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孵化

「そういえばイルファ、名前は知ってるのか?」


「いえ、私が会ったのは本当に実ったばかりの時なので」


リフォルド様の法で移動した先、問いかけられたことに俺は首を横に振った。

とっくに孵ったものだと思っていたし問題も起きていないので調べることもしなかった。


「リトネウィア・レム・オルテンシア。水天使だな」


「オルテンシア?聞かない家名ですね」


「聞かないだろうな。天魔戦争よりも前に途絶えてる家だ。おかげで引き取り手がいなくて新生預かりになる予定だったんだが……こうも力があることが知れ渡るとそうもいかないだろ」


翼を広げ、上空から見ている限りでは通常と変わりない新生の地。


「っ!!」


「うわっ」


突然音が響いたかと思うと新生の地の核たる二本の大樹、その一つ天使の生まれいずる大樹側からから何かが結構な勢いで出て来た。

……いや、あれは出て来たんじゃなくて弾かれた、だ。地面に倒れて起き上がる様子がない悪魔の姿が見えた。


「こんな馬鹿がわんさかだ。幼気な子をみすみす元老共に渡す気はない」


低く厳しいリフォルド様の言葉に同意を返し、新生の地へと降りてみれば完全に伸びて転がっている悪魔の男。これは当分起きないだろうな。そして起きる必要もない。まだ孵ってすらいない幼子に何を強いるつもりなのだこいつらは。


見ていると不愉快になるので問題の卵がある大樹へと視線を転じれば、上から見ていた時と同じで枝のそこかしこに大小様々に実る新たな生命が映る。

異変らしい異変はないが、強いてあげるなら拙い心声を使い来訪者へと声をかけてくる幼子らの声がしないことか。聞こえるのは風に揺られて生じる梢の音だけ。


「しっかし……余波でも耳痛いな」


「え?」


「え?ってなんだ、え?って」


耳を押さえておっしゃるリフォルド様の様子からちらりと考えてはいたことを察する。

どうやらおかしいのは俺の方らしい。


「その、いま音が聞こえますか?」


「音というより耳鳴りに近いな。振動はお前もわかるだろ?余波が残ってる」


リフォルド様がおっしゃっているのは皆が異音として捉えている音によって生じる振動、大気の震えだ。

大気が震えているのはわかる。……わかるが。


「…………泣きじゃくってるようにしか聞こえないんですよね」


「……はあ?」


頬を掻きながら自分の耳が捉えている音がどういうものなのかを正直に申し上げれば、どういうことだと首を傾げられるリフォルド様。

ああ、やっぱり俺だけなんですね。


転じた視界に入る大樹、その幹から枝先までのやや枝先寄りに実るのが問題の卵。

記憶しているものより随分大きくなった卵は長く留まっている所為で少しばかり育ちすぎている感があるが、聞こえてくるのはひっく、えぐというもの。

実った時と変わりない泣きように聞こえるがちゃんと精神的に育っているのだろうか。

そんなことを考えながら先程弾かれた悪魔がいることなど気にもかけず俺は卵へと向かう。


「こーら、何をそんなに泣いてるんだ?」


力の余波が周囲へ波打っているのは変わらずだが……、その量が増してるのは気の所為じゃない。使用方法はともかく、多少は力の扱い方を覚えたってところか。


「ん?」


声をかけて近付いていけば、聞こえたのは「ふぇっ」という声。そしてざわりと揺らいだ大気。


「っげ!」


後方でリフォルド様が思わず零した声も一瞬後にはああ成程だ。



『――――――――――――っ!!』



思い切り大気が震える。音を伝えるために震える振動なんて可愛いもので、全身に叩きつけるようにして向かってくるその音は衝撃波と呼んで遜色ないレベルだ。成程昏倒もするはずである。

