お目覚めです
その音は何処かお兄ちゃんと似ていた。
たぶんちゃんと聞けば全然似てないんだろうけれど、選ばれた言葉とその時の話し方、発音、ニュアンスがどうしてか似ているような気がした。
一体いつが最後だったろうか?そう思う程度には昔の記憶なのに、感覚だけはやたらと鮮明だ。
決してやさしい言葉のチョイスじゃない。聞く人によっては非難しているように聞こえるかもしれない。
でも乗せられた音に込められた感情は、面倒見の良いお兄ちゃんだと思わせるもの。
そんな感じに聞こえたからだと思う。
どうして泣いているのかと聞く声が、泣くなと言う声が懐かしくて、ただただ……安堵した。
「……」
眩しい。
ぼんやりとして夢見心地の意識でそう思った。
おかしいな、いままでずっと暗くて狭いところにいたのにどうして急に眩しいんだろうか。
と、寝起きのよろしくない性質もきっちり引き継がれたらしい残念っぷりが遺憾なく発揮されていることを自覚しながら、暗いのも嫌だが眩しいのも嫌だなんて目を開く気皆無で我儘全開な思考を展開しつつそれでも何かを考えたらしい私は、数拍の脳内沈黙を経てようやく目を開けた。
「……」
眩しい。
ゆっくりと押し上げた感が強い瞼を持ち上げて開いた目。思うことは意識が浮上した時と同じだが、開いた目に映った世界に瞬きを繰り返しまだ覚醒しきれていないだろう思考で思った。
何処だここは。
第三者の視点でいまの自分を見られたならば、無表情もしくはまだ眠そうな顔かつ不機嫌面をしていると思われる。感情も表情と似たり寄ったりの底辺ぶりだ。
生憎と寝起きからはしゃいで回れるような愉快な構造は前世の私にはない。そして今世の私にもないようだ。
安心した。そんなの私のキャラじゃない。
しかし見覚えのない天井だなんて実際にあるんですね。こんなの物語の世界だけだとばかり思っていましたよ。あはは。……転生自体が物語くさいか。
ぼんやりと沈黙を貫きながら思考だけ斜めの方向に走っているが概ね平常運行だ。つくづく残念な思考回路をしている。
はあ、なんて溜息を吐いてもいい心境だったのだが……。
「あ、目が覚めた?」
未だ寝ぼけ眼のぼんやりしている視界にひょいと入ってきた人物に溜息どころか息が詰まった。
何が楽しいのか喜ばしいのかわからないが笑みを浮かべている表情は何処か幼さを感じさせる。
鮮やかな緑髪はエメラルドにも似た色で左耳の上の高い位置で一つに結われ揺れており、見つめてくる目は真っ青。
いろいろと突っ込みを入れたい。その容姿と配色に覚えがあって仕方ない。
「マリエル、そこの資料取れ」
「ん?コレ?」
「ああ……」
無表情に固まって呆然としているところへ低いお声が乱入し、視界に入る人物がもう一人増えた。
資料と言われた紙束を差し出す緑髪の人物はマリエルというらしいです。
ではその資料を受け取り、ボクを無言で見降ろしていらっしゃる肩には届かぬ紫の短髪に同じ青でも空色の青の目である人物は誰でしょうね。
「目も黒か」
ただ短く呟かれた言葉にそうですか、と内心で答え何処かに横たわっているらしい体にそっと力を込める。
「ディル、イルファはまだ手続きしてるの?」
あ、なんというかもう……予想違わずあなたの名前はディルでしたか。
そうですかそうなんですねそういうことですよね。
「もうしばらくかかるだろう。まあ、処理してるのがリフォルドなんだからすぐに終わる。これが司令ならもっとかかるがな」
ぱらぱらと読むではなく眺める動作で受け取った資料を捲るディルの口から出て来た言葉にとある一文がでかでかと脳内を占めた。
人生諦めも肝心。
切なさに咽び泣きたくなる心境ですね。しょっぱい人生だ。
意味不明に笑いだしたい気持ちになりますが、そこで彼の悪魔の名前が出てこられては認めざるを得ない。
もういいです。腹括ります。そんなわけあるかと遠ざけていた答えを手にしましょう。
