卵、其の弐
ずっしりと重い、手にした籠の中身と隣を歩く同僚。しばらく考えてから結局口を開くことにした。
「……レミィ……お前はこれを一体どこに置くつもりなんだ?」
持たされている色とりどりの……薬品。「はい」と笑顔で差し出され思わず受け取ってしまった成人男性の腕で一抱えはありそうな籠の中、みっちり詰まった瓶は運ばれているため中に入った液体をちゃぷちゃぷと揺らしている。
「一時的にタルージャの机の上に置きますわよ」
「……タルージャに調整させるからってこの危険物一式を机の上はないだろ」
中身をわかっていてさらりとこともなげに言うのだからどうしようもない。
毒薬、毒薬、毒薬、劇物。一体何を始めるつもりだお前ら。
「最終調整はディルですから間違いは起こりませんでしょう。……気になるのでしたらイルファに預けても構いませんわよ?」
「断る。俺はお前のところのお兄様と違って調合系はさっぱりだ。危険極まりない」
勘弁してくれ。何が哀しくて一体どんな使用目的で使われる予定なのかもわからない危険物どもを預からなければいけないんだ。
絶対に嫌だ、と顔にも態度にも出している俺を見て、レミィは頬に手を当ててふぅと息を吐いた。
「品物についての知識はあるのにどうして調合が残念なのかしら」
「ちまちましたことが性に合わないからだろ」
不思議そうに言われてもできないものは仕方ない。一応努力はしてみた。報われなかったからすっぱり切り捨てたが。
そう思いながら言葉を返せばほんの少し眉間に皺を寄せたレミィ。その表情は理解し難い、というところか。
「私からすれば布、針、糸だけで服を一式仕立てることの方が余程ちまちました作業だと思いますわよ」
ああ、確かにそうかもしれない。レミィは不器用だからな。一度針を持ったところを見たが……あまりに無残で取り上げた。白い布地がみるみる金錆色に変色していく様を隣で見続けるのは俺の精神衛生上によろしくなかったからな。
「体を動かすことしか能のない私からすれば四大は皆器用なものの集まりですわ」
ふぅなんて息を吐いている見た目だけおっとりさん。
レミエル・オーグリィム・ヴィクレン。四大の水天使。
四大一の近接戦闘特化者で一度思考が攻勢へ切り替わると容赦という言葉が裸足で逃げ出す暴れっぷりなのだが、おっとりとした見た目に騙され物理的に痛い目にあった奴は数知れない。
「そうは言うがあれだけ大量の材料の中から寸分違わず目的のものを見分けてくるお前も相当だと俺は思うぞ」
レミィの兄君、天魔でも指折りの調合師である彼の方は恐ろしいほどの薬品調合材料を自宅に所有していらっしゃる。一応わかりやすく選別して置いてあるらしいのだが、俺からしてみれば余りにも多すぎて何が何やらだ。
……おまけに危険物も無造作に置いてあって恐ろしい。下手に手をつけられない。むしろ手を付けるべきではない。譲り受けたいときは彼の方の手を煩わせたとしても取り出して貰うのが正しい。絶対に。
「見分ける目だけは鍛えられてますもの」
当然、という感じで答えられたがそれもそうか。
ヴィクレンの家は行けば五割の確率で病を貰って帰ってくるという正直近寄りがたい家だ。そんな環境下にいて適応できてなければレミィはここにはいない。
「戻りましたわ」
「同じく」
四大室のドアをくぐれば、迎えてくれるのは残っている面々。
