。忘れたくない。思い出は大切だ。そんな言葉に、そんな思いにつけいる甘い罠だっただけだ。多分、そう思っていたから、嫌悪した。ただそれだけだ。
昼食をとって、それからすぐに門へと向かった。今度は諦めて店の人に道筋を聞いた。なんだか、懐かしくなったのだ。あの建物の屋上に出る時、まず目に入ったのが門だったからだった。そういえば、あれ以来ここに来ることがなかった。ここで野宿して街の人達に感心されたことや、最初の交差点で飛んだ瞬間は思い出していたけれど、ここに来ようって気持ちにはならなかった。姫君に一度入ったら出られないって言われたからだ。出られないことをわざわざ再認識しに来るのもイヤだったからだと思う。
大きな、大きな門を、あたしは見上げる。よくこんな大きな扉が開いたなと思う。あたしでも、押せば開くのかなとちょっと思ったけれど試すのはやめた。開かないことを実感するのはちょっとイヤだった。そんなことはこの週の最後の日でいい。そう思った。
「未緒」
やよいさんの声がした。あたしは振り返る。
「あ。偶然」
「違う違う」
やよいさんが首を振る。
「昼食をとっていたら、未緒がここへの道筋を訊いていたって聞いて、面白そうだと思ったから」
ね、とやよいさんは藤川くんと松永くんを振り返った。二人はなにやら深刻な顔をしている。理由は判らないけどちょっと胸がドキドキした。
「どうしたの?」
声をかけると、二人はごく普通の表情に戻った。松永くんはかすかに口許に笑みを浮かべてあたしを見る。あたしは藤川くんに不審そうな眼差しを向けてみた。
「怒らないなって思ってさ」
少しだけからかうような口調で言う。
「別行動って言ってたもんね」
やよいさんが補足説明。
「あ、そうか。怒った方がいいんだ」
あたしが言うと、藤川くんは苦笑した。
「いや、別にいいけど」
藤川くんは首を振ってから松永くんを見る。
「な?」
「お流石で」
訳の判らない会話なんてしている。
なんかとっても珍しい光景だったのであたしが見つめていると、やよいさんが背後から抱きついてきた。
「ねえ、未緒。あたしを未緒側に入れてくれない?」
「え? やよいさん、どうして?」
「あの二人、急に仲良くなっちゃって、淋しいのよっ」
「へ?」
「なーんか、朝からずっと二人でコソコソ話をしてるの。やな感じなのよ」
「いいじゃないか、遅ればせながら友情が芽生えたんだから。これで、本気度が上がるだろう?」
藤川くんは妙なところで胸をはった。
「じゃあ、今までは本気じゃなかったんだ」
あたしが言うと、本気度だと言っただろうと反論してきた。あたしはなんだか気持ちが良くてくすくす笑った。
「何してるの?」
やよいさんは、扉を見ている松永くんの側に寄っていった。
「こうして見てみると、城の門の扉と似てるなって思ってさ」
勿論、城の門を間近で見たことがあるわけじゃないので、遠目で見た感じが似ているということだろうけど。
「丁度、対になってるのかしらね」
「みたいだな」
振り返って突き当たりの扉をみつめる。
「調子はどう?」
ぽんとあたしの肩を叩いて藤川くんが言う。
あたしは笑ってみせた。
「まあまあ、よ」
「なら、大丈夫だな」
笑えたから。あたしもそう思ってうなずいた。
「そっちは? やよいさんはなんだか悲しんでるみたいだよ?」
扉の前で二人はなんだか話をしていた。その声はこちらには届かない。
「うーん」
藤川くんは少しだけ考える素振りを見せた。
「このままいくと、俺たちは帰れるわけだ」
「……うん」
「いやに素直だねえ……。で、まあ未緒は帰れないわけだ」
「意見として聞いとくね」
「はいはい。と、すると。帰った後で未緒を探さなければならないわけだ。あ、もちろん俺たちは記憶もって帰るわけだから、探すのは簡単なんだが、なにせ未緒とは初対面だ。イキナリ会いに行って不審がられるのも問題だ」
うんうんと藤川くんはうなずく。