ここは私が知る世界。というか私が物語として綴っていた世界。
天使と悪魔がともにある世界、題名を天魔招来伝と呼んでいた。
成程、つまり私は新生の地、そこにある生命の大樹になっていた天使ということですね。
ああ、なっていたって木の実や果実じゃあるまいにと思っているやもしれませんが、これが的確な表現です。
生命の大樹。つまりは生命が生まれる御神木クラスに巨大な木で、本数は二本。
隣接して並び立つ大樹は片方が天使の生まれる大樹で片方が悪魔の生まれる大樹。天魔はそれぞれの大樹にまるで木の実のようになる。
ただし、なるのは卵で木の実ではない。
始まりは本当に小さなもの、それこそ鶏の卵くらいの大きさだが、孵る頃にはそれなりの大きさになっている。大きさは当然個体差があるのでまちまちだが、小さくても生後半年くらいの赤子が入っているくらい。大きいと二から三歳程度の子供が入っているくらいになる。大きさの限度はこのあたりで、大樹になり成長する期間は平均二週間で長くても三週間程度。
そして生命の大樹が存在する地を新生の地と呼ぶ。
さて、一種の現実逃避から目を逸らすのをやめて現実に返ろう。
目を開いただけの現状ではここが何処かは知りようもないが、少なくとも四大風天使マリエル・アスティータ・オルフィと四大地悪魔シィーフィール・アル・ディルリーフスがいる場所である。
うん、範囲が狭まりそう。よくはない方向で。上から地位を数えた方が速い二人がいる室内なんて場所は明らかに限られてくるだろうが。
ああ、ということはあの場所、卵から出してくれたイルファという声の主は四大火天使イルファ・ソル・フライトシェネレスですか。ついでに今現在絶賛何かの手続き中であるイルファのお相手が側近火悪魔リフォルド・シェル・フェイルス。
……何の冗談なのだろうか。卵の中で御方々、たぶん大樹の意思から大雑把世界観を聞いている時に何となく似てるな~と思いはしたが……本気でか。
なんて呆然通り越してどうしていいんだかなボクを放置して目の前の会話は続く。
「司令と比べちゃ可哀想でしょ。僕らと比べられても圧倒的なのに」
「もう少し簡素化できないのかアレ。ただ預かるだけにどれだけの手間をかけるつもりだ」
呆れの息を吐きながら手にした資料を肩にとんっと落とすディル。視線はボクでもマリエルでもなく何処かに向かう。恐らくリフォルドとイルファがいるであろう方向を向いているのだろう。ボクの現在地からでは見えないので予想でしかないが。
「う~ん。でも仕方ないところもあるからね。下手に簡素化してろくでもないところに持って行かれた、なんてあったらまずいもの」
「ブラックリストでも作っとけ」
「……一体どれだけの規模になるのさそれ」
さらっと応じたディルにがっくりと肩を落とすマリエル。
気の所為でなければすごい会話のはずだ。そしてボクが聞いていていい会話なのかと不安にさせてもくれます。そこの高位者二名、この場に生まれたてほやほやの下っ端がいることをお忘れなく。
なんとも言えない会話を耳にしつつ、視界に二人を収めたままじりじりと腕に力を込めて身を起こすことなくほんの少しずつでも離れようとする。……近いのだよ。
ざっと視界を巡らせて見たところ、ボクが横たえられているのは恐らくソファだ。で、そのソファの背もたれ側に二人は立ってボクを見ている。
自分が小さいからなのだろうが見下ろされていることにものすごく圧迫感を感じる。何より一方的に知ってはいるが実際は知らない相手が自分のパーソナルスペースに入っているのは、正直不快だ。
人見知りなんだよ。悪いか。悪いと言われようと私はいま離れる行動をやめはしない。可及的速やかに低速でじりじり後退。
「おい騒音兵器」
「っゅ!」
空色の青がボクを映したのにびくりとなり一旦停止。
……しかし、騒音兵器って何だ?ディルの視線の先にいるのは間違いなくボクだ。
ということは……ボクのことなのか?