きっといま新生の地だけではなく周辺一帯にまでこの音らしきものは響いているんだろう。

流石の俺も至近距離で発せられる全身へ響くほど大音量の全力泣きは耳が痛い。


「な、泣くな泣くな。別に俺は恐いことをしに来たわけじゃない。ここには大樹がいてお前を守ってくれてるだろう?」


とりあえず、だ。こんな大泣き状態ではまともに話を聞いて貰える気がしないから泣き止んで貰いたい。

そう思い可能な限りやさしく聞こえるように普段よりも柔らかい声音で話しかけながら、卵へと手を伸ばす。

俺の掌より大きくなった卵、その温かさに触れて俺は眉を寄せた。


「……叩いてるのか?」


そっと触れている掌に内側から振動が伝わってくる。それは泣き声によって現在進行形で震えている大気のものとは違って不規則に。と、とと、と、といった小さなもの。

嫌な予感がした。


「えっと……リトネウィア、俺はイルファだ。俺の声は聞こえているか?」


わんわんと泣いていたが少し鎮まったので改めて声をかけてみると掌に伝わる振動が止まる。

反応があるってことはリフォルド様がおっしゃっていたとおり外からの声は聞こえているってことだ。


「聞こえるなら一度叩いてくれ」


ひっくと収まりつつある泣き声へと続けて声をかければ、少しの間を空けて卵に触れる掌にと、と一度振動が伝わった。


「そうか、聞こえてるんだな」


確認のために繰り返せば、と、とこれにも振動が返る。

とりあえず何を言われているのかも聞こえているし理解もできてることは確認できたな。


「大樹の声は聞こえるか?聞こえるなら一度、聞こえないなら二度叩いてくれ」


外からの音が聞こえるのはわかった。では肝心な内側、卵の中の幼い生命を育む守り手である大樹の声はどうなのか。大樹の場合は声、というよりも意思という方が正しいのかもしれないが細かいことは置いておく。そんなこといまはどうでもいいことだ。

と、とこれにも一度返ってくる。


「心声は教えてもらったか?」


新生は生まれてからもしばらく声が出せない。生まれたばかりの体がまだ卵の外の世界に馴染んでいないからなのだろう。だから代わりに心声を使って声を伝える。人間が使うことがあるらしいテレパシーみたいなものか。まだ使い方が甘いため個人に照準を絞れず周囲にも声を響かせてしまうんだが。

と、一度返る返答に俺は眉を寄せる。


ここまで聞いて、俺に答えてくれていて、それでも心声を返さない理由は?

浮かべた疑問と同時に浮かんだ答え。口に出すとそんな馬鹿なと一蹴されそうなことを躊躇いつつも紡ぎ出すことにする。


「……まさかとは思うんだが、心声が使えないのか?」


未だかつて聞いたことがないんだが、なんて俺の不安な思いが伝わったのか「ふえっ」とまた泣き出しそうになったのが聞こえて焦る。


「あーっと別に怒ってるわけじゃない。確認だ。使えないんだな?」


泣かせると会話が途切れてしまうのでなるべくやさしく声をかければとっと一度返ってくる。

……本気でか。

掌に伝わった返答に気が遠くなりそうになったが、同時にさらなる疑問が湧き起こり意識は保たれている。


「おっかしいな……これだけ音として響かせてるのは何なんだ?ひょっとしてこれが心声なのか?」


大気を震わせる振動。多くが音としか認識できない音。だが俺には泣き声にしか聞こえないソレ。

……いや、俺が泣き声として認識できているならそれはそれで心声として機能はしていると言えなくもない、か?