「で、だ。頭のいいヤツを味方につけておけば、そういう時に役立つだろうと」
「愛と情熱」
あたしはきっぱりと言ってみせた。
「はい?」
藤川くんは情けない顔をする。
「愛と情熱があれば、初対面の女の子一人口説き落とすことぐらい簡単だよ」
「ただのアブナイ人だと思われたらどうするんですかい」
「大丈夫だって。忘れてないもの。あたしは。ここでの記憶が全部なくなってたって、絶対どこかでみんなのことは覚えてるもの」
顔を忘れていたって、名前を忘れていたって、絶対にどこかが覚えてる。
「だから、藤川くんの愛と情熱があれば、下手な作戦なんかよりも確実にあたしとお知り合いになれるよ」
「……」
藤川くんは空を仰ぐ。
「まあ、そういうことにしておこーか……」
じゃあ、と手を振ってあたしは三人をおいて次の目的地へと向かった。次は、お城の真正面の道。これは簡単だった。午前中あの建物を探している時に一度行ったからだ。
地図を見ながら道を選んでいくあたしの頭の中では、藤川くんとの会話がリピートされていた。自分から言いだしたことでも、やっぱり、すっきりさわやかというわけにはいかないとひしひしと感じていた。遭遇する確率はかなり低いと思っていたんだけど、そうでもなかったらしい。
そんなことを思って偶然じゃないってことを思い出した。あたしが食事をした店は、いつもみんなで昼食を食べていた店だし、三人はあたしが行ったことを聞いたから門へと向かったのだった。
だとすると、藤川くんの「な?」は、そういう意味だったのだろう。つまり、あたしは怒ったりしないという意味だ。当たったと言うべきか、はずれたと言うべきか少し悩んでしまう。実際は、怒ることを考えてみもしなかったのだ。
ここに来てからこの迷路の街にたどりつくまで、単なるお気楽な女の子でいたのは、あたしが前向きな女の子だったからじゃなくて、本当に単なるお気楽な女の子だったからだ。後先考えなくて、その時が楽しかったらいい。辛いと言って泣くよりもその辛さを楽しんだ方がいいと思っていた。ただそれだけだ。そんなことができたのは、旅自体になんの危険もなかったからだ。コンピュータゲームだって、何回か失敗したらゲームオーバーになるのに、この世界ではよほどのことがない限り失敗すらありえない。だからあたしはお気楽お元気娘でいられたんだし、他の三人はそんなバカと一緒に旅ができたんだと思う。
その考えは今でも変わらない。あたしがもし本当に四人の中でちゃんと役割を果たすようなキャラクターなら、門の前であんな無責任な発言はしなかっただろう。藤川くんはあたしがいたから旅を続けられたと言ったけど、それが正しいのなら、ここにいるあたしは間違っている。あたしはここにいてもお気楽なバカでなくてはならない。あるいはそれを演じていなくてはならない。そうでなかったから、今あたしはこうして一人で行動しているのだ。
振り返るとあの門が見えた。
まっすぐに見えるこの道は実は曲がりくねっているのと同じなのだ。なんて、文章にしたら詩みたいなことを考えて苦笑した。めったにしないことをしたために、疲れているのかもしれない。ここのところずっと、頭を使い過ぎだ。
城門に向き直ってあたしは背筋を伸ばす。
あの向こうへ行くと、あたしは心の中で誓った。
宿へ帰ると既にみんなは帰っていた。
「早いねー」
言いながら中に入っていって、なんだかみんながやけに暗いことに気付いた。
「どうしたの?」
まず、松永くんが少し笑った。
「そこ、座って。話したいことがあるんだ」
心臓が、どきんと鳴った。
あたしは助けを求めるように藤川くんを見た。けれど藤川くんはひらひらと指を動かして口許だけで笑っただけで。やよいさんはと見ると、やよいさんはかすかに目を伏せてしまった。
しかたなく、あたしは空いた椅子に座る。
「どうしたの?」
「うん、あのね」
一瞬の、間。
松永くんは明らかに躊躇していた。