そんなボクの内心の疑問を知らないだろうに解答は呆れの溜息を吐いたマリエルからもたらされた。
「ディル、この子はリトネウィア。騒音兵器とかじゃないってば」
「アレを聞いていれば納得するだろう。平然としてたのはイルファだけだ」
「……それは、否定しない」
心底嫌そうな顔で告げるディルに注意したはずのマリエルもどうしてか苦い顔をしてさらには同意した。
何のことだ。
疑問しか起こらないやり取りを見つめるしかないボクへと嫌そうな顔がまだ残っているディルが告げる。
「とにかく、それ以上下がるな。落ちるぞ」
「へ?下がる?」
つ、と空色の青に視線で示されてばれてたと思うと同時に思いがけない言葉にきょとんとなる。
上掛けにされているらしい布地の下、そろりと手を滑らせれば体を避難させていた方向の先はすとんと崖仕様。成程、確かに落ちる。
直接見えてはいないだろうに崖仕様を確認したのがわかったのか息を吐かれた。
それはどういう意味の息だ。
「ついさっき生まれたばかりなんだ、どうせろくに動けない。ソファから落ちたいなら止めないが痛い思いはしたくないだろう。おとなしくしていろ」
そう言ってソファの背に軽く腰かけるディル。本人何も意識していなければ意図もないだろうが、ボクは無意識に体を縮めた。
「……」
言い方は突き放すようだがその内容は怪我をしないように注意を促すもの。やさしいのはわかる。わかるのだが、ね。
ボクの反応を見て空色の目を少し細めた後、ディルは肩に当てていた資料を傍らにいるマリエルへと向ける。資料を向けられたマリエルは不思議そうに首を傾げているが無視をなさるようです。
「それがマリエルで俺はディルだ。お前の卵を割ったイルファならもうすぐ戻る。取って食ったりしないから身構えるな」
何をなさるのだろうかとちょっとびくびくだったのだが、なされたのは非常に簡素ではあるが自己紹介だった。
表現はちょっと微妙だが恐がるなと言っている。
「えーっと……ひょっとして、僕らのことが怖い?」
何とも言い難い言葉を放ったディルの意図を理解したのか困った顔で笑いかけてくるマリエル。
だがしかし、どう答えろと。
無言で困っているボクを知ってか知らずか答えてくれたのはディルだった。
「目が覚めて最初に見たのがお前の能天気面でもしっかり警戒してんだ。根がびびりなんだろう」
間違ってないがその言い様はどうにかならないのか。
成人女性であったときならともかく現在の姿と年齢であれば人見知りは別段おかしくない。
精神年齢のことはここでは考えない、考えてはいけないというかこの世界が私の描いていた世界観そのものならば二十云年程度しか生きていないボクの精神年齢だって幼子でしかないわ。
人見知りでびびりの何がいけない。開き直るぞこんにゃろう。
「能天気面……」
「間抜け面でもいいぞ」
ボクの内心発言など知る由もない二人は互いを見ている。
能天気面なんて良い様に捉えようとしても悪意がちらつくだろう表現に非難めいた呟きを漏らしたマリエルだったが、呟きを耳にしたディルがふっと意地悪な笑みを浮かべて追撃したものだからマリエルはむくれた。
「どっちも変わらないでしょ」
いや、能天気と間抜けでは違うと思うぞ。
口には出さない突っ込みを入れつつ少々道の逸れた会話に関係ないボクはもぞもぞと動いて半身を起こす。……当然二人と距離を離しながら。
身を起こして思い知るが、幼児体型は頭が重い。バランスを取るのが大変だななんて考えながら我が身を見て沈黙。いえ、一言も発してませんがね私。
「……」