「俺と周波数でもあったのか?」


疑問に唸っていたらととと、と連続で振動が伝わった。

小声での独り言だったから黙ってしまったと思われて不安にさせたかな。


「ああ、悪い。……ひょっとすると聞こえるかもしれないんだよな。ちょっと話しかけてくれるか?場所はこっちだ」


とんとんとノックの要領で卵を軽く小突き、俺はそこに額をつける。目を伏せて卵から漏れるリトネウィアの感覚に意識を添わせる。


『……っく……聞こえ、ますか?』


それは涙声だが確かに声。不安に震え、何処か縋るようにも聞こえる小さな声だ。


「ああ、聞こえた。大丈夫、聞こえるよ」


『ふぇ……ふぇうぅ……っ』


ほっとしたのはお互い様。でも比べるものじゃないよな。伝えたくても、語りたくてもできなかった幼い子と。


「頼むから泣かないでくれ。リトネウィア、自分がいまどういう状況なのかわかるか?大樹はなんて言ってくれた?」


言葉として認識できたいまでも周囲へと大気の振動が伝わるのがわかる。

たぶん、心声が使えないんじゃなくて上手く扱えてないんだ。力が大きすぎる弊害なのかもしれないな。

心声を使おうとしてはいたんだが上手くいかなくて、はっきり声として認識できたのは俺だけ。

どうにもならなくて泣いてたのに周囲へと聞こえるのは辛うじて音として認識される振動だけ。


意思の疎通なんてこれではできるわけもない。おまけに聞くことはちゃんと機能しているんだから急かされて焦った、かな。…………なんて言われたのか非常に気になるところだが。

簡単に現時点での情報を整理していると返事が返ってきた。


『……ひぅ……、ぅ……自分で、出られ……ない』


「……は?」


まさかの発言だった。

虚をつかれて言葉が出てこなかったがリトネウィアの言葉は続いている。


『っ……自分で、破らないと……駄目っなのに……』


泣き止もうとしていた声が段々と震え、泣き声へと変わってしまう。


『力の通し方が違うなんてわかんないぃ』


「ふえぇえっ」と再び泣き出してしまったが、さっきみたいな音で全身を叩く泣き方ではないので大気は大きく揺らがない。というのも心声の方向がちゃんと俺に固定されているから周囲へ影響がほぼ出てない。

通常の新生の子らができないであろう照準固定はできるのにどうして伝えることが上手くできてないのか謎だ。


しかし、どうするべきなんだ?

泣き出してしまっているリトネウィアを宥めるだけなら可能だが、根本的な解決にはならない。

なにせ泣いている理由が “ 自力で孵化できない ” なのだから。

そうなると孵化するためにようやく聞き取ることができた問題を解決しなくてはならない……のだが。


「力の通し方が違うってなんだ?」


流石に意味が分からない。


『ふええぇっ出して……出してぇ……もうやだぁ……』


ぐずっている、とはまた違う泣き方は恐れも含んでいて、自身の状態が芳しくないことを理解していることがわかる。聞いている俺まで精神的に引きずられてしまいそうだ。


それにしても……出てこないのではなく出られないとはね。

歌声に乗る法の力を借りて外と中から卵の殻に干渉をかけて割るのが本来の孵化だ。

が、リトネウィアはその内側からの干渉を成すための心声が扱いきれてない所為で孵化できない。


「となると……」


前代未聞だが……やらないとどうしようもないだろう。

リトネウィアも力の使い方を正しくしようと頑張ってみたが失敗しているようだからな。それが卵の成長は終えているのに孵化できず、遅れた一週間なのだろう。

会話の様子から意識も精神もしっかりしているのはわかる。そんな子が頑張ってできてないってことは「さらに頑張れ」なんてあと一週間程度の猶予を与えたところででどうにかなるようには思えないしそんな追い打ちをかけるような真似はするべきではない。

それにそこまで孵化せずにいて無事でいられるかどうか確証が持てない。……肉体よりも精神の方が。


だったら方法はひとつだろう。


「リトネウィア」


『ふぅっ……ひぃぅ……』


泣きながらも俺の呼びかけにちゃんと耳を傾けてくる。自分の置かれている状況を理解しようとしている賢さがある。だからこそいまから何をするのかをきちんと説明しなくてはならない。