「帰る方法が見つかった。たぶん、正解だと思う。で、どうする?」
慎重に、でも、歯切れ悪く、松永くんは言った。
あたしは少し考える。
帰る方法が見つかった、と松永くんは言った。そう言った。でも、どうするってどういうことだろう。
「教えるのは簡単なんだ。でも、石野さんは知りたい?」
ようやく判った。松永くんの言葉はあたしの心にすとんと落ちた。
「ううん、いい」
大急ぎで言った。もちろん、松永くんは判ってるだろうけど、言って欲しくなんかなかった。
松永くんは満足したように笑い、藤川くんは苦笑してみせ、やよいさんは溜息をついた。
「良かった」
「未緒」
やよいさんが抱きついてくる。
「バカはやめて」
「でも、あたしバカだから、これはやめられないや」
「そうそう」
藤川くんがうなずく。
「あ、ひどーい」
「本当のことだろ?」
「そうそう。……確認する必要もなかったんだけどね、石野さんは絶対にそう言うと思ってたから」
「そう、言ってたもんね」
別行動宣言をした日に。
「だから、本当は言わずに行ってしまおうかと思ってた」
あたしはうなずく。それでいいと思ってた。
「でも、言っておきたいことがあってさ」
首を傾けて続きを促す。
「この半年の間、君がいたから一緒に旅ができたってのは、嘘じゃないよ。君はね、自分で気づいてないだけで、俺たちに随分といろんなヒントをくれてたんだ。もちろん、それが理由じゃないけどね。でも、俺も小松も思いもよらないことを、君はいつも何気なく発見していた。君は発見したことに微塵も気づいてない。俺たちはそれを利用してたんだよ」
首を傾けたままあたしは松永くんをじっと見る。
「でもさ、そんなことを抜きにしても、君と一緒に旅ができて良かったと思ってるから」
やよいさんがあたしからはがれた。
「ありがとう」
やよいさんと松永くんの声が重なった。
「お礼を言うのは、あたしの方だよ。絶対」
あたしはやよいさんを見る。それからゆっくり松永くんを見た。
「藤川くんも、松永くんも、優しいからそういうふうに言ってくれるけど、あたしがいなかったらそれはそれで楽しい旅になったと思うよ? あたしは」
人当たりのいい二人と、マイペースな藤川くんは、一体どれくらいで折り合いをつけるだろう。三人とも頭がいいんだから、三人で居たほうがいいことはすぐに判る筈だ。それは、始めは打算かもしれないけど、そのうちに本音が出始めて、ぶつかって、それからいい仲間になる。あたしにはそれが判る。
「想像すると笑ってしまうね」
やよいさんが妙に真剣な顔で言った。
「実際、そういう意味でも君がいて良かったと思うけどね」
松永くんは苦笑する。
「俺は、そういうこと抜きで、未緒に会えて良かったと思ってるんだけど」
藤川くんは困った顔で言って。それから無茶苦茶素敵な笑顔になった。
「一足先に帰るけどさ、大丈夫。うちには知恵袋が二人もついてるから。未緒の行ってる学校も、未緒の家の電話番号も住所も覚えてるから」
安心して帰っておいで。
藤川くんはそう言った。
なんだかとっても変なセリフだった。
朝起きたら、もう三人はいなかった。
先に帰ったんだとすぐに判った。
藤川くんはバカだ。そう思うとなんだかとても可笑しくなった。
一夜の夢だから、起きる時は一緒なのに。先も後もないのに。本当に判ってるのかな、あの人は。
松永くんだって、帰る間際になってあんなことを言わなくったってね。
やよいさんはやよいさんで、過保護だし。
そんなことを考えながらあたしは出掛ける用意を始める。
あと六日。
こんなイキナリ皆が帰ってしまうとは思ってもいなかったから、本当は少し困ってるんだけど、それでもなんだか嬉しくてへらへら笑ってしまう。なんかハメられたかな、なんて思ってしまう。三人が先に帰ることができて、もう嬉しくてしょうがないのだ。
「おや? 他の三人は、もうとっくに出掛けたよ」
宿の一階の食堂でかなり遅い朝食をとっていると、宿の主人が言ってきた。