はて、この服は一体。ジャストフィットというには少し大きいが水色を基調とした服はちびっ子しか着られないサイズだ。さらにこの上掛け、誰かの上着だ。たぶん、マリエルとディルのものではない。二人の現在の格好とは合致しないもの。
「あ、その服は新生の服、ボクとレミィで着させたんだよ。ちょっと大きいみたいだけどいまはそれで我慢してね」
じぃっと己が身を見つめているボクに気付いたマリエルが答えをくれたが、気になる名称が追加されたことは気にしないでおくことにする。適度な現実逃避は大事だ。
上掛けが誰のものなのかについてはわからないが、この場にいる二人以外に現時点で近くに居るのはイルファとリフォルドとのことなのでその二人のどちらかかもしれないと勝手に推測しそれで結論処理しておく。深く考えない。
しかし、新生の服ですか。そりゃそうだよな。卵の中ってのはお母さんのお腹の中と同義、つまりはすっぽんぽん。それはそれは面倒をおかけした。
「……っ…………」
礼はちゃんとしなくてはいけない。そう思って開いた唇は音を紡いでくれなかった。
きくん、みたいな何処か引きつる感覚があって音が紡がれない。不愉快な感覚に思い切り表情を歪ませるボクを見たマリエルがくすりと笑いながらソファの背もたれ、その頂点に腕を組んで身をもたれさせた。
「まだ生まれたばかりだからね。体が声を出せるほど馴染むまでは心声を使って話すといいよ」
恐らく当然のこととしてマリエルは口にしている。そしてそれは彼女自身も通った道だから違えようのない実体験も含んでのことだろうけれど。
「………………」
生憎、私に、まともに聞こえる心声は使えません。
あははと空ろな気持ちで浮かべた表情に何を読み取ったのか不思議そうに首を傾がせたマリエルではなく、ディルが己の肩越しにボクを見て呟いた。
「……そいつ、心声がうまく使えないとかイルファが言ってなかったか?」
すみません。どうしてそんなに眉間に皺寄せていらっしゃるのでしょうかディルさんや。美形の不機嫌顔とか向けられたら流石に凹みますよ。
「言ってた、けど……………………」
身を倒した分ディルを見上げるマリエルの顔が分かり易く引きつり言葉が途切れた。
何なのキミ達。ボクが一体何をした。何かした覚えはないはずだ。……たぶん。
「あー、もしかして…………あの音に、なる、かも?」
「アレがコイツの心声だと仮定するなら俺は御免だ。別の方法で意思の疎通を図るかまともな心声を身に着けるまで使うなと言いたい」
「いや、もう言ってるからね!それも本人目の前にして堂々とっ」
身を起こし、眉間に皺だけでなく険しい表情になっているディルに意見するマリエルを見て、何となく言わんとしていることが見えてくる。
まともな心声、あの音となれば身に覚えがなくもない。
テレパシー的な感じで自分の声を任意の相手に伝える法が心声だ。卵の中にいて最初に習う法がコレ。
何故心声なのかと問われれば、理由は簡単だ。誕生の際、卵の殻破壊に必須なことと意思の疎通がコレを覚えるだけで簡単にできるから。口を使わなくてもペラペラお喋り可能です。
で、その便利な法をまともに使えない私の心声はどんなものなのかというと。
大樹曰く、音もしくは空気の振動、的な何か。
少なくとも声、言葉を伝える用途には到達しておらず、上手くいかないと試行錯誤はしたがどうにもならなかったのが現状だ。むしろどうしてイルファがあの残念極まりない心声もどきで会話可能だったのかが謎で仕方ない。何か?私の残念な心声と周波数でもあったのか?