一方的に行うのは簡単だが、それでは暴力と変わらない。無垢な幼子に無理を強いようとしている元老共と何が違うのか、だ。


「本当は歌の助けを借りて中から破らないといけないんだけど、仕方ない」


『……っ、仕方、ない?』


「そう、仕方ない」


鸚鵡返しの言葉に少し笑いを含めて返す。落ち着いてくれ。大丈夫だから。


「俺が外から干渉する」


リトネウィアができないなら声を拾えた俺が外から中へと干渉して殻を割ってやるしかない。


『……何、すればいい?』


涙を呑んで応じた声。それは決意の、そして俺の意図を理解した声。いい子だ。


「歌は聞こえていただろう?」


『うん』


「覚えてなくてもいい。真似して歌ってくれ」


たぶん、大気が振動して周囲には例の音として響き渡ると思うが今回は仕方ないと納得するだろう。

しないようなら俺が通達出して黙らせてもいい。事情が事情だ。

どんな音であれそこに法としての力が乗れば十分干渉できる。

……殻破りなんて一生の内に一度しか経験しないと思っていたが、思わぬこともあるものだ。


『……歌』


考えるようにしてしんと落ちた沈黙。


「っ?!」


その直後聞こえたのは、歌だ。聞き覚えのない旋律だが、歌だった。

しっかりと法を通した本来外にいるものが歌うべき歌。

大気を震わせる音なんてものではなく、はっきりと響く幼い歌声。

俺だけが聞き取れているわけじゃないのは小さく聞こえたリフォルド様の「歌?」という呟きで確認済みだ。ちゃんと認識されている。

こんなにはっきりと歌が歌えてどうして心声ができないんだ?


と、驚いてる場合じゃない。意図せず紡がれた歌だったが、これなら問題ない。

すうっと息を吸い込み、卵の中のリトネウィアと響く歌声の両方に感覚を添わせる。

そしてほんの少し指先に力を込めてこんっと卵を弾く。

たったそれだけだが、心声を扱いきれていないリトネウィアには途方もなく困難なこと。

ぱきんっとひび割れる音がして俺は卵から額を離した。


『ふぇ?』


歌声は止まったが、問題ない。一度入った罅は卵全体に広がっていく。


「っ!」


「おっと―っ!?」


ぱりんっと割れた卵から生まれ落ちた小さな体が地面へと落ちてしまう前に抱きとめたのだが、視界一杯に翻った黒い波に目を奪われる。

何だこの髪はと叫びそうになったのだが、微かに届いた音に留められ言葉として紡がれることはなかった。


『……そ、と』


「リトネウィア?」


小さな声が聞こえたが名を呼んでも反応はなく、リトネウィアの意識は途切れていた。

安堵したのか疲れたのか、腕の中で小さな天使は完全に脱力している。

しかし……眠っていると表現するよりも気絶したと表現するのが正しい気がするなこの様子だと。


「……とりあえずは誕生おめでとう、と言うべきなのか?」


孵化と同時に新たに与えられた予想外過ぎる別の驚きを無理矢理片頭の隅に追いやり、息を吐いて一糸纏わぬ幼子の体を上着で包んでやればあどけない顔が窺えた。

随分と泣いたのだろうな。目元がだいぶ腫れて痛ましい。


「外から干渉かけて割るとは……」


意識のないリトネウィアへの配慮なのか、それとも一度怯えられたことを心配なさってなのか、足音を立てないようそっと歩み寄ってこられたリフォルド様が割れた卵の欠片を一瞥し、俺が抱き上げているリトネウィアを見つめる。

その表情はどうしても厳しいものになってしまう。

どうしてそうなってしまうのかがわかっているのに対する俺の表情はリフォルド様と異なり緊張感のないものだろう。

……無理矢理その考えを思考の隅へと押しやって逃避しているからだ。たぶん、遠い目をしている。


「孵化できたのはいいが、それ以上の問題が積まれたな」


「……ですね」


ほぼ同時に零れた吐息の意味は言わずとも、だ。

さらりと流れる長い黒髪。それ以上に深刻な事態が待っているなんてこのときは考えもしていなかった。

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