アシェリス・モルガナ・コンツェシーザ。四大、火悪魔。
カラリナ・アージナイオ・ケリテ。四大、水悪魔。
タルージャ・ボリグエ・フリシェリオ。四大、風悪魔。
ナヴァリエル・クラッジア・セイルノール。四大、地天使。
マリエル・アスティータ・オルフィ。四大、風天使。
後はディル。
ちなみに俺も四大。イルファ・ソル・フライトシェネレス。火天使。
レミィも含めてこれで四天使四悪魔の四大全員。
「……おかえり」
答えを返してくれたのは四大の面々ではなくて、何故かいらっしゃる側近の方。
白銀の髪に深紅の瞳。所謂“禁忌の子”と呼ばれる大樹ではなく母体から生まれてくる天魔。天魔戦争時に驚異の力を振るったことから恐れられたが、いまでは彼の方以外存在しない。
リフォルド・シェル・フェイルス。側近、火悪魔。
「……リフォルド様、いらっしゃいませ」
多忙な方だが四大はマリエルとディルを始めに割と親しくさせて頂いているので突然の来訪にもそこまで驚きはしない。多少の緊張はあるが。
しかし、どうしてそんなに困った顔をしていらっしゃるのだろうか。
「イルファ、問題発生だ」
「は?」
名を呼ばれた方へ視線を向ければ、どうにもご機嫌とは言い難い表情のディルが見えた。元々あまり笑うタイプじゃないが、平素が無表情と同等なのだから表情に出ていることで付き合いの長い面々にはその程度がわかる。
取りあえずレミィが言っていた通り危険物品をタルージャの机に放置する。一瞥されただけで特に何も言われなかったのでタルージャ的にも問題ないのだろう。……本当に何に使うんだろうな、コレ。
「何かあったのか?」
四大が全員揃っているうえにさらに上位の側近までいる。そんな中で問題って良い様には聞こえない。
「騒音兵器レベル、お前曰く凄まじい泣きっぷりの卵いたろ」
「ああ……あの子か。どうかしたのか?」
周辺一帯に謎の音を響き渡らせていたらしい小さな天使の卵。確かもう三週間になるか。
通常二週間ほどで孵化する天魔たちは新生として誕生し、担当者によって報告された家の天魔が自宅へ連れ帰る。
というか騒音兵器って……ディル、余程うるさかったんだな。静寂を好む気質の所為か騒音許すまじ、なところがあるよなディルは。
「相手はなって間もない卵だぞ、少しは大目に見てやれよ」と思いはしても口にはしない。態々不興を買う気はない。
「まだ孵ってない」
「……ん?」
通常二週間ほどで孵るはずの卵がまだ孵っていない?
「それも全くこちらの呼びかけに返事をしない」
「……は?」
言われている言葉は理解できても意味が理解できずに俺の口からは間の抜けた音が零れ、リフォルド様ははあっと息を吐いて頬杖をついた。
「卵は十分育ってる。生きてることも確認済み。なのに歌おうが話しかけようがうんともすんとも言わない。だが卵に触ろうとするとそれは嫌らしく眩暈がするほどの音がわーってな」
はははと困ったご様子で笑っているが……深刻なのだろう。
卵が孵化するのは二週間と言ったが、すべてが必ずこの日数ではない。長くなるものもあれば短くなるものもある。力の保有量によってどうしても個体差が出てくることもあるのだ。
そこから考えると例の卵は二週間を超えてもまあさもありなんといったところだが、卵は十分成長しているとリフォルド様はおっしゃられた。つまり孵化するための成長はすでに終えているということだ。
……では、何故?