ああいやとにかくだ。騒音兵器と言われた理由はこれだろう。練習時はともかく文句言ってきた奴には全力の罵詈雑言をお見舞いしたからな。恐らく音か振動としてしか受け取れていないだろうけれど。
その音が凄まじくて昏倒した奴がいたとかいないとか。知ったことか。私は暴言吐いた奴にしか反撃してない。正当防衛だ。ざまあみろ。
「それにしても心声が使えないのは困ったことだよね。大体一週間近くは声でないんだよ?意思の疎通どう図ればいいんだろう」
ボクが静かに自己弁護に勤しんでいる間にううんと唸りだしたマリエルだが対するディルはあっさりしたものだ。
「イルファには通じてるんだからあいつ経由すればいいだろう。もしくはイルファが問題点解決に一役買えばいい」
清々しいまでに放り投げたな。別に構いはしないが。
「経由はいいとしても困ってるのはいまじゃないの。それに心声はイルファの専門じゃないでしょ」
「俺の専門でもないな」
「法の知識ってことなら専門は僕だけど技術に関してなら専門外だよ」
つまり現時点でボクの残念心声は改善方法が見当たらないわけですね。
しかし、そういう技術的なものに詳しい専門天魔がいるかもしれないのか。
でも、どうにかなるのかね?大樹も稀に見る大欠陥ですよ?珍しい連発でした。
はて、そういえば力の扱いには十二分に気をつけるように、と再三念を押されたのだがいま現在のところ何の弊害もなさそうだね。特有の力、ああはい所謂特異性ってやつですね。
大樹の説明は婉曲表現だから理解しきれていないが、見ると聞くに関するものだったはずだが……何の問題もないぞ。見ても聞いてもいけない類と遭遇はしていないしそんな感じはしない。
単純に見当違いなのかもしれないが、別に視界が愉快なことになってもいなければ変な音などが聞こえているわけでもない。制御は慣れるまで大変発言があったから現状の何の努力もしていないのに平気なのは違和感がある。
さらに力が大きいという不吉発言もあるのだ。力が大きいということは物理的な腕力とかではなく法、魔法の類の方面だ。簡単に説明してしまえばよくある冒険RPGのMP的な魔法を使うために必要な数値のこと。
これがボクの場合大きい、つまり魔法の元になる力の保有量が並み以上ということだ。
魔法なら魔力とかいうが法なので法力とでもいうのだろうか?そんな表現したことないし何か違う気がする。
で、だ。力の保有量が大きいと何故不吉なのか。先に魔法という表現したことから察して欲しい。
魔法にはいろいろなものがある。それこそゲームや物語の中でよく見る攻撃的なものから補助、回復に至るまで多種多様。それらは魔力を元にして発露、火を灯したり風を起こしたり現実に目に見える形で発生させるわけだ。
つまり、魔法の元である魔力を正しく管理できていなければ暴走していろんな迷惑が起こり得る可能性があるということ。いきなり爆発とかね。
法も同じ。力を管理、制御できていなければ力の方に振り回される。そしてその制御するための力、制御力と保有している力は拮抗しているかむしろ制御有利でなければならない。
……ならないのだけれど、生まれたての上に本来最初に使いこなせるはずの基礎の法である心声すらまともに使えないという頭を抱えるべき現状。そこから導き出される私の制御力なんてあってないものだ。
要するに、現在のボクは制御できないくせに強大な力を保有している危険物。
これで間違いないはずなのだが……そんな危険な香りは一切しない。何らかの対応措置でも取られているのだろうか?