「もう昼なのに、いいのかい?」
「うん。みんなはね、先に帰ったの」
あたしはにっこりと笑う。もしかしたら、へらへらと笑ったように見えたかもしれない。
宿の主人は少し驚いた顔をした。
「帰ったって、見つけたのかい?」
あたしは小さくうなずく。
「昨日はそう言ってたけど。今、いないってことは、そういうことだと思うけど」
「へええ。そりゃあ、すごい。あんたはいいのかい?」
「ふっふっふ。あたしはあたしの力で帰るからいいのだよ」
胸をはる。
「そりゃあ、豪気だ」
宿の主人は言葉とはウラハラに呆れたというような顔をした。
「で、帰る目処はついたのかい?」
「うーん、それがね、ぜんぜん」
明るく言うと、さらに呆れ顔になる。
「大丈夫かい?」
「大丈夫大丈夫」
あたしがお気楽に言うと主人は判らないというように首をひねりながら去っていった。
食事がすんでからあたしは外に出た。
行き先はあの屋上だ。
メモを見ながら一直線にあの建物に向かう。一直線といってもあっちの角を曲がりこっちの角を曲がりだけど、昨日はあんなに迷ったのが嘘みたいに簡単についたから、気分はやっぱり一直線だった。
とんとんと階段を昇ると、あの女の人の声が耳に聞こえた気がした。どこを見渡しても彼女はいない。
――いいわよねえここ。
相変わらずの青い空。そして、正面の扉。
正面の、扉……?
どうしてだろう。気づかなかったあたしは充分バカだけど、どうしてあの扉は真正面に見えるんだろう。この建物は、あの扉の正面の通りの脇にあるのに。確かに、離れてるから単にそう見えるだけと言われればそうかもしれない。でも。
あたしは振り返る。けれど、当然のことながら城の門は真後ろにあるわけじゃない。屋上の形をみながら角度を調節しても、うまく正面にはならない。これは、どういうことだろう。
「扉を見ていたら、松永くんがやってきた……」
そう。たしか、やってきて、松永くんは扉を見ていた。
城の扉と似ているって誰が言ってたっけ……。
――俺たちに随分といろんなヒントをくれてたんだ。
そう言っていたのは松永くん。
……本当、優しいんだから。
――入ったら出ることはできません。
そう言っていたのは姫君。
「早いのは、入ってきてすぐだった」
声に出す。そう言ったのはこの街の人だったはずだ。
あたしは、門へ向かった。
姫君は、始めから答えを言っていた。
一度入ったら出られない。その言葉をあたしは、もうこの扉は開かないというふうにとっていた。けれどそうでないとしたら。
この街の中で、街を見渡せるほど高い建物は一つしかない。そのたった一つの屋上へと上がる階段が不自然な角度で門を向いているのは、なにか意味があるのではないか。
ただの統一感からの同じデザインだと思っていた門と城の扉。でも、これもなにかのヒントだとしたら……。
そして昨日の松永くん。ヒントをくれたのはあたしだと言っていた。扉を調べていた。
他に、なにが要る?
彼らは帰ったのだ。間違いないと言っていた。松永くんが、そう言っていたのだ。あの、松永くんが。
同じ答えに、あたしが辿りついているという根拠はない。もちろんそうだ。だけれども、辿りついていないという根拠もない。
あたしが思いついたことはすべて偶然かもしれない。あの扉を開けて、また見当違いな所に飛んでしまうのかもしれない。でも試してみない方法がどこにある?
ダメで元々だ。
あたしは扉に手をかける。
そして力を込めて押し開けた。
入ってきた時と同じ音がする。
多分、これは。帰るための正しい道じゃなくても、あたしのための正しい道だと。そう思えたから。
開いた隙間に足を踏み出した。
END
これもまた、結構昔に書いた作品です。
ペンギンよりは新しいですが。
過去作品で投稿するのは、おそらくこれが最後。
次は、新作でいきたいという野望を抱きつつ、気力体力の衰えをひしひしと感じる今日この頃なのでした…