「個人の歌を目当てに孵らない子もいるけどそういうのとはちょっと違うみたいなんだよ」
「ってーとマリエルも見に行ったのか」
こくりと頷くマリエルは眉を綺麗にハの字にした典型的な困り顔だ。
「なんだか徹底して聞く耳持たずな感じでね」
はあっと大きく吐き出されたのは明らかに溜息だ。ディルと対照的に表情がくるくる回り、思っていることがそのまま顔に出る素直で分かり易いのがマリエルなのだが……。
つまりお前が椅子の背もたれに張り付いて項垂れたくなる程度には事態は芳しくないということなんだな。
「最初は無視されてるくらいだったんだけどあまりにも反応してくれないからって担当の子がこう……文句を言っちゃったみたいなんだよね」
「やんわり言えば早く生まれろ的な」
ディルの補足にマリエルが渋い顔をするが、さっと視線を走らせれば聞いていた全員が似たり寄ったりの表情を浮かべている。当然の反応だ。
実った全ての卵が無事誕生するとは限らない。様々な要因があり絶えるものもやはりいる。生まれたくても力が足りないなんて子だって中には存在する。
それを知っていて出てくる言葉なのだとすれば、その天魔は新たな生命を守り助ける新生の地の担当であるべきじゃない。
それに、だ。マリエルが厳しい言葉をやんわりとぼやかすことはあってもディルはしない。そのディルがどうとでも取れる曖昧な表現をしたということは口に出すことを厭う内容だったと考えられる。
一体何処の愚か者だ。
「それが気に障ったのかいまじゃ完全に閉じこもってる。それも聞いてない様でちゃんと聞いてるらしく相手によって対応が違う。マリエルは弾かれる程度だったが……俺は耳が壊れるかと思った」
余程堪えられたんですね。マリエル同様渋い顔していらっしゃいますよリフォルド様。
「あらあら。リフォルド様の方がひどい反応でしたの?それは珍しいですわね」
レミィの言葉に俺も内心で同意する。リフォルド様は高位の方だが下のものに親しくしてくださるので慕われているからだ。それは孵っていない新生にも言える。
歌声によって孵化を促される新生は時折お見えになられるリフォルド様の歌を楽しみにしている。リフォルド様でなければ孵化するのは嫌だと言う子までいる始末だ。拒まれるなんて本当に珍しい。
「特に何かした覚えも言った覚えもないんだよな。まあ、比べるに男の方が拒絶がひどい感じだ。触ろうとした馬鹿がいまのところ五人、内三人が男で三人全員が昏倒させられた」
公明正大、謹厳実直。そんなリフォルド様が「馬鹿」ということは、そういうことなのだろう。
力がありすぎるとどうしてもそういう輩に目をつけられる。
「大体事情はわかりましたがどうして話が四大、いえ側近まで上がってるんですか?本来司令でどうにかするもののはずです」
新生者の管理は司令の下、下級位の者たちだ。下級位たちの管理をしているのが司令になるため新生が起こす大抵の問題は司令が処理する。司令で手に負えないとなると四大へと話が上がってくることもあるが、そんな大ごと早々起こらない。そしてそんな話俺は聞いてない。
リフォルド様は得手とする情報によって察知し自ら出向かれることが多いのでわかるが、何故話が四大総出になっているのだ。
「司令でどうにも手に負えずリフォルドが自主的、マリエルも同じくで出向いたが見向きもされなかった。四大以下は完全にお手上げだ」
ディルがご丁寧にひらりと手まで振ってくれたが、それはそれでどうなんだ。
「いや、リフォルド様が見向きもされない時点で四大は通り越してるだろ」
「馬鹿」
「……何で馬鹿なんだよ」
即答で返ってきたディルの発言にちょっとむっとなる俺に解をくださったのはリフォルド様だ。
「この話は四大に持ち込まれたんじゃなくてお前個人に持ち込まれたんだよイルファ」
「……私に、ですか?」
意図がわからず問い返す俺に今度はリフォルド様がひらりと自身の手を振って示される。
「お前、触れただろ」
何に、なんて聞くまでもない。
「それに、俺も含めた全員が音らしいとしか認識できなかったのにお前だけが泣き声だと言ったそうじゃないか」
何でだろう。大ごとになっている気がする。
思わず沈黙してしまっている俺を見るリフォルド様の秀麗な口角が持ち上げられ、笑みを形作る。
「イルファ・ソル・フライトシェネレス」
「はい」
フルネームでの呼びかけに自然と背筋が伸びた。
「側近からの依頼だ。とりあえず新生の地へ行け」
「……了承致しました」
四大を通り越した案件だというのに上位の側近から下位の四大である俺に調査依頼が来るなんてどう考えても異例だ。
「一応俺もついて行く。万が一なんてことはないだろうがマリエルは四大に待機しとけよ」
「了解。元々今日は出て行く予定じゃないから大丈夫だよ」
「んじゃ行くか」
よしっと椅子から立ち上がるリフォルド様へ俺は現在の手持ちのものを確かめてから返事を返した。
「我望む地へ」
ぽんっと肩に置かれた手。リフォルド様の法で四大から新生の地へと移る。