そういえば一応力の制御ができないものの為に力を封印する封印石という石が存在しているはずだ。
大体がピアスやネックレス、髪留めなどの装飾品として加工されて身につけられていたがどうなのだろう。
気になって自分の耳に手を伸ばす。と、柔らかな耳たぶに触れるはずの小さな指は硬い感触に触れた。
……当たりかな?何だが石っぽい感触とピアスの金具らしき感触がある。
おう、前世でも縁のなかった代物が生まれて間もない我が身に何時の間にやら設置済みとかなんか引く。
何処の誰だよ幼児の耳に穴なんて開けたの。別にそれで命の危機を脱してるなら不満はないが釈然としない。説明くらい寄越せよ。
「?」
慣れない感触をいじっていたら突然音がした。ポーンと音叉がなっているような感じの。
ああ、でも音叉の音じゃない。音の高さが違う。
あれは確かドイツ音階でA、日本人に分かり易く言うならラの音だったはずだ。
でも聞こえているのはG、ソだ。
何故こんな音が聞こえる?しかも単音。周囲に音を奏でるようなものは見当たらないんだが。
きょろきょろと視線を彷徨わせていたら「え?」なんて声が聞こえそうな顔でボクを見ているマリエルとディルが見えた。
うん。ボクの方が「え?」って感じですよ。何かあったのか?いや、何かあってるのはボクか。
ポーンと一定の間隔を空けて聞こえるGの音。余韻が消えるくらいのタイミング、凡そ十秒程で再度鳴る音。リズムと表現するには音の間隔が広いな。
何か不思議な音だ。ただの音のはずなのに何となく炎のイメージが湧く。
炎、火といえば想像するのは雄々しく猛々しいもの。火事みたいに全てを燃やし尽くす破壊と滅びを想像するが、同時にあれは再生と浄化を生む。だから私にとって炎は破壊と再生のイメージがある。
まあ、どちらも物語の影響が強いんだが。
因みにいま聞こえている音から想像する火は、ゆらゆらと揺らぐ感じだ。
小規模な焚火くらいの火力なのだが、強風に煽られていると言えばいいのか?
円を描くように中心にあるものを守っている感じなのだが、揺らされて破綻しそうだ。物語的に表現すれば結界が切られてしまう、的な。
「リトネウィ、ア?」
引きつったと表現するだろうご様子で名乗ってはいないし現状名乗れもしないが知ることは容易であろうボクの名を呼ぶマリエル。
どうして急にそんな反応しているのか聞いてもいいですか?なんて出来もしないことを考えていれば、ディルの方はもっと深刻な反応だった。
眉間に皺が寄った表情は不機嫌時と同じ表現になるのに映し出される感情は全く異なり、困惑と焦りが見える。
「……冗談だろ。封印石の容量超えてるのか?」
「嘘!だってアレそんなに弱いものじゃないよっ」
ろくでもない内容でした。
ボクの小さな指が触れている石が封印石なのは二人の会話で確認が取れた。
そしてそれが位を上から数えた方が速い高位者である二人にとってそこそこ使える部類のレベルであることも理解した。
同時にいま聞こえている音は封印石が上げている悲鳴のようなものであることもよぉくわかった。
可能な範囲で状況確認している間に聞こえていた音が弱くなり、その間隔が長くなっていく。
恐らく封印石がもうすぐ壊れます、限界が近いですということだ。
聞こえなくなったらやばい。いや、むしろ聞こえていること自体がやばいのではないのか?
私の特異性は恐らく見ること、聞くこと。
それがどういった感じでどんなものなのかは生憎表現が曖昧でわからなかった。
わからなかったが、もしも……もしもコレがそうだとすればどうだ?
音を聞いて私はそれに炎のイメージを持った。
補足で音が聞こえ始めてから四大、上級位である天魔のマリエルとディルが驚いた様子を見せた。
追加、封印石の許容量を心配されていることから恐らく壊れる心配が浮上している。
これは仮定だ。
もしも私の “ 聞く ” が属性を音で捉えているのだとすれば?
炎、火属性をGの音として捉えていて、ピアスについているだろう封印石と思われる石が火属性のものだとすれば?
聞こえてきた音が封印石の破砕を示唆しているものなのだと……すれば?
答えは非常にシンプルだ。
先に述べたとおり、私には制御に時間がかかるだろう特異性があり、法の力は大きい。
だが、大樹が危ういと告げる程の大欠陥をこの身は抱えている。
扱えない力を持つ一種の危険物である現時点の私にとって、力自体を封印という形で本人が意識せずとも抑え込んでしまう封印石は命綱と言っていい。
それが、壊れたらどうなる?
制御できない力はどうなってしまうのだ?
「っ!」
ぞっと血の気を引かせるには十分すぎる想像は、か細く消えていくGの音と共に現実味を帯びる。
そうして、パンッと何かが砕ける音がした。